564日ぶりの復帰戦…あの日の歓声は忘れない【小橋建太連載#10】
主治医の先生はプロレス復帰に反対し続けていたが…
2006年6月24日、俺は腎臓がんであることを宣告された。もうプロレスができないのか。その瞬間、率直にそう思った。髙山善廣選手の脳梗塞からの復帰戦(7月17日)には絶対出たいと思っていた。しかし「がん細胞が破裂して全身に飛び散る可能性がある」と告げられては、諦めるしかなかった。
それよりも生きられるかどうかだ。嫁(真由子夫人)に報告した瞬間、声を出して泣いたことは昨日も話した。がん=死というのが俺の世代のイメージだ。それを克服しようとすることが、結果的には俺たち2人の絆を深めることになった。
三沢さんの口から「腎腫瘍の疑い」と発表されたのが6月29日。病理検査の結果はやはりがんだった。7月3日に横浜市立大付属病院に入院。主治医はその後もお世話になる中井川昇先生だ。手術の前夜、先生はこう言った。
「プロレスラー小橋建太を復帰させるために手術するんじゃない。小橋さんが生きるために手術をするんです」
その瞬間、俺はリングに復帰することを一度消し去り、がんと闘うことを決意した。とにかくまず先に、生きなければならない――。
腹腔鏡手術による右腎臓摘出手術。腎臓の半分を摘出して復帰したスポーツ選手はいない。退院した後も言葉にしがたい倦怠感が全身を襲う。食事も大幅な制限がかかり、筋肉を作るのに必要なタンパク質も取れない。1日24時間プロレスのことを考えていた俺の体内からは、道場に行く気さえうせている。風呂場の鏡を見れば、まるで別人のような肉体をした俺がいる。物事をマイナス方向にばかり考えるようになっていた。
それでも自分の腰を持ち上げるようにして、道場に行った。8月。閉め切った有明の道場は、40度以上あったと思う。リング上で久々に大の字になった俺は深く息を吸い込んだ。そして「やっぱり俺の帰ってくる場所はここしかない」と痛感したんだ。
闘いが再び始まった。12月10日の武道館大会で約半年ぶりにファンのみんなの前に立った俺は「必ずこのリングに戻ってきます!」と約束した。久々の「コバシコール」を受けたおかげか、肝機能の数値も良好になっていた。それまで復帰に反対し続けていた中井川先生が、初めて前向きな言葉をくれたのもこの時期だ。
両ヒザのクリーニング手術も施し、本格的に復帰へ動き始めた。肝機能数値とニラみ合いながら、加圧式トレーニングや食事療法で少しずつ自分の体を取り戻していった。一番の問題はついつい練習しすぎる俺の熱血性だったが…。
そして復帰戦が決まった。07年12月2日、日本武道館。俺と髙山選手が組んで三沢さん、(秋山)準と戦うことになった。この1試合だけでいいという思いは、やがて「プロレスを続けたい」という気持ちに変わっていった。そして546日ぶりの復帰戦。あの日の大歓声は今でも忘れない。
がんから生還したのではない。戦うために帰ってきた。そう強く思った。でもあの日の試合後、俺は「プロレスラーとして生き続けます」という言葉で会見を締めくくった。がんとの闘いはまだ終わったわけではない。でもその言葉を引退試合まで貫くことができたことは誇りに思っている。
引退試合までやめられなかったマシンガンチョップ
腎臓がんから復帰を果たしたものの、ケガには悩まされ続けた。2008年9月(右腕遅発性尺骨神経麻痺など)、09年12月(右肘部管症候群など)と手術して、そのたびに長期欠場した。もう右腕の感覚はなくなっていた。「マシンガンチョップはやめなさい」と先生からストップがかかったけど、それは年に一度しか行けない地方のファンが一番喜んでくれる技だ。「やめるわけにはいきません」と答え、結局引退試合までそれを貫いた。
もう何回手術したのか覚えていない。最後は去年の7月。首に骨盤の骨を移植。セラミックで骨盤を補強したんだが、その部分から骨盤が割れてしまった。もう小橋建太のプロレスができない。そう思って引退を決意した。引退興行(5・11日本武道館)についてはもう言うことはないよ。本当にみんなが垣根を越えて集まってくれた。ファンの皆さんから勇気をもらった。俺もやれるだけのことはすべてやった。もう思い残すことはない。
新しい人生が始まる。9月28日には帝国ホテルで引退記念パーティーも決まった。ここでもう一度、改めてお世話になった皆さんにお礼を言いたい。もちろんプロレス界にはできる限り協力していきたい。新日本、全日本、ノアの大きな試合はできる限り観戦に訪れたいし、佐々木選手の団体(ダイヤモンドリング)、大日本プロレス、DDT、みちのくプロレスなんかもじっくり見て回りたい。
そうやって交流の幅を広げて「小橋建太プロデュース興行」なんてものをやれたらいいなと考えている。メジャー団体に対して「インディにもこんなにいい選手がいますよ」ということを提示できるような大会。そんな大会をプロデュースできればと考えている。
今、後輩たちに贈る言葉があるとすれば…。ノアはKENTAがチャンピオンとして頑張っている。自分のスタイルを貫くと同時に「温故知新」という言葉を一番分かっている。前に進むためには、古いものを学ぶ必要がある。KENTAはそれが分かっているから、意志にはひとつ筋が通っている。
丸藤は副社長として大変だろうけど、あの「ひらめき」が失われない限り大丈夫だろう。誰と戦っても面白い試合をするし、独特の「プロレス頭」はいつまでも失わないでほしいね。
そしてバーニング。3月には両国の試合を観戦したけど、準(秋山)の試合が一番会場を沸かせていた。その後、分裂騒動とか大変そうだったけど、残ると決めた以上は全日本の看板を守るような存在になるだろう。限界なんて考えずにトップを目指して突っ走ってほしい。
俺は新たな青春を模索している。全身全霊をかけたプロレスに代わって、打ち込める何か。それを見つけるにはもう少し時間がかかるかもしれない。ファンのみなさんにはこれからも見守ってほしいし、小橋建太というプロレスラーが存在したことを心の隅に残してくれれば、こんなうれしいことはない。本当にありがとうございました。そして俺の「これから」を楽しみにしていてください。
※この連載は2013年6月から7月まで全20回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全11回でお届けする予定です。また、最終回には追加取材を行った最新書きおろし記事を公開する予定ですので、どうぞお楽しみに!