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野球は筋書きのないドラマ…とわかっていても劇的すぎた2009年WBC決勝【岩村明憲連載#9】

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チーム初のワールドシリーズ!決戦直前、ナインに闘魂を注入した

 チームが初のワールドシリーズ進出に向け、息詰まる戦いが続く中、プレーオフで印象的だった試合はホワイトソックスとの地区シリーズ第2戦です。

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渾身の一発を放ち、ワールドシリーズ進出に大きな貢献をした岩村

 1―2とリードされた5回一死一塁の場面で僕は相手左腕、バーリーのカットボールをとらえ、左中間スタンドに逆転2ランを放ちました。まずうれしかったのは、メジャー屈指の好捕手といわれ、そこまでリードで苦しめられていたA・J・ピアジンスキーから一発を打てたことにありました。

 さらには球場中に「アキ、アキ!」とすごいカーテンコールが湧き上がって…。あんな歓声は聞いたことがなかった。鳥肌が立ちました。

 勢いは続き、その後のレッドソックスとのア・リーグ優勝決定シリーズも初戦を落とした後に3連勝して、ワールドシリーズ進出に王手をかけました。このままいけるんじゃないかと思ったんですが、勝負はそんなに甘くありません。連敗し、3勝3敗で迎えた試合前ミーティングでは、こうナインに対して語りかけました。

「今日負けたら最後だけど、一つ言えるのは、この場にいられるのはオレたちだけだということ。A・ロッドやデレク・ジーター、トリー・ハンターなど、どんなにお金を稼いだ選手も、みんなこの舞台には出られない。指をくわえてテレビ観戦するしかないんだ。オレたちの今日の試合をみんなが見ている。だから、楽しもうぜ! そして暴れてやろうぜ!

ナインとハイタッチする岩村(08年5月、VSヤンキース、トロピカーナフィールド)

ナインとハイタッチする岩村(08年5月、トロピカーナ・フィールド)

 逆王手をかけられ、相手の勢いもあり、自分も含めて余裕がなくなっているのは分かっていました。ただこの時期まで戦えることのありがたさを、少しでもみんなに感じてもらいたかった。結果として息を吹き返し、ワールドシリーズに駒を進めました。

 その後、ワールドシリーズではフィリーズに敗れましたが、ここまでリーグ最高4位だったチームが初の地区優勝、ワールドシリーズへ上り詰めた、その充実感で胸がいっぱいになりました。

 そこに至る過程には、声がけや堅実に一つひとつのプレーをこなすこと、ときには周囲と衝突するなど、様々な関門がありました。

モヒカンスタイルの岩村(08年9月、VSタイガース、デトロイト)

モヒカンスタイルの岩村(08年9月、デトロイト)

 あの年は僕がやっていたモヒカンスタイルも話題になりましたね。最終的にはナインもまねするようになりましたが、それもまとめたつもりはなく自然とそうなっていました。

 逆に言えば、まとまる時はそんなものなのじゃないかと思いました。とにかく右も左も分からない僕を受け入れてくれたチームメートに感謝するとともに、最高峰の舞台でプレーできたことは幸せだったと思います。

 充実のシーズンを終えた翌年、また戦いの場が巡ってきました。

2009年WBCはファンの期待の大きさに武者震いした

WBC、日本×キューバ、岩村の守備(サンディエゴ)

キューバ戦での岩村の守備(09年3月、ペトコ・パーク)

 初のワールドシリーズ出場と充実したシーズンを終え、翌年の2009年は春先から日の丸を背負った戦いが待っていました。

 第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)です。第1回にも出場していた僕ですが、まず驚かされたのは、野球ファン皆さんの注目度の高さでしょうか。

 今でも忘れられないのは大会前の宮崎合宿の光景です。練習が行われたサンマリンスタジアム宮崎に詰め掛けた人、人、人の姿。5万人ともいわれ、当時は、球場を訪れるファンの方の数が多すぎて、途中の道路まで通行止めになったなどのフィーバーも報じられました。肌で感じたのは僕ら選手も一緒でした。

イチローを取り囲むファン(09年2月、宮崎)

イチローを取り囲むファン(09年2月、宮崎)

 メジャーリーガーからは投手で松坂、野手でイチローさん城島さん福留さんが参加となりました。なかなか日本ではプレーする姿が見られないとあって、特にイチローさんがサンマリンスタジアムに姿を現した時の歓声のすごさといったら…。

 真剣に武者震いがしました。これだけの方が僕たちに期待をかけてくれている、連覇を期待されていると思うと、うれしさと同時に重圧がドッと押し寄せてきました。

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