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「ウマ娘」の熱血姐さん!ヒシアマゾンのタイマン勝負を「東スポ」で振り返る

 昨年はご愛読ありがとうございました。今年も愛すべき名馬たちを本紙に眠る過去の記事や写真を使って紹介していきます。新年1発目、気合を入れるため、自らを奮い立たせるために選ばせていただいたのはヒシアマゾンです。「女帝」エアグルーヴが活躍するより少し前、王道路線で牡馬と互角に渡り合った「女傑」は、あの最強馬にも真っ向からぶつかっていきました。「ウマ娘」では熱血肌の姉御である〝ヒシアマ姐さん〟の軌跡を「東スポ」で振り返りましょう。なぜタイマンで勝負したがるかも見えてくるはずです。(文化部資料室・山崎正義)。

女傑ロード

 ヒシアマゾンの母はアイルランドでGⅠを2勝した名牝(「ウマ娘」でも「母は海外で活躍していた」と話す場面があります)。父はブリーダーズカップなどを制したシアトリカル。日本にはなじみの薄い血筋のお嬢様として海外で産まれたアマゾンは、2歳の9月、ダートの1200メートル戦でデビューします。

 調教で能力の一端を見せていたのでしょう。印の通り、1番人気に支持され、見事に勝利。続くダート1400メートルのプラタナス賞で2着した後、陣営は芝1400メートルのGⅡに挑戦させます。「芝はどうなんだろう…」というわけです。

 この時点でアマゾンの将来は見えていませんが、なかなか興味深い組み合わせ。牝馬(メス)はアマゾンだけで、他はすべて牡馬(オス)なんですね。そんな状況で、しかもダートでの勝ち上がりでもあったため、人気は6番目。しかし、後の女傑はここでアタマ差の2着に好走します。

「なかなかやるじゃないか…」

 おそらく記者やファンが抱いた感情はその程度だったと思われます。「牝馬の中では上位かもな」という評価で、続く阪神3歳牝馬ステークス、現在で言うところの阪神ジュベナイルフィリーズではこんな評価。

 混戦の中、単勝5・2倍の2番人気だったのですが、勝ちっぷりは〝単勝1倍台〟でした。先行し、4コーナーで先頭に並びかけると、あとは独走――。

「え?」

「こんなに強いの?」

 今考えると、初芝で2着したレースは馬にとってもまさに〝脚慣らし〟だったのでしょう。芝の感触を確かめ、理解した上で本気を出せばアマゾンはこれほど強く、だからこそ、本紙は翌日の紙面をこんなふうに作っています。

 見出しにある「桜花賞大混戦の予感」というのは「こんなに強いヒシアマゾンが出られないのだから大混戦必至だろう」という意味。当時、外国産馬には牝馬クラシックの桜花賞、オークスへの出走権がなかったんですね。というわけで、アマゾンはここからいわゆる裏街道を進むことになります。ナンバーワン2歳牝馬なのですから、普通は少しお休みを取って、桜花賞の前哨戦に臨むのが普通ですが、出走レースが限られるアマゾンは出られるレースがあるなら積極的に使っていくしかなく、年明け早々、中山競馬場の1600メートルで行われる京成杯というGⅢに出てきます。

 前の月にGⅠを勝った馬が出てくるレースではありませんから、これぐらいの印がつくのは当然。単勝も断然の1・8倍に支持されます。が!アマゾンはこのレースを取りこぼします。今まで外からすんなり上がっていく競馬ばかりをしていたので、陣営は〝内で折り合って抜け出す〟教科書通りの競馬を教えたかったのでしょう、1枠1番という枠順通り、内でじっとしていました。しかし、直線を向いて前に馬がいる状況ではなかなかエンジンがかからず、爆発力を発揮したのは前が開いてから。時すでに遅しで、抜け出した馬をとらえきれなかったのです。

「どうしたんだ?」

「スムーズではなかったけど…」

「そこまで強い馬じゃないのか?」

 一部のファンはそう疑ったと思います。一方で、このレースはアマゾンにとってはひとつのターニングポイントになりました。既にこの馬の力を認識していた陣営、特に主戦の中舘英二ジョッキーは、「内や馬群の中にいると何があるか分からない」「力は上なんだから不利のないように外を回していこう」と感じたはずで、以後、腹をくくって外を回すようになるのです。そして、ここからアマゾンの怒涛の連勝が始まります。

 まず、3週後のクイーンカップ(GⅢ)。安全策で外々を回し、直線ではフラフラしつつも勝ち切ります。そして、少し休んで4月のクリスタルカップ。

 クイーンカップで1・4倍だった単勝オッズが、このときは2倍。1600メートルから1200メートルに距離が短縮されたことに、ファンがかすかな不安を感じていたのが数字に表れています。実際、いきなりの急流に戸惑ったのか、今まで先団につけてきたアマゾンは中団からレースを進めることになりました。で、先ほど言ったように、3~4コーナーは外へ。小回り・先行有利の中山競馬場の短距離戦ではかなりのロスで、しかも軽快に逃げていた馬が、アマゾンとは正反対、全くロスのないラチ沿いをすいすいゴールに向かっていたから見ている側は焦りました。直線を向き、残り200メートルの地点でその差はまだ5馬身以上。競馬を長年見てきた人が目にしたら〝逃げ切り濃厚〟の絵面でしかありません。だから驚きましたよ、エンジンがかかったアマゾンがぐんぐんぐんぐん前に迫っていったときは。

「やっときたか」

「2着にはなれそうだな」

「ん?」

「ん?」

「届く?」

「届くの?」

「ええええー!」

 今でも語り継がれる〝漆黒の弾丸〟。1200メートル戦の追い込み劇としては過去イチとも言える強烈な勝ち方に、ゴール後の中山競馬場はハッキリとザワつきました。観客同士が顔を見合わせます。

「お、おい」

「あ、ああ」

「見た?」

「み、見た」

「すげぇ」

「すげぇな」

「この馬、すげー!!!」

 今まで「そりゃGⅠも勝ってるんだから強いんだろうよ」ぐらいだった記者もファンも明らかに見方を変える、いや、変えざるを得ないインパクト。もはや能力の高さは疑いようがなく、陣営も不利を受けないようなレースを心掛けているのですから負けようがありません。次走、クラシックに出られない外国産馬のナンバーワン決定戦という意味合いも強かったニュージーランドトロフィー(GⅡ)でもしっかりと人気にこたえ(単勝1・6倍)、重賞3連勝。夏休みを取って、秋初戦のクイーンステークス(GⅢ)では、やや不安視されていた2000メートルという距離もあっさり克服します。前述のように小回り&内・先行有利な中山競馬場で、ロスを承知で3~4コーナーで大外を上がっていき、あっさり他馬をねじ伏せるのですから強すぎました。

 で、重賞4連勝となった関東馬のアマゾンは、この後、2戦続けて関西のレースに出走を予定していたため、関西馬の拠点である滋賀県の栗東トレーニングセンターに入るんですが、西の関係者は初めて見るこの外国産馬に「そら強いわけだわ」とため息を漏らしたとか。なぜなら、栗東名物の坂路で、古馬でさえ出すのに苦労する51秒台のタイムを、アマゾンは軽々と叩き出したのです。

 記事では、担当助手さんのこんなコメントが載っています。

「栗東で最もけい古駆けする馬を見つけてこないとアマゾンの併せ馬の相手にはならんわ」

 そんな状況で出走したローズステークス。この印も当然かもしれません。

 レースでも、やはり安全に外を回って完勝します。

 これで重賞5連勝。次はいよいよGⅠ、当時は3歳牝馬クラシックの〝3冠目〟という位置づけだったエリザベス女王杯です。外国産馬が出走できるそのレースには、桜花賞、オークスを戦ってきた〝表街道〟のメンバーが顔を揃えていましたから、よくある見方だとこうなります。

「裏街道を進んできた実力馬が世代ナンバーワンを証明するか」

 でも、このときは少し違いました。証明する〝か〟ではなく、アマゾンが強すぎたため、証明する〝はず〟といった雰囲気でレースが行われたのです。この年のクラシック組はどの馬も順調に秋を迎えており、桜花賞馬もいましたし、オークス馬もいましたし、そのオークスの上位組もしっかり出走していました。が、主役は完全にアマゾン。

 本紙の印は微妙ですが、単勝は1・8倍。2番人気のオークス馬・チョウカイキャロルが7・2倍ですから、いかにダントツだったかが分かります。ただ、レースはかなりスリリングなものになりました。秋になり、アマゾンがレース序盤にあまり行く気を見せなくなっていたので、気分を損ねないよう、後方から進めた中舘騎手。断然人気だからこそ余計に不利を受けるわけにはいかないので、3~4コーナーではやはり外々を回して上がっていきました。対して、そんな戦法は百も承知のクラシック組は、ロスを最小限にしてアマゾンに一泡吹かせようとします。名手・河内洋ジョッキーのオークス3着馬・アグネスパレードが一歩先に内を突けば、オークス馬のチョウカイキャロルに乗った小島貞博ジョッキーは、4コーナーを回りながら、アマゾンをさらに外に弾き飛ばしました

「ここは俺たちの庭」

「なめんじゃねーぞ」

 関西ベテランジョッキーの意地。

 お構いなしにねじ伏せにかかるアマゾン。

 残り100メートルは、その3頭による叩き合いになります。残り30メートルほどで最内のアグネスパレードが脱落しますが、オークス馬のチョウカイキャロルはアマゾンに食らいつき、差し返そうとしたので、まさに火の出るようなデッドヒート。最後は2頭が並んでゴール!

 写真判定の結果はわずか6センチ差でアマゾンに軍配が上がります。

 大接戦――

 名勝負――

 しかし、関係者の見方は違いました。これは翌日の紙面。

 小島貞博ジョッキーは淡々と語ったそうです。

「俺の馬より後方、しかも(ロスのある)外から並びかけられて負けたのだから、相手が一枚上だった

 河内洋ジョッキーに至っては笑っていたとか。

「ヨーイドンの展開では勝てへんやろと思って、一歩先に仕掛けたんやけどな。力の差やろうな

 数字は6センチ差。なのに、悔しさすら感じさせない力の差をベテランが痛感したほど、アマゾンは強かったのです。そして、アマゾンを管理する中野隆良調教師は、後方からになったのは「馬に行く気がなかったようで…」と分析しつつ、こんな可能性を指摘しました。

「馬が〝勝てばいいんでしょう?〟と思っているみたい」

 つまり…。

「どう走るかなんて私の勝手」

「勝てばいいんでしょ? 勝てば」

 アマゾンはそういう馬なのかもしれない…というのです。

「人間よりよっぽど上手(うわて)」

「我々が思うよりさらに強いのかもしれない」

 まさに底が知れない強さで重賞6連勝。もはや同期の牝馬に敵などいないアマゾンは、次走に有馬記念を選択します。そこで待っていたのは、この年誕生したもう一頭の底知れぬ馬でした。

タイマン第1ラウンド

 ナリタブライアンのnoteでも書きましたが、その強さは暴力的でした。3冠レースで2着につけた着差は、皐月賞が3馬身半

 ダービーは5馬身

 菊花賞は7馬身!

 この〝シャドーロールの怪物〟が3冠達成後に、1年の締めくくりとして選んだのがアマゾンと同じ有馬記念でした。

 この馬柱、2頭の立ち位置を完璧に表現しています。黒く塗りつぶされた◎さえ並ぶブライアン。クラシック戦線で同年代としか戦ってこなかった馬が、初めて年上の古馬と戦うのですから、ここまで◎ズラリじゃなくても良さそうなのに、あまりの強さに記者もお手上げだったようです。菊花賞が有馬記念に強いというデータもありましたし、何より、この時の古馬の〝選手層の薄さ〟がブライアンの人気を押し上げていました。本来なら、天皇賞・春と宝塚記念を完勝し、競馬界の主役となっていたビワハヤヒデが名を連ねていたはずで、ブライアンとの兄弟対決で盛り上がる予定だったんですが、天皇賞・秋で敗れた後に故障で引退してしまったのです。で、その天皇賞・秋を勝ったネーハイシーザーには有馬の2500メートルという距離は少々長そうに見えましたし、2年前の菊花賞馬・ライスシャワーも骨折明け。GⅠ勝ちのないアイルトンシンボリが3番人気になったほどで、ブライアンに対抗できそうな先輩はまったく見当たりませんでした。

「だったらアマゾンだろ」

「対抗できるのはアマゾンしかいないだろ」

 はい、今だったらそうなると思います。でも、もう一度、印をご覧ください。たいして評価されていませんよね? 重賞6連勝です。底知れぬ強さも周知のもの。でも、印は薄い…これこそ、当時の牝馬の立ち位置を表していました。そもそも、牝馬が古馬王道路線で好走するのはまれ。ましてや3歳の牝馬が有馬記念で好走するなんてことは、完全に〝無理ゲー〟だったのです。実際、有馬記念での牝馬の優勝は1971年のトウメイ以来ゼロが続いており、2着も78年を最後になく、3歳牝馬の2着なんて73年以来ありませんでした。

有馬の牝馬は消し

3歳牝馬なんてなおさら消し――

 そんな〝常識〟の中に飛び込んだアマゾン。しかし、今回改めて調べて分かったのですが、彼女と陣営は最初から白旗を挙げていませんでした。他陣営から「ブライアンは強いから…」と弱気なコメントが出ていた一方で、アマゾンの調教師さんはキッパリ言い切っていたのです。

「アマゾンの勝負根性はハンパじゃない。競り合う展開に持ち込めば一歩もヒケはとらない」

 そう、底知れぬ能力とともに、陣営が評価していたのがアマゾンの負けん気でした。確かに振り返ってみると、重賞6連勝の序盤は、ゴール前で叩き合うような接戦もありましたが、必ず競り勝っていました。エリザベス女王杯でもチョウカイキャロルに差し返されたのに、差し返しています。

並んだら負けない馬――。

いや、馬自身が強く強くこう思っていたのかもしれません。

「私は負けない!」

 陣営はそれを踏まえた上で、ブライアン相手でも馬体を併せれば何とかなると言ったわけです。そんなコメントが新聞に載ったのに、単勝は6番人気(19・1倍)なのですから、いかに牝馬劣勢という固定観念がファンの間に強かったかが分かりますが、トレーナーの強気は馬にも伝わったでしょうし、アマゾン自身、体調も絶好調。そして何より、自分はしばらく負けていないことも認識していたでしょう。

「負けないわ」

「勝つ!」

「どんな相手でも勝つ!」

 気合満点でスタートを切ったアマゾンを、同じぐらい気合満点だった中舘ジョッキーが促します。いつものように後ろからいって勝てる相手ではないですし、並ぶところまでいかせるのが自分の仕事だと感じていたのでしょう。後方ではなく、中団で待機。先行するブライアンの直後で、完全にマークしていました。

「なるほどな」

「相手はあいつか」

「ブライアンか!」

 そうアマゾンが感じるほど、中舘騎手はブライアンを意識していたと思われます。だから、伝説の大逃げを炸裂させたツインターボが3コーナーを過ぎてパタッとガソリン切れに陥り、そこにブライアンが襲い掛かろうとしたのと同時にGOサインを出しました。そして、鞍上から出されたその「いけ!」に、以心伝心、アマゾンはグッと反応しました。

「よしきた!」

「勝負だ!!!!」

 ツインターボを「邪魔だ」とばかり蹴散らしたブライアンが、4コーナーを前に、暴力的なスピードで先頭に立ちます。まるで猛獣でした。ひれ伏すしかない勢いで突き進むシャドーロールの怪物。「どけどけどけー!」と道を開けるしかないその前進に誰もがひるむ中、まったくひるまない女のコがただ1人…。

「うらぁああああ!」

「ブライアーン!」

「タイマンだあーー!」

 外から並びかけようとするアマゾンに多くの人は「無謀だ」と感じたはずですし、今見返しても正直、無謀です。でも、陣営も馬も、勝つ気満々でした。

「負けない!」

「私はお前にも負けない!」

「ブライアン!」

「勝負だ!」

「タイマンだああああーーーー!!!!」

 4コーナーを先頭で回るブライアンの外からアマゾン。

 馬体を併せれば勝機はある

 タイマンになれば負けない。

 並べば負けない。

 並べば…

 並べば…

 「うらぁああああ!」

 並べませんでした。

 ブライアンには追い付けなかった。

 馬体を併せることはできませんでした。

 3馬身差の2着――。

 完敗でした。

 しかし、ゴール後、ブライアンの強さに酔いしれ、熱狂していたファンは、場内に流れるリプレーを見ながら、こう言いだしました。

「やっぱりブライアンはすげぇ」

「でも、アマゾンもすげぇじゃん!」

 そこには、直線で他馬を突き放していく無敵の三冠馬に食らいつく、一頭の牝馬が映っていました。

 食らいつき

 食らいつき

 食い下がった。

 それが牝馬だと、有馬記念では消しの牝馬だと、3歳の牝馬だと分かったときの驚きと感動を、当時のファンや私は、今も忘れません。「ウマ娘」で「タイマン」という言葉を聞いて、そうか、あれはタイマンを挑んだんだな、面白い言葉のチョイスだなと思い、でも、馬体を併せるまではいかなかったような…とレースを見返し、やっぱり並ぶまではいかなかったことを確認したんですが、それでもあれはタイマンでした。牝馬では勝負にならないといわれる中、アマゾンは真っ向勝負を挑んだのです。日本競馬史上最強だったと言われるあの年のブライアンにタイマンを挑み、食い下がったのは、アマゾンだけでした。だからアマゾンは今でもこう呼ばれるのです。

 女傑――

 そして、女傑は翌年、日本競馬界を背負い、世界に挑みます。

タイマン第2ラウンド

 有馬記念ではブライアンに3馬身届きませんでしたが、3着馬に2馬身半差をつけたアマゾンの実力は誰が見ても競馬界ナンバー2。しかし、国内にはブライアンがいますし、そもそも海の向こうでアマゾンを誕生させたオーナーが海外志向でもあったため、自然と遠征の話が持ち上がりました。

 米国へ――。

 3月、太平洋を渡ったアマゾン。しかし、現地で脚部不安を発症し、レースを走ることなく帰国することに…というわけで、女傑は国内で再スタートを切ります。復帰戦に選んだのは、当時は初夏の中距離重賞として確立されていた伝統のGⅡ・高松宮杯でした。

 ブライアンに食い下がった馬に印が集まるのも当然。あの有馬記念でアマゾンファンになった人も多く、中京競馬場にも大観衆が集まりましたが、アマゾンはここでよもやの敗北を喫します。逃げ馬不在の中、押し出されるように先頭に立ってしまい、最後の直線ではガス欠。5着に敗れるのです。

 逃げた時点でスタンドがザワつき、直線で伸びを欠く姿には落胆の声が上がりました。ただ、現在でも難しい海外遠征帰りの調整で、本意ではないレース展開でもあったため「しょうがないか」という雰囲気が漂ったのも事実。中野調教師も「負けは負けで仕方ない。鍛え直して秋に備える」と言っていました。でも、ファンの中には、私も含め、次第に「大丈夫だろうか」という不安に襲われるようになっていた人も少なからずいました。思い出すのは有馬記念。

「勝負を挑んで突き放された」

「かなわない馬がいることを知ってしまった」

 それにより、走るのが嫌になってしまったのではないか。あの勝負根性が薄れてしまったのではないか…だから私は、秋初戦が大事だと強く強く感じていました。再調整し、しっかり復帰してほしい。もう一度、強い姿を取り戻してほしい。9月の半ば、アマゾンはオールカマー(GⅡ)に出てきました。

 心配で心配で仕方なかった私は、このオールカマーをいい席で見るため、2回、中山競馬場に行ったはずです。日曜の始発で行ったのか、徹夜で席を取るために前日夜に行ったのかは記憶があいまいなのですが、いずれにせよ、台風で開催が中止になって、すごすごで家に戻り、出直しました。びしょ濡れになりながら駅まで歩いたのだけは記憶に残っており、月曜開催になった競馬場に再び突撃し、「平日なのに、なんでこんなに混んでるんだ!」と驚いたことも覚えています(アマゾン人気の高さを証明していますよね)。で、2回も競馬場にきたんだから頼むぞ…と願う前で、アマゾンが引っかかり、3コーナーを前にガーッと上がっていったのを見て、軽くめまいがしました。ガマンならずに先頭に並びかけてしまう、スマートとは言えない競馬。強引な走りで消耗したスタミナのせいで最後の最後に差される典型的なパターンでもあったので、先頭のまま坂を上がってきてもまだ不安でした。そして、外からアイリッシュダンスという切れ味が武器の牝馬が突っ込んできたときは正直、敗北を覚悟しました。

「引っかかるぐらい精神的に苦しくなっているんだ」

「もう昨年のアマゾンじゃないんだ」

 アイリッシュダンスがアマゾンに並びかけました。

「ダメだ…」

「アマゾン!」

 私が叫んだその時です。アマゾンが再び加速しました。

「負けないわ」

「私を誰だと思ってるのよ」

 そう聞こえるかのような勝負根性。いくらアイリッシュダンスが差そうとしても決して抜かせないその姿に、私は確信しました。

「帰ってきた」

「アマゾンが帰ってきた!」

 勝負根性、健在。タイマンアマゾネス、再び。しっかり調整し、闘志が消えていないなら、ブライアン以外には負けようがありません。続く京都大賞典では3~4コーナーでマクリきれず、4角でも弾き飛ばされて超大外。その時点で前にまだ10頭もいたのに「うらぁああああ!」と並み居る牡馬をゴボウ抜きし、圧勝するのです。

 完全復活! 外国産馬なので天皇賞・秋には出走できない女傑は、ジャパンカップを目指します。そこにはあの馬も名を連ねていました。

 2枠3番をご覧ください。そして、記者の印をご確認ください。あのナリタブライアンが、こんな評価で出てきていたのです。日本競馬史上最強を誇ったシャドーロールの怪物は、年明け初戦を圧勝した後、股関節炎に悩まされていました。休みを取り、秋になって戦列に復帰したものの、その影響は大きく、天皇賞・秋でよもやの大敗。その後もなかなか調整ピッチが上がらず、「ここも厳しいだろう」という見方でした。

 となると、日本の総大将は…。

 はい、誰が何と言おうとアマゾンです。ファンが多いブライアンに単勝1番人気は譲りましたが、その3・7倍に次ぐ、堂々の2番人気(4・3倍)。複勝では1番人気だったのですから、馬券を買う人たちに最も支持されたのはアマゾンだったと言っていいでしょう。これはすごいことでした。この年までのジャパンカップで、日本の牝馬が掲示板に載った(5着以内だった)のはたった1回だけ。そのダイナアクトレスも9番人気という伏兵で3着に入ったもので、牝馬が人気を背負って世界と戦うなんて、全く考えられない時代でした。そもそも前述の通り、古馬王道路線で牝馬が通用すること自体がまれで、人気になるなんてあり得ません。アマゾンがその古い常識を打ち破りつつあるのは確かでしたが、古いファンからすればまだまだ信じられなかったですし、正直、信用もできなかった。だからでしょう。大きくスタートで出遅れたアマゾンを見て、「やっぱり苦しいか…」という雰囲気が競馬場には漂いました。日本の牝馬が世界を迎え撃つ、いや、世界を返り討ちにする瞬間を見るために、アマゾンを応援しに足を運んでいた私も、ぶっちゃけ、「ダメか…」と思いました。しかも、いつものように中舘騎手は安全に外々を走っています。かつてない強豪を相手にしているのに、距離ロスを最小限にするのが常道なのに、直線を向いたアマゾンは他馬から大きく離れた大外に持ち出されました。

「さすがに…」

「厳しいか…」

 復活を目指すブライアンがもがく内から、ランドというドイツの強豪が抜け出します。この年、短期免許で日本で騎乗していた名手マイケル・ロバ―ツ騎手が、ロスなくレースを進め、満を持して先頭に立ちました。

「日本馬は…」

「アマゾンは…」

 外に目を移すファン。ブライアンが伸びないのが分かった今、頼りは女傑だけ。

「頼む」

「頼む」

「伸びてくれ!」

 伸びていました。馬場の真ん中、猛然と追い込んできた漆黒の弾丸。先頭のランドに襲い掛かろうとする姿は、昨年の有馬で、ブライアンに食らいついたあのときを彷彿とさせるものでした。

「いけ!」

「差せ!」

「アマゾン!」

 ファンは思い出します。

「そうだ…」

「並べ…」

「並ぶんだ!」

「アマゾンは並べば負けないんだ!」

 連打連打連打。中舘ジョッキーのムチがうなります。急坂です。どの馬も苦しい。アマゾンだって苦しかったに違いありません。でも、根性の女傑はさらに脚を伸ばそうとしていました。

「負けない!」

「私は誰にも負けない!」

「ランド!」

「勝負だ!」

「タイマンだああああーーーー!!!!」

 並べませんでした。

 馬体を併せることはできなかった。

 1馬身半差の2着――。

 ファンは有馬のときと同じように、リプレーを確認します。

「すげぇ」

「やっぱりアマゾンはすごい」

「よくやったぞ!」

 世界と堂々と渡り合った。

 牝馬が総大将として真っ向勝負を挑んだ――。

 拍手でした。感動的でした。でも、だからこそ、あのときはこんな声も上がったことを、競馬場にいた私は書き残しておかねばなりません。

「あそこまでいったら」

「勝たせてあげたかった」

「どうにかならなかったのか…」

 その後に言葉を飲み込む人もいた一方で、口に出す人もいました。

「乗り方次第で何とかならなかったか…」

 ロスなく回ってきたらもうちょっと際どかったんじゃないか、馬体を併せられたんじゃないか…。噴出する〝タレレバ〟。加えて、もっと辛辣な意見もありました。「中舘じゃ…」。はい、その時点で中舘ジョッキーはアマゾン以外でGⅠを勝ったことがありませんでした。だから「もっと大舞台の経験が豊富な騎手が乗っていたら」という声が上がったんですね。2000年代に入り、何度も年間100勝をマークし、全国リーディング4位だった年もありましたし、最終的には1800を超える勝ち星を挙げ、通算勝利数の第10位に入るほどの騎手になるのですが、この時点ではまだ経験不足感が否めなかったのです。

 さらにもうひとつ、「中舘の追い込みじゃ…」という声。これは完全にイメージ先行とはいえ、中舘ジョッキーには、「逃げ」という印象があまりにも強かった。この2年前、ツインターボの主戦として七夕賞とオールカマーで伝説の大逃げをぶちかましていたこともファンの脳裏に焼き付いていましたし(アマゾンが有馬でブライアンの2着に入った時のツインターボには別の騎手が乗っていました)、それ以外のレースでも逃げ戦法を非常に得意としていました。だからって追い込みが苦手なわけではないのですが、華麗に追い込んでくるイメージがどうしても沸かず、一部のファンにはアマゾンの戦法とマッチしていないように見えたわけです。

 今考えると、馬群の内でじっとしていたところで、勝てた保証もありませんし、人気馬だったのでマークされて包まれたり、そもそもアマゾンが馬群を嫌がった可能性もあります。こういうのは常に結果論。そして、こういう声が上がるというのは、ファンがあのゴール前に熱狂した証拠でもあります。スタート直後はダメだと思ったのに頑張った。牝馬なのに必死で食らいついた。惜しかった、悔しかった、アマゾンに勝たせてやりたかった。だからこその〝タラレバ〟。心が揺れなければその〝タラレバ〟は噴出しないのです。あれはそれぐらいのレースだったのです。また、付け加えさせていただけるなら、私は、こうも言いたい。

「内でセコく乗るのが女傑なのか?」

 そうです。ブライアンに外から並びかけようとし、世界を相手にロスを承知で大外から追い込んでくる、そういう女に、ファンは惚れたんじゃなかったのか。2着なのに、あの有馬記念とジャパンカップのアマゾンが語り継がれているのは、外から真っ向勝負を挑んだからだと私は思うのです。

「うらぁああああ!」

「負けるかぁぁぁ!」

「タイマンだーーー!!!!」

「ウマ娘」における「姐さん」という呼び方も、アマゾン以外には絶対に使えない、使っちゃいけない。猛然と追い込む姐御は、まぎれもなく女傑でした。

タイマン第3ラウンド

 ジャパンカップで2着に激走したアマゾンは年末の大一番・有馬記念に出走します。

 ナリタブライアンの調子が上がらず、女傑が当然の1番人気(3・0倍)。しかし、ゲートに入ったアマゾンはその中で後ろ脚を横にステップに引っ掛け、それを外そうと、腰を沈めてしまいます。いったんゲートから出され、大丈夫かをチェック。大観衆がどよめき、ザワつく中、もう一度ゲートに入るのですが大きく出遅れてしまいます。ジャパンカップでも後方からでしたから、きっと追い込んでくるんだろうと思いました。でも、アマゾンにいつもの伸びはなく、5着に敗れます。

 記事では、ゲートでのアクシデントで集中力が切れ、戦意喪失してしまったことが明かされていますが、一部ではジャパンカップ激走の反動も指摘されました。そして、このレースを機に、アマゾンの歯車が狂いだします。翌年、宝塚記念を目標に定め、その前のひと叩きとして安田記念に出走するのですが、見せ場なく10着。その後、蹄を痛めてしまったアマゾンは宝塚記念を回避し、秋もなかなか調整がうまくいきません。何とか状態を上げてエリザベス女王杯に間に合いましたが、こんな印。

 陣営からも強気なコメントは出ておらず、あの女傑が、牝馬同士のレースで5番人気ですから、いかに「まともに走れば圧倒的だろうけど…」「調子が上がってきていない」という評価だったかが分かるでしょう。しかも、全馬がゲートインし、さあスタート!というタイミングで、アマゾンは前扉をくぐろうとして、暴れてしまうのです。

「アマゾン…」

「どうしたんだ」

「やっぱりおかしい…」

 ファンが不安がる中、ゲートの外に出されるアマゾン。既に他馬はゲートに入っていましたから、一番外のゲートに誘導されました。ゲートに関するトラブルで他馬に影響を及ぼすと認められた場合に起こり得る「外枠発走」。GⅠでは珍しいその措置に、ファンがザワついたのは言うまでもありません。

「おかしい…」

「アマゾン…」

「大丈夫か…」

 誰もが昨年の有馬記念を思い出し、覚悟しました。

「ダメだ…」

「絶対出遅れる…」

 ガチャン!

 驚きました。何と、アマゾンはかつてないほどの好スタートを切ったのです。

「え?」

「え?」

「え?」

 外目をすんなり先行していくアマゾンに、ファンは戸惑いました。「もしかして復調か?」と思う一方で、らしくないレースぶりに複雑な心境だったのを覚えています。ただ、やっぱり頑張ってほしいですし、実際、4コーナーを回り、手ごたえ十分に外から先頭に躍り出ようとしたアマゾンに、大歓声が沸き起こりました。「無理だろ」と思っていた人さえ、「アマゾンがまともに走ったら仕方ない」「だったらあの強さをもう一度見せてくれ」と声を出します。中舘騎手も必死に追います。馬場の真ん中、白とブルーの見慣れた勝負服。その内から1番人気のダンスパートナーが抜け出しにかかりました。その切れ味たるや凄まじく、一瞬でアマゾンの前へ

「ダメか」

「苦しいか」

 漏れ伝わる完調手前情報、いつもと違うレースぶり、重ねてきた年齢、削られてきたかもしれない闘志…明らかに劣る勢いに、ファンは半分あきらめました。

「2着でも十分だ」

「十分だよ、アマゾン」

 しかし、彼女はあきらめていませんでした。

「何よ」

「私を誰だと思ってんのよ」

「ヒシアマゾンよ!」

 体調は戻っていなかったはずなのに、前をいく馬に食らいつく名牝。女傑はやはり女傑でした。

「うらぁああああ!」

「負けるかぁぁぁ!」

「タイマンだーーー!!!!」

 届かず、2着――。

 ファンはリプレーを見ながら、久しぶりにあの感覚を思い出しました。

「すげぇ」

「やっぱりアマゾンはすげぇ!」

 今までと違ったのは、このまま2着で確定しなかったこと。アマゾンは、ゴール直前に斜行し、後ろの馬の進路を妨害したとして、7着に降着になったのです。

「体調が万全ではなく苦しくてヨレてしまったのか…」

「やっぱり何かがおかしかったのか…」

 いや、おかしくなかった。あれこそアマゾンなんだと私は思いたい。彼女は、先に抜け出した馬に食らいつこうとするあまり、負けるものか!と思うあまり、内に向かってしまった。馬体を併せようとした。そう、この女傑は…。

 並べば負けない

 並べば…

 並べば…

 並べば…

 
 ちなみに、このときもやはり中舘騎手の騎乗に様々な声が上がりました。次走の有馬記念で別の騎手に乗り替わり、「ならば!」と馬券を買ったファンもたくさんいました。でも、その有馬のアマゾンはいつも以上に行きっぷりが悪く、結局、5着に終わったことを付け加えておきます。

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