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「パパ、行かないで!」と泣き叫ぶボノの声を背に、ムタは魔界へ消えた【ハッスル連載#4】

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夫婦愛で難攻不落のエスペランサ―から奇跡の3カウントを奪った

 キャプテン・小川直也が離脱した後の新生ハッスルは、次なるビッグイベント「ハッスル・マニア」(11月25日横浜アリーナ)へ向けて総力を挙げる。同大会ではボブ・サップがHGと対戦するハッスルデビュー戦も決定。インリン様とモンスター・ボノの親子初タッグ結成も決まり、天龍源一郎と寄生虫ことRGの「WARG」との対戦も決まった。

HGを破ったボブ・サップ(07年11月、横浜アリーナ)

 同時に初の大みそか進出も明らかになり、大みそかの「ハッスル祭り2007」(さいたまSA)がテレビ東京系列でプライムタイム(午後9時30分から2時間)での地上波放送が決定的したのだ。大みそかに大会が放送されるのは、プロレス史上初の快挙となった。

ハッスルマニアを観戦する伊調馨(07年11月、横浜アリーナ)

 「打倒紅白&総合格闘技」という大きな目標ができた以上、戦う選手たちもより「ハッスル」せざるを得ない。高田総統はマニアに向けて、自らの戦う化身ザ・エスペランサ―の降臨を予告。「小池の旦那」こと坂田亘との一騎打ちを決定。高田モンスター軍は「俺たちが勝ったら小池をモンスター軍にいただく」との無法予告まで突きつけてくるなど、かなりややこしい展開となってきた。

 しかしマニアでは奇跡が起きる。過去2戦2戦全勝のファイナルボスは、開始から異様な威圧感で坂田を圧倒。ハイキック、ミドルキックの連打で戦闘不能に追い込む。そして最終兵器のレーザービターンを発射するが、これは場外のカメラクルースタッフに誤爆。無残にもスタッフは、カメラステージから転落してあわや即死寸前の大重傷を負った。この演出は見事だった。

ハート型の盾を持った妖精さんのレーザービターン返し(07年11月、横浜アリーナ)

 エスペランサ―が天を仰いでトドメのキックに入ろうとした瞬間だ。何と「妖精さん」(小池栄子)がリング上に登場。胸にハート形の盾を胸に「私にレーザービターンを打って見なさい!」と夫のピンチに自らの命を差し出したのだ。これで終わったと誰もが思った瞬間に、ハート型の盾はレーザービターンをハネ返すと、逆にエスペランサ―の胸を貫通するまさかの展開となる。

坂田亘がエスペランサーにトラースキック(07年11月、横浜アリーナ)

 ここで坂田は最後の力を振り絞ってトラースキック一撃を放つや、ファイナルボスは胸から爆音を上げて倒れ込む。そのまま坂田が押さえ込んだ。まさに夫婦愛で難攻不落のエスペランサ―から奇跡の3カウントを奪ってみせた。

妖精さんを抱き上げる坂田(07年11月、横浜アリーナ)

「妖精さん」としての力を失った小池を抱き上げた坂田は「今度は1人の女として俺を支えてくれるか?」と再プロポーズ。小池にはこの時期から北条政子的な良妻の要素があったのだろうか。涙ながらに愛妻を抱きしめる源頼朝、いや坂田と小池の背中には1万2500人満員の大歓声が降り注いだ。

インリン様を気遣うボノ(07年11月、横浜アリーナ)

 一方、天龍はボノがTAJIRIのハイキックで大の字となったインリン様を気遣うスキに、クルリと丸め込んで怪物退治。HGは健闘及ばずサップのビーストボムに沈んだ。しかし「アホの坂田」「小池の旦那」とモンスター軍に罵倒され続けてきた坂田の大殊勲で大会はハッピーエンドに終わるも、素の姿に戻った高田総統はピンピンしたままで報復を誓った。

大みそか「ハッスル祭り2007」地上波放送はプロレス史上初の快挙

 これで年内で残すは大みそかの大一番「ハッスル祭り」のみ。モンスター軍はいち早くインリン様、モンスター・ボノ、そして〝パパ〟であるグレート・ムタのトリオ結成を発表。夫婦愛には親子愛とばかりに最強のトリオを組んだ。対戦相手は天龍、TAJIRI、RG組となった。

TAJIRIを沈めたムタ、ボノ、インリン様(07年12月、さいたまSA)

 さらには体操五輪メダリスト・池谷幸雄の参戦も決定(パートナーはザ・グレート・サスケ、対戦相手はアン・ジョー司令長官)。公開練習ではウルトラCの体操技「ギンガー(後方屈伸宙返り2分の1ひねり懸垂」を応用した「銀牙プレス」を披露。実験台の現WWE・KUSHIDAを悶絶させた。

公認凶器のミルコ・クロコップがキンターマンにハイキック一閃(07年12月、さいたま)

 不安もあったが当日にフタを開けてみれば超満員2万1231人の超満員。ミルコ・クロコップが公認凶器として登場するハプニングもあり、ムタの魔界一家はボノのダイビングスプラッシュ、ムタの閃光魔術弾、インリン様のハイキックでTAJIRIを沈め、3人揃ってのM字固めで鮮やかな勝利を決めた。「パパ、行かないで。ママと3人で一緒に暮らそうよ!」と泣き叫ぶボノの声を背に、ムタは別れを告げて魔界へ消えた。涙、また涙の親子別離劇だった。また池谷は銀牙プレスでバボを沈め、プロレスデビュー戦を飾った。

試合後に現れた高田将軍(07年12月、さいたま)

 メインでは坂田、HG組がジャイアント・シルバ、スコット・ノートン組を撃破すると、ステージには高田総統の新たな化身と見られる「高田将軍」が登場。「戦国ビターン!」の掛け声と同時に、破壊力が倍増したレイザービターンで坂田を吹き飛ばしてしまった。勝つには勝ったがバッドエンドのムードを打ち消すようにくりいむしちゅーの有田哲平が扮した「有田総統」が「3、2、1、ハッスル、ハッスル!」で大会を締めくくり、波乱の2007年は幕を閉じた。ディレイ放送ではあったが視聴率4・0%(関東地区、ビデオリサーチ社調べ)を記録し、テレビ東京は大みそかの万年最下位記録を脱出した。

有田総統がハッスルポーズ(07年12月、さいたま)

インリン様の引退表明で失速状態に…

 とりあえず何とか再度の危機を乗り越えたハッスルだったが、明けた2008年になると2月に坂田が腰の手術のため、長期欠場に入ることが発表された。1月シリーズは強行出場を決意したものの、1月13日後楽園でサップのビーストボムを浴びて腰のダメージを倍増させてしまう。さらに3月にはインリン様に無理矢理サップと組まされたボノはモンスター軍を追放され「家なき子」となってしまった。またしてもハッスルは混乱期に突入した。

インリン様と決別したボノ(08年2月、ハッスル道場)

 4月13日代々木では坂田が腰の手術から復帰するも、サップのアルゼンチン式背骨折りで再度病院送りに。さらに上半期最大のビッグマッチ「ハッスル・エイド2008」では仲違いしていたインリン様とボノのシングル戦が決定。ところがインリン様が4月18日に会見を行い、エイドを最後にプロレス界から身を引くことを発表したのだ。

サップのアルゼンチン式背骨折で坂田が負傷(08年4月、代々木第二体育館)

 インリン・オブ・ジョイトイとして会見に臨んだインリン様は「ハッスルとインリン様を愛するからこそ、一度区切りをつけさせていただきたいと思いました。エイドがインリン様のファイナルマッチです。最後のM字パワーを振り絞って燃え尽きたいと思います」と静かに語った。

会見で心中を明かしたインリン・オブ・ジョイトイ、左は山口日昇社長(08年4月)

 創成期からハッスルの中心となり、世間一般を巻き込んだ爆発的な人気を集めた「ハッスルマニア2005」から約2年半。インリン様の〝引退表明〟により、ハッスルが完全な失速状態に入ってしまったことは、誰の目にも明らかだった。マニアの狂騒曲は、驚異的な瞬間風速を記録したタイフーンのように、宇宙のいずこかへ消え去ってしまったかのようだった。(文化部専門委員・平塚雅人)

ハッスルマニアのラブハッスルポーズは大盛り上がりだったが…

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