極貧から這い上がった中嶋勝彦「もちろん修学旅行は欠席です」【豪傑列伝#14】
中嶋勝彦は、過酷な少年時代を過ごしてきた。貧しい幼少期を経て、14歳でプロレス界に入ってからは、1年365日24時間プロレス漬けの生活を送る。同年代の友人が青春を謳歌する間、ただひたすらに歯を食いしばって未来を見続けてきた。
3人兄弟の次男として生まれた中嶋は、母子家庭で育った。母親・富士子さんが家計を支えていたが、小学校高学年に入る頃から生活は苦しくなる。電気、ガスが止められることもしばしば。夕飯は母親が仕事先から持ち帰ったコーンスープだけという日もあった。
しかし、年齢を重ねるごとに母親の苦労が理解できるようになった。転機は小学6年生の時の空手大会だ。空手は3年生から習っていたが、この時は優勝賞品がコシヒカリ10キロだった。中嶋少年は並み居る強豪選手を倒し続け、見事に優勝。中嶋家の食卓には久々に炊き立ての白米が出された。「苦労をかけた母親に恩返ししたい…」。この時の喜びがキッカケとなり、2002年12月、中嶋は長州力のWJプロレス(当時)にスカウトされて入門した。
当時の娯楽は自分の給料で買ったテレビのみだった。実は最近になって、知り合いと渋谷駅のハチ公前で初めて待ち合わせをしたという。
「渋谷デビュー」ということで約束の1時間前に到着し、街を探索しようとしたものの、どこに行けばいいのか分からない…。結局1時間、ハチ公とにらめっこして過ごしたという笑えない話もある。
04年1月、石井智宏戦でプロレスデビューし、15歳9か月の史上最年少デビューの記録を打ち立てた。WJ崩壊後は健介オフィスに入門。その後の活躍は説明するまでもないだろう。苦しい生活に耐え抜いた強靱な精神力が、今の中嶋の快進撃を支えている。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。