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葛西純「あのババァ、医師免許持ってなかったんじゃねぇのか?」【豪傑列伝#26】

 プロレス界の〝狂猿〟こと葛西純は自他共に認めるデスマッチの天才だ。蛍光灯、画ビョウは日常茶飯事。11月20日にはあまりに危険なため過去3度しか行われていないカミソリボードデスマッチを敢行。デスマッチ史に残る戦いをくぐり抜けてきた男は、常識外れの生命力を持っていた。

伊東とのカミソリマッチで男を上げた葛西。デスマッチ人生はまだまだ続く

 デスマッチにこだわりを持つ葛西だけに、試合後の肉体はいつもズタズタ。生傷とは切っても切れない間柄だ。そんな葛西でも「あれはクレージーだった」という出来事があった。

【葛西の話】9年前にヒラデルヒア(葛西語でフィラデルフィアの意味)のCZWに遠征して、蛍光灯デスマッチをやったんだけど、背中がパックリいっちまって、150針縫った。そん時は会場にいた、本当に医者かどうか分からない自称医者のオバさんに縫ってもらったんだけど、そのまま翌日に15時間かけて帰国。次の日、札幌でバトラーツの試合に出て、そのまま北海道を営業活動で回った。しばらくして抜糸のために病院に行ったんだけど、医者から「あり得ない」ってあきれられたよ。何が? 傷の縫い方がむちゃくちゃであり得ないって。あのババァ、やっぱり医師免許持ってなかったんじゃねぇのか?

 聞くだけで身の毛もよだつ話だが、本人はケロリ。この時は150針縫ったが、それ以外の傷は「骨が見えたり、脂肪がベロッて見えてきたりしない限り、縫わない」らしい。通常は傷口を寄せて張り付けて固定するだけ。消毒も「シャワーぐらい」というから、痛みの感覚もマヒしているのかもしれない。

【葛西の話】冬木(弘道)さんの川崎球場大会(2002年5月5日、WEW旗揚げ戦)に出た時、試合中に低空ドロップキックをモロに食らった。その時「ブチッ」て音がしたんでヤバイと思ったら、左ヒザの十字靱帯が切れちまった。試合が終わった後に即入院、手術。戻るまで10か月かかった。オレっち試合の最中は痛みも感じなかったんで、パールハーバースプラッシュやジャーマンとか出したけど、後でVTR見てみると足引きずってたわ。靱帯切れて試合最後(10分52秒)までやったヤツは聞いたことねぇなぁ。

背中と頭に無数の画びょうが突き刺さった葛西(2009年11月、後楽園ホール)

 やはり痛みの感覚が常人とはズレている。医者は、こんな男を前にして何も言わないのか?

【葛西の話】まぁ、どの医者もあんましフレンドリーな感じじゃねぇな。よそよそしいっていうか、あきれられる方が多い。オレっちは、ケガが怖いから(今のスタイルを)やめようとは思わない。長くプロレス続けられるスタイルもあると思うけど、それはやりたくない。デスマッチが怖いとか、やめとこうって思うようになったら引退だな。どうせ長くできるもんじゃねぇし。橋本(真也)さんみたいに太く短くでもいいんじゃねえの。

 
葛西は破壊王・橋本さんの最後の付け人でもあった。


【葛西の話】あの頃は本当に大変だったから。あんまり、いい思い出はないけどな(苦笑い)。今となっちゃあ…あの人は良くも悪くも24時間ずっとプロレスラーだった。目一杯ミエ張って、いい車乗って、いい服着て、いいもの食ってた。そこんとこは最後の付け人として、オレっちが橋本イズムを継承するかな。金がない? うるせえっての、こういうのは気持ちなんだよ、気持ち!

 太く短く、できれば長く――。葛西のデスマッチ人生は続く。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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