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「ウマ娘」でのブレークで今や師匠!ツインターボの大逃げを東スポで振り返る

「ウマ娘」のゲームやアニメで物語を引っかき回す青い髪の暴走少女が〝師匠〟と呼ばれるほど大人気となっています。1990年代前半の日本競馬を面白くした人気者ツインターボです。小さい体で他馬を大きく引き離していく逃げっぷりは、まさに肉を切らせて骨を断つ。勝ちっぷりも、散りっぷりもすがすがしい、一か八かの生涯を「東スポ」で振り返りましょう。どうして逃げ馬になったのか、その大逃げがどれだけ独特だったか、そしてファンがどれだけ熱狂したか…。ゲーム内でなぜあんなデメリットスキルを持っているのかも納得できるはず!ですが、書いている私もターボ師匠のように後先考えず逃げてしまった結果、また長くなっちゃいました。懐かしいレースの数々が今見ても面白すぎて筆が止まらないんです。玉砕してたらごめんなさい。(文化部資料室・山崎正義)

師匠の大逃げとは

「とりゃーーーーーーーーーー!」

「うおーーーーーーーーーー!」

 と、エンジン全開でぶっ飛ばして、ハアハア、ゼエゼエ言いながらも1着でゴールする。それがツインターボです。とりゃーーーーーーーーーー!うおーーーーーーーーーー!の部分で他馬を大きく引き離す様子を、競馬では「大逃(おおに)げ」と言い、ターボの代名詞でもありました。例えば、レースに10頭の馬が出走していたとしましょう。普通の逃げ馬を「普」、ターボを「タ」、その他の馬を「他」だとして、レース中の10頭の間隔を文字で表してみると…。

←普  他他他 他他他 他他 他

←タ      他他他 他他他 他他 他

 はい、2番手グループとの差がこのぐらい違います。他馬をグングン引き離していくその様子がめちゃくちゃハデで、見ているファンはワクワク、ドキドキ。「そんなに飛ばして大丈夫?」と心配しつつ「いけーー!」と叫べるのです。で、ゴールのときに

←タ   他他他他他他他他他

 このぐらい完勝しちゃうことがあったから、たまりません。ただ、大逃げは毎回決まるわけではなく、体調や相手の動きによって失敗することもあります。ぶっちゃけ、失敗の方が多く、大レースではゴールの時点でこんな状況になっていることも…。

←他他他他他他他他他    タ

 まさに勝つか負けるか。「玉砕型」と言われるゆえんなんですが、ターボほど後続を離す大逃げをする馬は非常に少なく、勝ったときの鮮やかさ、爽快さがハンパじゃありません。馬券購入も含め、一度応援する気持ち良さを味わってしまったことで、悪いクスリのように病みつきになってしまう人が続出しました。「もう一度あの快感を…」と誰もが期待してターボに声援を送るようになったんですね。そして、恐ろしいことにその快感は、あまりにもすがすがしく、潔い敗戦時にも味わえます。どっちに転んでも…ですから癖になるのも当然。しかも、「ウマ娘」のキャラ同様、ターボは小さくて細い馬なんですが、逃亡する姿に悲壮感はなく、時にコミカル。とにかく出走して逃げてくれるだけでそのレースは俄然面白くなりました。そう考えると、まさに愛すべき存在で、これは「ウマ娘」におけるターボの立ち位置と同じ。「師匠」と呼ばれているのも納得です。現役当時のファンの呼び方は「ターボ」でしたが、当記事も、師匠という呼称を織り交ぜて進めていくことをお許しください(なんかしっくりくるんですよね)。

師匠が逃げ馬になったワケ

 どうしてターボ師匠は逃げるようになったのでしょう。デビュー前の練習の段階で、陣営は「逃げたほうが良さそう」だと判断していたといいます。臆病な上に、気に入らないと走るのをやめてしまう…はい、めちゃくちゃ扱いづらいです(苦笑)。でも、競馬界には似たような気性の馬はたくさんいます。そして、競走馬を扱うプロたちは、経験上、このような馬は逃げたほうがいいと知っていたのです。気が小さいから他馬の近くで一緒に走るのが苦手、気分を害したらダメ…だったら馬の行く気に任せて先頭で走らせてやれば力を発揮できるのでは?というわけです。では、ちょっぴり貴重なターボのデビュー戦の馬柱を載せてみましょう。

新馬戦・馬柱

 外から2頭目のターボに◎を打った本紙・渡辺薫記者は馬柱左の原稿で、推奨理由に「強力ダッシュ、プラス好仕上げ」を挙げています。デビュー戦にしてはしっかり馬体が仕上がっていたこと(練習不足で太ったままで出てくる馬も結構います)に加え、練習では上々のダッシュ力を見せていたんですね。ただ、先ほどお話ししたように、気性に問題があるので、陣営は騎手に「逃げろ」と指示します。で、ターボは見事に逃げ切るんですが、よく見るとこのレース、ダート(砂)の1800メートルです。ダッシュ力があるのですから短距離や芝のレースを使えばいいのに…と思いますよね? どうしてなのか…。実はターボ師匠、スタートが下手でした。いざ走りだせば「とりゃーーーーーーーーーー」となかなかのスピードを見せるものの、そこに至るまでが他馬より遅い。ゲートから飛び出るのが上手ではなく、最初の数歩が速くなかったんです。短距離、特に芝の短距離だとその数歩を挽回できず、他馬に先に行かれてしまう。そうなると臆病なのでパニック必至…だからダートの1800メートルだったんですね。

 ただ、初戦を見る限り短距離じゃなければ芝でもイケそうだということで、ターボ師匠は2戦目に芝2000メートルのレースを選びます。ダートでの勝ち上がりで、血統もいいわけではありませんから11頭中の7番人気にとどまったものの見事な逃げ切り。ちょっとした番狂わせです。これが3歳の3月。ひょっとしたらダービーに間に合うかも…と4月にトライアルの青葉賞に出走しました。結果は…逃げて惨敗(9着)。残念ながら大舞台には立てませんでした。ちなみに、そのダービーを勝ったのはトウカイテイオー

テイオーのダービー

 そう、ターボとテイオーは同級生なんです。アニメ「ウマ娘」でターボが執拗にテイオーに挑戦状を叩きつけるシーンがあるのはそういう関係性もあるんですね。

 話を戻しましょう。師匠は青葉賞の後に出走した駒草賞でも逃げて、なかなかのスピードを見せます(5着)。で、次に選んだのはラジオたんぱ賞というGⅢ。逃げ馬に有利な福島競馬場(最後の直線が短くて急坂がありません)だったことで5番人気に支持されたターボ師匠は、なんとここを見事に逃げ切ります。

ラジオたんぱ杯・結果

 見てください、この見出し。師匠の逃げに「玉砕」というフレーズが使われるのはもっと後なのに、本紙はこの時点で既に使用しているのです。なぜかというと、あえて玉砕戦法を狙った陣営の作戦を記事にしているから。読んでみると、これがまたターボ師匠の性格をバッチリ反映しています。実はこのレースには複数の逃げ馬がいました。ぶっちゃけ、師匠よりスタートが速い馬もいたのにどうして逃げることができたのか? 記事では、調教師が最終追い切り後にマスコミや関係者にこんなふうに言ったことを伝えています。

「ウチのは抑えが利く馬じゃないから、99・9%ハナを切る。出遅れても行くゾ。どうしても先に行きたい馬は共倒れを覚悟のうえで来い!

 ここまで玉砕戦法を宣言されたら、他馬は困ります。スタートを決めて先頭に立っても、すぐに後ろから「うおーーーーーーーーーー」と突撃されるんですからシャレになりません。怖すぎます。結果、どの逃げ馬も控えたことでターボ師匠の一人旅になったわけで、「スピードはあるけどスタートは悪い」「他馬がくると気にしてしまう」という弱点をカバーした陣営の作戦勝ちと言えるでしょう。

 そして、陣営はこの後も一貫してそのスタイルを貫き、ターボの弱みをごまかしつつ、秋も好走させます。9月のセントライト記念(GⅡ)で2着、11月には再び福島競馬場に遠征し、古馬を相手に福島記念(GⅢ)でも2着。改めて数字をチェックすると、それは実に不思議な、師匠独特の逃げでした。中距離における普通の逃げ馬はスタートを決め、ダッシュ力を生かして最初の200メートルぐらいでリードを取った後、体力温存のためにいったんスピードを緩めます。当然、ラップタイムは最初の200メートルより次の200メートルが遅くなるのですが、ターボ師匠は逆なのです。スタートが残念なので最初の200メートルはそこまで速くなく、しばらく走るうちに闘志(他馬から離れたい!という気持ちだったのかも)とターボエンジンに火がついて「うおおーーーーーーーーーー」となるのでしょう、スタートして200~400メートルのラップが、一番速くなります。普通の逃げ馬より少し遅いタイミングで〝最速〟を記録していたわけで、馬場を1周するようなコースで、2コーナーぐらいにかけてグングン後ろを引き離していくターボ師匠を見た記憶が多いのも納得です。本人は意図してやったわけではなく、肉体的、精神的な特性上、そうなったのでしょうが、とっても個性的ですよね。

 そんなターボ師匠は、賞金を加算したことで、年末の大一番・有馬記念に出走します。

91年有馬記念・馬柱

 記念すべき初めてのGⅠも、戦法はもちろん「逃げ」。ただ、まだまだ成長途上だったのか、2500メートルという距離を意識したのか、2番手に3~4馬身差をつけながらの、やや控えめな走り。3コーナー過ぎには早くも追い付かれ、ブービーの14着に敗れました。頑張り過ぎたのでしょう、この後、体調を崩し、翌年の秋までお休みすることになります。

スランプからの出会い

 4歳の11月に復帰したターボ師匠は、そこからしばらくスランプに陥ります。10→6→6→8着。常に逃げてはいるんです。でも、その作戦がバレてきたことで、後続が「あいつを放っておくとヤバイ」と早々に追い上げてくるようになっていました(要注意人物!?)。陣営も、「今のままじゃ先がない」と感じたのかもしれません。少しでも体力を温存しようと、復帰明け2戦目や3戦目では、今までよりもペースを落として逃げようとしました。しかし、結果的にそれがターボの持ち味を消してしまうという負の連鎖にハマりかけていたのです。

 そんな師匠に助っ人が現れます。復帰5戦目、5歳の7月に福島で行われた七夕賞(GⅢ)に出走する際、鞍上に指名されたのは中舘英二(なかだで・えいじ)ジョッキー。20代半ば、成績的には〝関東の中堅〟といったところでしたが、逃げ戦法、しかも「何が何でも逃げる!」を得意としていたことで白羽の矢が立ちました。これが見事にハマります。

93年七夕賞・馬柱

 直線の短い競馬場を狙い、逃げ・先行を得意とする馬が揃っていましたが、そんなのお構いなし。不利とされる外枠からいつになく好スタートを切ったターボ師匠(中舘騎手はスタートが上手です)は、一気にハナ(先頭)を奪うと、ガンガン飛ばしていきます。サイレンススズカの武豊騎手のように、中舘騎手も馬のスピードを殺さず、あえて生かす作戦でした。ターボらしく、スタートして200メートルを過ぎてからエンジン全開。そこから200メートル10秒台のラップを2回刻むのです。11秒台でも速いのですから、もはや短距離戦並み。玉砕どころか殺人的なペースだったので、2コーナーで2番手集団につけていた2馬身差は、向こう正面で最初の1000メートルを通過するころには5馬身差になっていました。どよめきと、「いけー!」「こりゃ止まるだろ」という声が混じり合う中、ターボ師匠がまったくスピードを緩めることなく4コーナーへ到達したときには後続とは7馬身差がついていました。

「めちゃくちゃだ!」

「でも、すげー!」

 面白いことが起きちゃっていることを自覚したファンから大歓声。期待、そして激しくバテるんじゃないかという不安、でもそれも見てみたいという好奇心が向けられる中、ターボ師匠は中舘騎手のムチに応え、必死にゴールに突き進みます。さすがにバテていました。でも、あまりのハイペースで同じぐらい他の馬もバテていたため、伸びません。まさに肉を切らせて骨を断つ。最後は4馬身差をつけて圧勝したのです。

93年七夕賞・結果


 この勝利はファンや関係者に衝撃を与えました。今まで多くの逃げ馬がいましたが、ここまで派手に、ここまでハイペースで飛ばして、2000メートルという中距離重賞を逃げ切る馬はいなかったのです。ハッキリ言って常識破りでした。

 せっかく先ほど名前を出しましたので、このシリーズを読んでくださっている方は、サイレンススズカの回で紹介した、競馬における逃げ馬が好走するためのセオリーを思い出してください。逃げてリードを作り、途中でペースを落としてエネルギーを温存し、最後までバテないように走って最初のリードを守る作戦です。スタートしたらしばらく一生懸命走って時速70キロで先行し、途中で時速50キロぐらいにスピードを落として、最後は時速60キロぐらいで頑張り切る…途中の減速でエネルギーを温存し、70キロのときのリードを守り切るわけです。あくまで目安ですが、そのセオリー通り走った普通の逃げ馬とターボ師匠との時速の違いを比べてみるとこんな感じになります。

普通の逃げ馬  70キロ→50キロ→60キロ

ツインターボ  75キロ→60キロ→45キロ

 いかがでしょう、伝わるでしょうか。師匠は、スタートしたら普通の逃げ馬以上のスピードでダッシュして、それをしばらく続けます。速度を緩めて温存するのではなく、むしろ後続を離せるだけ離して、最後はバテるのですが、最初のリードが普通の逃げ馬より大きいので、何とかしのぎ切るわけです。実際、七夕賞は前半の1000メートル57・4秒という超ハイペースで、後半1000メートルはそれよりも4・7秒も遅い62・1秒かかっています。明らかにバテているんですが、最初のリードがデカすぎるんですね。ただ、よくよく考えてください。バテるのを前提…って、そんな無謀なことは普通はやりません。やれないんです。でも、中舘騎手とターボ師匠はそれをやりました。しかも、これがマグレではないことを、次走で証明します。

93年オールカマー・馬柱

 2か月後に行われたオールカマー(GⅢ)。印的にはまだ記者たちも半信半疑なのがよ~く分かりますよね?「あんなことが2回も続くわけがない」という感じです。しかも、距離は2200メートルに延びているし、メンバーも強い。アニメ「ウマ娘」でターボ師匠がオールカマーに出走したときもちゃんと一緒に出ていますが、この年の春の天皇賞でメジロマックイーンの3連覇を阻止したライスシャワーや、鉄の女イクノディクタスも名を連ねていました。

 ただ、師匠にそんなことは関係ありません。ゲートが開き、いつものように最初の200メートルを過ぎたあたりからターボエンジンに火が付きます。1コーナー手前で既に後続に5馬身差。コーナーを曲がりながらさらに加速、2コーナーでは7馬身差、向こう正面に入るころには10馬身差。もう大変です。「またやるのか」「いや、前走以上かも」というワクワクで場内がザワつきはじめます。一方のターボ師匠は、そんな中でも全くペースを落とさず11秒台のラップを続けました。向こう正面、観客の〝ザワザワ〟がどんどん高まっていきます。

「おいおい」

「ウソだろ?」

「めちゃくちゃだ!」

 師匠が3コーナーを回った時の映像は、ハッキリ言って〝事件〟でした。だって、後ろとは20馬身! はい、本当にめちゃくちゃとしか言いようがありません。しかも、その差を確認した後に、先頭のターボに視線を戻したファンはもう一度、「おいおい」とツッコミます。ほとんどセーフティーリードに見えるのに、体力を温存しようともせず、中舘騎手は手綱をしごき、ガンガン追っているんです。それに応え、ターボエンジンも噴射を続けているんです。つまり、まだ後続を離そうとしていたんです!

「めちゃくちゃだ!」

でも…。誰もが叫びました。

「いけーー!」

 大歓声の中、師匠が直線を向きます。しばし間を置いて2番手グループが4コーナーを回り、カメラが〝引き〟になって再び大歓声。ターボが残り200メートルに差し掛かろうとしているのにまだ後続とは10馬身差! こんな状況、見たことがありません。150メートルを切っても7馬身、最後は5馬身差をつけて、ゼエゼエ、ハアハア言いながらターボ師匠はゴールしたのでした。

93年オールカマー・結果

 改めてラップタイムを検証すると、それほど速いものではありません。後続が追いかけなかったことが勝利の一因だともされましたが、2番手グループも責められないところ。何せ相手は、七夕賞で前代未聞の殺人ラップを刻んだ馬です。ガンガン飛ばしているのを見たら、似たようなペースで逃げているように見えますし、「ついていったら共倒れ」だと思うのは自然の流れ。後続にそんな〝魔法〟をかけたこと、さらには最後の最後で大失速しなかった走りを含め、ターボの完勝と言えました。フロックではない、単なるキワモノではない、実力も兼ね備えた個性派…ターボの名前は全国へ知れ渡り、「この馬のレースは面白い!」と一気にファンが激増します。名前と戦法がマッチしていたのも後押しし、師匠はプチブレークを果たしたのです。

師匠 人気者になる

 完全にバズっていたターボ師匠は、堂々とGⅠに駒を進めます。天皇賞・秋。メンバーと印をご覧いただきましょう。

93年天皇賞秋・馬柱

 最内に先ほどのオールカマーに出走していたライスシャワー。真ん中あたりにはナイスネイチャの名前も見えますが、ターボにはほとんど印はついていません。いくら大逃げで連勝していたからといって、「さすがにここは無理だろう」というのが当時の記者の評価でした。まず、東京競馬場の2000メートルという舞台設定が悪すぎます。直線が長く、逃げ馬向きではありません。七夕賞の福島競馬場、オールカマーの中山競馬場は直線が短く、逃げ馬有利でしたから正反対なのです。しかも、その2レースはコーナーを4度回るコース形態でしたが、今回は3度で、最初のコーナー(2コーナー)も〝回る〟というほどのものではありません。

コース形態

 競馬ファンではない方にも分かるように超ざっくりご説明しますと、コーナーが多いほど逃げ馬は有利になります。カーブを回るときは、どんな馬でもスピードが落ちますから、コーナーのたびに自然とペースを落とせますし、後続も差をつめづらい。それが何度も続くということは、スピードを上げていく場面が少なく、そもそもペース自体が上がりづらく、なるべく体力を温存したい逃げ馬向きなんですね。師匠はペースを落とすタイプではありませんが(苦笑)、条件は明らかに悪くなっていました。しかも、東京競馬場の最後の直線には上り坂があります。バテているところに長い長い直線と坂…これはキツイです。前走のオールカマーで坂のある中山競馬場で勝っていたとはいえ、後続が離れすぎていたので「克服した」とまでは言えませんし、実際、ターボは直線に坂がない福島競馬場を得意としていました。冷静に考えれば考えるほど、記者が推奨できる馬ではないのです。長年競馬をやっているファンも同じような見方でした。だから、土曜日の夕方、本紙を買ってくださった皆さんは驚きましたよね?

93年天皇賞秋・オッズ

 これ、土曜日の午前11時に発表された天皇賞の単勝オッズです。ターボ師匠は上から3頭目の「③ツイン」という部分なんですが…。

 2番人気!

 はい、完全にバズってます。明らかに実力以上の〝何か〟が師匠に上乗せされていました。「あの大逃げを大舞台でも見せてくれ」「GⅠを面白くしてほしい」。ドキドキ、ワクワクしたいファンがツインターボの単勝を、まさに憑りつかれたかのように買ったのです。今となって振り返ると、この秋、競馬界にスターが不在だったことも影響していたのでしょう。最強馬メジロマックイーンがこの天皇賞の直前にケガで引退。トウカイテイオーも骨折で休養中。ライスシャワーはまだヒール感が強い存在…そんな主役不在の閉塞感を打ち破るぶっちぎりを、誰もがターボ師匠に託したのです。なんと、この後、師匠はさらに人気を上げ、一時的に1番人気にもなりました。最終的には3番人気に落ち着いたものの、あの土曜日の〝トレンド入り感〟は今でも忘れられません。そして翌日、今までにないほどのロケットスタートを切ったターボが飛び出していった瞬間の競馬場の大歓声も忘れることはないでしょう。

「とりゃーーーーーーーーーー!」

 とターボ師匠。

「いけいけいけーーーー!」

 とファン。

 コース形態がどうかとか、GⅠだとか、師匠には関係ありませんでした。いきなりのエンジン全開。全力ダッシュですぐに後続に5馬身差をつけ、ちょうど中間、前半1000メートルを通過するころには7馬身差をつけます。

「GO!GO!ターボ!」

「いけ!いけ!ターボ!」

 歓声がそんなふうに聞こえる3コーナー。ワッショイワッショイ。競馬ファンはツインターボという神輿を担ぎました。私も担ぎました。高揚感はまさにお祭り。秋のターボ祭りです。楽しかった。あの瞬間は嫌なこともすべて忘れられました。だから、いいんです。大ケヤキを過ぎてリードが3馬身ぐらいに縮まり、4コーナーで後続に早々に並ばれ、あっさりかわされてしまっても、それはそれ。勝ち馬と2着馬が馬場の真ん中で叩き合う中、画面の左上で、ずるずると下がりながら小さくなっていくターボ師匠の姿は、秋の夜、神輿のワッショイやお囃子の音が遠ざかっていくようでした。

93年天皇賞秋・結果

 17着最下位。あまりに見事な散りっぷりに、ファンはすがすがしい顔で言い合います。

「そりゃ無理だよな」

 分かってるなら買わなきゃいいだろ!とツッコミたくなりますが、誰もがこう続けました。

「でも、面白かったなあ」

 こうして〝ターボ熱〟という病にかかった人たちは、その後、ひたすら師匠を追いかける素敵な日々を過ごすことになります。

師匠 第2章

 天皇賞・秋で逆噴射してしまったターボ師匠は、少しだけお休みをもらい、翌94年、1月のアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)で始動しました。

94年AJCC・馬柱

 圧勝したオールカマーと同じ中山競馬場の2200メートル。いやが上にも期待が高まります。3番人気。ターボ熱に浮かされている人はもちろん、普段GⅠ以外は競馬場に行かない人も、「ターボの逃げを見てみようかな」と足を運びました。だから、スタート後、いつものように逃げているだけなのに、スタンド前でGⅡとは思えないほどの歓声。3~4コーナーでもまだ6~7馬身のリードがあったのでさらに盛り上がりましたが、直線を向いたところでかわされてしまいます。結果は6着でした。

94年AJCC・結果

 休み明けで調整不足もあったようなので仕方ありませんよね。続いては中山の2500メートル、日経賞。ワクワクが止まらない3番人気。

94年日経賞・馬柱

 やっぱり盛り上がりました。6~7馬身離して逃げるターボ師匠が大画面に映るたびにどよめきと歓声。8馬身ぐらいのリードをつけて3コーナーに向かいます。「久々にやってくれるのか?」。しかし、4コーナーにかかる前にライスシャワーが早々にかわしていきました。場内、溜め息。相当数のターボファンが競馬場にいたことが分かります。結果はまたもや6着でした。

 連敗したターボ師匠は調子を整えるため、5か月休み、8月に函館記念(GⅢ)に出走します。この年は札幌競馬場での施行。ファンの心は「コーナー4つで直線に坂のない競馬場だから、そろそろやってくれるだろう」

94年函館記念・馬柱

 結果は…。

94年函館記念・結果

 そろそろ、ファンは疑念を抱くようになります。

「もしかして燃え尽きちゃってる?

 いやいや、でも、次は得意の福島競馬場。いかにも条件が揃ったここは、かなりやってくれそうでしたし、嫌な予感を感じつつも、馬券を買う手が止まらないのが〝ターボ熱〟の症状でもあります。だって、ずーっと買ってきたのに、買わないときに逃げ切っちゃったらシャレになりませんからね。ということで、3番人気に支持されました。

94年福島記念・馬柱

 が! 8着。条件が揃っていたのに惨敗したことで、もはや誰もが気づきました。

「燃え尽きちゃった?」

 はい、典型的なそのパターンです。でも、ターボ熱に浮かされている重症患者には師匠同様「前向き」というスキルがありました。

「でも、次はやってくれるだろう」

「次こそ復活だ!」

「で、次は?」

94年有馬記念・馬柱

 キターーーー!
 坂のない競馬場で復調を目指すなんて、甘っちょろい選択はしません。師走の大一番・有馬記念にターボ師匠はエントリーしたのです。ファンのテンションは上がりに上がります。世界一馬券が売れるといわれる年末のグランプリ、競馬界のお祭りで神輿を担げるなんて、こんな幸せがあるでしょうか。

「無理でしょ」

「無謀でしょ」

 分かってます。ターボ熱の患者だって全員分かっていました。でも、ここで担がず、いつ担ぐ。俺たちの神輿、ターボ師匠を応援しに、患者たちは意気揚々と中山競馬場に足を運びました。冷静なファンはまだ言っています。

「無理でしょ」

「無謀でしょ」

 でも、そう口にしていた人の数パーセントに、不思議な症状が現れました。

「まさかな…」

「いや、待てよ」

 脳裏によみがえる七夕賞とオールカマー。もし、あの大逃げをして、誰も追いかけなかったら…そう考えると、ここは先行有利の中山競馬場。ナリタブライアンは圧倒的かもしれませんが、その他はドングリの背比べ。2番手につけそうなネーハイシーザーは距離に不安があるから積極的に追いかけてこないはずです。

「もしかして…」

「なくは…ない?」

 さらにもうひとつ、その症状を後押ししたのが有馬記念というレースの持つ魔力でした。奇跡の復活、人気馬の謎の敗戦、とんでもない穴馬の激走…何が起こるか分からない。だから、どんな夢だって見れる。

「一年の最後だもんな」

「夢ぐらい、見てもいいか」

 そのとき、男たちは気づくのです。

「この馬なら確実に夢を見させてくれる…」

 そう、ターボ師匠は100%逃げてくれます。実はこれは簡単なことではありません。自分より脚の速い逃げ馬がいることもありますから、少しでも遠慮したり、ヒヨったりしたら、〝逃げずに2番手〟なんてこともあり得ます。でも、師匠はどんな相手でも、それこそいつも以上にパワーを使ってダッシュしなきゃいけなくても、必ず先頭に立って逃げてくれました。競馬ファン、馬券ファンにとって、逃げると思って馬券を買ったのに逃げてくれなかった時のガッカリ度は相当で、それこそ夢を見て買った時は目も当てられません。その点、ターボ師匠は安心して応援できます。勝つか負けるかは分かりませんが、逃げるのは間違いないのです。いいことも、よくないことも、いろいろあった年末。夢を見たい人にとって、ターボは夢を保証する馬だったのです。

 ガチャン――。

 スタートが切られました。期待を裏切らない名馬は、好スタートからガンガンいきます。

 誰ですか、「終わった」なんて言った人は。師匠のスピードは全盛期そのもの。1度目の直線に向かう4コーナー、もはや短距離専門の逃げ馬が直線に向くぐらいの勢いなんですから、期待に応えるにもほどがあります。既に後続とは7~8馬身、直線に向くともうリードは10馬身になっていました。

「いけ!いけ!ターボ!」

「GO!GO!ターボ!」

 スタンド前は大歓声。師匠はさらにスピードを上げます。

 12馬身…

 15馬身…

 ワッショイワッショイ、支持者の想像をはるかに超える大逃げに、ターボ祭りの盛り上がりは最高潮です。2コーナーに差し掛かるころには20馬身以上も後続を離し、さらに向こう正面では…

 30馬身!

 夢だけを見たがっていた人は神に感謝し、既に患者ではなくターボ教の信者となっていたファンは、この時点で昇天していたことでしょう。

「面白すぎる!」

「やっぱり最高だ!」

 一方、「どうせいずれ止まるだろう」と思っていたファンも気が気ではなくなっていました。どよめきが起こります。

「おいおい」

「ウソだろ?」

 脳裏によみがえる七夕賞とオールカマー…。

「めちゃくちゃだ!」

 勝負の3コーナーを過ぎてまだ10馬身。「ひょっとしてひょっとする?」と夢が現実に近づいたと思えた直後、まさにほんの数秒の出来事でした。ターボエンジンのガソリンが切れた師匠に向かって、ナリタブライアンが迫っていきました。すさまじいバテっぷりと、シャドーロールの怪物のすさまじい追い上げ。スピードの落ちていく馬と上がっていく馬が両方から近づくと、こんなに一気に縮まるんだ…というぐらい、アッという間に差がなくなり、4コーナーを前にして、ブライアンが師匠をかわしていったのです。その刹那、場内に流れていた実況がピシリと断じました。

「ツインターボの先頭はここで終わり!」

 あまりに的確で、あまりに残酷で、だからこそ可笑しくもある伝説の名実況。

 ここで終わり…

 ここで終わり…

 ここで終わり…

 その言葉が信者の中でリフレインされる中、神輿の掛け声が遠ざかっていくように、ターボは小さく小さくなっていきました。

ツインターボ有馬ビリ

 これが1994年のクリスマスに起こったツインターボ伝説の逆噴射です(ゲーム「ウマ娘」のナリタブライアン育成シナリオの有馬記念にターボ師匠が出てくるのはこれが元ネタ)。競馬の馬柱や過去のデータでは、コーナーの通過順を数字で表します。ターボの七夕賞やオールカマーのようにすべてのコーナーで先頭に立っていれば「1-1-1-1」ですが、この有馬の通過順は…

 1-1-1-

 でした。めったに見られない数字です。まさにぶっちぎり、ブービーから10馬身以上離された問答無用のビリという結果はもはやエンターテインメントで、ターボファン以外の人もなんだか愉快な気持ちになり、信者たちは再びあの言葉を交わします。

「そりゃ無理だよな」

「でも、面白かったなあ」

 完全に楽しんでいました。そして、この後も、楽しみは続きました。1か月後のアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)、ちゃ~んと逃げてくれました、ビリでしたけど。で、3か月休んで、4月は違った意味で楽しませてくれます。地方競馬の祭典・帝王賞に、中央競馬の代表として出走したのです。

95年帝王賞・馬柱1

 デビュー戦以来のダート。騎手欄を見てください。

95年帝王賞・馬柱2

 天才ジョッキー武豊! これは盛り上がりました。3番人気。で…逃げず(苦笑)。そして、「逃げないんかーい!」とツッコむ気さえ失わせるビリ! さすがに燃え尽きているとしか思えません。陣営は最後の最後に、最もターボに似合う場所で、最終確認をしました。

95年新潟大賞典・馬柱


 レース名は「新潟大賞典」でしたが、施行場所は福島の芝2000メートル。大得意な舞台を用意されたターボ師匠を見に、多くのファンが集まる中、しっかりと逃げてくれました。当然、信者たちは馬券も買いました。買わずにきちゃったら後悔しますからね。で、通過順は…

 1―1―7-13

 この11着(ちょい盛り返してる!)を最後に師匠はJRA(日本中央競馬界)の登録を抹消されます。そして、引退かと思いきや、向かったのは大好きだった福島競馬場のもう少しだけ北。山形県の上山(かみのやま)にある地方競馬場で第2の人生を歩むことになったのです。

引退記事

 記事では、調教師が「力そのものより精神的なスランプに陥った感じ」「小回りの地方競馬で変わってくれれば」と話しています。GⅠで3番人気にまでなった重賞3勝馬が、〝もうひと花〟を求めて、レベルが低いとされる地方競馬へ…最後までしっかりとニュースを提供し、しかも、移籍初戦を勝ったのですから、さすがです。それから約1年、1勝もできなかったものの、多くのファンを、観客の少ない山形の競馬場に呼びこんだターボ師匠は、やはり生粋のエンターテイナーだったのでしょう。

 最後に当シリーズを読んでくださっている皆さんに質問です。最も強い逃げ馬は?

 はい、それはやっぱりサイレンススズカだという意見が大半でしょう。では、最も面白い逃げ馬は?

 はい、間違いなくツインターボです。JRAが2000年に行った大規模な人気投票で、100位以内に入ったGⅠ未勝利馬はたった2頭。ナイスネイチャと、もう1頭が…ターボ師匠でした。

みんなにも読んでほしいですか?

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