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日米野球で2試合3本塁打 今ならメジャーに挑戦していたかも【宇野勝連載#5】

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山内監督は打撃を教えるのが好きな人

 1984年から中日の監督は近藤貞雄さんから山内一弘さんに代わった。前任の近藤さんのように怒鳴るような人ではなく、とても穏やかな人だった。そして、何よりも打撃を教えるのが好きな人。監督というよりも打撃を教えている人という印象だった。

山内一弘監督教室

野球教室のようにとにかく熱血指導だった山内監督

 とにかく教えだしたら止まらない。「やめられない、止まらない」がキャッチフレーズだったカルビーのスナック菓子「かっぱえびせん」と呼ばれていた。実際、熱心に教えてくださる方で、分からなければ何時間でも付き合ってくれた。「噂で聞いていた通りの人だな」と感じたものだった。

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山内監督はとにかく打撃指導が好きだった

 山内さんは、83年に広島で臨時コーチを務め、高橋慶彦さんの打撃を変えたことでも知られていた。それまで本塁打がシーズン1桁台だった高橋さんは“山内打法”を取り入れるや、その年、24本のホームランを量産した。そんな師弟関係だから高橋さんは山内さんが中日の監督になっても、自分がちょっと不調になると訪ねてきた。さすがにグラウンドだと具合が悪いので監督室に来られていたが、そこで山内さんはこれから戦う広島の主力選手である高橋さんを一生懸命教えていた。あれには驚いた。

 山内さんはアイデアを出しながら角度が違った方向から指導することもあった。バケツに水を入れて、それを両手に持ち右から左へと振って水を真っすぐに飛ばす。そんな練習もした。バイオリズムにも熱心だった。体、感情、知性は周期的に良かったり悪かったりパターンが決まっているという仮説で、誕生日を元に波形にグラフで表しているもの。監督室には各選手のバイオリズムのグラフがびっしりと貼られていた。「今日はおまえバイオリズムが良くなかったのによく打ったなぁ」「今日のおまえのバイオリズムは良いぞ」などと声をかけられたものだ。

 山内さんからは「この本を読め」と薦められたこともある。「インナーゴルフ」というメンタル面を鍛えるというものだった。自分の力量を自分で見極めるためにはどうするのかといった内容。例えば優勝争いをしているゴルファーが最終の18番ホール。9番アイアンで十分に届くところを「自分は『優勝したい』とアドレナリンが出ている」とあえて9番アイアンよりも飛距離の出ないピッチングウエッジを持つ。自分で自分をコントロールするということだ。

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