漫画「ウマ娘」のヒロイン!〝国民的ホース〟オグリキャップの死闘と奇跡を「東スポ」で振り返る
皐月賞の週に「ゴルシ、書いちゃおっか」ぐらいの軽い気持ちで始めた当noteが、こんなに多くの方に読んでもらえるなんて思っていませんでした。短期放牧を挟みつつ、なんとかこの年末まで書き続けることができたのは皆さんの励ましのおかげです。それがなければ頑張れませんでした。本当にありがとうございました。さて、頑張るといえば、公正を期さないといけない競馬場内の実況アナウンサーが、その馬の引退レースの最後の直線で思わず「さあ頑張るぞ」と口にしてしまったほど、誰もに愛され、誰もが感情移入した名馬がいました。最も有名な競走馬と言ってもいいオグリキャップ。現在、「週刊ヤングジャンプ」で連載されている漫画「ウマ娘 シンデレラグレイ」のヒロインなので、それをきっかけに名前を知った人もいると思いますが、実際のオグリキャップは、今日の「ウマ娘」ブームに負けないぐらいの社会現象を巻き起こしました。地方出身馬によるサクセスストーリー、何より有馬記念での奇跡の復活を見たり聞いたりしたことがある人も多いでしょう。しかし、あの復活をユーチューブの動画だけで終わらせるのはもったいなさすぎます。そこに至る過程、特に〝1989年の秋〟を知れば、もっともっとオグリが、競馬が好きになるはずです。(文化部資料室・山崎正義)
上京物語
まず触れなくてはいけないのが、オグリが「地方競馬」の出身だということです。当noteで何度もご説明してきましたが、今回初めてお読みの方もいるかもしれませんのでおさらいしますと、競馬には「中央競馬」と「地方競馬」があります。主催者は「中央競馬」が国、「地方競馬」は地方自治体。この連載で触れているスターホースたち(ハルウララ以外)が活躍したのは中央競馬で、土日に大きな競馬場でレースが行われています。地方競馬は小さな競馬場で、芝のレースがほとんどなくてダート(砂)中心。平日にも行われます。
ぶっちゃけますと、賞金も馬のレベルも中央競馬が上です。とはいえ、時々、地方競馬にめちゃくちゃ強い馬が現れ、中央に移籍してくることがあります。オグリもそうで、笠松競馬場(岐阜県)でデビューし、12戦10勝。東海地区に敵はなく、3歳の1月、中央に戦いの場を移しました。
移籍初戦は3月6日、阪神競馬場で行われたペガサスステークスというGⅢ。笠松での強さは噂にはなっていましたが、1番人気ではなく、2番人気にとどまります。これはある意味当然で、地方出身の馬は前述のようにダートでしか走ったことがない場合がほとんどで、芝で通用するのは簡単ではないのです。レベルも違いますし、実際、無敵を誇った馬が中央の芝で惨敗を繰り返し、地方に戻っていくケースもかなりありますから、2番人気でも上々の部類でしょう。おそらく、オグリは地方時代に1戦だけ芝のレースでも勝っていたので高評価につながっていたのかもしれません。で、レースはというと…楽勝でした。しかも、負かしたのが4連勝していた1番人気馬で、騎手も「すごい瞬発力だ」と絶賛。こうなると、皐月賞、ダービーといったクラシック候補になっても良さそうなんですが、翌日の紙面がコレです。
見出しに「クラシック登録がないオグリキャップ」とありますよね? 実はこの頃は、前年に予備登録をしていないとクラシックレースには出走できませんでした。地方競馬に所属していたときに、まさか中央競馬の大レースに出るとは思いもしませんから仕方ありませんが、オグリは続く毎日杯という皐月賞の前哨戦にもなり得る重賞に勝ち、さらにダービーの前哨戦・京都4歳特別も楽勝し、誰の目にも〝世代最強〟なのは明らかなのに〝世代最強決定戦〟であるダービーに出られなかったのです。ダービーの翌週に行われたニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)で初めて関東に遠征してきたときの扱いは完全に〝幻のダービー馬〟で、人気はこの通り。
で、そのレースぶりに関東のファンは腰を抜かしました。後方から徐々に外を上がっていったオグリは騎手がまったく追うこともなく持ったままで2着を7馬身ちぎります。しかも、勝ちタイム1分34秒0は、半月前に行われた古馬(大人の馬)のGⅠ安田記念より0・2秒も速いのです。本紙も含めてメディアも沸きました。
記事本文の中には「灰色(オグリは芦毛というグレーの馬でした)のお化け」なんてフレーズも登場。「同年代はもちろん、古馬にも通用すること間違いなし」という論調です。そして実際、続く7月の高松宮杯という伝統のGⅡで、古馬を一蹴します。
コースレコード、移籍5連勝。そして、見出しに「タマモ」という文字が現れます。これは、ウマ娘でオグリとからむことが多いタマモクロスのこと。前年の秋から本格化し、この年の宝塚記念まで7連勝という破竹の勢いの古馬ナンバーワンホースと、秋に相まみえることになるのです。
VSタマモクロス
秋になり、オグリはまず、毎日王冠に出走して完勝します。
天皇賞・秋へ準備万端。宝塚記念以来となるタマモクロスも上々の仕上がりを見せており、一騎打ちムードが高まります。人間の年齢で言えばスーパー高校生VS遅咲きのチャンピオン(タマモは大人になってから力をつけました)。ファンとしては、どちらも応援したくなるストーリーを持っている上に、いずれも毛色が灰色なのです。「芦毛頂上決戦」といわれ、大いに盛り上がりました。印はこんな感じ。
単勝オッズはオグリが2・1倍、タマモが2・6倍。そして、最後は予想通りの一騎打ちになります。いつも後方からいくタマモが先行し、直線で堂々と先頭。猛然とオグリが追い込んできましたが、1馬身4分の1、届きませんでした。
ただ、オグリの評価は下がりません。連勝はストップしたものの、普通なら高校生同士で走っている時期ですし、タマモは誰もが認める強さを誇っており、天皇賞の春秋制覇(天皇賞は春と秋に1回ずつあります)は、皇帝シンボリルドルフ(7冠馬、トウカイテイオーのお父さん)も成し得なかった偉業なのです。
この後、オグリは先輩タマモの背中を追いかけ、ジャパンカップに出走します。結果は、2着に食い込んだタマモに続く3着(勝ったのは外国馬)。タマモとの着差は天皇賞・秋と同じく1馬身4分の1で、まだまだ力差がありそうでしたが、若さゆえの成長力でしょうか、スターは3戦続けて負けないのでしょうか。年末の有馬記念、引退レースとして臨んだタマモを破るのです。
タマモの調子がイマイチだったとか外を回しすぎたとか、オグリに騎乗した名手岡部幸雄ジョッキーがソツなく乗ったとか、いろいろな見方がありましたが、GⅠ初制覇という結果で、サクセスストーリーはひとまず成就します。血統がいいわけでもない、地方から這い上がってきた馬が、都会(中央競馬)のエリートをやっつける…絵にかいたような展開に、競馬を知らなかった人々も引き込まれました。時は昭和から平成へ。オグリとバブルに後押しされて訪れつつあった競馬ブームはますます過熱していきます。なぜなら、既に漫画のようなこの物語、まだ序章にすぎなかったのです。
オグリの89年
元号が平成になった1989年、4歳(大人)になったオグリはケガにより春シーズンを棒に振ります。夏場は温泉療養。復帰したのは9月半ばのGⅢ・オールカマーでした。8か月半ぶりの実戦で、調教の様子からも急仕上げ感が否めませんでしたが、オグリは余裕しゃくしゃくの楽勝でファンを安堵させます。
トウカイテイオーの回でお話しした大阪杯と同じような感じですね。「やっぱり強い!」という、ワクワクするような勝ち方でした。
レース後、こうコメントしたのは、タッグを組んだ南井克巳ジョッキー。前年、タマモクロスに乗ってオグリと名勝負を演じた関西の実力派が、新たなパートナーに選ばれていたのです。
これは素晴らしいキャスティングでした。地方出身で、「叩き上げ」「泥くさい」というイメージのあるオグリには、スマートで冷静な騎手より、南井騎手のような熱い剛腕ファイターがお似合いです。魂が伝わってくるような激しい騎乗ぶりにはファンも多く、オールカマーでは相手が弱くてその神髄は発揮されませんでしたが、続く毎日王冠で炸裂します。ムードはオグリ断然。
単勝は1・4倍でした。断然の人気ですから、南井騎手は外を回す安全策。直線でも外に出して追い始めます。しかし、この後にGⅠが控えていたから目一杯に仕上げていなかったのでしょう、いつもの爆発力がありません。そこへ、オグリが休んでいたこの年の春に頭角を現し、天皇賞・春と宝塚記念を連勝していたイナリワンが猛然と襲い掛かるのです。その勢いはすさまじく、残り50メートルではいったんイナリワンがかわします。
「まずい!」
多くの人は足をすくわれたと思ったに違いありません。しかし、オグリは絶体絶命の状況から差し返すのです。「コノヤロー!」とばかりに力を振りしぼるオグリと、愛のムチをガンガン振るう南井騎手。毎日王冠史上、オグリキャップ史上に残る名勝負のひとつとして今も語り継がれる熱き叩き合いでした。翌日の紙面でもその様子を詳しく伝えています。
さあ、次は昨年、タマモクロスに及ばなかった天皇賞・秋。どうやらイナリワンはかなりの強敵になりそうですが、もう1頭、気になる馬がいました。上の紙面の左下をご覧ください。「Sクリーク レコード勝ち」「打倒オグリ最後の刺客」という見出しがありますよね? そう、毎日王冠と同じ日、関西で行われた京都大賞典(GⅡ)で、スーパークリークという馬がハデなレコード勝ちを飾っていたのです。前年の菊花賞馬で、オグリがタマモクロスを破った有馬記念ではそのすぐ後ろ、3番目にゴールしています(最後の直線で他馬の邪魔をしてしまったことで失格処分)。オグリ同様、上半期を休んでいたそんな実力馬が、完全復活を遂げ、陣営も怪気炎――。天皇賞・秋は、昨年の芦毛頂上決戦に続く、ファン大注目のレースとなりました。
オグリ、スーパークリーク、イナリワンにたくさん印がついています。後に〝平成3強〟と称される3頭が初めて同じレースを走った貴重な馬柱ですが、単勝はファンが多いオグリが1・9倍で、頭ひとつ抜けていました。スーパークリークは天皇賞・秋が行われる東京競馬場の2000メートルが外枠不利だということもあり、少し離れた4・5倍の2番人気。とはいえそこは天才ジョッキー武豊です。ポンと好スタートを決め、すんなり3番手を追走します。対するオグリはスタートがイマイチで7番手の内で力を温存していました。先行集団から離れているわけではなく、徐々にポジションを上げていき、4コーナーを回るときはクリークの真後ろで虎視眈々。「さあ、くるぞ!」と誰もが思ったその時でした。オグリの外から上がってきた馬が、我先にとクリークの後ろのポジションを取ったのです。一瞬、行き場をなくすオグリ。すぐに進路を外に切り替えるのですが、その間に、前にいたクリークはリードを広げます。
「まずい!」
その差を縮めようと、南井騎手がムチを連打すると、エンジンがかかったオグリが猛然と追い込んできます。
「差せ!」というオグリファンの絶叫。しかし、クビ差だけ届きませんでした。2年連続、天皇賞・秋のタイトルはするりと逃げていったのです。
翌日の紙面、クリークがオグリをやっつけたことを報じつつ、本紙は勝負の分かれ目にも触れています。先ほどご説明した、レース中の「一瞬」です。映像を見ていただければ分かりますが、直線を向いたあのとき、行き場をなくしさえしなければ、オグリが差し切っていたかも…それが記者の見立てであり、ファンも同じことを感じていました。オグリより先にクリークの背後に飛び込んだ馬も騎手も反則をしているわけではありません。レースというのは、こういうわずかな「一瞬」で結果が変わってしまうのです。これが競馬の怖さであり、面白さでもあるのですが、正直、〝取りこぼした感〟は否めませんでした。ただ、南井騎手の悔しさも伝わってきましたし、クリークに迫ったオグリの豪脚も迫力満点で、その強さを再確認した人が多かったのも事実。
「また応援するぞ!」
「次こそは!」
ファンはさらに燃えたんですが、その「次」に、誰もが仰天します。2000メートルの天皇賞・秋を走った馬の選択肢は2つ、短距離路線に向かうなら3週間後のマイルチャンピオンシップ(1600メートル)、王道路線を歩むなら4週間後のジャパンカップ(2400メートル)なんですが、オグリは何と両方とも出るというのです。ただでさえ秋になって既に3戦。それだけでも多いのに、GⅠを連闘(2週続けて出走すること)…国民的アイドルホースとは思えないローテーションに「無謀だ!」「馬がかわいそう」という声が上がったのは言うまでもありません。ただ、決めるのは馬主さんであり、陣営。やるかどうかではなく、やることは決まったのです。短距離でも強いところを見せて、昨年3着に終わったジャパンカップでもう一度スーパークリークと戦う。しかも、前代未聞のやり方で…オグリファン熱狂の2週間が始まりました。まずは、マイルCSの馬柱からいきましょう。
1枠1番オグリと同じぐらい印を集めている馬がいます。3枠4番バンブーメモリー。当時の短距離王です。1600メートルのGⅠを勝っており、マイルCSの前哨戦も59キロという重い斤量を背負って楽勝していました。で、オグリがいなければ断然の1番人気になるこの実力馬の騎手欄をご覧ください。そう、武豊ジョッキーです。天皇賞・秋でスーパークリークを見事にエスコートした男が、今度は別の馬に乗ってオグリの前にたちはだかります。単勝はオグリ1・3倍、バンブーが4・0倍。しかし、その差を天才が埋めました。内の5番手を進んだオグリの手ごたえが4コーナー手前で悪くなったのを、直後にいた武豊騎手は見逃しません。すぐ外を上がっていきながらオグリを内に封じ込めつつ、自らは先にスパートしたのです。
相手がモタモタしている間にリードを広げる…
天皇賞の時は狙わずに自然と先行して抜け出し、結果的にオグリが届かない状況になったのでしょうが、今回はあのとき見せていたオグリのエンジンのかかりの遅さを知った上で、おそらく狙ってやったと思われます。その抜け出す脚の速いこと速いこと。あっさり先頭に立ち、逃げ込みを図るその勢いに、オグリファンは「やられた!」と思ったはずです。しかし、遅ればせながら点火したオグリのエンジンが火を噴きます。南井騎手の剛腕、猛ムチに叱咤激励され、内ラチ沿いを、まさに一歩ずつ一歩ずつバンブーに迫っていくのです。
届くのか
間に合うのか
「オグリ!」
「オグリ!!」
「オグリ!!!」
火の出るような追い込みに、息をのみながらオグリという名を連呼したファン。他の馬を大きく引き離した世紀の一騎打ちは、獲物を追う芦毛の猛獣が、内からバンブーに並びかけ、ハナ差だけかわしたところがゴールでした。
助演武豊、主演オグリ、炎の追い込み――
鳥肌の後にやってきたのは、期待以上の不安でした。レース前、もしかなうのならムチも使わぬ楽勝で次週に向けて体力を温存してほしいと願ったのもむなしく、オグリは100%どころか120%のパワーを使ってしまったのです。「大丈夫か…」。心配するファンの前で南井騎手のインタビューが始まりました。
泣いていました。天皇賞・秋の2着、このレースでの大苦戦。断然人気の国民的アイドルホースを自分は上手に操れているのだろうか…という苦悩と葛藤がにじんでいます。でも、熱きファイターは下を向きませんでした。
ウオー!という地鳴りのような大歓声。ファンの不安は涙に、そして新たな期待に変わりました。さあ、ジャパンカップです。レースを終えたオグリはその日のうちに京都競馬場を発ち、深夜1時42分、決戦の舞台・東京競馬場に移動しました。考えられない強行軍は、そのスケジュールをそのまま記事にするだけで全てが伝わると考えたのでしょう。本紙は翌日の紙面で、深夜の東上を追っています。
レース後、競馬場にある出張馬房に戻ってきたのが16時10分。馬運車に乗り込んだのは18時25分といったドキュメント方式の記事の中で何より驚かされるのがオグリの様子です。レース後は疲労困憊で食事ができない馬もいる中、カイバ(エサ)をおかわりしたというのです。移動のための準備をしている間もずーっとカイバの桶に首を突っ込んでいたというのですから驚異の食欲。実は天皇賞・秋の週にも深夜に東京競馬場から追い切り(最終調整)のために茨城のトレーニングセンターに出掛けたことがあり、その120キロの長旅の際も、輸送車内でカイバをバクバク食べていたことを本紙は記事にしています。疲れ果てたレース後や、輸送中に神経質になって食が細くなり体重を減らす馬が多いのに、オグリは単なる大食いなのか図太いのか、食欲が衰えないのです。「ウマ娘」のオグリが大食いなのは、こういうところからきているのですが、旺盛な食欲と強い胃袋がタフさにつながっているとも考えられます。ただ、そうはいってもさすがにGⅠ連闘は…というわけで、ジャパンカップの出走表です。
過酷なローテーションに印が薄くなるのも仕方ありませんよね。ましてや世界各国から強豪が集まり、日本からもスーパークリークやイナリワンが名を連ねているのです。過剰に単勝が売れる、1倍台が当たり前の人気ホース・オグリに5・3倍というオッズがついていたことが周囲の評価を証明しています。イマドキの言葉で言えば、ほぼ〝無理ゲー〟。ファンファーレが鳴るころには、ファンは「勝ってくれ!」というよりも「結果はともかく無事で」と、祈るような心境になっていました。
ゲートが開き、まずは外国馬3頭がガンガン飛ばしていきます。オグリはその直後、内の4番手。少しペースが速くなりそうでしたが、借りを倍返しするには悔いを残さない乗り方をすべきだと思ったのでしょう、南井騎手は「これで負けたら仕方がない」という正攻法の競馬をしました。そして、外には武豊騎手のスーパークリークがぴったりマークしていました。
向正面から3~4コーナー、前をいく外国馬はまったくスピードを緩めません。場内に流れるアナウンサーの実況が通過タイムを口にせず、見ている我々も興奮していたので気づきませんでしたが、異国の猛者はやはり異次元でした。1000メートル通過は58・5秒のハイペース、1800メートルの通過も日本レコードを上回っていたのです。スピードに加え、スタミナ、底力がないとついていけない2400メートル戦とは思えない驚異的なペース…それでいて直線で抜け出してきたのが後方で力を温存していた馬ではなく、3番手を進んでいたニュージーランドのホーリックスなのだから信じられません。しかし、我々はもっと信じられない光景を見ました。そのホーリックスの外から伸びてきたのがオグリだったのです。スーパークリークでさえついていけない激流の中、馬場の真ん中を猛然と、南井騎手の右ムチ連打にこたえ、必死に首を前に出すオグリ。その姿に、この秋のローテーションと先週の激闘を重ね合わせた全競馬ファンが、拳を握りしめました。
「差せ!」
「オグリ!」
「いけーーー!」
あれだけ「無事に」と祈っていたのに、走ってくれているだけで感謝なのに、誰もが願いました、「ここまできたら勝ってほしい」「勝たせてやりたい」と。
結果はクビ差届かず。勝ちタイム2分22秒2は世界レコードでした。2着だったオグリも2400メートルにおける世界最速記録と同タイムでゴールしたという事実に、ファンは再び信じられないと首を振り、泣いている人も、へなへなと座り込んでいた人も、ボー然と立ち尽くしていた人も、惜しみない拍手を送りました。1着ではありませんでしたが、このジャパンカップの勝者はまぎれもなくオグリでした。
2週にわたるこの激走の反動がないわけがありません。1か月後の有馬記念。オグリは2番手から4コーナーで先頭に立つ強気の競馬を試みますが、直線で伸びを欠き、5着に敗れます(勝ったのはイナリワン、2着がスーパークリーク)。翌日の本紙では、レース後に陣営が追い切り後に発熱があったことを明かしたことを報じています。過酷なローテーションによる疲れが出たのは間違いありません。そういう意味では、この敗戦は強さに影を落とすものでもなく、オグリ劇場は翌年の第3幕に続くことになるのです。
1990年 ゴールデンコンビ誕生
激闘の疲れを温泉療養で癒やしたオグリの1990年初戦は5月の安田記念。鞍上に武豊騎手を迎えることが発表されると、メディアやファンは「ゴールデンコンビ誕生」と盛り上がりました。
オグリとともに競馬ブームを牽引していた若きスタージョッキーと国民的人気ホースの組み合わせはまさにドリーム。東京競馬場には、オグリのぬいぐるみを手にした若い女性たちが集まり、オールドファンは「競馬場も変わったもんだ」と苦笑しつつ、やや肩身の狭い思いをしたとか。いずれにせよ、安田記念にスーパークリークが出なかったこともあったのでしょうが、半年前は敵だった騎手が味方になるのも競馬の面白いところです。
メンバーはそれほど強くありませんでした。マイルチャンピオンシップで死闘を繰り広げたバンブーメモリーも前年ほどの勢いはなく、何より主戦の武騎手がオグリを選んでいます。単勝は1・4倍。休み明けや昨秋の反動を心配する声もあったものの、ゴールデンコンビにそんなことは関係ありませんでした。すっと先行すると、直線は持ったままで先頭に立ち、2着に2馬身差をつけ、楽々とコースレコードをマークしたのです。
翌日の紙面では他陣営のお手上げコメントが並びました。中には「あの馬を日本で走らせてはダメだよ」なんて声も…実際、オグリには海外挑戦が予定されていました。武騎手とのゴールデンコンビで9月に米国で行われる伝統のGⅠ「アーリントンミリオン」を目指すことが発表されていたのです。芦毛の怪物、世界へ――しかし、オグリは次の宝塚記念で2着に敗れた後(スーパークリークが出る予定だったので武騎手ではなく岡潤一郎騎手が乗りました)、脚部不安に見舞われてしまいます。海外遠征は白紙。再び温泉で療養し、秋の復帰を目指すことになりました。
当面の目標は過去2年、2着に惜敗している天皇賞・秋。ただ、陣営のトーンはなかなか上がってきませんでした。温泉でのリフレッシュ後、トレーニングセンターに戻ってきたものの、ちょくちょく脚元に不安が出て調整が遅れ気味だったこと、馬から迫力が薄れていたこと、さらに気になるのはあれだけ食べまくっていたオグリの食欲が落ちていたのです。本紙はレースの週の追い切りを速報した1面でそのことを報じています。
一方で、紙面右にあるように、最大のライバル・スーパークリークは体調が整わず回避しました。というわけで、メンバーは〝ほどほど〟といったところ。
「不安はあるけど、何とかしてしまうような気もする」というのが記者やファンの見立てでした。昨秋のあの過酷なローテを克服したんだから休み明けの調整不安ぐらいどうってことないだろう…しかし、どうってことあったのです。このレースから手綱をとった大ベテラン・増沢末夫ジョッキーを背にしたオグリは直線を向き、「さあいくぞ」というタイミングで追われたものの伸びを欠きました。前半少しムキになってしまったとはいえ、初めて掲示板にも載らない6着。最初からいかにも体調が悪そうにもがいていたわけではなく、直線半ばまで手ごたえは良かったことから、陣営も敗因をつかみきれません。「気合が足りなかったのかなあ」「(体重が増えすぎていて)太いのかなあ」。本紙は翌日の記事でこの「かなあ」の多さを指摘しています。
記者も「もう一度、怪物らしいオグリを見たい」と書きつつも、複雑な様子。これはファンも同様でした。ただ、「体調さえ戻れば大丈夫だろう」「ジャパンカップに向けて調子を上げてくるだろう」という気持ちもどこかにありました。
待つしかない…。
しかし、2週間たっても、3週間たっても、ジャパンカップに向けて調整を進める陣営から景気のいい話はまったく聞こえてきませんでした。新聞での印も信じられないほど薄くなります。
ファンが多いので単勝では4番人気(7・3倍)に支持されますが、結果は11着。スタートが悪く、道中は終始後方で、3~4コーナーにかけて上がっていったのですが、直線大外に持ち出した後は、まったく伸びませんでした。明確な理由はまたも不明。トウカイテイオーの時も触れましたが、競馬において「敗因がつかめない敗戦」ほど怖いものはありません。〝終わっている〟可能性があるからです。そしてオグリにおける〝終わった〟はおそらく〝燃え尽きた〟であろうことは、誰でも想像がつきます。昨年、肉体も精神もクタクタになるような走りを続けたのです。いつ糸がプツッと切れてもおかしくなかったことは、誰にでも分かります。
「仕方ないか」
「今までよく頑張ったよ」
そうねぎらいつつ、ファンからは「もう負ける姿は見たくない」「引退させてほしい」という声が上がりました。そんな中、オグリはもう1走、引退レースとして有馬記念に臨むのです。
1990年 有馬記念
陣営はやれるだけのことをやります。その最たるものが、騎手の変更です。依頼したのは武豊ジョッキー。本紙は有馬記念ウイークの火曜日に紙面で、オグリの復活を探りつつ、武騎手のこんなコメントを紹介しています。
しかし、追い切りの動きはやはり「絶好」とはいきませんでした。併せた馬(一緒に練習した馬)にかろうじて先着したものの、誰がどう見ても「及第点」程度。
それでも1面で速報されるオグリもすごいですが、調教師も手ごたえを感じていない様子でした。
そう、やはりこの後に続くのは「燃え尽きてしまったのか…」でした。競馬サークル内でも「オグリは終わった」の声がほとんど。記者からの印がこうなるのも仕方ありませんでした。
正直、目をギラつかせて「絶対に勝ってくれ!」という人は少なかったと思います。「頑張ってほしい」「せめて最後は好走してほしい」…いや、まなざしはもっと優しかったかもしれません。
「温かい目で見守ろう」
「最後の雄姿を見届けよう」
そんなファンで競馬場は埋め尽くされました。その数は、いまだに破られていない有馬記念史上最多の17万7779人。人、人、人…馬場にいるジョッキーたちから見ても、スタンドにはまったく隙間がなかったといいます。
オグリが入場してくるだけで大歓声。
ファンファーレが鳴って大歓声。
狂喜乱舞の中、生涯最後のゲートインから好スタートを切ったオグリは6番手の外を進みました。自然とその位置取りになったそうですが、千両役者にもほどがあります。立錐の余地もない1周目のスタンド前を通過するとき、ファンに自らの姿をお披露目するかのような、サヨナラをするかのような、一番目立つポジションだったのです。身動きすら取れない人ごみの中で、「見に来たかいがあった」とジーンときたファンもいたはずで、地鳴りのような歓声が湧き起こりました。既に泣いている人もいました。競馬ファンは分かっています。この後、声を出す場面がないかもしれないので、今のうちに精一杯の応援と感謝を伝えたのです。
1コーナーから2コーナーへ向かって遠ざかっていくオグリの背中。「あとは無事に戻ってきてほしい…」。願いつつも、どこか寂しく、悔しさをかみしめる男たちがいました。バブルに躍る日本、一攫千金を目指して地方から上京し、エリートに負けるか!とがむしゃらに走り続け、くじけそうになった時、オグリの姿に励まされてきた彼らの中には、夢破れ、田舎に戻ろうかと考えていた人もいました。
「まだやれる気もするけど、なあ、オグリ、お前も俺もそろそろ潮時かな…」
はるか遠く、小さくなっていく馬群が向正面から3コーナーに向かっていきます。
「なあ、オグリ、でも、なんか悔しいよなあ…」
馬群がこちらに戻ってきます。オグリはどこだろう。あ、ずいぶん前にいるじゃないか。昔はそこからグーンと上がっていったんだ。俺もお前もグーンと…
「なあ、オグリ!」
灰色の馬が馬群の外を上がっていきました。全盛期を彷彿とさせる手ごたえでグーンと。その脚色は、終わった馬のものではありませんでした。いつ目覚めたのか。そこにいたのは、ただの灰色の馬ではなく、まぎれもなく芦毛の怪物でした。負けても負けても立ち上がってきた不屈の名馬に、男たちが声を上げました。
「負けるな!」
オグリへ、そして自分へ、もう一度。
「負けるな!」
男たちの咆哮と同時に、直線を向いた怪物が勢いよく先頭に立ちます。でもまだ、誰もがその光景を信じられずにいました。
「オグリ…」
「オグリだよな…」
あの重心の低い走り。忘れるわけがないのに、忘れていたあの走り。それはまぎれもなくオグリでした。でも、まだ信じられない。
「オグリ…」
「オグリ…」
「オグリ…」
残り100。坂を上がってもまだ先頭。競馬場に流れる公正であるはずの実況放送のアナウンサーが思わず「さあ頑張るぞ、オグリキャップ」と口にします。でも、まだ信じられない。ウソだろ。本当なのか。終わったんじゃないのか。
「オグリ…」
「オグリ…」
「オグリ…」
言葉になりませんでした。誰もが、声にならない声で叫ぶか、君の名を呼ぶしかなかった。それぐらい信じられませんでした。
「オグリ…」
「オグリ!」
「オグリ!」
「オグリ!!!」
「オグリ!!!!!!」
日本競馬史上、最も有名な馬名が、競馬場で、ウインズで、テレビの前で、星の数ほど連呼されました。そして、奇跡の名馬はどの馬よりも速くゴールを駆け抜けたのです。
鳴りやまないオグリコール。誰もがその名を叫ばずにはいられませんでした。男たちは、オグリを信じ切れなかった自分を恥じながらも拳を突き上げていました。周りでは、見知らぬ者同士が抱き合い、万歳し、女性たちがぬいぐるみを抱きしめて涙を流しています。ファンでさえ信じられない、ウソのような、夢を見ているようなフィナーレでした。
地方競馬の出身だったこと
クラシックに出られなかったこと
同じ時代に同じ芦毛のライバル・タマモクロスがいたこと
南井ジョッキーとともに過酷なローテーションに歯を食いしばったこと
武豊騎手が立ちはだかったこと
スランプに陥った後にその天才が再び乗ったこと…
すべてがシナリオ通りだったかのような、すべてを分かってオグリが演じていたんじゃないかと、そんなあり得ない想像さえしてしまう物語。オグリと、競馬の神様がくれた大きな大きなプレゼントを胸に、私たちは今も、競馬ファンを続けているのです。
改めて感謝とトウカイテイオー
最後までお読みいただき、ありがとうございました。正直、私もやや燃え尽きておりまして(苦笑)、オグリキャップをまとめることができたら引退しようかと思っていたんですが、胸熱くなる復活劇を書いているうちに力がみなぎってきました。相変わらず東スポnoteの編集長もスパルタなので、来年もできる範囲で頑張ってみたいと思います。ご愛読のほど、何卒よろしくお願いします。
ちなみに、今秋からスタートした「東スポ競馬」では、オグリの復活と双璧を成す〝有馬の奇跡〟トウカイテイオーの復活について、あの背中に乗っていた田原成貴元ジョッキーが語る動画を公開しています。めちゃくちゃ貴重です。ぜひ!