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祝!「ウマ娘」で実装&漫画化!サクラローレルを「東スポ」で振り返る

 10日に「ウマ娘」の新漫画が公開されるのと同時に、その主人公であるサクラローレルがゲームにも実装されました。というわけで、私も久しぶりに綴らせていただきます。1996年の年度代表馬であり、様々な困難を乗り越えた名馬を「東スポ」で振り返りましょう。その馬生と同時期に走った個性的なサラブレッドたちとの物語はまさに漫画になるのにふさわしいもの。だからこそネタバレになっている可能性もありますのでご注意ください。(文化部資料室・山崎正義)


開花待ち

 体が弱かったサクラローレルは2歳でのデビューがかなわず、競馬場に登場したのは3歳になってから。正月早々、中山芝1600メートルの新馬戦に出てきました。

 新聞に重い印が並び、単勝オッズは1・8倍。調教でめちゃくちゃ動いていたわけではないのにこれだけの支持が集まったのは雄大な馬体と血統に起因していたと考えられます。ローレルの父はレインボークエストという凱旋門賞馬。日本ではほとんどなじみはありませんでしたが、種牡馬デビューしてすぐに凱旋門賞馬やエプソムダービー馬を輩出しており、海外では十分な産駒実績を持っていたのです。今より新馬の情報が少ない1994年、馬体と血統だけ見ればこう思うのは当然。

「すごい馬なんじゃないか」

 が、結果は後方から全く伸びず9着。豪快に人気を裏切ったローレルはこの後、将来のGⅠ馬とは思えない地味な走りを繰り返します。本紙の柱で振り返ってみましょう。

 3戦かけて1つ勝ち、もう3戦かけて2勝目。どちらもダートでの勝ち上がりになったのは、「凱旋門賞馬=芝の中長距離向き」というイメージからは程遠いのですが、当時はソエという若駒特有の骨膜炎が出ており(デビュー時から出ていたとも)、脚元を考慮した選択でした。ただ、正直、戦績的には地味です。だから、続く7戦目にダービートライアルの青葉賞(GⅢ)に出てきたときの印は、ファンの想像より厚いものでした。

「ずいぶん記者から評価されているんだな」

 私もそう思ったんですが、ここで改めて父レインボークエストの存在がクローズアップされます。そう、先ほどのダートとは正反対。芝の2400メートルという条件は、凱旋門賞馬の血にぴったり。しかも、徐々に体も強くなってきており、調教の豪快な動きからも、素質馬が目覚めつつあるような兆しがうかがえたのです。そして、府中の長い直線で、ローレルは一瞬、先頭に立つぐらいの勢いで内から伸びてきました。結果は3着だったものの、鞍上の小島太ジョッキーのレース後の感触は悪くありません。

「直線で外に出せず、まずいところ(伸びづらいところ)に入ってしまった。勝てていた内容だけに惜しい」

 一部のファンは「ひょっとするかも」と思いました。大々的ではないですが、3着以内で権利を取ったダービーに向けて「関東の秘密兵器になるかも」という声もチラホラ。凱旋門賞馬を父に持つ素質馬が大舞台へ…というわけでダービーの馬柱をご覧ください。

 残念ながらローレルの名前はありません。体調が整わず、回避せざるを得なかったのです。そんな中、このダービーで怪物の名前が世に知れ渡ります。

 ナリタブライアン――

 馬柱でも◎がズラリだった皐月賞馬が、大外から豪快に突き抜け、2着に5馬身差をつける圧勝劇を見せたのです。そう、今回のコミカライズ(漫画)でも早々に登場したように、ブライアンはローレルと同い年。同期なのですが、この時点では大きな大きな差がついていました。

 ダービーを暴力的な強さで勝った馬

 ダービーの舞台に立てなかった馬

 立場は秋になっても変わりません。ブライアンが菊花賞を7馬身差でぶっちぎり、スーパー三冠馬になった頃、ローレルはまだ今で言う2勝クラスの条件戦を勝ち切れないでいました。

「いつ咲くんだ?」

「本当に咲くのか?」

 ファンの目は懐疑的でした。しかし、遅咲きのサクラはゆっくりゆっくり根を太くしていたのです。


挑戦状

 三冠馬誕生で競馬界が沸いた菊花賞の2週後、ローレルは京都の芝2200メートル戦を完勝し、ついに3勝目を挙げます。徐々に体質が強くなり、「勝負どころで自分から動けるようになった」(調教助手さん)そうで、続く中山の2500メートル戦も勝ってオープン入り。一気にブライアンとの差を縮めたようにも見えましたが、その翌週、同じ中山競馬場でファンは度肝を抜かれました。

 古馬相手に有馬記念を楽勝したブライアン。

「暴力的な強さ」

「シャドーロールの怪物」

 そんな表現とともに「歴代最強馬では?」という声も上がっていた同期をローレルはどう見ていたのかは知る由もありません。しかし明らかに刺激を受けたような覚醒を見せるから競馬というのは面白いです。年明け早々の金杯(GⅢ)。

 ローレルの単勝オッズは4・9倍という微妙なもの。連勝してきたといえ、前走の2500メートル戦で見せた強さにはステイヤー色が強く出ていたので、2000メートルは距離不足に映りましたし、そもそもまだオープン実績もないのですから、むしろ過大評価とも言えました。ファンからすると明らかに半信半疑で、中には「カモ」なんて声も出ていたのですが…。

 3コーナー過ぎでGOサインが出るとひとまくり。直線では他馬を寄せ付けず、2着に2馬身半差をつけたのです。そう、怪物の影に隠れて気づきませんでしたが、サクラの根から栄養はしっかりと幹に、枝に、いきわたりつつありました。

「え?」

「いつの間に?」

 をつけていたことすら気付かなかったファン

 よ~く見ると、サクラの木には既にいくつかが…

 これには驚きました。

 にわかには信じられませんでした。

 だから金杯後、オーナーさんの「これで胸を張って西へ行けるし、ブライアンの影ぐらいは踏ませてもらえるかな?」というコメントに、「え?」「そこまで咲いてるの?」と戸惑ったのですが、次走、東京競馬場で行われた目黒記念(芝2500メートル)に出走したローレルの走りに、「もしかして…」「本当なんじゃ?」と思わされます。単勝1・5倍の断然人気に支持されたローレルは、まさに横綱相撲で直線、堂々と抜け出すのです。徹底マークしていたハギノリアルキングという馬に最後の最後、クビ差だけ差されてしまったものの、それは追うものと追われるものによる〝競馬あるある〟。一番強い競馬をしているのは誰の目にも明らかでした。

 翌日の記事も「負けて収穫あり」という内容。小島太ジョッキーが「これから大きいところを狙う馬。正攻法でどれだけやれるか」というスタンスだったことからも期待のほどがうかがえましたし、サラブレッドが本格化する4歳だということを考えれば、もう伸びしろしかありません

「これは完全に咲いてるんじゃないか?」

 くしくも春の足音が近づいていました。1か月後には桜の季節。さらにその1か月後には天皇賞・春が待っています。

「一気に咲いたのかもしれない」

「いや、もっと咲くかもしれない」

 しかし、桜の開花を前に、期待に胸を膨らませたファンとローレル陣営のボルテージは、あの馬によってやや下がります。古馬になっての始動戦・阪神大賞典で、ナリタブライアンが大楽勝を見せるのです。

「つ、強すぎる…」

「さすがに勝つのは無理か…」

 しかししかし、二転三転するのがローレルの物語。なんと、4月半ばになり、とんでもないニュースが飛び込んできます。

 ブライアン故障――

 天皇賞・春は回避――

 こうなると再び、ローレル陣営のボルテージが上がります。

「チャンスだ!」

 はい、大チャンスです。

 いや、大大大チャンス。

 実はこの年の天皇賞・春路線はメンバーが小粒でした。そんな中、1週前追い切りの動きも上々。

 急浮上

 急開花

 に見えましたが、今考えると「急」ではなかったのでしょう。体の弱さにくじけることなく、地道にトレーニングを重ねてきたローレルの努力が実を結んだのです。徐々に幹が太くなり、花が咲き始めたのです。

 三冠馬不在の中

 遅れて来た同期のサクラが代わりを務める…

 なかなかのストーリーですよね?

 が、競馬の神様はローレルに試練を与えます。

 レースの週

 追い切り速報を見ようと新聞を手に取った私に飛び込んできた見出し

 ページをめくると…

 ケガ――

 回避――

 それだけじゃありませんでした。

 両前脚骨折――

 重症――

 それは競争能力喪失に等しいほどの大ケガでした。関係者にはすぐにこの2文字がよぎったそうです。

「引退」

 今だったら、ほとんどの馬がそう決断していたと思います。それほど重度の骨折でした。でも、陣営はあきらめきれませんでした。

「すごい馬になる」

「とんでもない能力を持っている」

「絶対にGⅠを勝てる馬なんだ!」

 今と比べ、馬を大事にしていなかったわけではありません。でも、今よりも陣営の思いが反映しやすい時代ではありました。境調教師やオーナーさんの強い気持ち。

「なんとかもう一度走らせたい」

 咲いたはずのサクラ

 一度は散ったサクラ

 木には激しい損傷

 もう一度花をつける保証はありません。

 でも…

 現役続行でした。


戻ってきた2頭

「泣かない、めげない、あきらめない」

「どんな冬でも越えて咲くのが桜です」

「ウマ娘」のローレルはそう言って前を向きますが、競馬界においてそれは決して簡単なことではありません。サラブレッドにとって重度の骨折というのは、治るとも限りませんし、治ったとしても、以前のような能力を発揮できるとも限らない。正直、「無事にターフに戻れるだけで奇跡」というレベルだったそうですから、復帰への道はある意味、賭けでもありました。しかも、トレーニングセンターに戻ってきたローレルは順調に調整を進められたわけでもなかった。骨折したのが4月。その年が明け、1月にも復帰を予定していたのですが順調にいかずに見送り、さらに2月のバレンタインステークスを目標にしたものの、そこにも間に合いませんでした。結局、出走表に名を連ねたのは3月10日の中山記念(GⅡ)。

 印が薄いのも当然でしょう。

 前走からは約13か月ぶり

 ステイヤーにはやや短そうな1800メートル

 メンバーも骨っぽい

 単勝オッズ19・5倍の9番人気という評価は妥当なところだったと思います。「恥ずかしくないレースはできる」というコメントは出ていましたが、もともと強気なことで知られる陣営だと考えれば、「まずは無事に回ってきてくれれば」という本音も見え隠れしていました。なので、小島太ジョッキーの引退で新たな鞍上に指名された横山典弘ジョッキーが、後方からじっくりレースを進めるのを見た私たちの心はこう。

「そりゃ、無理はしないか」

「大事に乗るしかないよな」

 はい、だから余計に驚きました。

 いや、驚く暇もありませんでした。

 4コーナーで中団まで押し上げていったローレル。

 直線で外に出す。

「伸びてくるのか?」

 そう思った瞬間。

「え?」

 アッと言う間でした。

 ファンの目の前を突き抜けたサクラ吹雪

 違うのは散る段階の吹雪ではないということ

 そう、またまた私たちの気付かないうちに、

 またまた私の想像を上回る速さで

 開花!!!

 レース後、横山ジョッキーは話しました。

「馬体はキッチリ仕上がっていた。でも、1年以上も休んでいたから前半は馬に負担をかけないようにと思っていた」

 ここまではやはり我々の想像通り。でも、馬が我々の想像を超えていました。横山ジョッキーによると、騎手の慎重さをよそに、「馬の方がやる気十分だった」というのです。あれだけのケガですから走るのが怖かったはずなのに、ローレルの精神力はその上をいきました。

「負けない…」

「もう一度走るんだ」

 いや、もしかしてこうだったかもしれません。

「走りたい!」

 前向きに

 楽しそうに

 我々を驚かせたローレル。

 いや、「度肝を抜かれた」という表現のほうがしっくりくるかもしれません。1996年の中山記念はそれぐらいの仰天案件、ブライアン級の衝撃度でした。あの時点で歴代2位の〝長い休み明け重賞勝利〟だっただけではなく、めったに見られない豪脚だったこと、何より、力の違いを見せつけた相手、1馬身4分の3差をつけた2着馬が、前年の皐月賞馬で、ダービーと天皇賞・秋の2着馬・ジェニュインだったからです。

「GⅠだ」

「この馬はGⅠ級だ」

 紙面にもあるように、狙いは前年、無念の直前リタイアに泣いた天皇賞・春。実際、レース後に陣営はそう言っていましたし、どんな競馬記者だってこのような記事を作るでしょう。しかし、当時競馬場にいた私たちファンの感覚は少し違いました。「よし、天皇賞だ!」「天皇賞はこの馬だ!」とならなかったのが、実際のところ。理由は3つあります。

 衝撃度が高すぎてポカンとしていた。

 距離が天皇賞とは結び付きそうもない1800メートルだった。

 もうひとつ、これが一番大きい理由。あの前日、天皇賞・春の主役が既に決まっていたからです。そう、ローレル復活の24時間前、もうひとつ、とんでもない復活劇が起こっていました。

 ナリタブライアン!

 前年の天皇賞・春をケガで回避し、秋に復帰したものの12着→6着→4着とスランプに陥っていたシャドーロールの怪物が、マヤノトップガンとのマッチレースで目を覚ましたのです。伝説とも言える阪神大賞典。2頭は600メートルにわたり馬体を併せて走り続けました。そして、最後の最後、ブライアンがアタマだけ前に出た瞬間、競馬ファンと競馬マスコミは狂喜乱舞。

「帰ってきた!」

「強いブライアンが戻ってきた!」

 その高揚感はハンパではなく、翌日の中山競馬場でも、どこかファンは浮わついていました。スーパーホースの劇的すぎる復活に酔っていました。

「天皇賞・春はブライアンで決まりだ」

「トップガンともう一度マッチレースだ」

 だから、いなかったのです。三冠馬が復活した翌日、同期の〝遅れて来た大物〟がこれまた強烈な勝ち方で復活するというドラマすぎるドラマが起こったのに、「天皇賞はローレルだ」という人がいなかったのはそういう理由でした。そして、その空気感は本番まで続きます。追い切り速報の見出しの文字の大きさにも明らかな差があるのがお分かりになるでしょう。

 下馬評は「さらに調子を上げているブライアンに敵なし」「トップガンがどこまで食い下がれるか」と完全に2強ムード。印もこうでした。

 ローレルの思いはいかばかりだったでしょう。下馬評なんて漢字を使うものの下馬評なんて馬には分からないかもしれませんから、純粋にウキウキしていたかもしれません。

「やっとここに立てた!」

「やっとブライアンと戦える!」

 こう書いていると本当にローレルが武者震いをしていたような気がしてくるから不思議です。でも、当時の私は世の中のムードにしっかり流される普通の競馬ファンでした。ローレルのことは頭の片隅にあるだけ。ブライアンの復活と、トップガンとの一騎打ち再び!を期待してレースを待ちました。似たような人たちばかりだったことは単勝オッズが証明しています。ローレルは3番人気だったのですが、これだけ差がついていたのです。

 ナリタブライアン 1・7倍

 マヤノトップガン 2・8倍

 サクラローレル 14・5倍

 こんな数字と期待の中で、2周目の3~4コーナーを下りながらトップガンが先頭に立ち、その外にぴったりブライアンが並びかけていったのですから、競馬場で、ウインズで、テレビの前で、すべてのファンが腰を上げました。

「まただ!」

「またマッチレースだ!」

 しかし、直線を向き、ブライアンが早々にトップガンをかわします。一瞬だけ止んだ歓声。誰もが脚色の差を認識した2秒間の静寂。勝つのはブライアンだと確信したファンは次なる期待を膨らませます。

「怪物が戻ってきた!」

「完全復活だ!」

「ぶっちぎれ!」

 揺れる競馬場。

 耳をつんざく大歓声。

 先頭でゴールを目指すブライアン。

 その後ろにピンクの勝負服が見えたとき、ほとんどのファンはこう思ったでしょう。

「2着はローレルか」

 しかし、3秒後、歓声はどのよめきに変わります。

 なんと、ローレルの脚色の方がいいのです。

「え?」

「まさか…」

「差される?」

 ブライアンのファンが背筋に冷たいものを感じた時、既にローレルがかわしていました。あっさりとシャドーロールの怪物を抜き去っていました。

 大ケガを乗り越え

 同期の三冠馬も乗り越えたあの瞬間 

 歓声よりも悲鳴

 美しいサクラは

 悲鳴の中で満開となったのです。

 レース後、競馬場やウインズに漂っていたのは、2強が揃って負けるとは思っていなかったファンのざわめきと戸惑い。誰もがボー然としていました。でも、誰もがリプレーを見たことで納得しました。

「強ぇ」

「こりゃ本物だ」

 そう、ローレルの強さはどう見てもフロックではなかったのです。スローペースの中で完璧に折り合い、ライバルの直後で息をひそめ、最後までしっかり伸びきった内容は力がないとできません。反動さえ心配された長期休養明けの激勝と1800メートルという距離からの3200メートル、そしてブライアン復活への高揚感で完全にカモフラージュされていましたが、誰もが認めました。

「強かったんだ」

「この馬は本当に強かったんだ」

 早々に気付き、馬券を仕留めた人は超絶気持ち良かったでしょう。ただ、そんな人は少なかった。天皇賞・春を勝った時点でやっと気づいた人がほとんどでした。

「咲いていた」

「もう、咲いていたのか…」

 満開を感じ取ったファンは、改めてその戦績を確認し、拍手を送りました。

「なかなか芽が出なかったのに」

「あんな大ケガをしたのに」

「よくぞ戻ってきた!」

「おめでとう!」

 そして、その強さに確信します。

「秋の主役はローレルだ!」

 そう、今度は脇役じゃありません。

 堂々と

 主役で

 悲鳴ではなく

 大歓声を浴びて花を咲かせる番なのですが…ローレルの物語はやはり一筋縄ではいきません。


強きゆえに

 立場が違えど同級生

 立場が違えどケガからの復活を目指した2頭

 ローレルとブライアンの運命が交錯したのはあの天皇賞・春だけ。そう、たった一度だけでした。

 ローレルは休養に入り、ブライアンは天皇賞・春の後、1200メートルの高松宮記念参戦というサプライズで世間をザワつかせ、6月半ばに屈腱炎を発症、9月になって正式に引退が発表されました。

「あとは任せたぞ」

 ブライアンがそう言ったかどうかは分かりませんが、引退決定の5日後、オールカマーで秋初戦を迎えたローレルが、当面のライバル・マヤノトップガンを「後は任せておけ!」と言わんばかりに一蹴するのですから、やはり競馬は面白いです。

 というわけで、完全に咲き誇ったサクラはいよいよ主役として秋の古馬王道GⅠに向かいます。まず、ターゲットは天皇賞・秋です。

 ローレルはもちろん1番人気でしたが、印は「圧倒的」まではいきません。これは本紙の予想陣が攻めていたこともありますが、他にも魅力的な馬がいたことが関係しています。単勝4・0倍の2番人気に支持されたマーベラスサンデーは破竹の6連勝中(そのうち重賞が4勝)で鞍上は武豊ジョッキー。内枠には当時はまだ珍しかった3歳での天皇賞・秋挑戦を決めた素質馬バブルガムフェローもいます(3番人気)。もちろん、前年の年度代表馬でローレル不在の宝塚記念を勝ったマヤノトップガンも黙っていないでしょう(4番人気)。で、それらの馬に◎をつけたくなるのは、ローレル自身に少なからず不安点がありそうだったから。体調は万全ながら、2000メートルのスピード戦に対応できるどうか、東京競馬場芝2000メートルの外枠、天皇賞・秋は波乱が起きがち…など、様々なファクターが、新聞紙上の印を「圧倒的」ではなくしていたのですが、ファンというのは正直です。ここまで聞いたら3倍ぐらいの単勝オッズになりそうなものの、結果的には2・5倍というしっかりとした支持を受けます。ひょっとすると、それは陣営の強気も後押ししていたかもしれません。サクラバクシンオーのnoteでも触れた通り、境勝太郎調教師はめちゃくちゃ強気な人で、レース前、こんなコメントが紙面に踊っていたのです。

「春ごろは腰のハリもいまひとつだったが、ササ針して休ませたらすごくよくなった」

「絶好調だ」

「乗り役にも特に注文をつけることはしないでいいだろ。反応のいい馬だし、しまいも切れるから」

 伝わってくるのはコレです。

 完全本格化

 サクラ満開

 自信満々

 くるならこい!

 だから、少しぐらいスタートが悪くてもファンは心配していませんでした。レース序盤はかなり後方だったものの、直線に向いたときには既に中団に上がってきていたので、ああ、大丈夫だなと思いました。13か月ぶりの中山記念であの爆発力を見せた馬です。ブライアンを並ぶ間もなく差し切った馬です。

「伸びてくる」

「あとは伸びてくるはず」

 はい、伸びていました。

 でも、道がない。

 進路がありませんでした。

 ロスを減らすために大外ではなく馬群に突っ込んでいたローレルの前にはトップガンをはじめとした数頭の〝壁〟。外に出そうとしても、マーベラスサンデーが蓋をしています。

 突っ込む場所がない。

 脚はあるのに前が開かない。

 どうする

 どうする

 内か

 内しかない

 開くか

 開くのか

 開いた!

 のが残り50メートル。エンジンがかかった時がゴールでした。

 大歓声を受けるはずが再びの悲鳴

 結果は3着――

 ただの3着じゃありません。

 力負けではない。

 進路取りを失敗したのは誰の目にも明らかでした。

「横山、何やってんだ!」

 競馬場にファンの怒りの声。

 よくあることです。

 1番人気馬が騎手のミスで敗れるのもよくあること。

 でも、このときは少し様子が違いました。

 伝統ある王道GⅠで

 現役最強と言われる馬だったこと

 加えて、管理する境勝太郎調教師も烈火のごとく怒ったのです。しかも、メディアを通じて、その様子や言葉が普通にファンに伝わってきたのです。

「乗り役がヘタクソ過ぎる」

 いやいや、確かに横山ジョッキー自身もレース後「俺がこれ以上ないくらいヘタ乗りした」「直線ですんなり抜けられるところに入っていれば、直線だけでも勝てていた」と話していたのですが、境調教師はズバリというか、オブラートに包まなすぎました(苦笑)。しかも、週が明けてもその舌鋒は止まりません。

「俺が乗っても勝っていたよ」

「あいつのおかげで何億損したかわからん」

 メディアの前で言うから一般のファンにも伝わってきます。競馬記者ではなく、単なる競馬ファンの私も、正直、自分の新聞を見て少々ビックリしていました。横山ジョッキーが「俺には俺の乗り方があるんだ!」となっていたら別ですが、レース後、前述のように自分のミスを認めていたのです。なんなら「すみません」という謝罪のコメントすら、当時の新聞に残っています。一流ジョッキーがここまで素直に非を認めることはめったにありませんから、むしろ「潔い」「許そう」となってもおかしくないのに境調教師は止まらないのです。

 もともと強気で、ユニークなぶっちゃけトークで知られるトレーナーですから、嫌味には聞こえません。ファンも、境調教師が〝愛されキャラ〟だと分かってはいました。分かっていたんですが、ストレートすぎたのです(苦笑)。で、当の横山ジョッキーが全く反論しませんから、一部のファンは変な心配をするようになります。

「乗り替わりなんじゃ」

「騎手と調教師がそんな関係で大丈夫か?」

「ジャパンカップは使わないらしい」

「ローレル、大丈夫かな」

 有馬記念までの2か月、ローレルの周囲に漂っていたのは、「不穏」まではいかない「モヤモヤ」。そんな中で、1番強いはずの馬、1番人気濃厚な馬が年末の大一番に向かうという、前代未聞の状況が生まれていました。

 そう、やはりこの馬の物語は一筋縄ではいきません。

 ケガ

 ブランク

 ライバル

 いくつもの困難を乗り越えて現役最強馬と呼ばれるようになったのに、ローレルにはもうひとつ、ハードルが課されました。たった一度の敗戦、ほんのささいなレースのアヤで生まれたそれは…

 見えないプレッシャー

 です。

「証明せよ」

「モヤモヤを吹き飛ばし」

「もう一度強さを」

「現役最強であることを見せてみろ!」

 そんなプレッシャーです。

 強きものにしか課されないプレッシャー

 強きものの前にしか現れないハードル

 できるのか

 やれるのか…

 乗り替わりはありません。

 陣営は横山ジョッキーを信じました。

 では、ファンは?

 それはローレルの単勝オッズが説明してくれます。

 2・2倍――

 2・5倍で天皇賞・秋を負けたのにオッズは下がっていました。もちろん、距離延長や中山適性、余力など、様々なファクターが後押ししたとは思います。でも、やはり最後の最後でファンは信じたのでしょう。

 ローレルの強さを

 走りだけではありません。

 精神的な強さを知っていたからこその2・2倍

 何度も困難を乗り越えてきたローレルだからこそ信じられた。

 信じたくなったのです。

 今までは咲いていたことに驚いていた人たち

 咲くまで信じられなかった人たちが

 今度は咲くと信じた

 そしてローレルは…

 見事に咲きました。

 いや、咲き誇ってみせました。

 威風堂々

 2着に2馬身半の完勝

 スカッとしました。

 気持ち良すぎました。

 信じて良かった。

 やはりローレルには困難の先にある快勝が似合います。

 まさにサクラです。

 寒い冬を耐えてこそ美しい花を咲かせる。

 耐えたことを知っているからこそ、その花はより美しく見えるのでしょう。


花咲か爺さんと凱旋門賞

 レース後、横山ジョッキーは顔を紅潮させ、目を潤ませてこう話したそうです。

「悔しさだけを噛みしめてきた。今日はファン以上に自分自身のために負けられない。無念を晴らせたのが嬉しいです」

 自分の非を認め、境調教師の言葉に一切反論しなかったトップジョッキーはまさに背水の陣で臨んでいました。だからこそのガッツポーズ。

 表彰式でも喜びを爆発させていました。

 あれだけ怒っていた境調教師も満面の笑みだったとか。で、ここがまた本紙らしいのですが、実は翌週、こんな記事を作成しています。

 そう、境調教師に横山ジョッキーへの〝バッシング事件〟について聞いているのです(普通は直接聞きません苦笑)。抜粋します。

「オレはね、いろいろと誤解は招くけど、思っていることを正直に言っているだけなんだ」

「ノリの天皇賞の時の〝ヘタ乗り〟について(メディアに)公言したのも、本当のことだからね。もちろん本人に対しても『キサマみたいなのがよくリーディングジョッキー(昨年の関東部門)になったもんだ』と烈火のごとく怒ったよ」

「この世界では言う人がいないとダメ。他の調教師は遠慮しがちな人がけっこういるけど、オレはリーディングジョッキーだろうと何だろうと、言うべきことは言ってきた。そして言うからには次もまた乗せてやる――これが境勝流なんだ」

〝愛のムチ〟だったことが分かります。そして、こう続けて笑いました。

「言うからには有馬でも乗せてやったでしょ。天皇賞で負けた瞬間は〝2度と乗せまい〟と思ったけど」

 さすが〝愛すべきキャラ〟。本当にこの人は面白いのですが、忘れちゃいけないのが、ローレルを名馬にしたのもこの人だったということです。3歳時に体が出来上がるまで無理をさせなかったこと、4歳春の大ケガでも引退させなかったこと、天皇賞・秋の敗戦で頭に血が上って無理してジャパンカップに行ってもおかしくなかったのに有馬に向けてじっくり絶好調に仕上げたこと…そのどれもがローレルの才能を信じ続けた境トレーナーじゃないとできないことでした。そう、ローレルにとっては

 花咲か爺さん

 だったのかもしれませんが、その名伯楽はこの有馬を勝った時点で既に76歳。年が明け、2月での定年が決まっていました。後を引き継ぐのは、サクラの元主戦騎手にしてローレルの元鞍上・小島太新調教師。境トレーナーはローレルの今後について、その小島調教師とからめて、こう話しました。

「俺はまもなく引退するが、フトシなら凱旋門賞に行きたいって言うだろう。今のローレルなら有望だねえ」

 そう、有馬の完勝で国内最強を改めて証明したローレルには海外遠征の話が出ていました。中でも凱旋門賞はオーナーサイドにとっても夢。実はローレルの母親も、その勝利を夢見てフランスで購入され、フランスで走っていた馬なのです。

 日本が誇るサクラ

 世界で花咲くか――

 とうわけで、ローレルの新たな挑戦が始まったのですが、もうそろそろ、皆さんお分かりかと思います。そう、この馬の物語は一筋縄ではいきません。いかないからいろいろなことが起こり、それがまたローレルの強さを際立たせるのですが、翌年の天皇賞・春もその最たるものでしょう。

 ◎もあれば無印もあるのは、年が明け、脚元や体調に不安が出て、調整が順調に進まず〝ぶっつけ本番〟になったから。今と違い、ひと叩きせずにGⅠに出走することはかなり珍しい時代でしたし、スタミナが問われる3200メートル戦となると余計に「息が持つのか」という心配が出てきます。だから、こういう印になるのですが、すごいのは、そんな状況でもファンがローレルを単勝2・1倍の1番人気に支持したこと。前年からしのぎを削ってきたマヤノトップガンやマーベラスサンデーがしっかり前哨戦を勝ってきたのに、有馬よりさらに単勝オッズが下がっているのですから、いかに強さが認められていたかが分かります。そして、これが競馬の面白さでもあるのですが、どうにかして強い相手に勝とうとすることで、別の馬のとんでもない能力が引き出されることがあります。この天皇賞。トップガンと鞍上の田原成貴ジョッキーが、まさかの脚質変換、後方一気を決めたのは、ローレルをどうにかして負かそうと考えに考えたからでしょう。強きものは名勝負を生むのです。

 そしてレース後、劇的な田原マジックに沸く中で、改めて誰もが気づいたことがありました。

「やっぱりローレルは強い」

 はい、実はこの天皇賞。ローレルはゴチャつくのを避けるため、2周目の3コーナーで真っ先に上がっていきました。4コーナーでは早々に先頭ですから、正直、仕掛けとしてはかなり早いです。何より問題だったのは、その真後ろでマーベラスがローレルを完全マークしていたこと。1番人気馬が狙われ、差されてしまう典型的なパターンだったので、直線を向き、マーベラスがローレルを交わしたときは「ダメだ」と思いました。しかし、恐るべきは、休み明けの長距離戦でそんなレースをしたのに、ローレルは直線で差し返し、さらにマーベラスを突き放したのです。突き放し、振り切ったところを、最後の最後にトップガンに差されましたが、あの差し返しは今見ても鳥肌が立ちます。

「強い」

「強すぎる」

「これなら凱旋門賞でも!」

 誰もが期待に胸を膨らませました。まだ、エルコンドルパサーが2着する前ですから、正直、夢物語。1969年のスピードシンボリ、72年のメジロムサシ、86年のシリウスシンボリ、すべて惨敗でした。だから挑戦する馬さえ現れなかった。でも、このときばかりは「もしかして…」と思いました。なぜなら、ローレルだからです。

 類まれな能力だけじゃない

 どんなことにもへこたれない馬

 立ち上がり

 前を向き

 どんな困難も乗り越えていく精神力を持った馬

 寒い冬を耐え

 見事に咲く花

 日本が誇る花

 サクラだから!

 残念ながら前哨戦のフォア賞で故障を発生したローレルは、本番に向かうことなく引退となりました。ローレルの将来をあきらめなかった関係者により、無事に日本に戻り、種牡馬になれたことはファンとして感謝しかありません。ただ、いまだにこじ開けられない凱旋門のことを思うと、時々、タラレバを言いたくなります。

 欧州血統

 重い芝への適応力

 驚異のスタミナ

 精神的なタフさ

 勝負強い鞍上

 ローレルは凱旋門賞を勝つための条件を全て持っていた。

 あれほど凱旋門賞を勝てそうな馬はいなかった。

 ケガさけなければ

 ローレルが無事にロンシャンのターフに立っていたら

 日本が誇る花

 サクラはフランスで咲いていたかもしれません。


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