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【プロレス】豪傑列伝

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プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。
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2024年8月の記事一覧

年間300試合戦った藤波辰爾「常に気が抜けないことが逆に刺激になっていた」【豪傑列伝#30】

 プロレスラーは年間300試合を戦う――。もはや伝説に近い言葉だが、藤波辰爾は実際に月25試合のペースで戦った経験を持つ数少ないレスラーの一人だ。  パスポートは瞬く間にスタンプを押すスペースがなくなった。それでも足りず、新しいページが追加される。パスポートはどんどん厚くなり、更新の時には文庫本並みに膨れ上がった。休む暇もないほどの試合と移動の連続。だが、不思議なことに当時の藤波につらさはなかったという。  巡業先では病院を探し回り、注射や点滴を打って会場入りした。肉体の

60万円だと思って買ったロレックスが600万円!曙「返品?考えもしなかったですね」【豪傑列伝#29】

規格外の肉体を誇った元横綱曙は、買い物も豪快だった。横綱時代は海外で超高級腕時計にひとめぼれして「10倍」の価格で購入したという。現在では「惜しいことをした…」と悔やむ秘話とは…。 1995年、横綱として全盛を極めていた時期、曙は海外公演で訪れたオーストリアで、信じられない出来事に見舞われた。 この決断が誤算だった。帰国後、曙は自分の目を疑う。届けられた明細書にはハッキリと「600万円」と記されていたのだ。どうやら、店側の単純な(?)計算ミスか、曙の勘違いが原因だったらし

井上康生の道着を強奪!澤田敦士「ふんだくって、そのまま持って帰っちゃいました」【豪傑列伝#28】

 その生い立ちは栄光と波乱の連続だ。北海道出身の澤田は幼い頃から抜群の運動神経で、小学校時代には砲丸投げで当時の道内記録を作り、スキーも旭川市の大会で優勝。柔道も全国大会2位に入るなど、地元テレビ局では「スーパー小学生」と特集が組まれたほどのスターだった。  小学校卒業後は上京して、柔道の超名門・講道学舎に入門。畳の世界で頂点を目指したわけだが…。  講道学舎の厳しい指導で覚醒した澤田は、世田谷学園高時代から豪傑ファイターとしての頭角を現し始めた。最初の標的は2008年北

頭皮がめくれてペッタンペッタン…田中将斗「笑い事やないっちゅうねん」【豪傑列伝#27】

 ゼロワンの弾丸児・田中将斗はメジャー、インディを問わず、どこのリングでも高評価を得ているレスラーだ。かつては日本人で初めてECW世界ヘビー級タイトルを奪取。ハードコア路線を得意としているだけに生傷は絶えない。旧FMW伝統の“休まない”美学を今に伝える男が経験した大惨事とは…。  デビューから16年、これまで300針以上、体を縫ってきた。今でも忘れられない傷が、頭頂部に残っている。  頭頂部の皮がめくれて頭蓋骨が見えていたにもかかわらず、そのまま試合を続行。当時、対戦相手