見出し画像

「沖縄中のうどんを食べつくすんじゃないか!?」ってウワサされた落合博満さん【下柳剛連載#9】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

些細なことから感じた落合さんのプライド

 日本ハム移籍2年目にあたる1997年も、サプライズから始まった。試合への出場機会を求めて巨人を自由契約にしてもらった落合博満さんの入団だ。真っ先に驚かされたのが、取り囲む報道陣の多さ。当時の日本ハムはお世辞にも「人気球団」と言えるチームではなかったし、前年の名護キャンプでも報道陣は数えるほど。それが一気に10倍近い人数に膨れ上がって、軽いカルチャーショックを受けた。

落合効果で名護キャンプには報道陣が殺到した

 もちろん、落合さん本人もいろんな意味ですごい人だった。まず驚いたのが食事の量。これはもうハンパない。ダイエー時代にもFAで西武から移籍してきた石毛宏典さんや工藤公康さんの大食漢ぶりには驚かされたけど、落合さんはさらに上をいっていた。

 長い時間をかけて、肉から魚から野菜まで満遍なく平らげ、シメは決まって鍋料理の土鍋でうどん。選手の間では「落合さんは、このキャンプ中に沖縄中のうどんをすべて食べつくすんじゃないか」って噂されていたほどだった。沖縄では麺といえば沖縄そばが一般的で、そもそもうどんの流通量が少ないでしょ。幸いにも沖縄のスーパーからうどんが姿を消すことはなかったけど、落合さんの食事量はそれぐらいすさまじいものだった。

 石毛さんや工藤さんも同様で、一流選手っていうのは例外なくよくメシを食う。それだけ食べなきゃ追いつかないほど動いているってこともあるんだろうけど、尋常じゃない量の食事をきちんと消化できる丈夫な胃腸を持っているっていうのも一流のアスリートになるための条件なのかもしれないね。

ダイエーの工藤公康(右)と石毛宏典 (1998年9月、高知)

 ささいなことからも、落合さんのプライドを垣間見ることはできた。春季キャンプでは恒例となっている朝の体操でのことだ。落合さんは決まって“大トリ”で出てくるんだよね。オレもその辺は意識してて、宿舎で隣の部屋だった落合さんの朝の動向はチェックしてたんだ。それなのに、オレはいつもラス前。たぶん落合さんは、オレが部屋を出たのを確認してから腰を上げてたんじゃないかなあ。

 オレと落合さんの“大トリ争い”はキャンプの打ち上げまで続いて、関係者の誰もが知るところだった。そのせいか朝の体操は点呼もなく、オレと落合さんが姿を現した時点で全員集合と見なされていたほどでね。おかげで命拾いした選手も何人かいたはずだよ。

 そんな落合フィーバーで始まった97年、オレは65試合に登板して9勝4敗、防御率3・49という満足のいく成績を残して完全復活を遂げた。何せ先発わずか1試合で147イニングも投げたんだから、我ながらよく投げたと思う。あと忘れられないのが、6月25日のオリックス戦でのイチローとの対決だ。

大記録更新中のイチローと運命の対決

 長いペナントレースの中でも「決戦」と呼ばれる大事な試合やスター選手同士の「注目の対決」というものがある。選手というのは大一番を前にしても平常心を保ちたいという思いがあるから、マスコミからコメントを求められても「自分の仕事をするだけです」とか「特に意識はしていません」と当たり障りのないことを口にしたりする。余計なことを言って相手の闘志を駆り立てても仕方ないし、それはそれでありだと思う。

 ただ、実際は言われなくても意識するもんだ。1997年6月25日のオリックス戦は、特にそうだった。当時のパ・リーグの大スターであるイチローが、連続打席無三振の日本記録を更新していたのだからなおさらだ。

1997年のイチローは開幕からすごかった(4月、GS神戸)

 結論から先に言うと、オレはこの日の対戦でイチローから三振を奪って“時の人”となるわけだが、これには伏線があった。運命の対決からさかのぼること数か月。東京の友人宅で食事をしていたときのことだ。

 野球に興味を持っていた友人の子供が、会話の流れの中でこんなことを言った。「イチローって三振しないんでしょ。すごいねえ」って。それでプライドをくすぐられたってわけじゃないんだけど、オレはこう言った。「そんなもん、シモちゃんが止めたるよ」

 たわいもない子供とのやりとりが脳裏をよぎり「いらんこと言うんじゃなかった」と思ったのは、6月22日の西武対オリックスで、イチローが1978年に阪神の藤田平さんが樹立した208打席連続無三振の日本記録に並び、続く24日の日本ハム戦で新記録を樹立したからだ。

 めっちゃ意識した。もちろん友人の子供との約束もあるし、プロとしてのプライドもある。オレの役回りはリリーフで、当時のオリックス戦だと左打者のイチローやトロイ・ニールのときに出番が回ってくることが多かったし、必ずチャンスが巡ってくるという確信もあった。

 本拠地・東京ドームで行われた同月25日のオリックス戦では、意外にも早く出番が回ってきた。先発のルーキー・今井圭吾が初回に一死からの3連続四球などでKO。2番手の長冨浩志さんを挟んで、オレは2回途中から3番手としてマウンドに上がった。

天才打者の連続打席無三振記録は日本中の注目を集めた

 その年のイチローがいかにすごかったかというデータがある。開幕から前日の24日までに喫した三振はわずか4。それどころか、空振りは8度だけだったそうだ。その時点でリーグ最多の72三振を喫していた同僚のナイジェル・ウィルソンは多すぎだとしても、すでに3年連続で首位打者のタイトルをほしいままにしていたイチローが手ごわい打者であることは疑いようもない。

 その瞬間が訪れたのは4回二死二塁の場面だった…と、ここで行数が尽きたので続きは次回に。バラエティー番組のCMまたぎのようなことをして、すいません。

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

しもやなぎ・つよし 1968年5月16日生まれ。長崎市出身。左投げ左打ち。長崎の瓊浦高から八幡大(中退、現九州国際大)、新日鉄君津を経て90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフにトレードで日本ハムに移籍。2003年から阪神でプレーし、2度のリーグ優勝に貢献。05年は史上最年長で最多勝を獲得した。12年の楽天を最後に現役引退。現在は野球評論家。

※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ