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「ウマ娘」でも名助演から悲願の主演へ!メジロライアンを「東スポ」で振り返る

 ベリーショートがよく似合うスポーティーな「ウマ娘」。メジロ家のキャラの中では、名家ぶったところのない親しみやすいキャラクターとして描かれているのがメジロライアンです。第2次競馬ブームの立役者でもあった名馬は、同期のメジロマックイーンに負けず劣らず多くのファンを獲得。伝説の大レースにおいては偉大なる太刀持ちでもありましたが、悲願への険しい道のりも我々の心を打ちました。ライバルにして同期・メジロマックイーンとの関係、そして「僕の馬が一番強い」が言い続けた名手・横山典弘ジョッキーとの絆ともども、「東スポ」で振り返りましょう。競馬ファンの皆さんはお分かりでしょうが、今週アップしたのにも、もちろん理由があります。(文化部資料室・山崎正義)

クラシックの中心として

「ウマ娘」では同じメジロ家の令嬢・マックイーンの気品や美しさに引け目を感じている設定。実際、最終的な実績ではマックイーンが上になるのですが、世に出たタイミングとしてはライアンの方が圧倒的に先でした。2歳の夏、北海道で早々にデビューしたときに2番人気だったことから仕上がりや調教の動きも良かったことがうかがえます。ただ、1200メートルという距離が適性より短かったのか、2→6着。秋になり、1400メートル戦で3着に入った後、4戦目の1600メートルで初勝利を飾ります。なかなか鮮やかな勝ち方だったので、続く2000メートルの葉牡丹賞(今で言う1勝クラス)は1番人気。しかし、5着に敗れたことでひいらぎ賞(1600メートル)ではこのぐらいの印になります。

 人気は上から7番目。直線の短い中山で4コーナーではまだ12番手。そんな中、内から絶好の手ごたえで上がっていったライアンは、ダントツの1番人気馬のような楽勝劇を見せます。

「なんだなんだ?」

「ずいぶん強いじゃないか」

 ただ、ファンや記者からすると、まだ正体は見えない感じで、続く、ジュニアカップ(2000メートル)では2番人気にとどまります。3連勝でクラシック候補となっていたプリミエールという馬が単枠指定となっており、圧倒的だったのもありました。

 直線。プリミエールが名手・岡部幸雄ジョッキーらしい教科書通りの2番手抜け出しを図ろうとしていました。中団にいたライアンが3番手に上がってきた残り200メートルで、その差はまだおよそ5馬身。直線の短い中山ですから、かなり厳しいように見えたのですが…そこからライアンはグングングングン追い込んできて、一気に差し切るのです。

 500キロの雄大な馬体

 豪快な勝ち方

 漂ったのは…

 大物感!

 クラシック候補にも勝ったのですから、ライアンも立派なクラシック候補となりました。これが3歳になったばかりの1月20日。このとき、マックイーンはまだデビューしていません。初めてレースを走ったのは2月になってからで、なんとダート戦でした。そこを勝ち上がり、すぐに芝を試したものの2着。「春のクラシックには間に合わなそうだな」という状況の中、一方のライアンは3月になり、皐月賞トライアルの弥生賞に出走します。

 待ち受けていたのは、前年、2歳ナンバーワン決定戦の朝日杯でマルゼンスキーのレコードを塗り替え、年明け初戦の共同通信杯を楽勝してきたアイネスフウジン「ウマ娘」で同室の親友である2頭が初めて顔を合わせたレースですが、立場は明らかにアイネスフウジンが上でした。本紙の印はライアンの方が厚いですが、アイネスフウジンは断然人気馬の証明とも言える単枠指定になっています(1つの枠にその馬しか入らない制度)。単勝オッズはアイネスフウジンが1・9倍、2番人気のライアンが5・7倍でしたから、かなりの差がありました。結果は…

 ライアン!

 不良馬場が苦手なアイネスフウジンに対し、ライアンは苦にしませんでした。で、こういう重馬場の巧拙が結果に響いたときは、負けた方の評価は下がらず、勝った馬は「馬場のおかげ?」「実力とは言えない?」となることも多いのですが、このときは違いました。ライアンの勝ち方が非常に良かったのです。

 記事では直線を向いて馬群を割って抜け出したことが評価されています。しかも、その直線で他馬と接触してもひるまなかったというのです。この根性は多頭数の混戦が予想される皐月賞では大きな武器になるはずで、もはや押しも押されぬ本命候補――。ただ、記者たちは、ジョッキーにちょっと意地悪な質問をしたようです。本番のプレッシャーは相当だろうけど…と。暗に「大丈夫?」と。すると、ジョッキーはこう答えました。

「500キロの巨漢とは思えない俊敏さを持っている。馬に対する注文はないです。あとは乗り役の腕と運ですよ

 騎手の名前は横山典弘。わずか10日前に23歳になったばかりなのに、報道陣をいなすようなこの余裕は、自信からきていたのでしょう。GⅠ(級)7勝の名ジョッキーを父に持ち、デビュー2年目に早くもブレーク。3年目には重賞を勝ちます。腕も確かな上に思いっきりもよく、歯切れのいいコメント物怖じしない性格でも知られていました。皐月賞の大舞台だってへっちゃら。「俺がちゃんと乗れば勝てますよ」「見ていてくださいよ」。そう聞こえるようで、しかも、そのスタンスはレースが近くなっても変わりません。皐月賞ウイーク、普通ならガチガチになるであろう若手なのに、記者がコメントを求めるとキッパリこう言ったそうです。

「勝てると思っています」

 これぞ若さ。いや、若さって素晴らしい。大きなことを言ってプレッシャーを紛らわせているようにも見えず、むしろ頼もしく映りました。なので、ファンも、記者たちも、ライアンと横山ジョッキーのコンビを堂々の2番人気に支持したのです。

 1番人気はアイネスフウジンですが、単勝は4・1倍。ライアンは5・0倍でしたが、中山の2000メートルという先行有利の脚質を考えればそういう戦法が予想されるアイネスフウジン有利が常識でしょうから、かなり評価されていたことが分かります。そして、驚くべきはそれだけの人気を背負いながら、横山ジョッキーが〝いつも通り〟の競馬をしたことです。1番人気のアイネスフウジンが先行する中、舞い上がることも焦ることもなく、今までと同じように後方に控えます。最初の1コーナーなんて後方2番手。映像を見返してもこの言葉しか出ません。

「肝、据わり過ぎでしょ」

 しかも、その後も4コーナーを回るまで馬群の中でじっとしているのだから恐れ入ります。まだGⅠを勝っていない騎手が、チャンスのある2番人気馬に乗ったら、間違いなく勝負所で外を上がって仕掛けていくはずです。で、そのロスのぶん、最後に差されたり、脚をなくすのが〝競馬あるある〟なのに、この人は、全くロスなく、完璧にライアンをエスコートしていました。ただ、唯一の誤算は直線を向き、さあこれからというときにすぐ外にハクタイセイに前に入られ、一瞬、進路がなくなったこと。すぐに外に持ち出しましたが、そのハクタイセイと、前で粘るアイネスフウジンにはわずかに及ばず、3着に敗れるのです。

 レース直後は神妙な顔つきだったという横山ジョッキー。しかし、30分後、馬具を整理し、VTRをじっくり見てから引き揚げてきたときはサッパリした表情だったとか。

「道中はハクタイセイのケツにつけて最高の手ごたえ。〝ヨシッ、もらった〟と内心思ったもんです。でも、これが競馬だし、収穫は十分ありました。それに、いつも言ってきたけど、ライアンはダービーを取るために生まれてきた馬。小回りの中山より広い府中でこそ能力を全開にできる。弥生賞もそうですが、このレースも最終目標(ダービー)への通過点に過ぎないんです」

 確かに、直線の短い中山での〝追い込み届かず〟がダービーへの光明であるのは今も昔も同じ。しかも、前述のように大きな馬で大跳びのライアンが広くて直線の長い東京競馬場で今回以上の結果を残すのはミエミエでした。ただ、やはり負けてはいますから、さすがにこの気持ちの切り替えの早さには記者も驚いたそうです。しかも、横山ジョッキーは最後にこう付け加えます。

「負けてニコニコしてたら怒られるけど、ダービーこそは取るつもりです。その手ごたえは十分に感じました。大きいことは言うつもりはないけど、いけると思う

 いやいや、十分大きいこと言ってるじゃん!という、すごい自信。しかも、ライアンの大物感からしても、決して大言壮語にも聞こえません。というわけで、それを間近で聞いた記者が書いた翌日の記事についた見出しはこうです。

 朝刊で結果を知った人がその後に読む夕刊なので他紙より踏み込んだ記事を書かざるを得ないからこそもでありますが、東スポがやりすぎなのではありません(苦笑)。正直、誰が見ても、ライアンの強さは光っていました。しかも、この後、ダービーに向けて体調もグングン上がっていきます。

 最終追い切りは絶好の動き。横山ジョッキーからまたもや威勢のいいコメントが出されます。

「動きは見た目通り文句なし。息づかいがいいし、何より追ってからの反応が最高!」

 管理する奥平調教師は…。

「これだけの動きをすると硬くなるな。あとは運を天に任すだけだ」

 ご覧のように当時は22頭立てでしたから8枠にでも入ったら大変でしたが、与えられたのは3枠6番という絶好枠。印が集まるのも当然で、しかも、アイネスフウジンのnoteでも書いた通り、若い力を望む空気も充満していました。皐月賞を勝ったハクタイセイの鞍上がダービーを前に武豊ジョッキーに替わったことで、その21歳のアイドルジョッキーに大きな注目が集まり、横山ジョッキーの22歳という年齢にもスポットライトが当たります。

 どちらが勝ってもダービー最年少制覇――

 この期待感に、皐月賞の最後の脚色や血統(父アンバーシャダイは天皇賞や有馬記念を勝っていて距離は持ちそうでした)、大物感を考慮された結果、ライアンは1番人気に支持されます。一方で、ファンだけではなく、生産者であり、オーナーでもあるメジロ牧場からの期待もハンパじゃありませんでした。これは前日の本紙記事。

 そう、天皇賞など、GⅠをいくつも勝っていたメジロ牧場も、ダービーはは勝っていなかったのです。もともと天皇賞を大目標に生産を行っている牧場だとはいえ、記事にあるように、今まで12頭を出走させ、2着は3回あるのですから、手が届きそうなところまできていました。でも、1着だけがない。つい2年前も、「ウマ娘」にも登場するメジロアルダンが直線でいったんは先頭に立ったものの、最後の最後で差し返され、クビ差で敗れています。

「今度こそ!」

「頼んだぞ!」

 そんな声を背に、ちょうど中団ぐらいを進んだライアン。歴代最多の19万6517人が集まり、興奮のるつぼと化した東京競馬場で、焦ることなくマイペースを貫いた横山ジョッキーはやはり並の若手ではありませんでした。そして、4コーナー手前の勝負所で、すーっと上がっていく様子は、まさに伸びてくる馬のそれ。

「きた…」

「きたきたきた!」

 前を行くアイネスフウジンとハクタイセイを射程圏に入れて直線に向いたライアンが、馬場の真ん中を、豪快に、勢いよく伸びていきます。ハクタイセイを交わしたところで、最年少ダービージョッキーの権利が武豊騎手から横山騎手に移りました。

「いけ!」

「ライアン!」

「差せ!」

「ライアン!!」

 1馬身4分の1、届かず――

 ファンの間では「なんとかならなかったのか」という声もほんの少しだけ上がりました。しかし、競馬史上初めて起こったコールの後にリプレーを見れば、逃げ切ったアイネスフウジンが強かったのは明らかで、横山ジョッキーがミスをしていないことも明らか。逃げ馬が残ってしまう展開のアヤもありましたから、レース後、奥平調教師はこうつぶやきました。

「あれで負けたら仕方ない」

 悔しいはずの横山ジョッキーも淡々とした口調。

「頭に描いていた通りに乗れました。最高のレースはできたと思う。結果は2着だったけど、悔いはない」

 絶好調に仕上げ、パーフェクトに乗っても勝てないのが競馬なのでしょうが、これらのコメントが載った記事を見た私、ライアンを買っていた私は、「勝負の世界にいる人は強いなあ」と思ったものです。ただ、陣営のこの前向きな姿勢は、ライアンの強さを再確認したことの裏返しでもありました。皐月賞同様、どう見てもライアンは強い競馬をしています。それは誰が見ても明らかで、誰もがこう思いました。

「この馬は、GⅠを勝つだろうな」

 横山ジョッキーは談話の最後でこう言ったそうです。

「菊花賞を見ていてください」

菊花賞

 ダービーの後、陣営はこうも言っていました。

「ライアンは晩成の血統。ひと夏越えたらさらにたくましくなるハズ」

 復帰の舞台は10月半ばの菊花賞トライアル・京都新聞杯(京都競馬場・2200メートル)。

 単枠指定とはなっているものの、一部では不安もささやかれていました。夏の北海道で始動するプランを変更したこと。また、ダービー以来の休み明けで京都新聞杯を連対した馬も、1973年のハイセイコー以来いなかったのですが…

 完勝でした。重馬場の中、大外から豪快に差し切ってのレコードタイム。だからこそ、翌日の見出しはこうなりました。

 記事はレース前の厩務員さんの話で始まっています。

「こんな安い重賞で目いっぱい仕上げるわけにはいかんでしょ。本番(菊花賞)に備えて、おつりを残しておくのは当然じゃない」

 それを証拠に馬体重はプラス10キロ。横山ジョッキーが振り返っています。

「まだ馬体に余裕があったせいか、追ってからモタモタしてたね。八分の力で勝っちゃった感じ」

 それでいてゴール前では手綱を抑える余裕の勝利ですから他馬もお手上げでした。菊花賞の当確ランプがともったのは言うまでもなく、さらに目論見通り、ライアンはきっちりと体調をアップさせていきます。

 最終追い切りを終えた横山ジョッキーはキッパリ言いました。

「4歳(当時は3歳を4歳と言っていました)最強は僕のライアン。負けるわけにはいきません」

 ライアンは大外でしたが、それでも単勝オッズが2・2倍だったということはもっと内の枠だったら1倍台だった可能性もあります。で、2番人気で続いたのが、最内枠で同じく単枠指定のホワイトストーンで5・4倍。ホワイトストーンはセントライト記念を勝って順調に秋を迎えていましたが、ダービーではライアンの1馬身半後ろでゴールしています。その馬が2番人気だという時点で、新星が現れていないように映りました。唯一怖いといわれていたのが夏に北海道で連勝していた同じメジロマックイーン。はい、ご令嬢、やっとのご登場ですが、正直、この時点ではライアンとは大きな差がありました。父が天皇賞馬、兄が菊花賞馬というスーパー長距離向けの血統は注目に値したものの、菊花賞と同舞台、京都3000メートルだった前走の嵐山ステークスという今で言う3勝クラスのレースが1着ではなく2着だったのです。実は取りこぼしだったのですが、新聞の馬柱を見ただけでは分かりませんから「たいしたことないのかな」となりますし、鞍上が横山騎手より2期下で勝ち星的にも及ばない内田浩一ジョッキーだったこともあり、伏兵の域は出ていませんでした。だから、中団でしっかり折り合い、2周目の4コーナー手前、坂の下りで一気に外の2番手まで押し上げていったライアンを見て誰もが確信しました。

「ついに!」

「GⅠだ!」

 まさかあそこから思ったより伸びないなんて…

 人気を裏切る3着。4コーナーで自らの内にいたメジロマックイーンに突き放され、内を上がってきたホワイトストーンにも及びませんでした。

「いったい何が…」

「どうして…」

「なぜなんだ!」

 考えられるのは3000メートルを乗り切るスタミナが不足していたことぐらいでしたが、血統的には適性がないわけがありません。ファンは翌日、敗因を知るために、新聞を買いました。今と違い、ネットもありませんから、それしか情報を得る方法はありません。

 横山ジョッキーはこう話していました。

「スタートしてすぐに好位の経済コースを通れたし、道中もすべて理想通り。4コーナーでは〝やった〟と思った。ところが追い出してから伸びない。並ぶこともできず、逆に離されるなんて…」

 さすがに唇をかみしめていましたが、同じくかみしめていたファンにとって、この結果は、納得できるような納得できないような…でした。ライアンは中距離適性の方が高く、勝ち味に遅いタイプでもあることが判明した今となっては納得の3着ですが、当時は謎の敗戦にも映ったのです。

「どうしたんだよ」

「ライアン、お前はGⅠを取るんじゃなかったのか」

「ノリ(横山ジョッキーはこう呼ばれつつありました)、ライアンはGⅠを取れるんじゃなかったのかよ!」

 まさかのクラシック無冠に悔しさを募らすファン。一部では「そこまでの馬じゃないんじゃ…」という声も出ていましたから、次のレースがまさに試金石となるのは間違いありません。そのレースとは有馬記念でした。

 この印、このメンバーこそ、まさに試金石であることを如実に表しています。まず、本来なら実績断然のオグリキャップにほとんど印がついていません。秋2戦が6→11着だったため、「終わった」と言われており、実際、ここが引退レース。「応援するけど馬券は別…」というファンがほとんどでした。そんな中、重い印を集めているのが、ホワイトストーンとメジロアルダンで、この2頭が1番人気、2番人気になるのですが、いずれもGⅠ馬ではないのがこのレースのポイントです。ストーンは前述のようにダービー3着、菊花賞2着で、その後、ジャパンカップで日本馬再先着の4着に入ったのが評価された形。アルダンは前走の天皇賞・秋2着の後、この年末に狙いを定めてきたのが好印象とはいえ、言わば〝押し出された〟人気でした。それぐらい、メンバーレベルが低かったんですね。だからこそ、ライアンも2頭に続く3番人気に支持されるのですが、逆に言えば、このメンバーで好走できないようでは、先ほどの「そこまでの馬じゃ…」という声が現実のものとなってしまうわけです。

「頼むぞ…」

 既に多くのファンを獲得していたライアン。ファンじゃなくても馬券的にもたくさんの支持を得ていたライアン。有馬記念史上最多の17万7779人によるオグリ狂騒曲空前絶後の熱気異様な雰囲気の中で前半、馬は少しだけムキになったものの、鞍上の若武者は落ち着いていました。超がつくスローペース。馬群の外を回ったらアウトな展開でも、焦ることなく中団馬群で息を潜めます。3コーナーの勝負所でも下がらないよう、先団の後ろをキープするのも見事。4コーナーでオグリが外を回ってあがっていったすぐ後をついていき、直線を向いたところでスムーズに外に出したレースぶりは完璧なものでした。

「よし…」

「きた…」

「きたぞ!」

 あとは前をとらえるだけ…誰もがそう感じる脚色、そして伸び脚。だからこそテレビでは、先頭に立っていたオグリキャップの名ばかり叫ぶアナウンサーに知らせるように、解説の大川慶次郎さんが「ライアン!ライアン!」と叫んでしまったのでしょう。それぐらい目立つ脚でした。中山の急坂を、一歩、また一歩と追い込むライアンにファンは大川さんに負けないぐらい絶叫しました。

「ライアン!」

「ライアン!!」

「ライアン!!!」

 立ちふさがった芦毛の怪物ラストランで眠りから覚めるなんて、ライアンやライアンファンからしたら「聞いてないよ~」です。ただ、そうは思いつつも、何と言えばいいのでしょう、なんだかフワフワしていました。あまりにドラマチックなものを見たせいで、現実感がないというか、負けた気がしないというか…。

「しょうがないか」

「オグリに負けたんだから」

「こんなすごいものを見られたんだから」

 悔しくて悔しくてやり切れない…という感じが薄かったのは、劇的な復活劇が、ミラクルで例外で、つまりはノーカウントにも見えたからでしょう。そして、その主役であるオグリは来年はいませんし、この有馬記念で一番強いレースをしたのは誰の目でも明らかでした。

「ライアン…」

「来年こそGⅠだ!」

 日本の競馬史上最も観客を集め、レース後にコールが誕生したダービー。グランプリ歴代最多のファンが見守る中、アイドルホースが奇跡の復活を果たし、コールが日本に定着した有馬記念。歴史に残る舞台でいずれも2着だったライアンは、日本競馬最高の助演男優だったとも言えるでしょう。ただ、サラブレッド、騎手、関係者、ファンの目指すところはそこではありません。

 来年こそ

 主演へ――

 ライバルはあの馬です。

立場逆転

 当シリーズで何度か書いてきた通り、有馬記念で古馬相手に好走した3歳馬が翌年の競馬界を引っ張っていくケースは非常に多いです。サラブレッドが完成するとされる4歳になり、どんどん強くなっていくわけですから当然で、だとしたら主役候補は間違いなくライアンでした。年上の実力馬には有馬記念で先着し、菊花賞で負けていたホワイトストーンにも借りを返しています。同世代のダービー馬・アイネスフウジンは既に引退。菊花賞馬・メジロマックイーンにしても、91年の年明け時点では、まだまだ半信半疑の存在でした。有馬記念を自重したため、古馬に通用する保証がないのと、中距離実績がなく、「長距離だけが得意なステイヤーの可能性もある」という声も出ていたほど。しかし、春を間近に控えた弥生、その空気が一変します。3月10日、ライアンの始動戦は中山記念というGⅡでした。

 当然の単枠指定で単勝は1・4倍。メンバーも弱い中、ライアンは2番人気のユキノサンライズという牝馬に逃げ切りを許します。ただ、ゴールの直後、ファンとしてはそこまでショックはありませんでした。次の天皇賞・春を見据えた仕上げなのはミエミエでしたし、実力馬が前哨戦を大事に乗って逃げ馬に足元をすくわれるのは〝競馬あるある〟。「あくまでひと叩き」「次が勝負だ」という気持ちだったのですが、およそ5分後、衝撃が走ります。阪神競馬場が改修中だったことで中京競馬場施行だった阪神大賞典(GⅡ)でメジロマックイーンが楽勝するのです。

「つ、強ぇ…」

「こんなに強いのか…」

 さっきまでの楽観が雲散霧消悲観に変わりました。

「勝てるのか…」

「こんなに強いマックイーンに…」

「中山記念を取りこぼしているようなライアンが…」

 翌日の紙面はファンの気持ちを代弁していました。

 しかも、右上をご覧ください。「豊」の文字があるように、このレースからマックイーンの鞍上はあの武豊ジョッキーに替わっていたのです!

 オグリキャップを奇跡の復活に導き、ライアンのGⅠ制覇を阻んだ天才騎手が、別の馬、しかも同じ「メジロ」の勝負服を着て檜舞台に上がってくるとは何という皮肉でしょう。しかも、その天才はマックイーンの強さをこう評しました。

「今日のところは何も言うことはありません」

 まさに太鼓判。加えて、記事ではライアンが負けたと聞き、こう語ったとあります。

「距離とか展開とか仕上がり…いろいろあるでしょうが、ユキノサンライズあたりに負けているようでは…。何の言い訳にもならないでしょう」

 こっちが上だと言わんばかり。いや、相手にならないとまで聞こえます。

 勢力図一変――

 主役交代――

 ライアンのファンは下を向きました。そして認めたくない事実を頭の中に浮かべました。気付いてはいたけど気付かないフリをしてきたこと。

 強いけど、スパッと切れない。

 強いけど、決め手がない。

 強いけど、勝ち切れない。

「ライアン…」

「もしかして…」

 その後に「君は善戦ホースなのか?」という言葉を口に出そうとした私たち。上を向けなかった私たちを鼓舞したのは横山ジョッキーでした。中山記念の後、「甘い、甘い。すべて僕が悪かったんです」と言い訳せずに自らで責任をかぶると、弱気になってもおかしくない天皇賞・春ウイークでも、いつもの強気なスタイルを貫きました。

「甘いのは鞍上の腕…。馬は負けていません。相手はもちろん、菊花賞で先着された2頭。ライアンの力を出し切れば勝てます」

 アンチ横山騎手の人々は「また言ってるよ」だったかもしれませんが、あれほど勇気づけられたコメントはありませんでした。天皇賞の前に熱発したという情報もありましたし、菊花賞のレースを見れば距離への不安も消えていない。メジロマックイーンはますます調子を上げていましたし、もう一頭のライバル・ホワイトストーンもしっかり前哨戦を勝ってきていた。「新3強」と呼ばれるようになっていた3頭の中でも、最も不安点が多かったのに、だからこそライアンのファンは不安で仕方なかったのに、この言葉で何クソと拳を握りしめ直したのを思い出します。

「よっしゃ!」

「そうだよな」

「俺たちが応援しないでどうする!」

 揃って単枠指定となった3頭。扱いとしてはやはり3強という図式でしたが、ムードは全然違いまいました。単勝オッズは、ホワイトストーン4・6倍、ライアン4・3倍、マックイーンは…

 1・7倍!

 明らかに1強になっていました。武豊ジョッキーの人気もあるとはいえ、ここまで開くとは…。しかし、もう一度、2、3番人気のオッズをご確認ください。明らかに不安点が多いはずなのに、ライアンがストーンの上をいっています。これはライアンのファンが多かった証拠でもありますし、ライアンのファンが燃えていた証でもあります。そう、マックイーンの評価が上がれば上がるほど、彼らの闘志にはますます火がついていました。鞍上に加え、マックイーンには天皇賞の親子3代制覇(おじいちゃんもお父さんも天皇賞馬!)という血のドラマがあったのですが、そういう出来過ぎたストーリーへの反骨精神が、ライアンのファンをたぎらせていたのです。

「どいつもこいつも武豊、武豊…」

「マックイーン、マックイーンって…」

「こっちだってGⅠを勝ちたいんじゃ!」

 待っていたのは残酷な結果でした。横綱相撲で先行抜け出しを図るマックイーンに追いすがるものの、突き放された4着。惜敗どころか、完全なる敗北に、ファンの闘志が消えかかったのは言うまでもありません。では、そのままファンは下を向いたのか、そしてライアンを評価していなかった人たちはさらに評価を下げたのか…。はい、やっぱり競馬というのは面白いです。この後、不思議な現象が起こります。

宝塚記念

 天皇賞で親子3代制覇を成し遂げたマックイーンは完全にメジロのエースとなりました。ついに「ウマ娘」のキャラ設定が現実に追いついたことになります。「ウマ娘」のマックイーンは、メジロ家のヒロイン、令嬢として描かれ、常に物語の中心にいます。一方のライアンは、幼馴染のマックイーンにいつも勝てず、あきらめてばかりです。しかし、その育成ストーリーでは、トレーニングを重ね、自らを高め、何度も何度もマックイーンに挑んでいくうちに、前を向くようになります。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、こんな言葉を口にして前を向くシーンに、私は涙がこらえられませんでした。

「地道に頑張る人がどうやっても主役になれないなんて悲し過ぎるから」

「パッとしない誰かでも頑張れば花開くって示したい」

「正しい努力は実を結ぶ」

 現実では、ここまでカッコ良くはなかったかもしれません。でも当時、負けても負けても前を向いていたライアンに、自らを重ねるようになっていたファンが増えていました。

 ダービーのアイネスフウジン

 有馬記念のオグリキャップ

 天皇賞・春のメジロマックイーン

 それらは全てドラマチックでした。

 一世一代の逃げ切り

 奇跡の復活

 親子3代制覇

 カッコ良すぎます。ヒーローです。スターです。でも、誰もがスターの星のもとに生まれるわけじゃありません。馬もそう。人間もそう。でも、人は幸せかもしれません。努力をしても主役になれないと悟ったとき、あきらめそうになったとき、その思いを誰かに託すことができます。競馬に、サラブレッドに託すことができます

「せめて君は」

「ライアン、君は報われてほしい」

 そう願う人が一人、また一人。天皇賞・春の後、マックイーンと再戦することが分かったときから、私の周りでも明らかに増えていました。宝塚記念のファン投票でも、天皇賞・春の結果以上に、マックイーンとライアンは接近しています。当時を生きた肌感覚としては、あの春のライアン人気はマックイーンに負けていませんでした。あれだけの完敗を喫したのに、です。冷静に考えれば、しんどいのは分かっています。天皇賞・春の後、武ジョッキーはマックイーンを絶賛していました。

「まだまだ強くなる」

「イナリワン、スーパークリーク以上の素材」

 宝塚記念の追い切りを終えてもこうです。

「春の天皇賞と同じくらい自信があります」

 なのに、努力の結実を願うファンは燃えていました。

「どうにか一矢」

「ライアンにGⅠを!」

 陣営がそのファンとライアンにさらに火を付けます。1週前に気迫のこもった猛稽古。熱発明けで仕上げきれなかったと感じた天皇賞よりもう一段上の仕上げを施そうとしていたことが、火曜日の本紙で報じられました。

 さらに最終追い切りもビッシリ。

 横山ジョッキーの言葉にも力がこもります。

「天皇賞では仕上がっていたと思ったけど、最後にきて伸びを欠いた。やっぱり中間の熱発の影響があったのかもしれない。その点、今回は間違いなく最高の状態で出せる」

 そして、次の言葉にファンはますますたぎりました。

「京都の2200メートルはレコード(京都新聞杯)で勝っていますから」

 そう、これこそ、願いや思いを後押ししていた、ライアン逆転のよりどころ。

「長距離ならかなわないかもしれないけど…」

「中距離なら分からんぞ」

 実際、マックイーンとは3000メートル以上でしか戦っていませんでしたから、適性で上回れる可能性はあります。そして、横山ジョッキーが口にした通り、この年、京都施行だった宝塚記念の舞台は、菊花賞前にレコードで楽勝したのとまったく同じ条件だったのです。

「分からない」

「この距離なら!」

 それでも印はこうでした。

 単勝オッズはマックイーン1・4倍に対し、ライアン4・1倍。ホワイトストーンが4・7倍で続く構図は天皇賞・春とほとんど変わっていません。ライアンファンが増えた一方で、マックイーンの力を認めるファンも増えていたのでしょうが、正直、もっとオッズが接近してもおかしくないと思っていたファンの中には弱気になる人もいました。

「やっぱり無理なのかな」

「また2着なのかな」

 そんな心情をあおるかのように、1コーナーでライアンが他馬と接触します。そして、いつもは中団でじっとしているライアンがムキになって前へ進んでいきました。

「あれっ」

「もしかして…」

「引っかかってないか?」

 はい、そう見えました。5番手ぐらいで1コーナーを回ったはずが、向こう正面に入るころには3番手。外で悠々と、折り合いバッチリのマックイーンより前にいっています。

「大丈夫なのか…」

「ライアン…」

「ノリ…」

 3コーナー、坂を上りながらさらに前に行こうとするライアン。下りながら先頭に立ったことでファンは悲鳴を上げました。

「早すぎる」

「早すぎるだろ!」

 いつも差し届かなかった馬が4コーナーを前に一番先頭を走っているのですから、異常事態です。普段と違う戦法。今までにない前進気勢。気合が空回りしているようにしか見えません。

「ダメだ…」

「それじゃマックイーンの標的だよ!」

 あの絶望を今は恥じるしかありません。私たちは、ライアンを、自分自身を信じ切れていなかった。ライアンはこう言っていたのに…

 走りたい!

 勝ちたい!

 そう、あの行きっぷりはライアンからのメッセージでした。負けん気でした。闘志でした。そしてそれをともに戦ってきた横山ジョッキーは感じ取り、受け入れたのです。ともに悔しい思いをしてきたからこそ、馬を信じていたからこそ、普段とは違う姿に疑念を持たず、受け入れてGOサインを出したのです。

 行こう。

 お前が行きたいなら。

 そして…

 勝とう!

 勝つんだ、ライアン!

 マックイーンを外に従え、堂々と先頭で4コーナーを回ってくる人馬に、ファンも気付きました。スター相手に堂々と勝負に出ていることを、来るなら来い!と真っ向勝負を挑んでいることに気付いたとき、自然と声が出ていました。

「ライアン!」

「勝て!」

「ライアン!」

「今日こそ!」

「ライアン!」

「勝つんだ!」

「ライアン!!!!」

 レース後、横山ジョッキーは話しました。

「これまで最高だったダービー以上の状態で馬が本当に走りたがっていた。1コーナーで他馬と接触して気合がグッと乗ったし馬の力を信じて積極的に行った」

 陣営を、騎手を信じて努力したライアン。

 努力したライアンを信じた陣営と騎手。

「ウマ娘」のライアンの言葉をもう一度。

「正しい努力は実を結ぶ」

メジロ時代

 宝塚記念でライアンに1馬身半及ばなかったマックイーンの評価も全く下がりませんでした。得意の中距離でライアンが最高の競馬をしたのですから仕方ありません。むしろ、長距離向きかと思われていたのに、中距離でもしっかり結果を残したことを評価する声すらありました。陣営は「まだ成長の余地を残している」とも話し、ムードも明るかったことが翌日に紙面にも記されています。

 見出しのフレーズを、「ウマ娘」のマックイーンの発言を使って言うならこうです。

「メジロ黄金時代の幕開けですわ」

 マックイーンとライアン、両エースが日本の秋競馬を牽引するのは間違いありませんでした。おくてのマックイーンはますます強くなるでしょう。ライアンも血統的にはまだまだ成長しそうで、何より悲願のGⅠ勝利で一皮むける可能性があります。

「よりスピード色が濃くなる2000メートルの天皇賞・秋はやっぱりライアンかな」

「ジャパンカップは2頭で世界と戦うのか」

「有馬記念まで本当に楽しみだ」

 しかし、ライアンはその後、屈腱炎を発症してしまいます。半年後、なんとか有馬記念には出走しましたが、完調にはほど遠い状況で、あの強気な横山ジョッキーも「まだ七分程度。昨年のグランプリと比較するのはかわいそうです」と話していました。なのに、この印は正直、意外です。

 ◎が2つなんて、本紙競馬記者も相当ライアンに魅了されていたのでしょう。それに、ファンも驚くほどあの有馬記念はライアンの馬券を買っていました。七分のデキで大外枠なのに、単勝が10倍を切る5番人気だったのですから、やっぱりライアンというのは人気があったんだと思います。ファン投票でも秋は1走もしていないのに4位でした。ただ、さすがに七分では厳しかったようで、レースでは4コーナー手前で手ごたえがなくなります。横山騎手はここでは無理をさせず、翌年に再起を図りました。1月末、AJCC(GⅡ)に登場します。

 中山競馬場には多くのライアンファンが集まりました。残念ながら横山ジョッキーは騎乗停止中で乗れなかったものの、調教では少なからず良化を示していましたから、2・7倍の1番人気。結果は…中団のまま伸びず、6着に敗れます。

「屈腱炎だもん」

「時間がかかるかもしれないな」

 見守るしかない――そうは思いつつも、この不安があったのも事実です。

「まさか…」

「終わってるんじゃ…」

 新聞記事の端々に見たくない言葉も並ぶようになりました。「気合が足りない」「走る気になっていないのかも」。だから、続く日経賞は正念場とも言えました。

「さすがに3戦連続の惨敗は…」

「大丈夫だろうか…」

 GⅠを1つも勝てないんじゃないかと心配していた1年前を思い出すような弱気。その弱気を吹き飛ばすのは何だったのかを、私たちは新聞で思い出しました。横山ジョッキーのコメントが載っていたのです。

「しぼんだ風船が膨らむように気合が一変してきた」

 久しぶりに聞く横山節に、不安は期待に変わりました。そして、得意の重馬場を、ライアンは果敢に先行し、4コーナーで先頭に立ちました。

 あの宝塚記念のように強気に

 来るなら来い!と言わんばかりに

 見事な復活劇に映りました。しかし、翌日の紙面で、私たちは残酷な真実を知ります。確かに気合は戻っていたのですが、重馬場が功を奏したのは否めず、横山ジョッキーは控えめにこう発言したというのです。

「本当にいいときのフットワークじゃなかった」

「今のままではメジロマックイーンやトウカイテイオーとやり合う自信は持てない」

 それぐらい、脚元を気にしながらの調整だったことがうかがえました。ガンガン調教して、一気に調子を戻すことができないぐらい、脚元に爆弾を抱えていたのです。

 ライアンも苦しかったでしょう。

 思うように動かない体

 もどかしい。

 だから、なかなか走る気が起らなかったのでしょう。

 では、なのになぜ、あの日経賞、急にライアンの闘争心が戻ったのか。私は、脚と首を必死に前へ出すライアンからこんな声が聞こえた気がしました。

「あいつも頑張ってるんだ」

「俺も負けてられるか!」

 突然よみがえった気合の理由は、もしかしたら、マックイーンだったのかもしれません。前年秋、ライアン不在の日本競馬を先頭で牽引したエースは、天皇賞・秋で1番先にゴールしたもののまさかの失格となり、ジャパンカップで外国馬に完敗し、圧倒的な人気だった有馬記念でも超伏兵に足元をすくわれていました。

 主人公になるはずが、なり切れず

「運がない」とまで言われ

 精神的に参ってしまってもおかしくない状況…

 そんな中、「今年こそは!」ともう一度自分を奮い立たせたマックイーンは、年明け初戦を気合の圧勝で再スタートを切りました。そのレースこそ、ライアンの日経賞の1週間前だったのです。

 マックイーンの復活で、ライアンの闘争心に火が付いた…

 さすがに私の想像も飛躍しすぎたかもしれませんが、この不屈の闘志こそメジロ家なんだとも思います。ライアンはこの後、再び屈腱炎に見舞われ、ターフを去りましたが、日経賞で見せたその魂は同期のライバルにしっかり受け継がれました。マックイーンがトウカイテイオーとの世紀の一戦を制するのは、この1か月後のこと。出走はしていませんでしたが、やはり、あのころの名勝負の陰には、常にライアンがいたのです。

引退式のライアン。ゼッケンはもちろん宝塚記念優勝時の「1」


おまけ1 横山ジョッキー余話

 引退後、メジロライアンは種牡馬として大成功し、「ウマ娘」にも登場するメジロドーベルやメジロブライトといったGⅠ馬を輩出しました。種牡馬の役割を終えた後は牧場で余生を過ごし、2016年に天寿をまっとう。ライアンの墓は横山ジョッキーの資金で建立されました。雨の納骨式、横山騎手が挨拶に立ちます。

「ライアンが重馬場がすごく得意な馬だったのでこんな雨の日になったんじゃないかと…」

 そして声を詰まらせて感謝の弁を述べました。

「今の僕がジョッキーでいられるのはライアンがいてくれたからこそだと思っています」

 ちなみに、何度負けても「僕の馬が一番強い」と言い続けた横山ジョッキーの乗り方に関しては、批判的な声も少なからずありました。しかし、2012年、本紙に掲載されたインタビューで、奥平調教師はこう話しています。

「『なぜ乗り替えない?』って言う人もいた。ノリ自身も『よくクビにしないでくれた』なんて言っていた。だけど、自分には乗り替える理由が見当たらなかった。下手に乗ったと思ったことは一度もなかったから…」


おまけ2 大川慶次郎さん

 オグリキャップの引退レースの最後の直線、フジテレビの解説者だった競馬評論家の大川慶次郎さんが、「ライアン!ライアン!」と叫んだことは本文でも触れました。伝説のレースだった上に、ガッツリとマイクに拾われたので、めちゃくちゃ有名になったのですが、「ウマ娘」にもそのオマージュシーンが出てきます。ライアンの育成ストーリーで、「ライアン!ライアン!いや~、来ると思ってたんですよ、私は」とベレー帽の紳士が発言するシーンがあるのです。ベレー帽は大川さんのトレードマークでした。


おまけ3 伝説のサイン馬券

 ライアンが悲願のGⅠ制覇を遂げた宝塚記念の出馬表には勝ち馬を暗示するサインが隠されていた…と一部で話題になりました。各馬の父の最初の一文字にご注目。

 右から読むと「アタシノノリ」

「あたしのノリ(横山典弘)」

 すなわち、ライアン!

 競馬にはこんな楽しみ方もあるんです(笑)。


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