武藤敬司 米国修行中はナンパざんまい「若いからムラムラするんだよ」【豪傑列伝#7】
あの頃はオレも若かった。「天才」「プロレスマスター」などと称されるプロレス界のスター・武藤敬司も、やはり人間だ。多感な青春時代を送り、米国で武者修行した際はナンパざんまい…。今では考えられない武藤のプレーボーイぶりを大公開する。
1985年、米国遠征に旅立った武藤は各地を転戦し、後にWCWマットでグレート・ムタとして大ブレーク。その名を世界にとどろかせた一方で、夜の世界でも大物ぶりを発揮した。
武藤の記憶では、アタックに成功しながら事が成就しなかったのはわずかに2人だけという。WCW時代は同団体の収録スタジオがあったアトランタ空港付近にあるホテルに定住。移動にも便利でレスラー御用達の宿舎と評判で、いつしか熱心なファンも住み着いた。
例外は除き、ナンパの成功率はほぼ100%。それだけ遊び歩いていれば、は信じ難い出来事にも遭遇する。サーキット仲間だったケンドー・ナガサキ(桜田一男)と口説き倒した〝美女〟が実は男だったことも…。なかでも武藤が鮮明に記憶しているのは〝失踪事件〟だ。
武藤は夜道を一人で走りに走った。ところが、滞在先のホテルが一向に見当たらない。当然だ。その距離は実に約30キロ。道端で小休止すれば、民家の番犬にほえられ、庭先から自転車を拝借しようとも考えた。途方に暮れながら歩を進め、気がつけば空は明るくなり、心配して付近を捜索していたレスラー仲間に発見されたのは午前7時ごろ。結局、武藤はその日、一睡もしないまま試合に出場した。
そんな武藤も92年に久恵夫人と結婚。一男一女をもうけ一家、そして全日プロの大黒柱となった。「もう昔の話だからな。時効だよ、時効!」。その言葉を信じたい。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。