「ウマ娘」のCMでも話題!〝女王〟メジロドーベルを「東スポ」で振り返る
「ウマ娘」では孤高のクールビューティー。男性の前で極度に緊張してしまう姿がかわいらしくもあるメジロドーベルは、1990年代を代表する名牝です。父の無念を晴らす血のドラマを見せてくれただけではなく、その圧倒的な脚力で、偉大なる先輩とともに牡馬撃破の夢も抱かせてくれた女王を「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)
内国産の星
メジロドーベルのデビューは1996年7月、夏の新潟の芝1000メートル。当時はまだ直線1000メートルのコースがありませんでしたから、普通にカーブを回るレースです。印はこんな具合。
何とも微妙な評価の4番人気。で、この新馬戦を2着に3馬身差をつけて快勝し、記者や関係者の評価も上々の中、新潟3歳ステークス(当時は2歳を3歳と呼んでいました)に向かったときの印もやっぱり微妙な感じでした。
理由は血統にあります。ドーベルの父はメジロライアン。GⅠで善戦を繰り返し、5年前の宝塚記念で悲願を達成した人気ホースですが、種牡馬としてはまだ1年生で、どんな子供を輩出するか全く見当がつかなかったのです。
「ライアンは中距離馬だったよな」
「その父も中~長距離馬(アンバーシャダイ)だった」
「じゃ、子供の適性もそのぐらいかなぁ」
そんな状況でしたから、1000メートルの新馬戦で評価が微妙なのも当然。そして、当時は1200メートル戦だった新潟3歳ステークスだって微妙な印になってしまったのでしょう。同時に、母方も含め、ドーベルの血統はあまりに日本的でした。当時は、外国産馬の人気が高く、国内では輸入種牡馬が猛威を振るっていた時代です。トニービン、ブライアンズタイム、そして2年前に産駒がデビューし、旋風を巻き起こしつつあったサンデーサイレンス…日本的な血統はトレンドとは言えず、ぶっちゃけ地味だったんですね。新潟3歳Sの馬柱を見ても、8枠で印を集めているのは外国産馬です。で、その2頭の次、3番人気となったドーベルは、見せ場なく5着に敗れます。
「新馬戦は相手が弱かっただけなのかな」
「たいしたことないのかな」
しかし、やはりライアンの子に1200メートルは短かったのでしょう。ドーベルは舞台を東京に移し、距離を伸ばしたサフラン賞(1400メートル)と、いちょうステークス(1600メートル)を連勝します。その瞬発力はなかなかのもので、いずれも2着につけた差は
2馬身半!
快勝、完勝です。
「おいおい」
「ダービー候補じゃないか?」
いちょうSはバブルガムフェローが勝った天皇賞・秋の日で、私は東京競馬場にいたんですが、友人の一人が上げたその声についつい「そうだね」と相槌を打ちそうになりました。いちょうSは出世レースでもありますから分からないでもありません。ただ、誰かがしっかり突っ込みました。
「あの馬、牝馬だよ」
ドーベルという猛々しい名前でオスだと勘違いしていた友人は「え? そうなの?」。大変失礼ながら、このような人は少なからずいました。どうしてもドーベルマンを連想させますし、予備知識なく聞いたら牡馬だと思ってしまうのも仕方なかったんですね。レースぶりが男勝りの力強いものだったことも関係していたのでしょうが…いずれにせよ、ドーベルは一躍、スター候補性となり、一気に注目度は上がりました。本紙も翌週、こんな記事を載せています。「終面」と呼ばれる裏1面ですから、かなりの扱いです。
向かうは2歳牝馬ナンバーワン決定戦・阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ)。記事にあるように「内国産馬の星」として期待を集めるドーベルを待ち受けていたのは、キャラ的には正反対の「外国産馬」でした。
1枠1番シーキングザパール――。新馬戦をぶっちぎり、ドーベルと相まみえた新潟3歳Sではポカをしましたが、続くデイリー杯(GⅡ・1400メートル)で2着に5馬身差をつけていました。しかも、タイムは当時の3歳レコード。圧倒的なスピードはいかにも外国産馬で、鞍上は天才・武豊ジョッキーですから、派手で華やかです。単勝は1・5倍。5・8倍の2番人気ドーベルとこれだけオッズ的に差が開いたのは、鞍上も関係していたのでしょう。ドーベルに乗っていた吉田豊ジョッキーはまだデビュー3年目の若手。勢いのある関東のホープで、「東のユタカ」と呼ばれはじめてはいたものの、まだ重賞は未勝利で、押しも押されぬトップジョッキーとなっていた「西のユタカ」とは差がありすぎたのです。
騎手選択がよりシビアな今だったら、このGⅠから、いやその前のいちょうステークスから上位騎手に乗り替わる可能性すら高いような立場で、当時だって「まだGⅠは早いでしょう」といった感覚。しかし、ドーベルを管理する大久保洋吉調教師(テレビ東京系「ウインニング競馬」の解説でもおなじみ)は、古き良き競馬界のイズムを大切にする名伯楽で、所属騎手であり弟子でもある吉田ジョッキーを当然のように起用しました。
とはいえ、これにより「東のユタカが西のユタカに一泡吹かせるか」という構図ができた一方で、実際のところは「そう簡単じゃないだろう」だったのは、先ほどの単勝オッズが示す通り。「内国産の星と若武者がどこまでやれるか」といった雰囲気でゲートが開きます。吉田ジョッキーはこう思って乗っていたそうです。
チャレンジャーらしいシンプルな作戦ですが、競馬というのは本当に面白い。やる気満々のドーベルをなだめつつ収まったポジションの目の前にシーキングがいたのです。「ついていけばいい」。若武者から力が抜けます。そしてこれまた競馬の面白いところというか怖いところというか、ポカのある馬らしい部分でもあるのですが、4コーナーを前にシーキングの手ごたえがめちゃくちゃ悪くなるのです、吉田ジョッキーにも分かるぐらいに。で、そのときドーベルの手ごたえは…
絶好
抜群
「なら先に…」
「いけ!」
若武者のGOサインに抜け出したドーベル。牝馬らしからぬ豪快なフットワークでゴールを駆け抜けました。
吉田ジョッキーは、重賞初勝利がGⅠ!
というわけで、「東のユタカ」を背にした「内国産の星」は、牝馬戦線の大本命に躍り出ます。娘が目指すのは、父・メジロライアンが果たせなかったクラシック制覇です。
二の舞
3歳初戦、ドーベルはまず、桜花賞トライアルのチューリップ賞(GⅢ・1600メートル)に出てきます。前年の最優秀2歳牝馬が順調に調整を重ねていたことで、有力馬が対戦を避け、メンバーは低調。この印も当然でしょう。
単勝は1・3倍。しかし、ドーベルはここをよもやの3着に取りこぼします。スローペースの中、我慢がきかずに3コーナーまでの間に何度も頭を上げる姿に場内がどよめいたほどで、体力を消耗し、最後の伸びを欠いてしまったのです。もともと前進気勢のある馬だったのですが、今まで表に出ずにいた気性の危うさが顔を出した形。ただ、実力負けではありませんから、「ひと叩きでガス抜きできれば本番は大丈夫だろう」といった見立てがほとんどでした。しかし、翌週、もうひとつのトライアル・4歳牝馬特別(GⅡ・1400メートル)の結果で、状況が一変します。
キョウエイマーチという快速馬が2着につけた着差は…
7馬身!
「すげぇ」
「速すぎる」
「桜花賞馬はこっちじゃないか?」
はい、1強が2強になったどころか、キョウエイマーチ寄りの声が強くなるほどの勝ち方。桜花賞はもともとスピード能力を競う面が強かったですし、鞍上も魅力でした。実績十分の松永幹夫ジョッキーで、しかもこの人、過去のGⅠ2勝がオークスと秋華賞という〝牝馬に強いミッキー(愛称)〟だったのです。こうなると、まだまだ若い吉田ジョッキーとの差が指摘されはじめますし、前走で顔を出した気性の危うさも…というわけで、記者の印は互角ながら、ドーベルはキョウエイマーチに1番人気を譲り、2番人気で桜花賞を迎えます。
単勝オッズはキョウエイマーチ2・6倍。ドーベル3・4倍。やや差があるのは、天気も影響していました。折からの雨でドロドロの不良馬場。父やきょうだいが苦手にはしていなかったのでドーベルも道悪は下手ではなさそうでしたが、あくまで未知数。逆に、キョウエイマーチはダートでの勝利もあるパワータイプで道悪をこなしそうに見えました。また、道悪になるといわゆる〝外からの差し馬有利〟になることも多いのですが、不良馬場にまでなると最後の脚色がみんな同じになり、先行力のある馬が有利になることもあります。だからこそのオッズ差で、結果は…
まさにオッズ通りでした。ガンガン飛ばす逃げ馬の後ろで2番手を進んだキョウエイマーチが抜け出した内側は、ちょうど仮柵を外したばかりで唯一馬場がいい部分。ドーベルは後方から追い込んではきたものの、その差は詰まらず、2着に敗れます。
「つぇ~」
「圧勝じゃん」
4馬身という着差に感嘆の声を上げたファン。しかし、ドーベル陣営に暗さはありませんでした。レース後、大久保調教師は…
吉田ジョッキーもキッパリ。
不安視されていた気性の危うさを見せなかったのも陣営にとっては大きかったはずで、大久保調教師はこう付け加えました。
そう、オークスは2400メートル。父メジロライアンということを考えれば、マイナスになることはなさそうで、逆にスピード色があまりに強いキョウエイマーチには距離延長が不安材料に見えましたから、翌日の本紙はこうです。
4馬身差は逆転可能。ただ、ファンとしては何とも言えないところでした。ドーベルがオークスでパフォーマンスを上げるのは分かっています。
「でも、キョウエイマーチが距離をこなしたら…」
「いかにもスピード馬なのに、距離をこなせるだけの〝化け物級〟だったら…」
そう考えると「4馬身」というのは手ごわい数字です。しかも、キョウエイマーチの父・ダンシングブレーヴは芝2400メートルの凱旋門賞を勝っています。松永ジョッキーはイソノルーブルという馬でオークスを逃げ切ったことがあります。また、「この時期の牝馬は能力だけで距離を克服してしまう」というのも競馬あるあるのひとつ。
「さすがに厳しいでしょ」
「いや、距離云々の馬じゃないよ」
そう、あの年のオークス、ファンの関心はここに絞られていました。
「先行するキョウエイマーチが止まるのか止まらないのか」
本紙の印的には「止まらない派」が優勢ですが、他紙はここまでではなく、単勝オッズはキョウエイマーチ2・2倍VSドーベル2・9倍。桜花賞より差が縮まっているのはやはり距離を気にする人が多かった証拠です。で、私も実際、そのことばかり気にしていた記憶があるのですが、今回、改めて新聞を発掘してみると、違った側面、競馬における〝血のロマン〟が見えてきました。キョウエイマーチ側ではありません。それはドーベル側の血。追い切り速報の紙面に、吉田ジョッキーのこんな発言が載っていたのです。
そう、オークスと同じ東京競馬場の2400メートルで1番人気に支持されたドーベルの父ライアンは、アイネスフウジンの逃げ切りの前に、惜しくも2着で涙をのんだのでした。
あこがれのライアン
その娘が父と同じ負け方をするわけには…
逃げ切られるわけにはいかない!
闘志を燃やす若武者。しかし、この若武者のすごいところは、だからといって焦らなかったことです。キョウエイマーチを無理に追いかけることはせず、例の気性難が顔を出さないよう、折り合いに専念しました。「自分の力さえ発揮すれば」というシンプルな作戦。自厩舎で普段から一緒にいて、デビューから手綱を取っているからこそ、馬を信じることができたからこその作戦でした。ポジションは中団やや後ろ。父のダービーと同じく10番手前後で力をためることになったのは、やはり競馬の神様のなせるわざでしょう。そして、逃げたキョウエイマーチが直線で馬群に沈んでいく中、馬場の真ん中を豪快にドーベル!
父ライアンの果たせなかったクラシック制覇
吉田ジョッキー、会心のガッツポーズ
完勝の2馬身半差は、血の宿命さえ忘れさせるほどの強さ。長年、オークスを見てきたファンをワクワクさせる勝ち方でもありました。
「強い…」
「この馬は相当強い…」
「一介のオークス馬じゃないかもしれない」
秋、その予感が現実のものとなります。
新時代
暑い夏、放牧には出ずに厩舎で英気を養ったドーベルは、10月半ばの秋華賞に向けて、意外な始動戦を選択します。なんと、3歳限定戦ではないオールカマーに出走してきたのです。秋華賞は京都競馬場、その王道トライアル・ローズステークスは阪神競馬場。2回続けて西に遠征するリスクを考慮し、地元の関東でひと叩きすることを決め、セントライト記念という菊花賞トライアルで牡馬を相手にするプランも出ていたのですが、牡馬どころか、まさか古馬にぶつけるとは…
メンバーがかなり手薄なのに、唯一のGⅠ馬なのに◎グリグリではないのは、「3歳牝馬が古馬相手?」「牡馬も混じる古馬相手に大丈夫なのか?」という声があったことを反映しています。秋華賞を目指す馬がオールカマーをステップにするなんて常識的には考えられません。だから、スタート後、スローペースをガマンできず、春の休み明け、チューリップ賞のときのようにムキになりかけたときは「これはまずい」と思いました。スタンド前を通過して1コーナーを回りながらこらえきれずに上がっていき、先頭に立ったときの場内のどよめきは相当なものだったのを覚えています。
「引っかかっちゃった」
「ヤバイんじゃないか?」
4コーナー、逃げる3歳牝馬に大人たちが襲い掛かります。
「やっぱり…」
「古馬相手は…」
「厳しく…」
ありませんでした。直線を向き、GOサインを出されたドーベルは先輩たちを突き放し、吉田ジョッキーが後ろを確認しながら追うほどの楽勝劇を見せるのです。
「強い…」
「この馬はやっぱり相当だ…」
「一介の牝馬じゃないかもしれない」
ファンの脳裏に再びあの感情
予感
そして、期待
そんな馬だからこそ、同世代相手の秋華賞では印はグリグリです。
桜花賞、オークスとは違い、断然の主役として単勝オッズは1・7倍。2番人気はローズステークスを完勝してきたキョウエイマーチ(3・9倍)となり、有力馬の一頭だったシーキングザパールが直前で回避したため、奇しくも春と同じ2強の様相でした。ドーベルの不安点をあえて探すなら、まずオールカマーでも顔を出した気性の危うさですが、これはひと叩きでガス抜きできることを春が証明しています。もうひとつは…直前の吉田ジョッキーのコメントを引用しましょう。
今でもそうですが、秋華賞の舞台・京都の芝2000メートルは小回りでゴチャつきやすく、マギレがあり、先行馬有利なのです。ペースは速くなりがちですから折り合い面では楽になり、ドーベルが逃げたり先行することはなさそうですが、かといって後ろでモタモタしたり、内で包まれたり、不利を受けたりすると届かない。大本命馬としては非常に乗りづらいのですが…
全く関係ありませんでした。勝負所で不利のない外に出し、ロスを承知で外を回り、直線で追い出すと豪脚一閃。松永騎手の完璧なエスコートで、内の馬場のいいところを完全な勝ちパターンで抜け出したキョウエイマーチを、並ぶ間もなく抜き去る瞬間、応援していなかった人でさえ声が出ました。「差せ」よりもこっち。
「ドーベル!」
「ドーベル!!」
勇ましい名前
牝馬らしくないとさえ言われた名前
「ピッタリじゃん」
「お似合いじゃん」
心の中でつぶやきながらもう一度
「ドーベル!!!!」
吉田ジョッキーが手綱を抑えながらゴールしたとき、ファンは確信しました。
「強い!」
「この馬は相当だ!」
「一介の牝馬じゃない!」
調教師の皆さんがレースを見ているスタンド席からはお手上げの声が上がったそうです。
「強すぎるワ」
というわけで、本紙は翌日、思い切った紙面を作りました。
この強さなら有馬記念に挑戦してもいいのでは?という内容です。令和の競馬界から考えると違和感はありません。でも、当時はかなりのチャレンジでした。
「牝馬の有馬は無理ゲー」
はい、当noteでも何度か書いてきた通り、20世紀はコレが常識。当時は古馬王道路線で牝馬が牡馬に通用する時代ではなく、有馬記念においては1971年以来、牝馬の優勝はゼロでした。メジロ牧場の先輩で牝馬3冠を成し遂げ、ドーベル同様「強すぎる」との声が上がったメジロラモーヌでさえ、その勢いのまま出走した有馬で9着…そう考えるとこの紙面、いくら大久保調教師が有馬出走を示唆したからとはいえ、東スポらしいやや大げさな〝あおり〟にも映ります。映るんですが、今改めて見ると〝予言〟にも見えてくるから怖くなってきます。実はこの1週間後、「牝馬でも!」というムードが一気に充満してくるのです。そう、〝女帝〟エアグルーヴが、天皇賞・秋で牡馬を打ち負かすのです!
強い牝馬なら牡馬相手でも勝負になる――
エアグルーヴの勝利に感動した後、私は「はっ」となりました。
「いるじゃないか」
「今の3歳牝馬にも!」
そう、天皇賞の後に脳裏をよぎったのは秋華賞のゴール前。
「ドーベルは一介のオークス馬とは思えない」
「エアグルーヴ級じゃないか?」
「だったら有馬にいっても面白いんじゃないか?」
東スポを読んでいたからこその発想だったかもしれません。でも、あのときの興奮は相当でした。ただ、隣にいた友人が水を差します。
「いや、ドーベルはエリ女でしょ」
「普通に考えたら次はそうなるでしょ」
確かに、なんですよね。2週間後には古馬を交えた牝馬のナンバーワンを決めるエリザベス女王杯が控えていました。ローテーション的にはそこで先輩と一戦交えるのが常道。有馬へ行くとしてもエリ女を勝ってから…が普通です。
「でも、そうなると秋4戦目かぁ」
「余力が残ってるかなぁ」
心配になりつつ、エリ女ウイークを迎えた私たちの目に、こんな記事が飛び込んできました。
「え?」
「ドーベル、故障でもしたの?」
違いました。
回避して有馬へ
万全を期して有馬へ――
これは燃えましたね。牡馬に通用するかもしれない3歳牝馬が、エリ女で体力を使うことなく、有馬に出走してくるのです。
「通用するかも…」
「ドーベルならやってくれるかも!」
実はエリ女の回避は同じメジロの馬との使い分けだったり、様々な事情があってのことだったのですが、そこまで知らないファンとしてはたぎりました(何度も言っているように私は競馬記者ではなく単なる競馬ファンです苦笑)。そして、たぎったのが私だけじゃなかったことを証明するのが有馬記念のファン投票。
3歳牝馬のドーベルが3位! しかも、1位はエアグルーヴで、これまた牝馬なのですから、空気は明らかに変わっていました。そう、我々が感じていたのはこれです。
新時代――
今年の夏、大ヒットした映画ワンピースの主題歌、Adoさんのあの歌より先に、私たちは新時代の到来を予感していました。
牝馬が牡馬に真っ向勝負を挑む時代
なんなら勝っちゃう時代
エアグルーヴがこじ開けたそんな新時代の扉
光あふれる扉の向こうへ
すぐ後ろから後輩の牝馬
猛き名の女王
ドーベル!
あの年の有馬、主役は完全に牝馬でした。追い切り速報でも、先輩のグルーヴと後輩のドーベルが共演します。
新時代を予感していたのはファンだけではありません。頭の柔らかい本紙のベテラン記者はドーベルに果敢に◎を打ちました。
1997年のグランプリ、明らかに時代は変わっていました。牝馬が勝ったことのないレースなのに、秋3戦目で主戦の武豊ジョッキーから乗り替わりになったのに、エアグルーヴは堂々の2番人気(1番人気はその武騎手のマーベラスサンデー)。そして、3歳牝馬・メジロドーベルは…
3番人気!
単勝オッズは5倍を切る4・6倍。そこまで支持されていたことを覚えている人はどれだけいるでしょうか。そう、あの年、ファンは感じていました。ドーベルの強さによって感じていたのです。
新時代――
残念ながら気合が空回りしてしまったドーベルは8着に敗れます。でも、あの有馬前の〝ドーベル熱〟は本当にすごかったことをお伝えして、次章にいきましょう。
真の女王へ。
超えるべきは女帝です。
パイセン
年が明け、ドーベルは早々と牡馬との戦いに打って出ます。引っ掛かってしまった有馬は力負けとは言えず、オールカマーで既に牡馬に通用することを証明していたのだから当然でしょう。まずは日経新春杯(GⅡ)。
単勝2・4倍の1番人気。しかし、ドーベルはなぜか元気がなく、慣れない内に入ったこともあり、11着に敗れます。
この惨敗はファンを心配させました。牝馬というのは一度リズムを崩すと立ち直るのに時間がかかります。
「有馬で無理しすぎたのかな」
「尾を引かなければいいけど…」
不安の中、迎えた古馬としての2戦目。そこではあの先輩が待っていました。
〝女帝〟エアグルーヴ
完勝――
「ほら、何してんの!」
「牡馬と戦うんでしょ!」
先輩が引っ張ってくれたのか、ドーベルは力強くその背中を追いかけてゴールし、ファンをホッとさせました。
当時はヴィクトリアマイルがなかったため、強い牝馬にとって春の目標は難しいところ。ドーベルはその後、目黒記念を叩き(2番人気5着)、宝塚記念に向かいます。
サイレンススズカ、メジロブライト、シルクジャスティスにエアグルーヴ…さすがにこのメンバーに入っては厳しいと思われたドーベルは6番人気(単勝23・3倍)にとどまりましたが、見せ場は十分でした。逃げたサイレンススズカの2番手につけ、直線で前に迫ろうとした5着は「相手次第では王道GⅠでもやれるのでは?」と思わせるもの。しかし、秋になり、ドーベルは天皇賞・秋やジャパンカップに向かわず、エリザベス女王杯を目標にします。王道路線でも通用しないわけじゃないのでしょうが、昨年出走せず、獲得していなかった女王のタイトルをとりにいく選択は、ある意味、納得。ただ、エアグルーヴ級かと思っていたファンにはやや寂しいものでもありました。秋初戦の府中牝馬ステークスもハナ差の辛勝でしたし、俺たちをアツくさせてくれた姿とは違うような…が! 競馬の神様は面白い演出をしてくれます。古馬王道路線を歩むはずだったエアグルーヴが、天皇賞ではなく、エリザべス女王杯に矛先を向けてきたのです!
天皇賞・秋→ジャパンカップ→有馬記念
ではなく
エリザベス女王杯→ジャパンカップ→有馬記念
天皇賞・秋は前年に勝っているからというのもあるでしょうし、サイレンススズカの存在もあったでしょうが、エリ女とJCは中1週ですから、前代未聞のローテーション。管理する伊藤雄二トレーナーはこう説明しました。
名伯楽の考えは素人には及びもつかないもの。ただ、これにより、ドーベルだったはずの主役は完全にグルーヴになります。
「ここは楽勝して」
「昨年2着だったJCのタイトルを!」
グルーヴの雪辱を願うファンの視線も既にJC。エリ女の勝利を大前提としていました。そりゃそうです。前年の天皇賞馬です。牝馬同士なら力は圧倒的。伊藤師もこう言っていました。
単勝は1・4倍。ドーベルは2番人気になりましたが、オッズは4・6倍と、少し離れたものになっていました。もう一度、言いますが、そりゃそうです。ドーベルの対グルーヴの対戦成績は
3戦3敗――
あきらめてもおかしくないような状況――
でも、ドーベル陣営は希望を捨てていませんでした。大久保調教師は絶好調に仕上がった馬に目を細めつつ、まずは舞台設定の良さを指摘しました。
そして、最後にこう付け加えました。
八分でも勝てるという状況こそがグルーヴの隙にならないか…というわけです。そしてレース前日、厩務員さんはドーベルの馬体をなでつつ、こう話します。
それでも正直、女帝の壁は厚いと思っていました。だから、直線で内に潜り込んだドーベルが狭いラチ沿いを割ってきたときも、外から伸びてきているグルーヴに差されると思っていました。でも、競馬は面白い。面白過ぎました。
八分なんです。
伸びも八割
対するドーベルは十分
十割
いや、120%の出来
120%の伸び!
「あっ」
「あああっ!」
正直、場内は微妙な空気でした。
グルーヴの勝ち方に注目していたのですから当然です。
でも、どよめきの後に、どこか納得したような空気が流れました。
「ドーベルか」
「ドーベルなら」
「仕方ない」
「だって…」
「強いもん!」
そう、1年前、新時代の到来を予感させたほどの馬だったことを、誰もが思い出したのです。だって、あのとき感じたじゃないですか。
グルーヴの次はドーベルだって
牡馬と戦える馬だって
女帝を超えるのはこの馬しかいないって
グルーヴ敗戦という残念なニュースは「4度目でついに果たした女帝超え」というストーリーで丸く収まり、ファンに当たり前のことも気付かせてくれました。
あきらめちゃダメ
競馬に絶対はない
そんなメッセージとともに女王となったドーベルは昨年同様、有馬記念に向かいます。
苦手なわけじゃない
前年、ファン投票3位だったドーベルの人気はまだまだ健在でした。エリ女でエアグルーヴを破ったこともあり、2年連続の3位!
この年の春の天皇賞を勝った同期の牡馬で、同じメジロライアンを父に持つメジロブライトより得票数が多かったのですから、いかに人気があったか。そして、そのブライトとともに、ドーベルの体調はかなり良好でした。
この追い切り速報記事が当時の立ち位置をよく表しているので引用します。
最終的な人気(7番目)よりもはるかに注目度や期待度が高まっていたことがうかがえますし、実際、私の周りでもドーベルを買っている人はかなりいました。それでも、レースでは前年同様、気合が空回りしてしまい9着。だからこそ「ウマ娘」のドーベルは男性が苦手で、「男性の前では極度に緊張してしまう」という設定になっているのでしょう。しかも翌年秋(春は一戦したのみで休養となりました)、ドーベルは牡馬と交じった毎日王冠で6着に敗れ、「そろそろ衰えてきたかな」と思わせて、牝馬同士のエリザベス女王杯を連覇するのです。
決してメンバーが弱かったわけじゃありません。1歳下、2歳下の牝馬クラシック組がしっかり力をつけてきており、多士済々。馬柱を見てもそれが分かると思います。
ケガで春を休んだことと、5歳という年齢から、2番人気に甘んじたものの、終わってみれば快勝。
「女王は私よ」
「このタイトルは譲らない」
「舐めんじゃないわよ!」
そう言わんばかりに突き抜けたドーベルがいかにも「牝馬には負けられないわ」的だったこと、そして2年連続敗れた有馬の印象が強かったからこそ「牡馬にはかなわないけど牝馬なら」といったイメージがついてしまったのかもしれませんが、私は今でも、条件が揃えば、ドーベルは牡馬に通用したと思っています。こまかく言えば、有馬の2500メートルという距離はドーベルには長かったですし、何度もコーナーを回るコース形態も合いません。サイレンススズカに食い下がり、見せ場を作った宝塚記念を見ても、中距離で、広い馬場で、メンバーがそれほど揃わないGⅠだったら十分勝負になった。そのぐらい別次元の牝馬だった。そう、
一介の牝馬じゃない
ドーベル
その猛き名前が似合う女王
牡馬をなぎ倒す夢を
新時代を予感させてくれた女王
GⅠ5勝は当時の牝馬記録
4年連続GⅠ勝利
4年連続JRA賞受賞
記録もすごいですが、それ以上に記憶に残る牝馬は、エリ女の連覇でターフを去る決断をしました。一部では「もう一度、有馬へ」「3度目の正直だ」というファンもいましたが、私は引退で良かったと思います。最後ぐらい、勇ましすぎる名前とは違う終わり方をさせてあげたかったですから。
スマートで
きれいで
美しいフィナーレで
本当に良かったです。