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今なら素直に言える。「イチローくん、あのときはゴメン」【下柳剛連載#10】

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ストレート発言に疑惑の目を向けてきたイチロー

 1997年6月25日。プロ野球に関心のない人からは「地味なカード」と言われかねない日本ハム対オリックスが行われた東京ドームには、3万7000人の大観衆が詰め掛けていた。注目を集めていたのは、前日までに連続打席無三振の日本記録を214まで伸ばしていたイチローだった。

 スタンドを埋めたファンが求めていたのは、イチローの記録の更新だったのか、それとも途切れる瞬間だったのか分からない。ただ、リリーフとして対戦の機会を与えられたオレは、めっちゃ意識してイチローと対峙した。

イチローとの対戦はめっちゃ意識した(1997年6月、東京ドーム)

 運命の打席が巡ってきたのは4回二死二塁の場面だった。初球は内角寄り、やや高めの126キロのスライダーでストライク。2球目はインハイの140キロの直球をファウル。わずか2球で追い込んだわけだけど、イチローとの対戦はここからが正念場だった。データによると、当時のイチローは2ストライクに追い込まれての打率が5割。オレとイチローの過去の対戦成績も31打数10安打、打率3割2分3厘で相性がいいとは言えない。三振を奪ったのも、ダイエー時代の94年4月26日と日本ハム移籍後の96年8月20日の2度だけだ。

 ただ、オレは奥の手を用意していた。単に打ち取るというだけじゃなくて、三振を奪うことを意識していたからだ。3球目の外角のスライダーと4球目の内角低めへの直球をカットされて、カウントは0―2のまま。そこからオレは切り札を切った。

 運命の5球目。捕手の山下和彦さんのミットめがけて投じたボールは、真ん中あたりから内角低めへと沈んで、イチローのバットが空を切った。シーズン9度目となる空振りで、天才打者の連続打席無三振記録は216でストップ。その瞬間、東京ドームが経験したことのないどよめきに包まれた。

 ちなみにこの試合で6回2/3を6安打、8三振、無四球で2失点に抑えたオレは7勝目をマーク。試合後には日本ハム移籍1年目の落合博満さん並みに報道陣に囲まれた(三振の後の打席でイチローにフェンス直撃の二塁打を打たれたのはナイショ)。

イチローだけは「ストレート」発言をストレートに受け止めていなかった

 当時の記事を改めて読むと、イチローから三振を奪った5球目は142キロの直球ということになっている。それはオレが「ストレートだよ」と記者に話したからで、記事が間違っているとは言わない。ただ、実はコメントそのものがウソだった。実際に投げたのは試合でほとんど投げたことのないシュート。真に受けてそのまま書いてくれた記者さんには申し訳ないけど、これは企業秘密だから。

 それでも、プロの目はごまかせなかった。オレの「ストレート発言」に疑惑の目を向けてきたのは、ほかならぬイチローだった。

内角攻めでイチローを骨折させてしまった

 言葉は悪いけど、プロの世界はだまし合いだ。連続打席無三振の日本記録を巡るイチローとオレの発言が、まさにそれ。

 オレが記録を止めた1997年6月25日の対戦翌日、スポーツ紙に目を通すと“イチロー節”が炸裂していた。「今の気持ち? 悲しみに打ちひしがれているとでも言えばいいんでしょうか」とか「三振してこんなに喜んでもらえて、僕は幸せ者かと…」といった具合に。まあ、これで毎日のように三振の話題を聞かれなくて済むようになったんだから、ホッとしたっていう気持ちはあるだろうけど、本音では悔しさもあったと思う。

 それを肌で感じたのは騒動から一夜明けた練習中のことだった。オレが外野を走っていると、イチローが寄ってきて「あの球は何ですか?」と尋ねてきたんだ。三振は仕方ないにしても、同じ手は二度食わねえぞって思いがあったのかもしれないな。いずれにしても、普段から仲良くしているわけでもない人間にそんなことを尋ねてくるなんて、よほどのことだよ。

下柳から死球を受けたイチロー(1999年8月、富山アルペン球場)

 もちろんオレだって本当のことは言わない。なんつったって、投げて抑えるのが商売だからね。そっけなく「ストレートが引っかかっただけ」とだけ答えた。これから何度も対戦する打者に「実はシュートだったんだ」なんて言えるわけないでしょ。しかも相手は日本で7年連続首位打者を獲得して、のちにメジャーでも2度の首位打者と10年連続200安打以上をマークした偉大な打者なんだから。

 7年連続の首位打者で思い出した。実はオレとイチローの対決には続きがあって、無三振記録だけじゃなくて、首位打者の記録も途切れそうになったことがあったんだ。あれはメジャー移籍前年の99年8月24日のことだった。場所は富山のアルペンスタジアムだったと思う。インハイの厳しいコースに投げたら右手首に直撃しちゃってね。

 当初は「打撲」と言われていたのに、あまりに痛みが引かないからって精密検査を受けたら「尺骨遠位端尺側骨内の微細骨折」だったことが判明して。ケガをした時点でイチローは規定打席に到達していたから、何とか6年連続となる首位打者のタイトルは獲得したものの、あれで記録が途切れていたら…。しかも、オリックス球団がその気なら、その年のオフにイチローがポスティングシステムを使ってメジャー移籍する可能性もあったわけで…。

右手首に死球を受けて顔をゆがめるイチロー(左)。検査の結果は骨折だった

 もし、日本での最終打席が「下柳からの死球で骨折」とかだったら目も当てられない。実際、9月上旬の遠征で神戸に行くときは「『イチローに何してくれるんや』って囲まれたらどうしよう」って、新神戸駅で周りに怖そうな人がいないか確認したほどだったから。でも、今なら素直に言える。「イチローくん、あのときはゴメン」

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しもやなぎ・つよし 1968年5月16日生まれ。長崎市出身。左投げ左打ち。長崎の瓊浦高から八幡大(中退、現九州国際大)、新日鉄君津を経て90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフにトレードで日本ハムに移籍。2003年から阪神でプレーし、2度のリーグ優勝に貢献。05年は史上最年長で最多勝を獲得した。12年の楽天を最後に現役引退。現在は野球評論家。

※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。

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