「受験とかせからしか!」ビートルズが来日した66年、ロックに頭が染まってしまった【ダイアモンド✡ユカイ×鮎川誠 対談・前編】
はじめに
「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド✡ユカイが、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。今回からは「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠が登場。日本のロック草創期から活躍する鮎川が語るロック・ヒストリーとは?(企画構成=アラフィフ記者F)
中3の受験勉強をしているとき、福岡板付空港のFENから聞こえたビートルズ
鮎川 レッド・ウォーリアーズはどう?
ユカイ ここ3年ぐらい3人で再結成してライブやってます。ところでこの連載では、日本のロックが確立されていく過程を、当事者に語ってもらいながら記録しています。鮎川さんの“ロック史”を聞かせてください。
鮎川 みんな自分のロックがあるけんね。僕も自分のロックがあるし、ビートルズとか夢中になった。
ユカイ 最初はビートルズですか?
鮎川 小学校の時から音楽が好きやったけど、最初に心が動かされたのは、ラジオでレイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」を聴いた時やね。あとリトル・リチャードの「ジェニ・ジェニ」やら。だけどたまたまやったのか、二度とラジオでは聴かんやった。あのころ一番すごかったのはエルビス・プレスリーやね。1950年代の終わりから60年代の初めは、ロックに夢中になりよったよ。
ユカイ 鮎川さん、まだ中学入るかどうかぐらいの時ですね。当時の日本は?
鮎川 ロカビリー三人男が人気やった。写真を見たことはあったけど、それ以上のことは情報がないからわからんやった。
ユカイ 洋楽情報はどうやって入手しましたか?
鮎川 ラジオも聴いてたけど、当時はコニー・フランシスやら、はやるとすぐ日本語の歌が出たんよ。伊東ゆかりさんの「ヴァケイション」(62年)や中尾ミエさんの「可愛いベイビー」(同)やな。それで洋楽の雰囲気は感じとった。
ユカイ 日本語カバーはどう思ってましたか?
鮎川 好きやったよ。おれ音楽好きやったから。三橋美智也も好きやったし、石原裕次郎は母ちゃんにSP盤を買ってもらったんよ。親父がアメリカの軍人で、手巻きのポータブル蓄音機が家にあってね。
ユカイ ラジオで洋楽はかかってました?
鮎川 好きな曲はかからんやったけど、中学3年生の時やね。受験勉強しながらFEN(在日米軍向け放送)を聴いてたんよ。当時は板付空港、今の福岡空港が米軍と共用やったから、久留米におっても「FENイタヅケ」って聞こえてきて、週末の午後3時ぐらいからヒットチャートものがかかっとった。それで64年2月にビートルズが「エド・サリバンショー」に初出演したっちゅうんで、次から次へとビートルズがかかっとって、それで勉強もはかどって。
ユカイ はかどったんですか!?
鮎川 ただ、これあちこちで言うた話やけど、友達と「『ビートゥ』っちゅうのがたくさんかかっとったけど、あれ何て言いおるん?」って、最初はビートルズってわからんやった。中学の終わりぐらいに、友達の弁当包んでた新聞に「米国で人気のビートルズ」ちゅう記事があって、あ、これかって(笑い)。
ユカイ 江戸時代は「カステラ」を聞こえた音で「カスティーラ」と呼んだように、「ビートルズ」をFENから聞こえてくる「ビートゥ」って最初は呼んでいたんですね。そっちの方が正しい発音だったりしてね(笑い)。当時のリアルな音楽事情ですね。
ストーンズを聴いて俺はこっちや
ユカイ 板付空港(現在の福岡空港)から流れるFENで、鮎川さんがビートルズを聴いたのが1964年2月ごろ。日本版1stアルバム「ビートルズ!」の発売が同年4月だから、それよりも前ですよ! はやる前にキャッチしてたんですね。
鮎川 FENのぶん、早かったんやね。高校入ったら音楽好きが多くて、「ビートルズ? 知っとるくさ」があいさつ代わりやったよ。
ユカイ 世界的なバンドになる過程をリアルタイムで経験した、ビートルズ第一世代ですね。
鮎川 1stアルバムが日本で売られたところから体験したからね。1stをすぐ友達が買って、聴いたら「抱きしめたい」から始まって、A面の最後が「ドント・バザー・ミー」。えらいかっこいい。後々検証したら、英国の1stとは収録曲が違う。日本独自の選曲やったんやね。
ユカイ 日本の1stは、米キャピトルから発売した「ミート・ザ・ビートルズ」のジャケットと曲を使いながら、ディレクターの高嶋弘之さん、高嶋ちさ子さんのお父さんが好きに曲を選んで作ったんですよね。プレミアムついてますよ。
鮎川 そのおかげで、俺たちは最初から最高のベストセレクションを聴けたんよ。ある意味、英国や米国の子供たちより、ビートルズのいいところが濃縮されたものを初めに聴いたんやね。
ユカイ 各国編集版は86年に廃盤になっちゃいましたね。ローリング・ストーンズも初期は日本や米国編集版がありました。鮎川さんはストーンズ展のアンバサダーを務めてましたが、聴き始めたのは?
鮎川 高校に入って、ビートルズの1stを聴いた何か月か後やね。FENでストーンズがかかるようになって、「ノット・フェイド・アウェイ」やら聴くうちに、俺はこっちや! ストーンズ最高ちなってね。レイ・チャールズやら聴いてた俺が好きな音をストーンズが全部やってくれた。若くて向こう見ずな感じもすごく好きやった。
ユカイ 最初に買ったアルバムは?
鮎川 FENで聴いてから半年はたっとったかな。友達が当時はやった「テル・ミー」のシングル持っとって、B面の「かわいいキャロル」を聴いたら、これや! このギターや! ストーンズ全部聴きたいちなって、すぐ友達と3人でレコード屋に買いに行ったんよ。「いくら持っとう?」ちお金出し合ったら1500円。アルバム1枚分やね。その時は2枚目まで出とった。
ユカイ「ザ・ローリング・ストーンズ第2集」ですね。日本版発売は65年2月です。
鮎川 1枚しか買えんから、店員さんにお願いして全曲聴かせてもらったんよ。2枚目は胸騒ぎするほどかっこ良かったけど、買うたのは1枚目やった。
ユカイ ストーンズが世界的にブレークしたのは、米国で65年6月に発売されたシングル「サティスファクション」のヒットからです。鮎川さんはこっちもその前からキャッチしていた。当時の日本の音楽好きにFENが与えた影響は大きいですね。鮎川さん世代のロックミュージシャンとFENの関係を調べたら、面白い結果が出そうだね。
テレビにかじりついて見たビートルズ武道館公演
ユカイ ギターを手にしたのはいつからですか?
鮎川 実は最初にギター買ってもらったんは小学校5年の時やったけど、その時は2日坊主で置きっぱなし。本格的に始めたのは高校で新聞部に入ってからやね。
ユカイ 新聞部!?
鮎川 新聞部は禁止やったレコードプレーヤーを持ち込んどってね。「プレーヤーあるけん入らんね」ち誘われて入ったら、同級生がギター持ってきて、天井の電球を外してソケットつけて、そこから電源取ってアンプ置いて、「テケテケテケテケ」って弾きだした。「わー、どうやって弾くん?」ち囲んで、順番に触らせてもらって、そこからギターをまた始めた。
ユカイ 鮎川さんが高校に入った1964年当時、ギター少年に人気だったのはベンチャーズですか?
鮎川 だいたいベンチャーズをやりおった。俺はベンチャーズも好きやったけど、ストーンズやらキンクスやら、かっこいいのいっぱいおったから夢中になったよ。
ユカイ ところでさっき、高校はレコードプレーヤーの持ち込みが禁止だったという話が…。
鮎川 60年代はまだ厳しかったんよ。今の若い子は「けしからん!」ち言葉聞いたことないやろうけど、あのころは日常語。髪を伸ばしとったら、自転車に乗った赤の他人が目の前で止まって「けしからん! そこの子供! 髪ば切らんか!」ち言ってどっか行ったり(笑い)。昔の九州はそういう温かくて面倒くさいとこがあったんよね。
ユカイ ビートルズの来日に反対運動が起きた時代ですもんね。バンドはすぐ組んだわけではなかったんですね。
鮎川 しばらくは雑誌「平凡パンチ」の付録でコードを覚えて練習しおった。バンドのきっかけはそのビートルズの武道館公演よ。高3の時やね。テレビにかじりついて放送を見とった。
ユカイ 武道館公演が行われたのは1966年6月30日~7月2日の3日間。テレビでは7月1日の昼の部を収録して夜に放送したそうです。
鮎川 見よったら、ジョンもポールもジョージもチューニングやってなかなかこっち向かんのよ。そしたら3人同時にバッとこっち向いて、ジョンが「ジャジャジャジャ」とギター弾いて1曲目「ロックンロールミュージック」が始まったんやね。なに今の!? 合図もなく振り向いたと思ったら曲が始まるって!
ユカイ 出だしから衝撃を受けたんですね。
鮎川 最高の始まりを見てしもうて、その光景が頭に焼き付いてた時、本屋で立ち読みしよったら小学校の時の友達に「俺、ドラムやっとるから練習見にこんか」と誘われたんやね。あぜ道を農家の納屋まで行ったら、知らんヤツが2~3人おった。自己紹介も何もせんのに「ギター弾ける?」「覚えたてやけど」「じゃ、『デイ・トリッパー』やろう」ちなって。
ユカイ 後に鮎川さんがYMOのアルバムで弾く曲じゃないですか!
鮎川 1か月後のエレキ大会に出場するから練習しおるって、ビートルズが武道館でやった曲を中心に練習してね。立ち読みからいきなりゴキゲンなロックの世界に飛び込んで、高3の夏休みはロックに頭が染まってしもうた。受験とかせからしか!って(笑い)。
ユカイ ビートルズ来日をきっかけにGSブームが起きたけど、あの武道館公演は高校生にバンドを組ませ、鮎川さんの運命を動かしたんだ。日本のロック史で重要な3日間ですね。
※この連載は2019年8月9日から12月13日まで全10回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真やアーティスト公式のYouTube動画を加えて3回にわけてお届けする予定です。