オグリに一泡!「ウマ娘」に実装されたバンブーメモリーを「東スポ」で振り返る
先週、「ウマ娘」に実装されたバンブーメモリー。この暑さに負けないぐらい熱血なキャラになっているのは、激しい気性もありますが、まさに火の出るようなアツいレースを見せてくれたことも関係しているのでしょう。あのアイドルホースとの伝説の一騎打ち、初代スプリント王への道を「東スポ」で振り返ります。(文化部資料室・山崎正義)
遅咲きが即咲き
オグリキャップやヤエノムテキ、メジロアルダン、サクラチヨノオーらと同期だったバンブーメモリー。管理していたのは武豊ジョッキーの父・武邦彦調教師だったのですが、出会いは偶然だったといいます。2010年、本紙のインタビューで武邦彦さんはこう話していました。
地味な血統ながら、走らせてみると調教の動きはなかなか良く、2歳暮れにデビューすると3戦目で勝ち上がります。ただ、ポンポンと出世するわけではなく、2勝目を挙げたのは7戦目。走ったレースはすべてダートであり、トレーナーの息子である天才・武豊ジョッキーが手綱を取っていたにもかかわらずですから、正直、地味でした。クラシックなんてまるで遠い存在で、3勝目を挙げたときには既に菊花賞は終わっており、その11月27日、〝同期〟のオグリキャップはジャパンカップで堂々、3番人気を背負っていました。
中央入りするや、破竹の重賞6連勝。天皇賞・秋での〝芦毛頂上決戦〟でタマモクロスに敗れたものの、既にスターホースとなっていたオグリがたくさんのファンを熱狂させはじめていたのを尻目に、バンブーはその後6戦、ダートの条件戦を勝ちあがれません。しかし、これは蹄の弱さを抱えていたからで、その状態が良くなった翌年4月、芝を使うと一変します。芝1600メートルで2着を5馬身ぶっちぎり、オープン入りするのです。そして、バンブーは、勢いに乗って翌月、シルクロードステークスというこれまた芝1600メートルのオープン競走に出走します。結果は…
3着――
武邦彦調教師は自信を持っていたそうですが、直線で前が詰まり、脚を余してしまいました。ただ、競馬というのは、いや、人生というのは分かりません。この敗戦が思いもよらない展開を引き起こすのです。再び、武邦彦さんのインタビューから引用しましょう。
確かに翌週の東京競馬場では春のマイル王決定戦・安田記念が控えていました。でも、まだオープン入りしたばかりで、実績は皆無です。しかも、2週続けてレースを走る連闘策というのはリスクも伴いますから、登録馬一覧(当時はまだ1週間前でもGⅠに登録できました)にバンブーメモリーの名前を見つけた競馬記者たちも、出走を信じていなかったのでしょう。火曜日の本紙に載った出走予定メンバーの馬柱にバンブーは含まれておらず、左端にひっそり名前が載っているだけでした。「回避濃厚ですが、この馬も登録されていますよ」的な扱いです。
バンブーが疲れを見せていれば別でした。しかし、全力を使い果たさなかったことで体調は下降しておらず、何より、本格化を予感していたからこそシルクロードステークスの負けに悔しさを感じたトレーナーは、思い切って挑戦を決断します。
記者でさえ、関東の人間だとその存在を知らないような馬でしたから、ノーマークも当然。ファンからしたら、もっとよく分からない存在です。だから驚きました。馬場の真ん中を豪快に突き抜けた馬の名に。
「え?」
「バンブーメモリー?」
「誰それ?」
10番人気馬とは思えない完勝。勝つときというのはこんなものなのか、それとも何かに導かれたのか。武邦彦さんは先ほども引用したインタビューで「ラッキー」を強調していました。
長靴をはいていたからレース後に表彰台に向かう際は、他の調教師さんから革靴を借りたというのですから、勝てるなんて夢にも思っていなかったのでしょう。武邦彦さんは現役時代に「ターフの魔術師」と呼ばれていたんですが、そんな人でも、この魔術は予想できなかったそうで、こう振り返っていました。
乗っていた名手・岡部幸雄ジョッキーも同感だったようで、レース翌日、本紙の紙面に載ったコメントがイカしています。
漂ったのはフロック感。だから次走、思い切って宝塚記念に挑戦したときも、全く人気にならなかったのですが(単勝オッズ22・5倍の8番人気)、ここでバンブーは先行して5着に粘ります。
「なかなかやるじゃん」
「もしかして本物か?」
陣営もそう感じたのでしょう。距離も持ちそうな感じだったので、大目標を秋の天皇賞の定め、夏の中距離決戦・高松宮杯(2000メートル)に出てきます。レース前の武調教師のコメントからは自信が伝わってきました。
結果は、何とも言えないものでした。
4番人気で正攻法の競馬をして2着なのですから、実力が本物なのは証明できたでしょう。一方で、勝ったメジロアルダンには決定的とも言える2馬身半差をつけられてしまいました。陣営は手ごたえを感じつつも、こう思ったのかもしれません。
「さすがに天皇賞・秋は敷居が高いか」
はい、王道路線にはアルダンだけではなく、宝塚記念で完敗しているイナリワン、さらには、春をお休みしていた前年の菊花賞馬スーパークリークやオグリキャップらが出走を予定していました。
「安田記念を勝ったんだし…」
「激しい気性は短距離向き」
「だったら、マイル路線でいくか」
というわけで、秋は1400メートルのスワンステークスで始動したバンブーに誰もが度肝を抜かれます。
「おいおい…」
「メチャクチャ強いじゃん!」
後方からいったのに、2着を3馬身半突き放す〝ぶっこ抜き〟。しかもこれが59キロを背負ってのものでしたから、春のフロック感は雲散霧消し、同時に、短い距離での爆発力もハッキリしました。
「本物だ」
「短距離なら相当じゃないか?」
「マイルチャンピオンシップは決まりだろう」
当時のマイル路線は正直、タレント不足。そのうえ、マイルチャンピオンシップに向かうライバルのほとんどをこのスワンステークスで一蹴したわけですから、バンブーは一気に〝秋のマイル王〟、いや、春も制しているのですから〝日本のマイル王〟の大本命に躍り出ます。躍り出たのですが、本番の主役は別の馬でした。そう、同期の怪物がマイルに矛先を向けてきたのです。
伝説の一騎打ち
前年、地方競馬・笠松から中央入りしたオグリキャップは有馬記念でGⅠ制覇を果たし、そのサクセスストーリーで競馬ブームを巻き起こしていました。年が明け、春はお休みしたものの、秋のオールカマーでは超楽勝で完全復活。毎日王冠でイナリワンを下したころには人気はますます過熱し、天皇賞・秋では単勝1・9倍に支持されました。結果はクビ差の2着でしたが、直線を向いたところで行き場をなくして進路を切り替えざるを得ず、やや仕掛けが遅れたぶんだけ届かなかったというレースぶりは〝取りこぼした感〟もあり、やはり実力的には相当だというのがファンにも分かりましたから、フィーバーは収まりません。しかも、その後、オグリはファンをワクワクさせるとんでもないローテーションを発表するのです。
マイルチャンピオンシップからジャパンカップへ――
これ、1600メートルと2400メートルのGⅠに両方出るという意味でもすごいのですが、もっとすごいのは日程でした。ジャパンカップというのはマイルチャンピオンシップの翌週なのです。つまり…
GⅠ連闘!
はい、この前代未聞のチャレンジで、オグリとバンブーの初対決が実現します。
怪物VS遅れてきた短距離王
現役最強とも言えるオグリと、マイル路線では断然の存在になりつつあったバンブーですから、実力的には2頭が圧倒的に抜けています。当然、調教速報もこの2頭が主役。
印もこうです。
◎と〇が2頭以外にはついていません。これほどキレイな2強の馬柱は珍しいですが、当時のムードは「2強」とは少し違いました。
勝つのはオグリ――
勝って当然――
そんな空気が出来上がっていく過程を少し追ってみましょう。実はオグリのローテーションが発表されたとき、ファンからは不安の声が上がりました。
「2週連続GⅠ?」
「そんなバカな」
「無謀だろ」
肉体的にもリスクがあるのですから、当然です。非難の声もありました。しかし、マイルCSの週に入り、出走予定メンバーを見て、徐々にファンの気持ちがほぐれていきます。
「これはいけそうだ」
「オグリなら大丈夫だろ」
「応援しよう!」
何度見ても、メンバー的にはバンブーメモリー以外にライバルなんて見当たらない。ぶっちゃけ、軽く一蹴できそうにしか見えなかったのです。無謀とも思えた連闘なのに、それほど無理なくクリアできそうな気配…。
「オグリなら楽勝で」
「体力を温存しつつ勝って」
「ジャパンカップで世界と勝負だ!」
アンビリーバブルなやり方での世界獲りは、正直、物語として面白過ぎました。ファンの期待と熱気はどんどん高まっていったわけで、それに伴い、先ほど言った「勝って当たり前」の空気が醸成されていったのです。同時にバンブーの立場もハッキリしていきました。
一騎打ちではあるけど主役はオグリ
バンブーは引き立て役
この状況、当のバンブーはどう思っていたでしょう。彼が、「ウマ娘」で描かれているような〝ライバルに巡り合うことを願う熱血ホース〟だったら「ふざけるな!」でしょうか、それとも、「周囲の目なんて関係ない」「やっとオグリと戦える」「望むところだ!」だったでしょうか。馬の気持ちは分かりません。分かりませんが、分からないからこそ、バンブー陣営にとってやることはひとつでした。
完璧に仕上げる――
実際、追い切りで絶好の動きを見せたバンブーに、助手さんや調教師さんからはこんな声が出ました。
体調以外のよりどころもなくはありません。まず、久しぶりの1600メートルにオグリが戸惑う可能性。そして、もうひとつ。
武豊――
そう、条件戦以来、久しぶりに鞍上に戻ってきていたのです。デビュー3年目となったこの年は既にGⅠを4勝。全国リーディングをうかがう日の出の勢いの若き天才が、父の管理する実力馬に乗る…普通だったら完全に主役です。それでも、このマイルCSの単勝オッズはこうでした。
オグリキャップ 1・3倍
バンブーメモリー 4・0倍
そう、やっぱり、オグリ一色。
さすがにバンブーにもあの空気は少なからず伝わったでしょう。そして、鞍上からも声がかけられたでしょう。
「敵はオグリ」
「相手はオグリだ」
馬も人も、全くあきらめてはいませんでした。むしろ、そんな空気だからこそ燃えていた。
相手はオグリ一頭――
腹をくくった天才ほど怖いものはありません。
「軽く勝って」
「来週だぞ」
「できれば楽勝で」
「体力を温存して」
「ジャパンカップだ!」
そんなファンの声に押され、必死に5番手の内でマイルの流れに乗っていた芦毛のアイドルホースだけを、天才は見ていました。すぐ後ろで息を潜めていました。そして、エンジンがかかるまでに時間がかかるようになっていたオグリが、3~4コーナーの勝負所でスーッと上がっていけないのを見ると、先に仕掛けます。先に動けるぐらい、バンブーの手ごたえが絶好だったのです。しっかりと陣営の努力にこたえ、肉体的にも精神的にも最高の状態に仕上がっていた希代の短距離王は直線を向くと、オグリを内に閉じ込めながら、外からアッと言う間に先頭に躍り出ました。
「俺だって…」
「俺だって強くなってるんだーーー!」
そんなバンブーの咆哮が聞こえてくるかのような一気のスパートと出し抜けに、1週間かけて作り上げられた空気は一瞬で吹き飛びました。
勝つのはオグリ
勝って当然
勝つのが当たり前…
当たり前…
「…じゃないのか!!」
戦慄したファン
上がる悲鳴
「まずい!」
怪物の上で南井ジョッキーのムチがうなりをあげたとき、バンブーは既に2馬身前にいました。
武豊の120点のエスコート
120点でこたえたバンブー
限界を超えた人馬によって生み出されたリードが導線でした
伝説の一騎打ち
怪物の闘志に火がつきます
残り200
後続ははるか後ろ
逃げ込みを図るバンブー
追うオグリ
内からオグリ
外を回している暇はないからこその内
がむしゃらに内
なりふり構わずの内
差せるか
残せるか
残すか
差すか
火花が見えたのは私だけではなかったはずです。
連闘×2
本格化したバンブーと天才・武豊ジョッキーだからこそ演出できた名勝負の軍配はハナ差でオグリキャップに上がりました。今改めて見てもバンブーの強さがオグリのポテンシャルを引き出したのは明らかで、バンブーがいなければあのレースは生まれなかったと言っても過言ではないでしょう。また、あの週のオグリに関しては「マイルCSはJCへの寄り道」なんて記事も目につきました。「ウマ娘」で風紀委員長であるように、バンブーに正義感があったとしたら、ひとつのGⅠを軽視するような〝風紀の乱れ〟をただそうと激走したのかもしれません。本当にアツい走りでした。
しかし一方で、手に汗握る戦いだったからこそ、万事休す状況を打破したからこそ、オグリフィーバーはさらに過熱することになり、バンブーの強さはそれほど報じられませんでした。翌日の本紙も、こんな具合。
次の日曜日、オグリは、マイルCSで厳しい戦いをしたことで体調を不安視されて人気を落としますが、そんな中で世界レコードの2着という激走を見せます。これもまた伝説のレースなので、多くの人の脳裏に焼き付いているのですが、だからこそ、忘れられがちなことを今回は記しておこうと思います。
マイルCSからJC
2週連続GⅠ
実はオグリの他にもう一頭…
バンブーメモリーも連闘しているんです!
無謀?
はい、確かにそうかもしれません。宝塚記念で5着に入っているとはいえさすがに2400メートルは距離が長そうですし、お手馬のスーパークリークがいたため、武豊ジョッキーも乗れません。でも、よくよく考えれば実績がありました。そう、バンブーメモリーの初GⅠは…
連闘!
それを思い出した人は少し馬券を買ったかもしれませんね。結果は惨敗でしたが、バンブーは同期の怪物と2週連続、同じGⅠを走り、4歳を終えました。2頭は翌年、再び同じレースを走ります。
短距離王へ
5歳になったバンブーメモリーは正月の金杯に出走しようとしましたが、口の中にオデキができてしまい、取り消し。2月にはじんましんにもなってしまったこともあり、予定と体調が狂ったのでしょう、始動戦となった4月下旬の京王杯スプリングカップを単勝1・8倍で5着に取りこぼします。ただ、59キロを背負っていましたから、情状酌量の余地アリ。だから連覇を狙った安田記念では3番人気に支持されるのですが、そこにはあの馬があのジョッキーで待ち構えていました。
前年のマイルCSで激闘を繰り広げたオグリキャップの背中に、そのときのバンブーの鞍上・武豊ジョッキー。このレースから誕生したゴールデンコンビに、前年の最優秀スプリンター(現在の最優秀短距離馬)の存在は一気に薄くなってしまいます。そして、一騎打ちに持ち込んだ前年秋が夢だったかのような差を見せつけられてしまうのです。
完敗の6着はどう評価していいのか微妙なところ。追い切りの動きがイマイチだったので、年初に崩した体調が戻り切っていなかった可能性もありますが、続く宝塚記念でも見せ場なく6着に敗れます。
「時間がかかりそうだな」
「終わってなきゃいいけど」
マイルCSでバンブーのファンになった人たちは心配になりました。実際、頑張り過ぎた反動で、燃え尽き症候群になってしまう馬、闘志が戻らなくなってしまう馬はたくさんいますし、バンブーに関してはいかにも反動が出そうな激戦をしていますから余計です。次のCBC賞(中京1200メートル)で武豊ジョッキーに鞍上が戻ったのに、1番人気で2着に敗れたときには、やはり「う~ん」。だからこそ、高松宮杯(中京2000メートル)のときには、印もやや信頼の欠けるものになっていました。
1番人気は1番人気なのですが、年が明けてから未勝利でしたし、「ひょっとして危ないんじゃ…」という声も出ていました。しかも、レースでは終始後方。4コーナーを回っても「大丈夫か?」という位置でしたから、やはりファンは不安になりました。
「闘志が薄れてしまったんじゃ…」
「その状態で背負う59キロは厳しいか…」
なので、大外に持ち出されたバンブーが、グングングングン追い込んできたときは、本当にホッとしたのを覚えています。
闘志は消えていなかった。
オグリに冷や汗をかかせた実力は衰えていなかった。
そう胸をなでおろしたのはファンだけではなく、陣営も同様。むしろ、復活を確信したことで、前年、挑戦を断念した天皇賞へと舵を切ります。毎日王冠をひと叩きし、青写真通りに調子を上げつつ大一番へ…いはやは、ここで再び運命が交錯するのですから競馬はやめられません。相まみえるはまたまたオグリキャップ。安田記念圧勝後、宝塚記念を2着に取りこぼすと、脚部不安を発症。温泉で療養したものの、秋になっても調子が上がらず、代名詞とも言える旺盛な食欲さえ落ちているという不穏情報がもありましたが、当のバンブーは燃えていたでしょう。体調良好、リベンジのチャンス、そして心強い味方も現れます。
スーパークリークが故障→回避したことで、武豊ジョッキーが乗れることになったのです。
「強敵相手だけど」
「チャンスあるかも」
印もそう言っているようでした。
宝塚記念で1・2倍だったオグリの単勝オッズは2・0倍に、49・1倍だったバンブーの単勝オッズは8・9倍になっていましたから、その差はかなり縮まったと言えます。しかし、昨年のマイルCSであれだけのデッドヒートを繰り広げたことを考えれば、まだまだです。
「こんなもんじゃない」
「もっとやれる!」
「やってやる!」
バンブーとしては、陣営としては、どうにか一矢報いたかったに違いありません。
「ユタカ、頼む」
「あのときみたいに」
「オグリを焦らせてくれ」
ファンと陣営の期待を背に、ロスなく後方でパワーをためた天才。直線を向き、バラけた馬群をさばき、内からスルスル伸びてきたとき、「やった!」と腰を上げたのは私だけではなかったはず…。
見せ場十分の3着。距離が長いことを考えれば大善戦と言って良く、大きな声を出したファンもたくさんいたでしょう。残念ながら体調が戻っていなかったオグリは勝負に加われませんでしたが、それぐらいアツい走りでした。そして、私はあることに気付きます。今回、バンブーの戦績を振り返ってみると、好走に法則があるような気がするのです。彼が頑張るとき、目の前には常にこれがありました。
「限界を突破すれば登れそうな山」
「自分の限界点を引き上げてくれるハードル」
あるときは強敵
あるときはキツいローテーション
あるときは酷量でのギリギリこなせそうな距離
オグリがそうでした。
連闘で挑んだ安田記念がそうでした。
59キロで初めての芝1400メートルに挑んだスワンステークス、同じく59キロで復活を高らかに宣言した高松宮杯がそうでした。
オグリがいて、少し距離が長かったこの天皇賞・秋も条件的には簡単ではなかった。でも、簡単ではないぐらいの難題を出された時の方が、この馬は燃えるのです。距離が全くの適性外だったり、体調がイマイチだったらさすがに無理なのですが、そうじゃない状況で、限界突破で何とかなりそうな壁が目の前に現れると、普段以上の力を発揮する。そして、見ている者に与えるのです。
激闘!
情熱!
燃える血潮!
反対に、そして面白いことに、「簡単に乗り越えられそうな壁」だと、バンブーのハートは激アツにはなりません。断然人気(単勝1・8倍)で取りこぼした京王杯スプリングカップがそうでしたし、この天皇賞・秋3着の後、圧倒的な人気(単勝1・6倍)を背負ったマイルチャンピオンシップでも、この法則が炸裂します。少しだけ引っ掛かったバンブーは、10番人気の伏兵に足元をすくわれるのです。
そういう意味では、続くスプリンターズステークスは、同じ1番人気とはいえ、条件はかなり整っていました。
・前走で敗れたパッシングショットがいる。
・そのパッシングショットには同じ1200メートルのCBC賞で負けている。
・そもそもバンブーは芝1200メートルで勝ったことがない。
・前走で気性の危うさを見せている。
・中山競馬場は初めて。
・多頭数の最内枠。
誰もが半信半疑だったことを示す単勝オッズ3・8倍でスタートを切ったバンブーが、4コーナーを回ったとき、位置取りはまだ10番手でした。直線が短い中山です。しかも、外ではなく内にいたので前には馬、馬、馬。
「この山は…」
「このハードルは…」
「厳しいか…」
はい、楽ではありませんでした。
でも、その状況こそバンブーにとっての適条件。
だからこそ燃える
限界突破の名ランナー
GⅠになったばかりのスプリンターズステークス
記念すべき1回目は
日本レコード
驚天動地のゴボウ抜き
他馬が止まっているかのようでした
火花が見えたのは私だけではなかったはずです。
私の夢
2年連続で最優秀スプリンターの座を獲得したことで、山やハードルを見失ったのか、それとも年齢的な衰えなのか、バンブーは翌年春、京王杯スプリングステークスをひと叩きして向かった安田記念を1・8倍の1番人気で3着。宝塚記念でビリになると、秋もスワンステークスやマイルチャンピオンシップで見せ場なく8着に敗れ、引退しました。
激闘
情熱
燃える血潮
その役目を終えたバンブーは、最後の年は、「ウマ娘」の応援団長のごとく、ダイタクヘリオスら、次世代短距離ランナーにエールを送る立場を担ったのかもしれません。
なお、この年の宝塚記念出走時に、競馬の名物アナウンサー・杉本清氏が、スタート直後のレース実況でこうしゃべったのが、「ウマ娘」バンブーのハチマキに「夢」という文字が書かれている理由だと思われます。
自分の予想をチラッと入れちゃったお茶目な杉本アナですが、後年、本紙のインタビューでそのときの様子をこう話しています。
せっかくなので、下に宝塚の馬柱を置いておきますが、杉本さんに限らず、成績が下降線をたどったこの年でさえ、私たちはついつい、バンブーに夢を託しがちでした。脳裏から消すことができないほどあのマイルCSやスプリンターズステークスのインパクトが強かったため、何度も夢を見たくなってしまうのです。
「あのアツさをもう一度」
そう思わせる名馬、バンブーメモリー。もうひとつ言わせてもらえば、伝説のマイルチャンピオンシップの走りは明らかに〝限界突破〟で、あのような走りをすると燃え尽きてしまう馬が多いのに、翌年の秋、再びアツい走りを取り戻したことも特筆に値すると思います。もしかしたら、スプリンターズステークスの驚天動地のバンブーをオグリキャップも見ていたのかもしれません。
「あのときのあいつじゃないか」
「すげえ…」
「俺も…」
「やらねば!」
冷や汗をかいた前年を思い出し、芦毛の怪物の血潮が再び燃え、翌週、引退レースの有馬記念を勝った…という妄想もまた競馬の楽しみのひとつ。バンブーメモリー、本当にお疲れ様でした。