「ウマ娘」の女王様キャラでも話題!?競馬の歴史を変えた〝女帝〟エアグルーヴを東スポで振り返る
10回目!
20世紀の競馬界で、その年のナンバーワン〝年度代表馬〟に輝いたメスは2頭しかいません。1971年のトウメイ(古っ)と、もう1頭が今回ご紹介する1997年のエアグルーヴです。メスの方が弱いといわれていた時代に、堂々とオスを渡り合った名牝は、いつしか女帝と呼ばれるようになりました。大人気のゲームアプリ「ウマ娘」では生徒会の副会長で、女王様キャラとしても大人気。一部ではドM男性を狂喜乱舞させているともいわれる気高く美しい名牝を東スポで振り返ります。(文化部資料室・山崎正義)
1997(平成9)年10月26日 天皇賞・秋
東京競馬場の直線で、単勝オッズ1・5倍の大本命馬が満を持してスパートしようとしていました。前を走る逃げ馬にもう余力はなく、あとはタイミングを見計らって抜け出すだけ。「さあいこうか」。騎手がムチを一発入れたその時でした。2頭分ほど外。秋晴れだったこの日のさわやかな風のように、一瞬にして抜き去っていこうとする馬がいます。王者でもあった本命馬に火がつきました。馬体を併せていき、はね返そうとします。すると外の馬も負けじと内に寄ってきました。3着以下は、2頭の長い影さえ踏めないほどはるか後ろ。100メートル以上続いた叩き合い。いくら必死に追っても、大本命馬は一度も差し返すことができませんでした。王者を完封――美しき〝女帝〟が誕生した瞬間です。
ここから日本の競馬は変わったと言っても過言ではありません。20世紀、牡馬(ぼば=オス)と対等に渡り合える牝馬(ひんば=メス)は、ほとんどいませんでした。勝てるとしたらスピードを生かせる1600メートルのマイルや短距離路線でのみで、スタミナや底力も問われる王道路線といわれる2000~2500メートルのGⅠでは歯が立ちません。エアグルーヴは、秋の天皇賞が1984年に2000メートルになってから初めて優勝した牝馬。1981年に創設された2400メートルのジャパンカップでも、この97年の時点で優勝した牝馬はゼロでした。有馬記念や3200メートルの春の天皇賞でも71年にまでさかのぼらないと牝馬の勝ち馬はいません。つまり、エアグルーヴが登場するまでの四半世紀、王道路線において牝馬の勝利は非現実的。挑戦することすら避けるムードがあった中で風穴を開けたのです。これ以降、徐々にチャレンジする馬が増え、2000年代後半に、ウオッカがダービーや天皇賞・秋、ジャパンカップを制し、ダイワスカーレットが有馬記念を勝ちます。さらにブエナビスタ、ジェンティルドンナが続き、極めつきは昨年引退したアーモンドアイ。牡馬を蹴散らすどころか、史上最強級の輝きを放ったのです。牝馬が牡馬と一緒に王道路線を走るのは当たり前…日本競馬をそんな21世紀にいざなったのが、20世紀の終わりに登場したエアグルーヴでした。
改めて、天皇賞・秋のメンバーを見てみましょう。
◎が並んでいるのが、冒頭で大本命馬、王者として紹介したバブルガムフェローです。エアグルーヴとの2強対決と言われており、「グルーヴの勝ちもある」という新聞記者も少なくなかったのですが(本紙の印も互角ですよね)、フタを開けてみれば、単勝オッズは1・5倍と4・0倍。馬券を買うファンの間に「牝馬は厳しい」という感覚があったことがよく分かります。
そんな状況で、大本命馬を力でねじ伏せたことに意味がありました。バブルガムフェローという馬は、前の年の天皇賞・秋を勝っているディフェンディングチャンピオンで、前哨戦も快勝。血統も良く、厩舎は名門、ジョッキーは名手・岡部幸雄、競馬ぶりも優等生…非の打ちどころのない馬を相手に、真っ向から勝負を挑み、横綱相撲で勝ったからこそ、「もう牝馬が勝つ時代なんだ」と、誰もが歴史が変わったことを実感したのです。マグレの勝ちでは歴史は動きません。
この勝利とその後の2戦により、エアグルーヴは「女帝」と呼ばれるようになります。そして、これ以降、牡馬と渡り合う牝馬に「女帝」という肩書が使われるようになるのですが、エアグルーヴ以上に「女帝」が似合う馬は出てきていません。強さ、美しさ、何より気高さがその言葉にぴったりだったからです。
母から娘へ
気高さの源流はまず血統にありました。母はオークス(牝馬クラシック2冠目のGⅠ)を勝ったダイナカール、父も当時多くの活躍馬を出していたトニービン(凱旋門賞の勝ち馬)で、関係者によると、もう産まれた時点でオーラが違ったそうです。ダイナカールの母も日本の大きな牧場が大事につむいできた血でしたし、父(グルーヴの祖父)もノーザンテーストという日本の競馬史に残る大種牡馬。いろいろな意味で〝結晶〟と言える存在だったのでしょう。
ただ、血統のいい馬が必ずしも好成績を収めるわけではないのが競馬の怖いところ。能力が反映されているとも限りませんし、気性が競走馬向きではないこともあります。人間でも、大事に育てられた箱入り娘が、他人と競うことを苦手とする場合がありますよね。競馬でも同様のことがあるから恐ろしいのです。
エアグルーヴも当然、大事に育てられました。パートナーは王子様(天才ジョッキー・武豊)で、デビュー戦は無理をしないよう、勝利より馬の気分を優先(2着)。いかにもお姫様扱いのまま2戦目を楽勝し、焦らず3か月ほど休んで、10月末に3戦目を迎えます。
「いちょうステークス」という、まだ人間で言えば小学生高学年同士といった2歳馬同士のレース…そこでグルーヴはファンと関係者を驚かせました。ラチ沿いでスパートをかけようとしていた最後の直線、ゴールまで間もなく200メートルというところで、前を走る馬が急に斜めに走り、目の前に割り込んできたのです。「危ない!」。よけるために武騎手が手綱を引き、グルーヴは立ち上がりました。何とか衝突は避けられましたが、完全に急ブレーキ。スピードを上げようとしたところであり、なおかつゴールまで残された距離も少なかったので、まさに致命的な不利と言えます。しかし、ここからがすごかった。「何してくれてんのよ!」とばかりに瞳を炎にしたグルーヴは再びエンジンを点火して猛然と前の馬を追いかけ、ギリギリ間に合うどころか、豪快に突き抜けてしまったんです。
「な、なんなんだ、この馬は…」
大人の、オスの馬でもその時点でレースを諦めるほどの不利をはね返す2歳牝馬の精神力に誰もがあっけに取られました。実は私、この日のメインレースである天皇賞・秋を観戦するため東京競馬場の自由席におりまして、昼飯を食べた直後の睡魔でウトウト、ポケーッと観ていたんですが、もう完全に目が覚めましたね。周りも「あの馬、すごくないか?」とザワザワ。GⅠを目当てにやって来た人たちが「今日はもう一つ、歴史的なレースを観たのかもしれない」という嬉しさを噛み締めるほどのレースだったのです。
普通の少女じゃない。おっとりしたお嬢様じゃない。競走馬に一番大事な「闘志」と「勝負根性」を備えている気高き、強きお姫様であることが証明された一戦でした。昔を知る人は、その勝負根性が母譲りであることを思い出します。ダイナカールは、早めに先頭に立ったオークスで他馬に追い詰められ、ゴールで5頭が横一線になる大接戦の中、根性でハナ差だけ前に出た馬なのでした。ゲーム「ウマ娘」ではグルーヴが「私の母は、激しい競り合いの末、〝女王〟の称号を掴み取った」と語るシーンがあります。そして「その走りを知った時は…震えたよ。そして、強く憧れた」とも。リアルのグルーヴがどう思ったかは定かではありませんが、並の馬ではないことが明らかになったお姫様が目指すのも、当然、母と同じオークス。翌年、女王を目指すことになるのです。
オークス2代制覇へ
いちょうステークスの後、12月の2歳牝馬ナンバーワン決定戦に臨んだグルーヴは、惜しくも2着に敗れます。2番手にいながらも逃げた馬を積極的に追いかけず、逃げ切りを許してしまったんですが、騎手が外国人で意思疎通がうまくいかなかっただけ。能力は示しましたし、陣営も悲観していません。
年が明け、クラシックシーズン初戦は桜花賞トライアルのチューリップ賞(GⅢ)。たった3か月の休みでしたが、お姫様はしっかり成長曲線を描いていました。4コーナーを回り、抜群の手ごたえで先頭に並びかけると、2着のビワハイジ(前走で負けた馬です)に5馬身差をつける圧勝。「今年はこの馬で決まり!」感が漂いました。
しかし、そんなお姫様をアクシデントが襲います。大本命候補で迎えた桜花賞ウイーク、水曜日に最終追い切りを終えた後、熱を出してしまうのです。一夜明けて平熱に戻ったものの、陣営は大事を取って回避を決めます。まだネットで情報が出回らない時代。金曜の夕方、日曜日のGⅠの枠順を掲載した本紙(夕刊です)を買ってくださった人は、1面の馬柱を見て「あれ?」と思ったでしょう。そして、右下にあるこの記事で大本命馬不在の理由を知ったはずです。
というわけで、女王への道は仕切り直しとなりました。ただ、重症ではなかったですし、無理をしなかったのも良かったのでしょう、グルーヴはしっかり体調を整え、牝馬2冠目、母が制したオークスの舞台に立ちました。
桜花賞を回避して、3か月ぶりの実践がオークス…データ的には絶対に本命にできないですし、まだまだ若い女の子ですから能力の絶対値が違っても精神的な面で不安もありました。なのに、こんなに印がつく。ファンも1番人気に支持しました。それだけの魅力がグルーヴにはあったのです。そして、その期待以上の走りを彼女は見せてくれました。舞い上がってもおかしくない大舞台、折り合いを欠く馬が続出する中、大歓声にもまったく動じることなく先行集団の直後につけると、直線で悠々と抜け出してきます。か弱さなど微塵も感じられません。馬場の真ん中、少女の中に1頭だけ大人が交じっているかのような、他馬とは一線を画す脚力と華麗さ。母の時とは違う、接戦にもならない完勝劇で、女王の座に輝いたのでした。
紙面からは、「母娘2代制覇」という感動的なストーリー以上の熱が伝わってきます。武豊騎手のコメントを引用してみましょう。
「気性、馬体ともに完成されていない。これからまだまだ伸びる器ですよ」
未完成なのにこの強さだったわけで、見出しにあるように「夏を越せばもっと強くなる」というのです。「海外遠征も…」なんて声も飛び出しました。母に追いついた日に、母を超えることを期待された娘の心中や、いかに。ゲームのグルーヴは、そんな自分の立場を真っ向から受け止め、弱音も吐かずに「当然だな」とでも言いそうな〝強き娘〟ですが、実際のグルーヴはどうだったのでしょうか。もしかして「任せなさい!」だったかもしれませんが、現実を見れば、体はまだ完成していないのです。すごい馬になるかもしれない。とはいえ、無理をさせて故障をさせてしまっては元も子もありません。どう導くか…さあ、トレーナーの出番です。ゲーム「ウマ娘」で私たちがやっているあの仕事が大事になってくるのです。
女帝への道
グルーヴを管理する伊藤雄二調教師は焦りませんでした。オークスの後、夏を休養したグルーヴは、牝馬3冠ラストとなる「秋華賞」を目指しますが、強引に前哨戦を使うことはせず、ぶっつけ本番を選択します。それでも、見てください、この印を。
単勝オッズは1・7倍。オークスでぶっつけを経験しているのもあり、ファンも「軽く通過するだろう」と予想していました。しかし、そうはいってもまだ人間で言えばハタチにも満たない乙女です。パドックでファンのカメラのフラッシュをモロに浴びてしまったことで完全にパニックに陥ってしまいました。いくら武騎手がなだめてもダメで、結果は10着(「ウマ娘」のゲームやアニメにもグルーヴがカメラのフラッシュを気にする場面が出てきます)。想定外の惨敗を喫し、後に、レース後に骨折していたことも判明します。そうです、いくら慎重に育ててもこういうことがあるから、無理はさせられないのです。伊藤調教師は、女王様をゆっくり休ませることにします――。
復帰に関しても焦りませんでした。骨折明けなのはもちろん、秋華賞の負け方が精神的な後遺症を心配させるものだったので、細心の注意を払いながら、じっくりと仕上げていくうちに、季節はめぐります。既に春のオンシーズンは終わり、ターフに戻ってきたのは梅雨。6月のマーメイドステークス(GⅢ)でした。
トウカイテイオーの時にもお話ししましたが、こういったトラブル明けの初戦ほどファンをヤキモキさせるものはありません。無事なのか、能力が減退していないか…そんな中、グルーヴは安全に外を回しながら4コーナーを持ったままで上がっていき、ほとんどムチを使うことなく楽勝しました。天気とは正反対のすがすがしいまでの快勝です。
明らかにモノが違う勝ち方に、武騎手はこう話します。
「まだまだ底は見せていない。これからもっと強くなっていく馬。今の牝馬では負ける相手はいないでしょう」
前の年から、グルーヴは牝馬限定戦にしか出ておらず、同性に敵がいないのは明らかのようです。じゃ、牡馬にぶつけてみるか…ともなりそうですが、そう単純な話ではありませんでした。冒頭でお話ししたように、当時、牝馬が古馬王道路線に駒を進めるのは稀な時代。だからこそ、JRAは牝馬限定の重賞をいくつも設け、大人になってからも女性が活躍できるようにしてきました。しかも、この前年、秋に3歳限定で行われていたエリザベス女王杯というGⅠに古馬も出られるようになり、古馬牝馬に大きな目標ができていたのです(それまでは古馬牝馬限定のGⅠはありませんでした)。当然、グルーヴもそこを目指していたはずなので、見出しにも「エ女王杯で最強証明」という文字が躍っています。普通はそうしますよね。馬が完成したとも言えない状況で無理をするのも怖いですし、強い牡馬にぶつけ、自信喪失させてもいけません。牝馬同士でばかり戦ってきたので通用する保証もないのです。でも、トップジョッキーの感触やレースぶりからは明らかに通用しそう。夢も捨てきれない。どうしたらいいか…陣営はここで、女王にテストを受けさせます。8月に北海道で行われる伝統のGⅡ札幌記念で、牡馬と戦わせてみることにしたのです。まずはその週の追い切り速報紙面をご覧いただきましょう。
グルーヴの記事の中で伊藤調教師が「秋は王道を歩ませるかどうか。この一戦で決まるだろうね」と語っている通り、レースには絶好のモノサシになり得る馬が出走していました。左に載っているジェニュインです。2年前の皐月賞馬で、グルーヴがいちょうステークスを勝った日の天皇賞・秋では3歳馬ながら2着。古馬になった前年にはマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を勝ち、この札幌記念の前にも安田記念(GⅠ)で2着に入っていました。この馬に勝つようなら、牡馬相手でも勝負になる!というわけです。確実に階段を上らせつつも、無謀な挑戦はさせない。どこまで成長しているかを客観的に判断する場を設け、自信を喪失させぬよう気を配る…名トレーナーの精細な導きの下、グルーヴは札幌記念に名を連ねました。北の大地で設けられた〝試験〟の結果は――。
合格でした。道中もリラックスして走れたこと、2着に2馬身半差をつけた余力十分の勝利だったことで、伊藤調教師は王道路線にGOサインを出し、冒頭の天皇賞・秋につながるのです。後から聞いた話ですが、何とこの札幌記念、グルーヴは80%のデキだったとか。その上で、天皇賞ではもう一段上の100%に仕上げてバブルガムフェローにぶつけ、歴史的勝利をもぎとった伊藤調教師の手腕には頭が下がります。女帝誕生の裏に名トレーナーあり――。ここでグルーヴの物語を完結させるパターンもよくありますが、もう少しお付き合いください。女帝が女帝としてどう歩んだか、見届けようではありませんか。
偉業後の熱闘
天皇賞・秋を勝ったグルーヴはジャパンカップに向かいます。
ライバルは2頭。イギリスの実力馬・ピルサドスキーと、天皇賞・秋のリベンジに燃えるバブルガムフェローで、人気的にも三つ巴でした。バブルが3・7倍で1番人気、グルーヴが4・0倍の2番人気、ピルサドスキーが4・6倍の3番人気。バブルの方が上だったのは、より底力が問われる400メートルの距離延長で、やはり牡馬を上に見たいファン心理があったこと、また、「天皇賞・秋はマークする立場のエアが有利だったので、今度はそうはいかないのでは」という見方に起因していたと考えられます。そんな中、グルーヴは道中4番手を進み、直線では残り200メートルで堂々と先頭。最後の最後で内からピルサドスキーにかわされましたが、後ろにいたバブルを完封する2着でした。
続いては有馬記念。武騎手がマーベラスサンデーに騎乗したため、ペリエ騎手に乗り替わりました。
そのマーベラスサンデーに1番人気を譲った2番人気。直線で先頭に立ちますが、これまた最後の最後で2頭に差され、3着に終わりました。
この2戦、結果だけを見ると語ることが少ないのか、グルーヴの歴史をまとめた読み物などでも扱いが〝あっさり〟な場合が多いです。もちろん、直前の天皇賞・秋の優勝が偉業でしたから、そこがクライマックスになるのは分かります。でも、私は今回のnoteで、あの2戦のレースぶりをしっかりと伝えたいと思います。
大前提として、天皇賞の勝利により、グルーヴは歴史的名牝になりました。母を超えたのも間違いなく、この時点で、ゲームとしては〝クリア〟。言い方は悪いですが、遮二無二、がむしゃらになって次を取りにいく必要はありません。タイトルを獲得したことで気楽にもなっていたでしょうから、それこそ女の子らしく、頑張る牡馬を尻目に、ちょっとした奇襲をかけたり、敵の隙をつくようなレースをしたっていい立場でした。体調がちょっとでも悪くなったり、レースで不利があったら無理をすることもないですし、牝馬として、美しく、スマートに一戦ずつをこなしていくこともできたはずです。それでも名牝は名牝。名前に傷はつきません。でも、気高き彼女は、その上を目指しました。名声を高めようとしたのではないと思います。ただひたすらに強さを求め、ナンバーワンを目指し、勝ちに行くレースをしたのです。牡馬を倒した牝馬としてではなく、現役最強馬として、チャンピオンとして堂々たるレースを見せてくれました。
まずジャパンカップは1番人気がやる王道の競馬。正直、牡馬であるバブルがやらないといけない競馬でした。相手のことは気にせず、いつでも抜け出せる位置で、直線では満を持して追い出して先頭に立つ…「くるならこい」という競馬です。それでも世界の強豪の壁は厚く、前述のように内からかわされてしまうのですが、グルーヴはかわされた後に抵抗しました。あきらめず、歯を食いしばって、食い下がるのです。「差し返せる!」とファンが感じるほど、一度は広げられた勝ち馬との差を縮めながらゴールに入った姿に、競馬場のゴール前にいた私は自分のことのように悔しがり、感動もしました。牝馬として見るなと言っておきながら、牝馬がそれをやっていると思ってレースを見返すと、今でも涙が出てきます。
有馬記念も、まさに王者の競馬でした。逃げ馬の直後につけて、4コーナーを回ってすかさず先頭。「これで負けたら仕方がない」という競馬です。最後の最後に差されたとはいえ、勝ち馬とはアタマ+ハナ差。目標とされるポジションでレースを進めた人気馬がやられる典型的なパターンで、ハッキリ言って仕方がありませんし、「一番強い競馬をした」と評価される戦い方です。逆に言えば、ここまで正々堂々とレースを進める必要はありませんでした。1番人気ではなかったですし、そもそも秋の王道3戦をすべて戦い抜くのは牡馬でもキツイもの。あえて2戦に減らす馬もいるほどですから、体力的にもしんどかったはずなんです。後ろの方でじっと待機した省エネ戦法もアリだったでしょうし、マークされるのではなくマークをする競馬をしても良かった。でも、グルーヴはそれをしなかったのです。
気高さは勝利に宿るものとは限りません。見た目に宿るものとも限りません。私はあのジャパンカップと有馬記念を、あえて〝気高き敗戦〟と言わせてもらいます。あれこそ彼女のプライドだったと思いたい。想像にすぎませんし、もちろん、陣営や騎手の作戦もあったでしょう。でも、2つの気高き戦いぶりがその目に焼き付いているからこそ、多くのファンにとって、今でも「女帝」といえばエアグルーヴなのです。「女帝というと、なぜかやっぱりエアグルーヴなんだよなあ」という人が私の周りにもいるんですが、その理由はあの2戦にあるのです。ニックネームは生きざまなのです。
その生きざまが後世に伝わったことで、後輩の牝馬たちは恐れることなく、牡馬に向かっていけたのでしょう。ウマ娘のグルーヴが「後進の子らの憧れとなる存在でありたい」と願ったように、女帝はすべての女性の憧れになったのです。
翌98年も、グルーヴは現役も続けます。大阪杯で華麗に復帰し、不良馬場の鳴尾記念を取りこぼし、宝塚記念でサイレンススズカに逃げ切られ、札幌記念を連覇し、エリザベス女王杯でまさかの敗戦を喫し、ジャパンカップでエルコンドルパサーに食い下がり、有馬記念で引退しました。着順だけ並べれば、1→2→3→1→3→2→5。どれも好走ですが、年齢からくる衰えが見え隠れしたのも事実です。だからこそ、ピークだった97年の秋を忘れぬよう、今回は語らせていただきました。暑苦しかったらごめんなさい。おまけでクールダウンしてください。
おまけ1(かわいさ)
グルーヴは美フェイスの持ち主でした。シュッとしてて(そうじゃない馬もたくさんいます)、品があり、キレイな白い模様があります。これは「流星(りゅうせい)」という額から鼻に向かって流れている白斑。お母さんのダイナカールから受け継いだものです。
左がダイナカール、右がグルーヴ
オシャレさんでもありました。たてがみを、勝負服と同じ青と黄色の毛糸で編みこんでいたのです。ちなみに、ジャパンカップのときは日本馬だということで赤と白でした。
右はジャパンカップ限定バージョン
おまけ2(ウマ娘に牝馬は何頭?)
「今さら何を言っとんねん」というツッコミを承知で確認しておきますと、ウマ娘は全員、女性キャラですよね。では、公式ホームページのキャラクター一覧に掲載されている72頭のうち、元ネタとなっている競走馬がメスなのは何人いるでしょうか?
答えは14頭です。「ウマ娘に登場」という特殊なくくりになっていますが、「名馬」と呼ばれる馬に、いかにオスが多いか、ひとつの目安にはなると思います。