アニメ「ウマ娘」のヒロイン 〝不屈の帝王〟トウカイテイオーを東スポで振り返る
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アニメ「ウマ娘」のヒロイン 〝不屈の帝王〟トウカイテイオーを東スポで振り返る

おかげさまで5頭目です

 アニメ「ウマ娘 Season2」の中心人物がトウカイテイオーだと聞いた時、「ヒロインにピッタリすぎる」「ドラマチックな物語になるはず!」と期待で胸が膨らみました。現実のトウカイテイオーがいかにも〝主人公キャラ〟で、漫画のような奇跡を起こしたからです。ケガとの戦いでもあったテイオーの競走生活を東スポで振り返ります。(文化部資料室・山崎正義)

無敗の2冠→1度目の骨折

 トウカイテイオーのお父さんは、無敗の三冠馬にして、GⅠを7勝した「皇帝」シンボリルドルフ「皇帝」の子供で「帝王」ですから、この時点でもう〝主人公〟、カッコ良すぎます。「ウマ娘」では親子とはいきませんので、「テイオーが生徒会長であるルドルフに憧れている」という設定になっています。

 実際のテイオーは、デビューから楽勝につぐ楽勝。同級生たちとは明らかに能力が違いました。三冠レース初戦の皐月賞も難なく突破し、ダービーではダントツの1番人気。当時の本紙競馬欄をのぞいてみましょう。

ダービー・馬柱

 6人中3人しか◎を打っていませんが、ファンの間では二冠当確ムードで、単勝は1・6倍でした。レースでは20頭中20番という大外枠の不利も何のその。2着に3馬身差をつける完勝で、父同様、無敗のダービー制覇を成し遂げます。「帝王は皇帝以上かもしれない…」。競馬ファンの期待は膨らむばかり。しかし、翌日の紙面の右端を見てください。

ダービー・結果

 実は、ダービー勝利後、厩舎に引き上げてきたテイオーの歩様が乱れていたのです。栄光のゴールが15時35分ごろ。それから1時間半も経たない16時55分にはX線検査を受けていました。結果は「左寛跛行(かんはこう=後ろ足に異常があること)。強度の筋肉痛」。この診断だけ聞けば深刻な状態ではない気がします。しかし、一夜明けたテイオーの馬房を記者が訪れると、バンデージという包帯のようなものをグルグル巻きにしている痛々しい姿が…。狭い馬房内で、前日と同様、後ろ脚を引きずっていたことを、夕刊である本紙は速報しています。「もしかして重症かもしれない」。1回のX線検査では発見できない故障もあるので、日本中が心配しました。そんな中、翌日の紙面では…

ダービー・2日後

 バンデージを外し、痛がるそぶりを見せていないという明るいニュースです。厩務員さんの背中を突っついてニンジンをねだっていたとか。しかし、翌水曜日に行われたレントゲン撮影と再検査で、骨折が見つかってしまいます。会見では人間で言うくるぶしの厚さ2センチぐらいの骨がタテにスッパリ割れており、全治6か月だと発表されました。レース直後ではなく、2~3日後に骨折が判明することは珍しいことではないとはいえ、残念なニュースに競馬関係者もファンもさすがに肩を落としました。記事の見出しにあるように、競走生命が絶たれることはありませんでしたが、秋の菊花賞、つまり親子での無敗の三冠挑戦は絶望的となったのです。

世紀の対決~2度目の骨折

 ゆっくり休んだテイオーがターフに帰ってきたのは翌年の4月。GⅡの大阪杯に出走します。315日ぶりのレース、タフな相手、プラス20キロの馬体重…時計のかかる力の必要な馬場もケガからの復帰戦を考えれば心配材料のひとつでした。しかし、それらは杞憂に終わったどころか、ファンは度肝を抜かれます。3番手でレースを進めたテイオーは、直線を向き、他馬が必死で追っているのを尻目に、まったく追わずに、ムチを使うことなく楽勝するのです。ギアを入れることなく、競馬の世界特有の言葉を使えば「持ったまま」の圧勝でした。

大阪杯・結果

 競走馬は一度のケガで輝きを失うことが多々ありますので、ファンはまず「安堵」が先にくるのが普通です。でも、このときばかりはそんなことも忘れて誰もが呆気に取られました。記事では管理する松元調教師のこんなコメントが載っています。

「他人事みたいやけど本当に強い馬や。こっちの想像以上のレースをしてくれる」

 身近にいる人でさえファン目線になってしまう。そして、プロの想像を超えてくるのですから、ファンにとっての衝撃度も測り知れません。「やっぱり強かったんだ」ではない「こんなに強いんだ!」という嬉し過ぎるサプライズ。そして、そのすぐ後にずんずん湧き上がってくる期待感。そう、テイオーは順調なら次走に天皇賞・春を予定していました。そこには、当時の現役最強馬メジロマックイーンも出走を予定しているのです。テイオーの1歳上の菊花賞馬で、前年の天皇賞・春を完勝し、日本競馬界のトップホースになっていたマックイーンは5歳。競走馬として完成の域に達する年齢でもあり、既に大阪杯の3週前に行われたもうひとつの前哨戦をぶっちぎっていました。まさに〝世紀の対決〟が実現することになったのです。

 その天皇賞ウイークは月曜から「TM決戦」(マスコミはすぐにこういう言葉を作ってすみません笑)の話題で持ち切りでした。本紙も連日、2頭の動きをリポートし、水曜日には調教の様子を1面で報じています。

92年天皇賞・追い切り

 はい、2頭とも絶好調です。マックイーン陣営が「前走以上」と断言すれば、テイオーも大阪杯の調教より2秒以上速いタイムを出してきました。もはや、一騎打ちは確実――枠順確定後の馬柱はこんな具合です。

92年天皇賞春・馬柱

 ◎と〇が2頭にしかついていません。ここまで美しい〝2強馬柱〟は非常に珍しいです。どんなときでも〝第3の馬〟を探し、穴を狙いたい馬券ファンを喜ばせようとするサービス精神旺盛な本紙記者でさえお手上げだったことがうかがえます。そして、今回のこの印の付き方は、オッズにも完全に反映されました。最終単勝オッズはテイオーの1・5倍に対し、マックイーンが2・2倍。新聞でもどちらかと言うとテイオーに◎が多くついていますよね? 2強なんですが、多くの人が、テイオーにより魅力を感じていたのです。それは「どこまで強いのか底が知れない」という魅力でした。

 天皇賞・春というのはスタミナを競う3200メートルのマラソンレースなので、本来なら2400メートルまでしか経験のないテイオーには距離に関する不安があります。対してマックイーンは経験済みどころか、いくら距離が延びても問題のない無尽蔵のスタミナを有していることは既に証明済みです。おそらくデータで(機械やAIで)予想をすれば間違いなくマックイーンが本命になります。なのに、誰もがテイオーを選びたくなってしまう。「マックイーンが3着以下に落ちることは絶対にないが、テイオーには負けるかもしれない…」。そんな気持ちでファンファーレを聞いた人が多かったはずです。

 運命のゲートが開きました。2頭の位置取りはマックイーンが前でテイオーが後ろ。淡々とレースが進み、3~4コーナーでマックイーンが早くも先頭に立ち、歓声が起こります。すぐ後ろで満を持していたテイオーが追いかけ、並びかけようとするとさらに大きな歓声。「さあ、一騎打ちだ!」「どっちだ!」。誰もが身を乗り出しました。しかし、テイオーはマックイーンに追いつけず、さらに直線で伸びあぐねてしまいます。2着どころか、マックイーンに10馬身近く離された5着に敗れてしまうのです。

92年天皇賞春

 敗因はいったい何なのか。取材を進めても、明確な敗戦理由は出てきませんでした。体調は良かったし、最も可能性が高そうな「長距離が得意ではなかった」という距離説も、レース後に鞍上の岡部幸雄騎手が否定しました。

92年天皇賞春・結果

 いったい、何が起こったのか…モヤモヤした気持ちのファンに「テイオー骨折」の報がもたらされたのはおよそ10日後。6月の宝塚記念を目指し、調教を再開していたテイオーの歩様が乱れているのに気づいた陣営が大事をとって検査をしたところ、アニメで言うところの「折れてます」だったのです。

92年春の骨折

 唯一の救いは軽症だったこと、そして、「レース中(天皇賞・春)に発症したものと思います」という診断でした。あの敗戦は力負けではなかったのかも…テイオーのファンはちょっとだけ安堵しつつ、秋を待つことになりました。

ぐらつく神話、そして復活

 ケガが癒えたテイオーは9月にトレセン(トレーニングセンター)に戻ってきました。目標は10月末の天皇賞・秋。前哨戦を使うプランもありましたが、熱が出て調教を休むなど、順調さを欠いたため、ぶっつけ本番となりました。陣営のコメントは「ギリギリ間に合った」というニュアンス。競馬におけるこの表現は完調手前という場合がほとんどです。実際、調教の動きも絶好調とは言えないものだったそうで、新聞は…。

92年天皇賞秋

 やはり半信半疑といった感じです。それでもメジロマックイーンがいるわけではなく、正直、メンバーもそれほど強くありませんでしたから、単勝2・4倍の1番人気に支持されました。レースではスタート後にすかさず3番手につけ、4コーナーでは早くも2番手に上がったため、「きたか!」とファンが腰を浮かせましたが、春の天皇賞同様、テイオーはまたも直線で伸びあぐねてしまいます。結果は生涯最低の7着で、これが翌日の紙面です。

92年天皇賞秋・結果

 内容はかなりショッキングなものでした。このレースは超ハイペースになったため、先行した馬には不利(ハイペースでは後ろでじっとしている方が有利です)だったんですが、岡部騎手は「流れには乗れたとは思う」「でもここ、というところで手ごたえがなくなる」とコメント。松元調教師も「負けるにしても(次に予定している)ジャパンカップにメドがつかない競馬になるとは思わなかった」と肩を落としたことが書かれていたのです。競馬で言う「メドが立つ」というのはなかなか説明が難しいのですが、この場合のトウカイテイオーだったら、「調教が足りなかったことで最後の最後に息切れした2着~4着で、能力の高さは証明。1回走った次のジャパンカップではもっと調子が上がりそうな負け方」といったところでしょうか。でも、そうではなかったんですね。

 これにより、帝王神話は一気にぐらつきました。しかも、今度はケガではないのです。ケガをしてないのはいいのですが、だからこそ問題なのでした。体調が戻っていないのか、2度の骨折の後遺症なのか、成長力がないのか、精神的なものなのか…原因が分からず、全盛期の力を失ってターフを去る馬は少なくありません。そのような時に使われる「終わった」という声さえも聞かれるようになる中、テイオーはジャパンカップに出走します。

 そこには強敵が揃いに揃っていました。外国の馬が出走するジャパンカップは、年によって出走メンバーのレベルにばらつきがあるのですが、この年から国際GⅠに認定されたからか、〝史上最強〟と表現するにふさわしい実力馬が来日していたのです。外国のレース名を並べてもピンとこない人もいるかもしれませんが、ダービー馬が2頭いたり、有名なGⅠを勝っている馬がいたり、1番人気になったユーザーフレンドリーにいたっては英国牝馬2冠馬で前走の凱旋門賞でも2着に入っていました(その年の欧州年度代表馬)。テイオーファンからすると「よりによって…」という超ハイレベル。しかも、現在のジャパンカップにはそれほど強豪が集まらず、勝つのも日本馬ばかりですが、当時は違いました。前6年の勝ち馬はすべて外国馬。あのオグリキャップでさえ2着だったレースです。それを踏まえれば、テイオーに印が回らないのは当然かもしれません。

92年ジャパンカップ・馬柱

 正直、「厳しいだろうな…」というのがファンの見方でした。単勝オッズは過去最低の10倍(5番人気)。しかし、テイオーはやってくれます。大外14番から好スタートを切り、道中は4~5番手。4コーナーでユーザーフレンドリーが上がっていくと、すぐ後ろをついていき、直線を向くと前で手綱をしごく馬たちに並んでいきました。あのときのスーッと上がっていく手ごたえの良さといったら、今見てもゾクゾクします。テイオーを追い続けていた人はもちろん、長年競馬を見てきたら絶対に分かる〝くる馬の脚色(あしいろ)〟なんです。そして、その勢いのまま、テイオーは先に内から抜け出したオーストラリアのナチュラリズムに迫っていきます。「いけー!」。そう叫んだであろうテイオーファン、さらに日本馬に勝ってほしいと願うファンは、カメラが2頭をアップにしたとき、「なんだあれは!」と目を見開いたに違いありません。ナチュラリズムの騎手がグルングルン振り回しながらムチを叩いていたのです。後に水車ムチ(または風車ムチ)と呼ばれることになるこれがまたいかにも〝異国の強敵〟っぽくて、なんだかテイオーを吹き飛ばしそうな感じで、「あわわ…」となるんですが、テイオーは負けませんでした。残り50メートルでグイッと前に出たのです。

92年JC

 ゴール後、スピードをゆるめながら1~2コーナーから向こう正面にクールダウンしていくテイオー。東京競馬場に集まった16万8000人を超えるファンから自然と「テイオー」コールが沸き上がります。それを知ってから知らずか、立ち止まったテイオーはくるりと踵を返しました。涼し気な顔で、ジャパンカップの時期特有の、冬を間近に控えた力のない夕陽に包まれて、ゆっくりスタンド前に戻ってきます。ウイニングラン。今度は騎手の名前、「オカベ」コールです。競馬場が揺れました。劇的な復活、そして日本馬による7年ぶりの勝利と聞いて、誰もがはたと気づきます。その7年前、日本馬としてこのレースを制したのはテイオーの父・シンボリルドルフだったのです。

92年ジャパンカップ結果

 ちょっぴりひねくれた視点で原稿を書くこともある本紙ですが(苦笑)、この時ばかりはストレート。「次は父が成し遂げなかった海外GⅠ制覇だ!」という論調とともに、原稿はこう締められています。

「テイオー伝説『第2章』はいま始まったばかり」

 夢しか膨らみませんでした。

まさかの大敗、3度目の骨折、1年ぶりの有馬

 ジャパンカップの1か月後、ファン投票1位となったテイオーは有馬記念に出走します。前週の土曜日、岡部騎手が騎乗停止になりましたが、陣営はすぐに大物ジョッキー田原成貴(武豊の前の天才と言えばこの人)を確保。馬が絶好調だったこともあり、突然の鞍上交代も何のそのといった感じでした。これがレースの週の月曜の紙面。

92年有馬記念・月曜

 で、馬柱がコチラ。

92年有馬記念・馬柱

 他にスターホースもいなかったので、当然の1番人気、単勝は2・4倍でした。しかし、スタートで出遅れ、いつもの行きっぷりもなく後方を進んだテイオーはジャパンカップの時のような手ごたえを一度も見せることなく、11着に惨敗します。後に、「スタート後に腰を痛めた」「覇気がなかった」など、様々な敗因が聞こえてきました。体重が10キロ減っていたこともあり、体調が良くなかったのは間違いなさそうですが、ファンからすると「?」。ジャパンカップの歓喜から一転したテイオー劇場に戸惑うばかりでした。そして翌年春、3回目の骨折をしてしまうのです。

 テイオーが北海道の放牧先で乗り込みを再開したのは9月になってからでした。10月にトレーニングセンターに戻り、そこからは予定通りに調教を進めます。

93年10月復帰に向けて

         プール調教で復帰を目指すテイオー

 日程的に11月末のジャパンカップはきつそうなので余裕を持って復帰の舞台は有馬記念。だが、陣営のトーンはまったく上がってきませんでした。プールを併用しての調整で順調に体は仕上がってきていたものの、追い切り時計が詰まってこないのです。以前のようなタイムが出ず、それが年齢によるもの(年を取ると練習では速く走らなくなる馬は少なくありません)ならまだしも、繰り返しの骨折からくる能力の減退だったら…関係者もメディアも調子を測りかねたまま、レースの週の最終追い切りに臨みます。こちらがその日の紙面です。

93年有馬記念・追い切り

 坂路(坂になっている練習場)を3回走ったテイオー。3本目の本追い切りが最も速くなるのが普通なのに1本目より遅い…動き自体は悪くはなさそうですが、見出しに「?」がつくのも仕方のないもので、記事の最後はこう締めています。

 動きは可もなく不可もなし。松元師(調教師)の悩みはレース当日まで続きそうだ。

 こうなっては記者も重い印はつけられません。メンバーも明らかに昨年より強く、GⅠホースが8頭も出走。この年のジャパンカップを勝ったレガシーワールド(2番人気)に加え、若い力も台頭しており、特に皐月賞、ダービーを2着し、秋の菊花賞を圧勝したビワハヤヒデはまだ一度も3着以下になったことがない堅実無比の3歳馬で、鞍上もテイオーをジャパンカップに導いた名手・岡部。記者の印を見ても分かる通り、1番人気に支持されていました。

93年有馬記念・馬柱

 テイオーは単勝(勝つ馬を当てる馬券)では4番人気になっていたとはいえ、「まともに走ったら勝っちゃうかもしれないけど、まあ無理だろうな」というのがファンの本音でした。それを証明するのが馬券の売れ方です。こういう堅実な1番人気がいる時、1、2着の組み合わせを当てる「馬連」という馬券では、その「1番人気と〇〇」という組み合わせが人気を博します。当然、この有馬記念では「ビワハヤヒデと〇〇」という馬連が売れるのですが、その中でテイオーとの組み合わせは上から4番目ではなく7番目だったのです。〝勝つ可能性なら4番目〟ですが、〝2着以内にきそうな馬としては7番目〟。安心して馬券を買える存在ではないことがよく分かります。正直、信用はされていませんでした。そもそも、1年ぶりに出走したGⅠで好走するのも稀でしたし、ましてや勝った馬はただの1頭もいないのです。そしてもうひとつ、既にテイオーは昨年のジャパンカップで劇的な復活を遂げています。「奇跡が2度も起こるはずがない…」。一部の熱狂的なファンを除き、そんな気持ちの人が多かったはずです。

 年末とは思えない日差しの量だったと記憶しています。いつもの有馬記念より心なしか競馬場全体の明るさが強い中でゲートが開きました。前の年に逃げ切りを決めたメジロパーマーが大外から飛び出していくその内で、テイオーが好スタートを切ります。先頭をうかがおうかという姿は、昨年の出遅れ、行きっぷりがウソのよう。とはいえ、すぐに控えたので、ファンの目はテイオーの外から上がっていき、3~4番手の絶好位につけたビワハヤヒデに向いていました。

 レースは淡々と進み、向こう正面に入って各馬のポジションが落ち着きます。内の8番手でじっとしているテイオー。一方、ビワハヤヒデは4番手をがっちりキープし、いつでもスパートをかけられるよう、外を回っていました。さすが岡部騎手、ソツがありません。4コーナーを前にして早くも2番手。それを見て、他の人気馬も動き始めましたが、手ごたえは圧倒的にビワハヤヒデ優勢で、直線を向いた途端、あっさりと先頭に躍り出ます。誰の目にも、このまま他馬を引き離していきそうな勢いは明白でした。しかし、ビワハヤヒデが進んでいったその道を追いかけるように、1頭だけ、猛然と食らいついてくる馬がいました

「え?」「あれって…」

 テイオーのファン、テイオーの馬券をしこたま買っていた人は目で追っていたから分かるでしょうが、大多数の競馬ファンは目を疑いました。そしてその馬が、力強く脚を前に踏み出すたびに、気づいていくのです。みんなが潜在的に気にしていたピンクと白の勝負服。好スタートから内で控え、息を潜めていたあの馬。横綱相撲のビワハヤヒデに襲い掛かれるだけの実力を持った唯一の馬…。

「テイオーだ!」

 信じられない光景に驚いたファンが次々に叫びました。「予想通りきたぞ」という「テイオー!」ではないのです。「本当なのか?」という意味が込められた最後の「だ!」がこだまする中、テイオーが残り100メートルでビワハヤヒデに並びかけます。

「いけーーー!!!!」

 テイオーを応援している人々による当然の絶叫とともに、不思議な現象が起きました。テイオーを応援していなかった人、馬券を買っていなかった人でさえ、なぜか心の中で「差せ!」と叫んでいたのです。どうしてか分かりません。2頭の後ろからやってくるかもしれない自分が買った馬をチラチラ探しつつも、なぜかテイオーを応援しているのです。昨年のジャパンカップで日本中に感動を与えてくれた馬が3度目の骨折から戻ってきて、1年ぶりのレースで大本命馬を倒そうとしている…常識で考えられない景色に、みんなの目、いや、心がくぎづけになったのでした。奇跡は2度起きたのです。

93年有馬

 中363日。これだけ長い休養明けでGⅠを勝った馬はいまだにいません。田原騎手はレース後のテレビインタビューでこう語りました。

「今日はもう、何がどうのレース展開がどうのとかよりもね、トウカイテイオー彼自身が、本当、いろんなアクシデントがありましたからね。それを克服してね、今までの中央競馬の常識を覆す…本当に彼自身の勝利です」
「直線の最後の100メートルはね、テイオー頑張ってくれ頑張ってくれと声を出して励ましながら追ったんですけど、かわしたときはね、なんかうれしいというより申し訳ないような、1年もキツかったと思うんですけどね、本当に頭が下がりました。ありがとうと、ゴールしたときは言ってしまいました」

 競馬界の玉三郎と呼ばれ、時には派手なパフォーマンスをすることで知られる田原騎手は、目に涙を浮かべながらこうも付け加えました。

「(ゴール後に)手を上げなかったとか大きなパフォーマンスは?って(調教師に)言われたんですけど、1年もいろいろあって、ここまで立て直した関係者のことを考えたらね、手なんか上げてもしアクシデントで脚でもぶつけたらと思ってね、できませんでした」

 奇跡の復活の裏にはテイオー自身と陣営の並々ならぬ苦労と努力があったことを、数分前の出来事で視聴者に伝えた田原騎手には頭が下がります。そしてもうひとつ、翌日の紙面で本紙も見出しにしていますが、ビワハヤヒデも敗れてなお強し。古馬になった翌年、競馬界を引っ張っていくことになります。

93年有馬記念・結果

 テイオーも翌年、現役を続けますが、4回目の骨折により、1度もレースを走ることなく引退を決めました。10月23日には東京競馬場で引退式。気持ち良さそうにターフを駆けるテイオーの姿に、10万人を超えるファンは、拍手を送りながら、不世出の主人公による名演を思い出していたことでしょう。ジャパンカップのゴール前、有馬記念のゴール前、あのとき、僕らの心は一つになった…。その奇跡をかみしめながら、こんな言葉をかけた人も多かったかもしれません。「お疲れさま」「もう、ケガするまで走らないでいいからね」――。

引退式

おまけ1(奇跡を予言した1面)

 手前みそながら、テイオーが1年ぶりの有馬記念を制した前日午後に発売された本紙(夕刊なので翌日のレース情報を詳しく載せています)の1面がこれです。

93年有馬・前日

 馬の追い切りを見る目に定評のある渡辺薫記者が、その日の朝、つまりレース前日朝のテイオーの様子をチェック。長期休養明けとも思えない仕上がりを見せていること、何より劇的Vを決めたジャパンカップ同様の落ち着きぶりが好印象だという記事を書き、「買える」と断言しています。レース後、競馬ファンの間で大いに話題になりましたし、ご愛読いただいていた皆さんの中にはこの1面を覚えている人もいるかもしれません。ちなみに渡辺記者はまだまだ現役で、このときのような切れ味鋭い予想を読者に提供し続けています。

  ちなみにもうひとつご案内で恐縮ですが、テイオーを奇跡の復活に導いた田原成貴元騎手が今、本紙でGⅠ予想を披露しています(東スポ、中京スポ、大スポは土曜発行、九スポは日曜発行)。天才ならではの切り口、独特の世界観が好評ですので興味を持った方はそちらもぜひチェックしてみてください。

おまけ2(単枠指定とは)

 ダービーの馬柱を改めてご覧ください。テイオーの印の横に「単枠指定」という文字があるのがお分かりかと思います(長年のファンの皆さんにとっては懐かしいですよね)。

ダービー・単枠指定

 これは、9頭立て以上のレースで、特に人気が集中しそうな馬を1つの枠に収める制度(単枠指定)です。今でもそうですが、9頭立て以上のレースでは、馬番とは別に枠番というものがあります。内から順に1枠~8枠。頭数によって、1つの枠に2~3頭が入るんですが、馬券にも枠連という券種があるんです。例えば、6-8という枠連の馬券を買うと、6枠に入った馬と、8枠に入った馬のどんな組み合わせでも的中となります。自分が買おうと思った馬じゃなくても、その隣の同枠馬がくれば当たりになるんですが、問題は、自分が買いたい馬が直前で出走を取り消したとしても、その枠連は払い戻しされない点(2頭しか入っていない枠連のゾロ目は除く)。同じ枠に入った別の馬が頑張るのを祈るしかないわけです。そんなシステムにおいて、例えばトウカイテイオーみたいな断然人気の馬が出走を取り消したとらどうなるか。みんな「おいおい」「同じ枠の他の馬に期待しろって言っても…」となりますよね。だから1枠に1頭だけにしておき、取り消したらその枠連は払い戻しになるようにするわけです。この時のダービーは20頭立てだったんですが、新聞を見るとトウカイテイオーの上には白抜きの四角で「8」とあります。はい、8枠です。右の7枠にも6枠にも3頭入っているのに、8枠だけ1頭になっているんですね。

 なお、単枠指定制度はテイオーがダービーを勝った年の秋に廃止されています。つまり、ダービーにおける最後の単枠指定馬はトウカイテイオーなのです。こういうところもスター性がありますよね。

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