〝強い巨人〟あの頃あこがれた輝きを取り戻せ【駒田徳広 連載#21・最終回】
球団主導の引退話蹴飛ばしたボクに長嶋監督から巨人復帰の声が
2000年9月6日の中日戦で2000本安打を達成したボクは、すぐさま厳しい現実に引き戻された。
あれは9月21日のこと、球団フロントから呼び出されて「駒田、球団としては来季、オマエとの契約を考えていない。今季限りで引退してくれ」と引退勧告されたのだ。
この年6月の職場放棄事件で一度は「どうでもいい」という気持ちになった現役生活への思い。だが「もう一度、イチからやり直してみよう。昔のように楽しみながら野球をやろう」と思い立ち、とにかくバットを振り続けたことがいい結果にもつながった。「オレ、もう少しできるんじゃないか」。そんな気持ちが再び芽生えてきた矢先のことだっただけに、目の前にハッキリと突きつけられた「引退」の二文字はショックだった。
しかも「引退してくれ」の話にはまだ続きがあった。「球団が話を進めているから、引退したらNHKで解説者をやってくれ。オマエにとっても悪い話じゃないだろう。NHKに横浜OBのルートを作りたいんだ。そのためにも引退してNHKに行ってくれ」
ここまで聞いたボクはさすがに「それはおかしい!」と思ってしまった。引退するかどうかを決めるのは選手自身のハズ。引退後の話をするのはボクが「引退します」と決断してからでいいじゃないか。どうしてボクが球団のために野球を辞めなきゃいけないのか。納得できないことがグルグルと頭の中を駆け巡り「イヤです!」。そうしてボクは球団の引退勧告を蹴っ飛ばした。
その後、自由契約となったボクは他球団からのオファーをとにかく待った。「まだまだできる」という自信もあったし「2000本を打った直後に引退」というのも何だか記録にしがみついていたみたいでイヤだった。
だが、高くなりすぎた年俸の問題もあったのだろう。年が明けても他球団からの正式なオファーはなく、一度は名乗りを上げてくれた近鉄もいつの間にか話が流れてしまった。ボクは「君の力が必要だ」と言われればどんな条件だろうがボロボロになるまでやるつもりだったけれど、自分自身の中には「名球会の名を汚してはいけない」というプライドもあって「入団テストを受けてまで」という気持ちはなかった。そのため当時のモントリオール・エクスポズからマイナー契約の話も舞い込んだが断らせてもらった。最終的にはやはり「引退」を決断するしかなかった。
01年1月18日、引退会見。波乱万丈だったボクのプロ20年間の現役生活はこうして終わった。そしてその後になって、長嶋さんからボクの「巨人復帰」の話が飛び出すのだった。
羨ましかった長嶋監督の勇退セレモニー 巨人は温かい球団であり続けてほしい
ボクが引退会見を開いた3日後「2000本安打達成を祝う会」を開いていただいた。
発起人となったのは原さん、そして名球会会長の金田正一さん。会にはプロ野球生活20年の間にお世話になった先輩から後輩まで、本当にたくさんの人が集まってくれ、口々に引退を惜しんでくれた。
その席では長嶋さんが「うちも代打が手薄だから真剣に考えようじゃないか。まさか代走というわけにもいかないけど」とスピーチして、場が大いに盛り上がった。するとカミさんがこれを真に受けてしまい「よろしくお願いします」と頭を下げる一幕もあった。もちろん、長嶋さんのリップサービスだったのだが、最後まで現役を望んだボクをねぎらってくれたみんなの気遣いがうれしかった。
ここから先は
¥ 100