巨人最終年の不振は「プロ野球選手の更年期障害」が原因だった【駒田徳広 連載#2】
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巨人最終年の不振は「プロ野球選手の更年期障害」が原因だった【駒田徳広 連載#2】

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スランプ脱出のための〝引き出し〟を開けてもどれもダメ…

 ことあるごとに打撃コーチの中畑さんと衝突した1993年、ソコソコの結果さえ出していれば、ボクは巨人のユニホームを着続けていたかもしれない。前年に3割7厘、27本塁打、64打点の成績を残し、1億円プレーヤーの仲間入りを果たしたボクは「どんなに悪くても2割8分は打てる」という自信があった。しかし、開幕直後から極度の打撃不振に陥り、自分で自分をどうコントロールしていいのか分からなくなってしまった。

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92年オフに契約更改で1億円プレーヤーになったときは良かったが…

 不振の原因は中畑さんと衝突したことではない。あくまで自分の問題だ。プロ野球選手というものはスランプ脱出のため「グリップの位置」「スタンスの幅」「調整法」など自分の〝引き出し〟をいくつも持っているものだ。ボクもいろいろな引き出しを開けてみて、片っ端から試してみたもののどれもダメ。こんなことは初めてだった。

 打率は2割3分台をウロウロし、原因が分からないから「ちょっとしたきっかけで打てるようになるのでは」と思うしかなかった。結果的に「これまでのやり方を変えないと、いつまでも打てない」と気づくのは横浜に移籍した後のことだった。あの年の不振の原因は「プロ野球選手の更年期障害」だったのだ。

長嶋茂雄監督と話す王貞治氏(93年6月、ナゴヤ球場)

長嶋監督と話す王貞治氏(93年6月、ナゴヤ球場)

 それを教えてくれたのは王さんだった。

「どんな選手でも30歳を過ぎたところで壁にブチ当たるもんだ。今まで当たり前のようにできたことが突然できなくなる。そこが大きな分岐点なんだ」

 確かに30歳を過ぎてから急に衰え、引退に追い込まれた選手をボクはたくさん見てきた。逆にそこさえ乗り切れば40歳近くまで現役を続けることができる。フォーム改造、肉体改造など、これまで積み上げてきたものを捨てて新しいものに挑戦するのは勇気がいることだ。だが、思い切ったことをやらなければこの世界では生き残れない。

仁志は06年オフに横浜へ、清水は08年オフに西武へ移籍した

仁志(左)は06年オフに、清水は08年オフにトレード志願してそれぞれ横浜、西武へと移籍した

 そして2006年、仁志や清水はどうだろう。ボクがそうだったように、バッティングを思い切って変えなければいけない時期に来ているのかもしれない。チームの体制が変わり、出場機会が減ることはある。といっても、結果を出していれば使ってもらえるはずだ。「ちゃんと試合で使ってくれさえすれば結果は出せる」と思っているだけでは、たとえ他球団へ移籍してポジションを与えてもらったとしても、きっと結果は出せないだろう。

 93年のボクは自分に起きていた変化に気がつくことができなかった。いたずらに不振を長引かせ、それが原因で中畑さんとの衝突を繰り返す悪循環…。そして、あの「トレード騒動」につながってしまうことになる。

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