感激!新婚旅行で訪れたフロリダで親友・ラミレスが用意してくれたサプライズ【岩村明憲連載#4】
ラミレスに学んだ〝暗黙のルール〟
今回は僕にとっては“親友”ともいえる、アレックス・ラミレスの話をします。
2016年から(※20年まで)横浜DeNAベイスターズの監督を務めることになりましたが、まずはヤクルト時代に共にプレーしていた思い出から話したいと思います。
お立ち台で得意のポーズを披露するラミレスと岩村(04年、神宮球場)
彼がチームに加入したのは2001年でした。その年はチームはリーグ優勝を果たし、日本一に輝きました。入団してすぐ結果を残したことで、すんなりチームに溶け込んでいたように思います。仲良くなって、行動を共にするようになるのも時間はかかりませんでした。
彼は周囲も知っての通り、すごくフレンドリーです。誰に対してもそう。でも一方で“ダメ”と思ったことに対しては、しっかり言ってくれる。そんなところを非常に尊敬していました。
こんなことがありました。確かサヨナラ勝ちを決めた後のこと。僕とラミレスが四球を選び、出塁し、その後誰かが打って、決まった試合がありました。僕はついついうれしくて「イエーイ!」と大盛り上がりで喜んでいたら、ラミレスにこっそりと「喜ぶのもいいけど、もう少しほどほどにね」と耳打ちされました。
サヨナラ打を放った土橋がラミレスの手荒い祝福にお返しとばかりに跳び蹴りで反撃(03年7月、神宮)
言われた瞬間に“ああ、そうだな”と。やられて嫌だと思ったことは人にはしない。例えば、本塁打を打った後に相手投手を余計に侮辱するような行為をしないとか。米メジャーでいう、アンリトンルール、暗黙の了解と共通するのかもしれませんが、そういったプレー中のマナーについては細かく言われた気がします。
もちろん打った後にガッツポーズなどはついしてしまいがちだし、日本球界では習慣として根付いたものとは思うのだけど、あまりド派手なものは控えるようにとかね。そうすることで無用ないざこざも起こさなくて済む。非常にフェアプレー精神については勉強になりました。
ラミレスとお笑い芸人のザブングル加藤のカッチコチ対決(07年5月)
同時にプレーヤーとしても見習うべきところは多かったですね。外国人選手として初の2000安打を記録したラミレスですが、何といってもオン、オフの切り替えがはっきりしていたように思います。
試合後にパーッとバカ騒ぎをすることもあれば、ときには試合後の食事時もコーラだけにして翌日の試合に備えるなど、試合に臨むための明確なビジョンがあり、やるべきことをしっかりやっていた。その点はぶれませんでした。
僕は後にポスティングでヤクルトからメジャーに移籍することになるんですが、チームメートのラミレスの存在が大きかったことは間違いありません。
メジャー時代の経験談もよく聞いたし、あるときはメジャーのクリーブランド・インディアンスのキャンプ地であるウインターヘブンで自主トレをさせてもらったことも。あの時も彼のホスピタリティーには感心させられました。
ラミレス監督が人に好かれる理由
CSで乙坂のサヨナラ本塁打に喜ぶラミレス監督(19年10月、横浜)
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