見出し画像

落合さんが入っても…近そうで遠い優勝【田中幸雄連載#13】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

全選手の名前を挙げる上田監督のスピーチに感銘

 上田利治監督が就任した1995年、私は3年ぶりに外野から“古巣”の遊撃へ戻ることになった。春季キャンプでは久々に内野で守備練習を積み、しっかり感覚を取り戻して迎えた4月1日のオリックスとの開幕戦には「4番・遊撃」としてスタメンに名を連ねた。

95年のシーズンに気合を入れて臨んだ田中幸雄(95年、東京ドーム)

 久々の遊撃、しかも初の4番打者だ。「打」に重きを置く上田監督からの期待を強く感じた。これで気合が入らないわけがない。5月は打率3割7分1厘、5本塁打、18打点で月間MVPを初受賞。再転向となった遊撃守備も、好調な打撃との相乗効果か、6月7日から9月21日にかけてパ・リーグ新記録となる339守備機会連続無失策を達成することができた。

 最終戦となった10月4日の対西武戦でシーズン80打点とし、オリックスのイチローとロッテの初芝清さんに並んで打点王も獲得。攻守にわたって結果を残せた。そして開幕前の評論家各氏による順位予想で最下位候補だったチームもAクラスこそ逃したが4位と健闘。「上田マジック」の一端が日本ハムでも示された格好になった。

 上田監督は選手とコミュニケーションを密に取るタイプの指揮官ではなかったが、とにかく野球に対する熱意と眼力に優れた方であった。驚かされたのは就任2年目となる96年の開幕前に行われた激励会での出来事だ。登壇した上田監督は選手一人ひとりの名前を挙げながら「〇〇はこういう選手だから、とにかく力が必要なんだ!」と誰一人漏らすことなくスピーチした。

 もちろん、カンペなどない。力強いトーンで、すべての選手について延々と話す上田監督の姿には会場内が大きくざわつき始めた。就任1年目だった前年の戦いで、いかにベンチで選手たちの力量や性格を分析しつつ「生かし方」を考えていたかの証明でもあった。

 これだけのメンバーがいれば、どこかで間違えそうなものだが、言葉の中身はいずれも的を射ていた。

「すごいな…」

 その場にいた私も目を丸くしながら指揮官の一語一句に黙って聞き入っていた。会場中が上田監督にくぎ付けとなり、スピーチが終わると万雷の拍手で包まれた。「名将」と呼ばれるのには理由がある。2003年には野球殿堂入りも果たされる上田監督のすごさを目の当たりにして、自然と身震いがした。

「来年が楽しみだな」

 私だけでなくファイターズの面々は誰もがそう感じ取った。そして、その思いは96年シーズンのさらなる躍進へとつながっていく。

2003年に野球殿堂入りを果たした上田監督

ある朝右ヒジに異変…チームも失速しオリックスが逆転V

 まさに快進撃だった。1996年、日本ハムは上田利治監督のもとで開花の時を迎えた。投打がかみ合い、前半戦終了時点で2位のオリックスに5ゲーム差をつけて首位を快走。3番に座っていた自分も前年に続いて打撃好調だった。7月には打率3割5分1厘、7本塁打、22打点で2度目の月間MVPを受賞。後半戦に入って15年ぶりのリーグVが現実味を帯びてくるとメディアも騒ぎ立てるようになっていた。

金石昭人を出迎える上田利治監督(96年、東京ドーム)

ここから先は

2,384字 / 3画像

¥ 100

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ