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後輩たちに告ぐ、熱い感情がほとばしる野球を見せてくれ【宇野勝連載#10・最終回】

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ショックだったロッテへのトレード通告

 1992年10月のオフだった。松浦マネジャー(現運営部長)から私の自宅に電話がかかってきた。

「明日、球団に来てください。代表から話があるそうです」

 ちょうど沖縄での秋季キャンプに向け、荷物を詰め込んでいた時だった。
 その年、私の成績は110試合で打率2割3分9厘、11本塁打、52打点と振るわなかった。開幕こそ三塁でスタメン出場したが、その後は打撃不振が続き、後輩の前原博之にレギュラーの座を奪われかかっていた。

 すでに34歳のベテラン。秋季キャンプに参加など本当はしなくてもいい。しかし、もう一回、何とかしたいという気持ちがあった。結果は出なかったが、体が動かないわけではない。

「もう一度やってやる」

 そんな矢先の急な連絡だった。

「沖縄には行かなくていいみたいですよ」

 松浦マネジャーは電話でこう言った。すぐに私は思った。トレードの通告で間違いない、マネジャーはそれを知っていても言えないだけだろうと…。嫁さんにも「球団に行ってくる。おそらくトレードになると思う」と伝えて家を出た。

 それ以前から「宇野がトレードに出される」との噂は確かにあったし、私の耳にも入っていた。でも、本心を言えば、あるわけないと思っていた。そう思いたかった。でも、それが現実に…。伊藤潤夫代表から正式な通告をされた時は、やはりショックだった

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長嶋(右)とともにロッテに移籍した宇野(左)。中央は八木沢監督

 ロッテとの2対2のトレード。こちらは私と長嶋清幸外野手(現中日コーチ)で、向こうは横田真之外野手今野隆裕投手だった。すぐには返事ができなかった。すんなり「ハイ」とは言えず「これは断ってもいいのですか?」とも聞いた。これに対して「規定があって難しい」との回答。最終的には「もう、しょうがない」と腹をくくって了承した。

 あの時、私はこう思った。「高木さんはやっぱり自分が好きな選手ではなかったんだな」って。92年、星野仙一さんから監督の座を引き継いだ高木守道さんは現役時代、守備の名手としても知られた。評論家として私のプレーを見ていて、基本的に好きなタイプではなかったのだろう。ましてや年齢もいっている。衰えてきていると見たのだろうと…。高木監督からはトレードについて一切の説明も話もなかったけどね。

 トレードを了承したら、気持ちはすぐに吹っ切れた。千葉には子供のことがあったので単身で行くことになった。93年のロッテ春季キャンプは米アリゾナ州で行われた。海外キャンプは嫌いではなかった。心機一転という気持ちもあって私は精力的にバットを振った。しかし、そんな時、アクシデントに襲われた。

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