新庄に税金の助言をしたら…「税金って何ですか?」【野田浩司連載#10】
衝突した大石投手コーチが実は陰でアピールしてくれた
阪神時代の恩人といえば、大石清投手コーチですね。僕が3年目(1990年)に一軍に上がってこられて、いろんなことを教わりました。グラウンドの内外で付きっきりで手取り足取り…。ほとんど技術指導ですね。今までこんなに熱心に教えてくれた人はいなかったくらいでした。おかげでプロとして成長できた時期。でも…。感謝はしても、あまりに言われ続けたらこっちも疲れてくることもあります。同じことばかりだと、聞く耳を持たなくなって…。
大石投手コーチ(右)の熱血指導を受けたが、ある日を境に溝ができて…
91年の終わりごろでしたか。僕がもう嫌、という態度を取ってしまった。ヤクルト戦で150球くらい投げて完投勝ちしたんですが、大石さんは内容が気に入らなかったようで、翌日にピッチングをやらされたんです。肩、ヒジはパンパン。だからチンタラ投げてしまった。そしたら大石さんに「何や、それは」って言われてね。僕はやけくそで思いっきり投げ始めた。ロージンを叩きつけて思い切り…。そしたら「そこまで投げろとは言ってないやろ!」って怒られたんです。
その年は212イニングも投げ、自信をつけていたし、自負もある。そんな中で「もうそこまで言わなくてもいいやろ」という思いがあった。それでキレたんですね。大石さんからすれば、僕なんかまだ小僧ですからね。その日を境に急に関係がおかしくなった。
翌92年もそうです。はじめ僕は右ヒジ痛でずっと二軍にいたんですけど、投げられる状態になっても一軍に上がりたくなかった。ずっと断っていたら、6月ごろ、しびれを切らした中村勝広監督に「もう来んか」と言われて上がったんです。一軍の投手みんなが疲れてきている時期でした。リリーフで試運転して7月に4完投、3完封で月間MVPを取りました。満を持して上がって大復活ですわ。チームも好調だったし、そこからローテに入って最後までいきましたね。
でも大石さんは、僕が投げている試合で交代以外では一回もマウンドに来られなかったんです。それまではすごい教えてくれたのに、普段から「次、いつな」くらいの会話しかなくて…。大石さんも気にされていたんでしょう。僕も若かったし、申し訳なかったですね。
後で僕の月間MVPをすごくアピールしてくれていたと聞きました。思ってくれていたんですね。その時は分からなくても、後にオリックスに行ってから大石さんの言っていたことが「こういうことだったのか」って分かることもあった。2000年に引退する時にも「大石さんのおかげでオリックスで花開きました」ってお礼を言いました。
テレビ出演した新庄剛志(左)と亀山努(93年3月)
92年はヤクルトとの優勝争いで大フィーバー。そんな中から新庄剛志、亀山努というスターが出てきました。2人とも面白いやつでね。
新庄剛志、亀山努というスターが出てきてフィーバーした1992年
阪神では同郷の遠山奨志とよく一緒にいましたよ。そこまで打ち解けるには、だいぶ時間がかかりましたけどね…。同級生であいつが高卒で先に阪神に入団。“ライバル関係”というのもマスコミが作っているだけだし、どうってことないんですけど、遠山もああいう性格ですからね。僕が入団したばかりで右も左もわからなくて「これどうしたらいいん?」って聞いたら「そんなん自分で考えや」とか…。初めはそんな感じでした。
年は同じでも先輩やし、実績も出していたし、向こうの方が意識していたようで…。同じ寮で部屋も近かったのに、ほとんど口を利かなかった。僕もあまり感情を表に出すようなことはなかったですし…。それが何かのきっかけで途中からよくつるむようになりました。一緒に部屋で野球ゲームしたりね。
彗星のごとく現れた新庄剛志(92年)
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