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今こそ読みたい小橋建太!!【連載#1】

 プロレス界の鉄人・小橋建太(56)が2013年5月11日、日本武道館大会で引退試合を行ってから今年で10年を迎えた。引退後は自主興行「Fortune Dream」を主催。6月14日には後楽園大会が開催される。さらにはジム経営、解説者、現役選手への指導、講演会など団体の垣根を超えて業界に貢献し続けている。誰よりもプロレスを愛し、誰よりもファンに愛された男が、波乱の生涯を熱く語った連載を東スポnoteで復刻します。

 引退試合でリングに上がってくれた母

 父親の記憶はほとんどない。「お父さん」と呼んだ記憶もない。昔の写真を見ても、父親と一緒に写っている写真はほとんどないんだ。親父は市役所の職員だったけど、全然家には帰ってこなかった。両親は俺が物心ついた時には別居していて、たまに親父が帰ってきても、ケンカしておふくろが泣いている記憶しかない。だから家族は実質、おふくろ(都さん)と3歳年上の兄貴(英志さん)、俺の3人だった。

小橋は兄・英志さん(手前)とともに、強き母・都さんの手で丈夫に育てられた。後方のローカル電車もどこか懐かしい貴重なショットだ

 俺は1967年3月27日、京都府福知山市に産まれた。当時も今も福知山は自然にあふれた土地なので、子供の頃は野原を駆け回っていた。家には電話も自転車もラジカセもなかったけど、気持ちは満ち足りていた。悪い方向に走ることもなかった。それはおふくろの背中を見続けていたからだと思うし、世の中全体がまだのんびりとした時代だったからじゃないかな。
 
 母親がいなければ、俺はここまでこれなかったと確信している。苦労するおふくろの背中を見て、俺はプロレスラーになろうと心に決めたんだから。おふくろがいなければ、プロレスラー・小橋建太もこの世に存在しなかった。気骨にあふれて誰の手も借りず、俺たち兄弟を育ててくれた根性のあるおふくろ。それが俺の原点なんだ。でも恥ずかしがり屋で、ようやく引退試合で初めて東京の試合を見に来てくれて、リングにまで上がってくれたんだよ。だから本当にうれしかった。

引退試合では母・都さん(左)がリングに上がり、息子をねぎらった。右は真由子夫人

 小学校に入ると野球に夢中になった。3年生の時にはもう友達とチームを作って、放課後は野球に明け暮れていた。小学校5年生時には地区の強豪少年チーム「惇明ファイターズ」に入った。もう体格も大きくなっていたから捕手で4番、背番号は「1」だった。このころは朝から晩まで野球に夢中で、本気でプロ野球選手になろうと思っていたんだ。軟球ボールを握っては「魔球ができないかな?」なんて真剣に考えていたっけなあ。
 
 生活は苦しかったんだろうけど、おふくろはそれを俺と兄貴に感じさせなかった。当時は自衛隊(当時の福知山駐屯地)で裁縫の仕事を持っていた。学校が終わると職場へ行って、働く姿を背中から見ていたことを覚えている。おふくろは俺に気付くと、ニコッと微笑むけど別に何も言葉をかけるわけでもなく、黙ってミシンを踏み続けていた。仕事中だしそれは当然だよね。でも窓から差し込む暖かい陽射しと「トントントン」というリズミカルなミシンの音は、今でも優しく耳の奥深くに残っている。

野球少年だった小橋。巨人・原辰徳監督を激励(03年5月、東京ドーム)

夢が「プロ野球選手」から「プロレスラー」に変わった日

 俺が4年生になる時に兄貴は中学校に入学した。父親の援助は一切なかったはずだ。当然生活は厳しくなる。おふくろは裁縫の仕事と合わせて、ファミリーレストランの皿洗いの仕事もするようになった。夕方一度帰宅して、俺たち兄弟の夕飯を作ってから、また働きに出る。そんな姿を見ていたら、自然と我慢強くなるよ。何かをねだるなんて考えられなかった。
 
 野球少年だった俺に大きな転換期が訪れたのは、小学校5年生の夏休みだった。8月末、テレビで放送された全日本プロレス中継を兄貴と初めて観て心を奪われたんだ。忘れもしない田園コロシアムのジャンボ鶴田さんとミル・マスカラスの試合だ(1977年8月25日)。

小橋がクギ付けになった鶴田とマスカラスの一戦(77年8月、田園コロシアム)

 会場が野外だったこともあって、テレビの画面はとても華やかだった。
プロレスって凄い。まるで別世界だ。テレビに吸い込まれていった俺は鶴田さんとマスカラスの戦いにクギ付けになっていた。目指すならプロレスラーしかない――。この日を境に、俺の夢は「プロ野球選手」から「プロレスラー」へと変わった。

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6月14日「Fortune Dream」対戦カード紹介

第1試合

https://www.fortune-kk.com/info/2023/05/31/2542/

第2試合

第3試合

第4試合

第5試合

メインイベント

こばし・けんた 1967年3月27日、京都府福知山市生まれ。本名・小橋健太。87年に全日本プロレスに入団し、翌年2月デビュー。四天王の一人として3冠ヘビー級、世界タッグ王座に君臨。2000年のノア旗揚げ後はGHCヘビー級王者として13度の防衛に成功し、鉄人王者と呼ばれる。06年に腎臓がんを患うも翌年奇跡の復活。その後は度重なるケガに悩まされ、13年5月11日に引退試合を行った。Fortune KK所属。

※この連載は2013年6月から7月まで全20回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全11回でお届けする予定です。また、最終回には追加取材を行った最新書きおろし記事を公開する予定ですので、どうぞお楽しみに!


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