平日の昼間から木を殴り、拳から流れる血を見てニヤリ【高田延彦連載#3】
「君もプロレスラーになれる」の文言で人生が変わった
中学2年生の冬、私は1人で新日本プロレスを見るために、横浜文化体育館に行きました。ものすごいドキドキしながら会場に向かったのを覚えてます。「生で猪木を見られる」って。でも、実際の衝撃は試合を見る前に訪れました。
会場に入り、売店でパンフレットを買ってペラペラめくっていたら「君もプロレスラーになれる」という募集があったんです。そこに「中卒は身長何センチ何キロ以上、高卒は身長何センチ何キロ以上。格闘技の経験はなくてもOK。写真を撮って送ってください」と書かれていた。それで初めて思ったんです。「え、俺もプロレスラーになれるの? なっていいの?」と。そして続けて瞬間的に「俺、レスラーになろう」と決めました。
それで会場に入ったら、若い選手たちが練習しているわけですよ。中には私と同じくらいの子もいた。それでまた衝撃を受けた。「自分と同じような人間がいるんじゃん」と。けっこう細い人もいて「俺もできるんだ」という考えが一気に現実味を帯びたんですね。
私にとって初めての職業選択の瞬間だった。だから、初めてのプロレス観戦だったけれど、試合よりもそっちの印象のほうが強い。試合はメーンのタッグマッチでタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組VSアントニオ猪木と…、パートナーは、すいません、覚えていないんです。
とにかくパンフレットを開いた瞬間、世界が変わって、職業を決めた。中卒でもOKと書いてあったからにはもう高校にも進まないと決めた。中学もそこからはほとんど行っていない。だからあの日、横浜文体に行ってなかったら私はプロレスラーになっていないんです。それまでレスラーになる方法なんて調べようとも思っていなかった。情報もない。今ならスマホに「プロレスラー なりたい」って入力すればすぐ分かるけど、当時は黒電話しかありませんでしたからね。
そのころ、親父はすでに退院して仕事を再開していた。また2人で暮らしていましたけど、その決意は黙って心の中にしまっておきました。今思えばレスラーになるには良い環境だった。親父は真面目だから朝早く仕事に行っちゃうのでその後は1人。母親もいなかったから、昼間は自由なんですよ。
それからは新日本プロレスに入団するため、学校にも行かず毎日猛トレーニングに励む日々が始まりました。
すべては「新日本に必ず入る」という勘違い
とにかく中学を卒業したら、すぐに新日本プロレスに入りたかった。でも体重が足りない。だから「とにかく筋肉をつけて体重を増やして、卒業までに間に合わせよう」と、それしか考えなかったですね。
中学2年生の時に進路を決めてからは、何も迷いませんでした。同級生がみんな高校進学で悩む中、私は新日本にたどり着くことしか考えなかった。だからそのための行動を起こした時、周りがどんな目で自分を見るのかなんて、まったく気にならなかったんです。
まずは朝、同級生たちが登校する時間にランニング。それから団地の中庭や公園でヒンズースクワットなどの基礎トレーニングです。ついこの間まであいさつをよくする「いい子」だった私が、ですよ。でも「きっと変なヤツに見えるだろうなあ」とか思い浮かばなかった。もっと言えば「どう見られようと関係ないや」という思いすらなかった。ただ気持ちよかった。周りの景色が何も入ってきませんでした。
今考えると奇跡だと思います。本来、周囲の目を気にする性分の私が一切そんなことを気にせずに、平日の昼間から木を殴ってるんです。厳密にいえば器物破損ですね(笑い)。でも木の揺れが日に日に激しくなるのが気持ち良くて。こぶしから血が流れてくるのを見ながらニヤリと笑ったり…。そこまで思い込めたのは、いろんな歯車が合って、そういう精神状態になったんでしょう。
もし自分の息子が同じことを始めたら「やめろ」と言います。「ジムに行け」とか「学校から帰ってからやれ」とか、やり方はいろいろありますから。でも当時の私にはそれを言ってくれる人が周りにいなかった。勝手に自分にとって一番正しい道だと思っていた。究極の勘違いをしたんだと思いますね。「レスラーになる」「新日本に必ず入る」という勘違い。そういう精神状態は、その後も含めて生涯に1度しかなかったです。
さらに幸運だったのは当時の担任が、なぜかすぐには親に連絡しなかったことです。普通は3日も無断で休めば家に来るじゃないですか。「息子さんは学校に来ないで、木を殴っているらしいじゃないですか」とか「昼間から外でゴロンゴロン受け身を取ってるらしいじゃないですか」って。それが私の担任はなかなか家に来なかった。
それでも半年くらいたってとうとう担任が家に来て、親父にばれました。担任と玄関で立ち話して、そこで初めて親父に「レスラーになる。だからもう学校も行かない」と伝えました。親父はなんとなく察していたのか、半分諦めていたのか「受けるのは1回だけにしろよ」と条件付きで認めてくれました。そして私はそのまま、入団テスト合格のためにトレーニングを続けました。
※この連載は2016年11月22日から12月29日まで全22回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全11回でお届けする予定です。