愛すべき名脇役!「ウマ娘」でも人気のナイスネイチャを東スポで振り返る
中1週の第9弾
毎週水曜日のアップを楽しみにしてくださっていた皆さま、1週間の短期放牧、大変失礼いたしました。この企画を始めた当初からたくさんのリクエストをいただいていたナイスネイチャに取りかかったところ、時間が足りなくなってしまいまして…私はこのシリーズを書く際、当該馬の全レースの馬柱や記事を読み直すんですが、いかんせんネイチャの出走数が多すぎました。レース数にして「41」。過去8頭の中で最も多かったゴールドシップでさえ28戦ですし、しかもゴルシの時代とは違いネイチャが活躍した1990年代のうちの新聞ってまだデータ化されてないんですよ。つまり、パソコンでポチッとするのではなく、薄暗い資料室にこもってひとつずつ、紙をめくりながら探すしかないんです。で、探していると、あんな記事もこんな記事も出てきて、懐かしくなっていろいろ読んでいるうちに日が暮れて…って、すみません、私が悪いんですが、何とかまとめることができました。あっ、レース数と同じぐらい文章を長くしたら皆さまにお時間を取らせてしまいますので、なるべくコンパクトにしてあります。そのあたりはご安心ください。
というわけで改めて始めさせていただきますと…現役時代を知っている人が、ゲームアプリ「ウマ娘」でナイスネイチャを育成し、GⅠを勝った時は本当に感慨深いですよね。現役時代を知らない人でも、ゲーム内で「どうせ私は脇役だから」というキャラのナイスネイチャにタイトルを取らせたときの感動はハンパじゃありません。GⅠを勝っていないのに、誰が何と言おうと名馬。1990年代、多くのファンに愛された〝ブロンズコレクター〟を東スポで振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)
プロローグ
「ジリ脚(あし)」という競馬用語があります。ジリジリと伸びる脚…おっ、いいじゃん、しっかり伸びそうじゃん!と思いきや、実はコレ、あまりいい意味ではありません。ジリジリなのでピュッとしません、シュッともしません、ズキューンと突き抜けません。一瞬の切れ味や決め手がないので、どうしても最後の最後、他馬と同じようなスピードになってしまい、勝ち切れないんですね。
似たような言葉で「相手なり」というのがあります。誰が相手でも上位にきっちり顔を出す馬のことで、相手を追い抜くのが好きじゃなかったり(ウソつけ!と思うかもしれませんがいるんです)、先頭に立つと力を抜いてしまう癖(これもよくあります)があるなど精神的な理由でそうなる馬もいますが、「ジリ脚」のせいで「相手なり」になってしまう馬は少なくありません。いつもジリジリくるけど勝つまではいかない。相手が強くても2~3着、相手が弱くても2~3着…応援しているファンからすると実にもどかしいんですが、こういう馬、結構いるんですよね。で、この30年間の競馬界において、その究極形が2頭いまして、そのうちの1頭がナイスネイチャです。何と、重賞で3着が7回。そのうちGⅠでの3着が4回もありました。
スター候補生だった
まず、ナイスネイチャの名誉のために言っておきます。大前提としてかなりの実力馬です。GⅠで善戦するってことは、力がないとできませんからね。「ウマ娘」でよく絡むように、世代で言うと、トウカイテイオーと同級生。皐月賞やダービーには出られませんでしたが、8月にGⅢ(小倉記念)を勝ち、〝夏の上がり馬〟として頭角を現します。10月のGⅡ(京都新聞杯)も勝ったので、菊花賞では2番人気。このシリーズを読んでくださっている人は思い出してください。トウカイテイオーはダービー後に骨折してしまいましたよね。で、主役不在となった秋、主役に躍り出ようとしていたのがネイチャだったんです。ただ、控えめなのでしょうか、彼は菊花賞を4着でとどめ、次走は堅実にGⅡを選びます。そこをしっかり勝ったので今度は有馬記念に出てみたところ、あら不思議、メジロマックイーン以外に強い古馬(こば=大人の馬)がいません。
若さに期待したファンも多かったのでしょう、蓋を開けてみれば、2番人気に支持されます。結果は…。
3着。このとき、その後のネイチャの姿を想像した人はどれだけいたでしょうか。3歳ながら有馬記念で高く評価され、しっかりと3着…競馬界においてこういう馬は、成長し、力をつけるであろう翌年は主役を張っているのが典型的なパターンです。しかし、ネイチャはケガをしてしまい、半年間、休養せざるを得なくなります。無事に回復し、ターフに戻ってきたのは秋でした。
主役への道
復帰戦に選んだのはGⅡの毎日王冠。大人になったネイチャがどんなレースを見せてくれるか…期待が込められた印です。
1番人気! 結果は3着でした。
ただ、久々のレースにエキサイトしてしまい、道中ムキになったことでパワーをロスしてしまったぶんの3着。騎手は「本番へメドは立った」と話しました。本番とは、天皇賞・秋。そこには、ネイチャから見たら〝キラキラ〟している同級生のスター、トウカイテイオーも出走しましたが、今度はそちらが休み明けでした。当時の競馬界では今よりもはるかに「休み明けは不利」「ひと叩きすると(1回走ると)調子が上がる」が定説でしたから、何と本紙ではテイオーよりネイチャの方に◎が多くついています。ネイチャファンには味わい深いですよね。
大きな期待を集めての2番人気(単勝オッズ3・9倍)。レースでは超ハイペースを2~3番手で進んだテイオーが息切れしたところ、その直後に控えていたネイチャがジワジワと伸びてきました。しかし、最後の最後、自分より後ろにいた馬に差されてしまい、4着に終わります。人気を背負っていたので先行し(後方で不利を受けたり、馬群をさばけなかったり、体力を温存しすぎて先行馬に届かなかったら批判されちゃうので人気馬はポジションが前になりがちなんです)、堂々と勝ちにいったのですが、ハイペースになってしまったことでそれが結果的に裏目に出たように見えました。以前もご説明しましたが、ハイペースは後方有利、スローペースは先行馬有利。このレースの1、2着は4コーナーで12、14番手の馬でしたので、競馬記者や長年のファンが見たら「勝ちにいって4着に好走したネイチャは強い競馬をした」という評価になります。というわけで、次走に選んだ短距離のマイルチャンピオンシップでの前評判はなかなかで…。
今度は追い込んで4着に入りました。「むむっ、この馬はやっぱり力があるぞ」。そう感じたファンも多かったのでしょう。続く有馬記念では4番人気になります。1600メートルのマイルチャンピオンシップから2500メートルの有馬記念へという一気の距離延長が嫌われただけで、有力馬の1頭です。1番人気は天皇賞の後、ジャパンカップで劇的な復活を遂げたトウカイテイオーでしたが、本紙・渡辺薫記者は大胆にもネイチャに本命を打ち、こんな1面になっていました。
当シリーズのテイオーの回を読んでくださった方はもうお分かりでしょう。このレース、テイオーは謎の惨敗を喫し、まったく人気がなかったメジロパーマーが逃げ切ります。そんな中、ネイチャは終始先行し、4コーナーでは4番手まで押し上げて必死に追い込みますが、前に届かず3着…。
4番人気で3着ですから、結果的には悪くはありません。加えて、このレースはメジロパーマーが後続を大きく引き離して逃げる〝大逃げ〟の形で、かなり特殊な展開になりました(後続は動きづらいんです)。ハイペースだった天皇賞・秋でも4着、1600メートルだったマイルチャンピオンシップでも3着、前に行った馬が残る異質な展開だった有馬記念でも3着…いい意味で「どんな展開でもしっかり力を発揮する実力馬」という評価を得て、ネイチャはさらなる飛躍を誓い、年を越します。さあ、いよいよネイチャ劇場、開幕です。
5歳――開演の時
1993年の初戦に選んだのは日経新春杯でした。前年秋のGⅠ3連戦と比べたら大幅にメンバーが落ちるGⅡに、2年連続有馬記念で3着に入った馬が出てきたら、そりゃあもう断然です。
単勝2・7倍の1番人気。後方から外を回し、豪快に追い込んできました。
が!クビ差届かず。う~ん、残念だけど仕方ない。でも、やっぱり強いことは強いです。続く阪神大賞典(GⅡ)ではこんなに印を集めます。
単勝は1・9倍。もちろん、1番人気です。昨年の有馬記念を勝ったメジロパーマーが逃げるのはミエミエだったので、ネイチャは完全マークで大逃げするのを許しません。陣営としても、正直、そろそろ勝っておきたいところ。2番手で4コーナーを回り、早々にパーマーに並びかけました。パーマーも実力馬ですから粘りますが、展開的にも脚色的にも、どう見てもネイチャが差すパターンです。当然、ファンも「すぐ差すだろう」と思って見ていたんですが、これがまあ、差しません。「あれ?」「おいおい」。そう言っているうちに、パーマーが差し返したのかネイチャが力尽きたのか、パーマーが前に出ます。「残念、2着か…」と思いました。そうしたら今度は外から突っ込んできた馬にも差されてネイチャは3着に落ちるのです。
おそらく、このレースでかなりのメディアとファンが気付いたと思います。「薄々…」ではなく、誰もが「確信」に至る、なかなかの負けっぷりでした。そして、次の大阪杯、新聞を手にした人たちは、ネイチャの馬柱に目を奪われます。
ん?
1着なくね?
そうです、GⅠでもGⅡでも、全部好走してるのに、「1」着だけがないのです。後から考えればネイチャなんですから当然なんですが、おそらくファンが完全にそのキャラを把握したのはこの時期だと思います。しかも、この大阪杯でもしっかり2着。その後、骨折をして半年休むんですが、復帰した毎日王冠でも4着です。そしてそして、天皇賞・秋とジャパンカップで珍しく掲示板に載らず、「どうしたんだ?」「ケガで終わってしまったのか?」と思わせておいて、年末の有馬記念で炸裂します。
はい、トウカイテイオーが復活したあの有馬です。ゴール前、1年ぶりに出走したテイオーが断然人気のビワハヤヒデをかわして奇跡の復活――。
誰もが驚きの声を上げたあのとき、離れた3番手にオレンジの帽子と見慣れた勝負服が猛然と追い込んできていました。
あれ、ネイチャじゃね?
そうです、3年連続でコンニチハ。単勝オッズ26・6倍、10番人気に甘んじていたネイチャが3着に突っ込んできたのです。競馬史に燦然と?輝く、今後絶対に破られないであろう、「3年連続有馬記念3着」(そんなタイトルはありませんが)という偉業が達成された瞬間でした。
「あんたは偉い!」
競馬ファンは驚きつつ、張本勲並みの「アッパレ!」を与えます。春の時点では、その姿を「情けない」と感じた人もいましたが、誰もが考えを改めました。「なかなか勝てないけど、毎回毎回、一生懸命がんばってるんだな」。そう思い直して馬柱を見ると、何て美しいのでしょう。「1」がなくたって、ネイチャの〝履歴書〟は光り輝いていました。面白いことに、見え方も変わってきます。春の最終戦・大阪杯だって、みんな「またかよ」と言っていましたが、2着とはいえ褒められてしかるべきでした。あのレースはメジロマックイーンが5馬身差のぶっちぎり。でも、1頭がちぎるレースというのは2着争いが大混戦となり、人気薄が突っ込んでくることも少なくありません。でも、ネイチャはそういうときでもしっかり2着に入っていたんです。毎日王冠だって骨折明けですから4着でも上々でしょう。そして、天皇賞・秋とジャパンカップの大敗を休み明けに頑張り過ぎた反動だと考えれば、有馬の3着はそこからの見事な復活とも言えます。ファンの目は明らかに変わったのです。
高松宮杯
一方のネイチャは…変わっていない様子でした。翌1994年、1月のアメリカジョッキ―クラブカップ(GⅡ)は7着に敗れますが、そこはご愛嬌。大阪杯で3番人気2着と普段の自分?を取り戻すと、天皇賞・春4着、宝塚記念4着。距離もメンバーも違うGⅠで、まったく同じ椅子に座るなんて、もはや芸術的です。だからもう、次に選んだ高松宮杯(GⅡ、2000メートル)の結果も何となく予想できました。
GⅠではないですが、前年のダービー馬・ウイニングチケット、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、スターバレリーナ、マーベラスクラウン…なかなかの好メンバーだったので互いの出方をうかがったのでしょうか、3~4コーナーで馬群がギュッとかたまり一団となったとき、後方を進んでいたネイチャがいい感じで上がっていきました。
「ああ、今日も掲示板には載りそうだな」
「なかなか勢いがいいじゃないか」
「3着、いや2着もあるかな」
残り200メートルで絵にかいたような3番手。ただ、そこからネイチャはさらに前を追っていきました。力強く、先に抜け出したスターバレリーナに並んでいきます。
「あれ?」
「差したぞ」
残り100メートルでネイチャが先頭に躍り出ました。でも、いつものあの姿を知っているファンはまだ信じません。
「差し返されるんじゃ…」
と思いきや、内のスターバレリーナの脚色はそれほど良くありません。
「じゃ、外から…」
と外に目をやると、どの馬もきていません。
「え?」
「勝っちゃう?」
「おい、勝っちゃうぞ」
「勝っちゃえ!」
勝っちゃいました。
競馬場で「ネイチャが勝った!」
ウインズで「ネイチャが勝った!」
テレビの前で「ネイチャが勝った!」
いやいや、そりゃ競馬だから勝つことだってあるんですが、みんながみんな「勝った」「勝った」と顔を見合わせました。追っかけ的なファンの皆さんも「信じられない」といった表情。馬券が外れた人たちも「いいものを見せてもらった」と拍手を送ったのでした。もしかしたら、「そんなネイチャは見たくなかった」というひねくれ者や、ちょっぴり寂しい気持ちになったファンもいたかもしれません。でも、ネイチャ自身や陣営は常に毎回、勝利を目指していたのですから、やっぱり「おめでとう」ですよね。2年7か月ぶり。あれほど競馬ファンに祝福された勝利はないでしょう。GⅠ馬になったわけではありませんでしたが、あの日の主役は間違いなくネイチャでした。ゲームアプリ「ウマ娘」をやられている人は、ネイチャのストーリーを思い出してください。自己評価が低く、高望みしないキャラで、自分のことを「モブでしかない」、つまり〝その他大勢の一人でしかない〟と言ったあのコが、ついにヒロインになった瞬間でした。
これが翌日の紙面。
そして、夏休みを取った後に出てきた10月の毎日王冠、ついにネイチャの馬柱の着順欄に「1」が入ったのでした。
時は来た!のか
さあ、これをステップに目指すは悲願のGⅠ制覇です。競走馬の中には、ネイチャのようになかなか勝てなかった馬、競馬用語で〝勝ち味(み)に遅い馬〟が、1つの勝利をきっかけにポンポン勝つようになることがあります。この毎日王冠時も、陣営は燃えていました。早めに東京競馬場に入り、やる気マンマンの調整。それを見た本紙・渡辺薫記者は、過去2年3着だったこのレースで〝3度目の正直〟を果たすと予想しました。
が、結果は2番人気で6着。う~ん、控えめというかなんというか、あんまり期待されるのもプレッシャーになっちゃうんですかね。で、ひと叩きした天皇賞・秋も7着で、続くジャパンカップは11着に終わります。どうにも調子が上がってこないのは、年齢も関係していそうでした。6歳の秋。競走馬の全盛期は3歳秋から5歳春ぐらいで、その後は衰えていく場合がほとんどです。「高松宮杯が最後の花火」「燃え尽きた」という声も聞かれ、ファンの数は激増していたものの、シビアに判断して、4年連続出走の有馬記念での評価はこんな具合でした。
仕方ありませんよね。この週の各スポーツ紙には「4年連続の銅メダルなるか」なんて記事も見受けられましたが、行間からは「現実には厳しいだろう」がにじんでいました。単勝オッズは46倍の11番人気。大方の競馬ファンは、「がんばってほしいよね」と思いつつも馬券的には無視で、ネイチャのファンは、天皇賞・秋、ジャパンカップと惨敗しながらも3着に突っ込んできた昨年のパターンを頼りにかすかな希望を抱き、レースを見守りました。
断然人気はこの年の3冠馬・ナリタブライアン。圧倒的な強さを誇っていた〝シャドーロールの怪物〟が強気に4コーナーで先頭に立ち、女傑ヒシアマゾンが追いかけます。他馬はその2頭についていくのに精一杯でしたが、食らいついていく集団の一番前、見覚えのある勝負服が外を回って3番手に上がろうとしていました。
「もしかして…」
ネイチャです。6歳のベテランが3歳の2頭に必死に食らいついていました。
「伸びるのか?」
「伸びてるのか?」
ジリジリ、ジリジリ。
ピュッとしません。
シュッともしません。
ズキューンと突き抜けません。
でも、ジリジリと、いつものようにネイチャは伸びていました。
「がんばれ!」
あんなに自然に「がんばれ」というベタな言葉が口をついたことはありません。別に、ブライアンやアマゾンを「差せ!」と言っているんじゃないんです。「ここまで一生懸命走ってるんだから何とか3着に!」と、みんなが背中を押しました。ほんの少しだけ、ほんの半馬身ほど届きませんでしたが、すごくがんばった5着でした。
「よくやったよ」
「ありがとう」
ファンは目を潤ませながら、手の中の複勝馬券(3着以内に入る馬を当てる馬券)を見つめます。まさか握りしめる場面があるとは思っていなかったのでしょう、いつの間にかしわくちゃになったそれを大切にポケットにしまいました。4年連続はかないませんでしたが、年齢を考えれば大健闘の5着です。応援していなかった人、気にも留めていなかった人たちも、電光掲示板の5着欄で点灯していたネイチャの馬番を見て「がんばったじゃないか」と拍手を送りました。本紙も翌日、普通は触れない5着馬についてしっかり記事を載せています。
どうやら引退の話も出ていたようです。有馬の5着、大健闘でターフを去る…いいじゃないですか。私も正直、花道にぴったりだと思いました。でも、記事の最後にある調教師の「まだまだやれるなあ」も分かる気がします。もう少し走らせてみよう…というわけで、いつの間にかベテランになった名バイプレーヤーは牧場に帰ることなく現役を続けることになるのです。
老兵は死なず
年が明け、2月の京都記念にネイチャは登場しました。
59キロという重い斤量を背負った7歳馬。まだまだやれるのかを問うには厳しい条件にしか映りませんでしたが、最後の直線、外からネイチャは伸びてきました。
ネイチャらしく、ジリジリ、ジリジリ…
結果は…
2着。ある意味、指定席でした。
「まだまだやれる!」
「がんばれネイチャ!」
「俺たちはいつまでもお前を応援するぞ!」
残念ながら、競馬界一の愛されホースはその後、骨折をしてしまいます。でも、ネイチャは引退しませんでした。秋に復帰し、京都大賞典、ジャパンカップと大敗。それでも、5度目の有馬記念に出てきたネイチャを見に、多くのファンが中山競馬場に「がんばれ!」を伝えに行きました。
9着に敗れ、さすがに往年の力がないことも分かりました。さすがに引退か…いやいや、ネイチャは翌年も走り続けます。8歳初戦、中京記念(GⅢ)で久しぶりに掲示板に載り(4着)、続く3年半ぶりの1600メートル戦(GⅢダービー卿チャレンジトロフィー)で61キロという超酷量(ヤバすぎます)を背負って必死に追い込んできたとき(6着)には、みんなが「偉いなぁ」と感心したものです。しかも、次走の京阪杯8着後に骨折してしまうんですが、まだ走ります。3か月休み、10月に天皇賞・秋(10着)、11月にGⅡのアルゼンチン共和国杯(11着)と連戦…さあ、皆さん、どこに向かっているかお分かりですよね。
愛されホース年末のルーティーン。
競馬界にとっての師走の風物詩。
この時点で前人未到の6年連続出走。
確かに陣営はそこに向かおうとしていました。でも、最終的にネイチャが向かったのは中山競馬場ではなく、北海道の牧場でした。2戦続いた大敗とネイチャの肉体を考慮し、「何かあっては…」と、引退を決断したのです。今まで何頭もの馬が無理をしたことで非業の最期を遂げています。ネイチャのことを考え、そしてファンが多かったからこそ、無事に牧場に戻すことを優先したのでした。「どうして走らせてやらないんだ」という声も届いたといいますが、いまだに元気にネイチャが生きていることや、それによって競走馬の余生に注目が集まっている昨今の状況(おまけ参照)を見れば、英断だったのは間違いありません。師走の寒い雨の日、30人ほどのファンに見送られながら、老雄は故郷に旅立ちました。名残惜しいのか、ネイチャは馬運車になかなか乗り込まなかったといいます。それから約半月――。ここ5年、毎年あったネイチャの名前がない有馬記念。
なんだか、すごくヘンな感じでした。
というわけで、ネイチャの長い長い競走馬人生、閉幕です。6年連続の有馬記念はかないませんでしたが、34回連続で重賞に出走したのは、とんでもない記録。何より、引退しても良かったのに、6歳、7歳、8歳と走り続けたことがネイチャの〝愛され度〟をアップさせたような気がします。骨折をしても、衰えを隠し切れない中でも毎レース毎レース、一生懸命走る姿を励みにしているというファンレターがたくさん届いたそうです。そして、ネイチャが見せた生き様によって、競馬ファンが気付いたことがありました。
勝利がすべてじゃない。
「がんばれ」の先にあるのが勝利とは限らない。
それを知った競馬ファンは、今でも勝ち切れない馬を見かけると、愛をこめてこう言うのです。「あの馬、ナイスネイチャみたいだよね」と――。
おまけ1(馬券的に見たネイチャ)
ナイスネイチャの馬券でお金を儲けるのはそれほど簡単ではありませんでした。当時、ポピュラーだったのは、ネイチャが菊花賞に出る直前(1991年10月)に導入された「馬連」です。これは1着と2着を順不同で当てる馬券ですから、選んだ馬が2着以内に入らなければ的中にならないんです。3着では一銭にもなりませんので、ネイチャの有馬記念3年連続3着で儲けるには、選んだ1頭が3着以内に入ったときに的中となる「複勝」を買うしかありませんでした。ただ、複勝は最も当てやすい馬券のため、それほどお金は増えないんですよね。1回目の有馬3着時はその倍率2・2倍(100円買ったら220円)。2回目の3着では3・1倍、最も人気がなかった3回目(10番人気)でさえ4・5倍でした。10番人気ですからもうちょっと倍率が高くても良さそうですが、既に3着キャラが浸透しつつあったので、4・5倍でとどまったと思われます。
「生まれる時代が早すぎた」とも言われるゆえんは、ネイチャが引退した後に、〝3着がお金になる馬券〟の種類が増えたこと。まず、1999年に「ワイド」という馬券が登場します。これは3着までに入る馬のうち2頭を当てるもので、1着-2着はもちろん、2着-3着、1着―3着の組み合わせも的中となり、複勝より倍率が高いです。JRA(日本中央競馬会=中央競馬の主催者)がニクいところは、このワイドが発売されたとき、ネイチャをキャンペーンキャラクターに起用したところ。あれはめちゃくちゃ分かりやすかったです。私も「ネイチャから買えば全部当たりじゃん!」と思いましたからね、全部じゃないのに(笑)。
その後、2002年には、3着以内に入る3頭を順不同で当てる「三連複」が、04年には1~3着を順番通りに当てる「三連単」も発売されました。当然、当てるのは難しいんですが、当たったときはデカいです。ぶっちゃけ、「ネイチャがいれば少しは当てやすいのにな~」と思うこともあります(苦笑)。
おまけ2(長生き)
ナイスネイチャはまだ生きています。現在33歳で、人間で言えば93歳ぐらい! 馬の平均寿命は27歳前後といわれていますから、現役時代同様、タフですよね。今は認定NPO法人引退馬協会の里親制度によって多くの人を支えながら余生を送っています。この春には、同協会が目標額300万円で行ったバースデードネーション(4月16日の誕生に合わせた寄付)で、かつてない3500万円もの寄付が集まったこともニュースになりました。「ウマ娘」ブームが後押ししたのは間違いないですが、それもこれも今でもおじいちゃんになったネイチャが多くの人に愛されていたからこそ。今後ますます支援の輪が広がり、ネイチャのように安らかな老後を送れる競走馬が増えればいいですよね。