田中将斗「試合自体には勝ったけれど、悶々としたモノは残った」【思い出したくない恥バウト】
思い出したくもない過去の暗黒部分を、わざわざ本人に振り返ってもらって紙面にし、さらに14年後に再び引っ張り出すというのは残酷すぎる企画。第3回はゼロワン火祭りで歴代最多5回の優勝を誇る田中将斗だ。
股間をかまれた
あれはボクがFMWでデビューして数か月たったころ、1993年7月の北九州のスペースワールドでミスター珍さん(故人)とやった試合だね。確か大仁田(厚)さんが爆破デスマッチ(対ミスター・ポーゴ)をやったときだった。
今の自分じゃ考えられない。デビュー当時は、ほとんど毎日珍さんと試合が組まれてたんだけどさ。それがゴムパッチンとか下駄で殴られたりとか、お笑いみたいな試合してたんだよ。黒いシューズに黒いパンツはいて、ストロングスタイルにあこがれてたのに…。(ターザン)後藤さんから「組まれた試合に文句は言うなよ」と教えられてはいたけれど、ボクは珍さんの全盛期を知らないし、内心では「何で60歳のジイさんとやらなきゃいけないんだよ」というのはあったよね。大観衆の前で笑われるし…。
まあ若かったからいいところを見せたいというのもあったし、とにかく恥ずかしかった。で、その試合でボクは珍さんに急所をかまれたワケ。股間ですよ、股間。もうドッと笑いが起きて恥ずかしくて恥ずかしくて…。
ボクの人生36年の中で、男に股間に顔を埋められたのはその時だけ。君、笑ってるけどホンマやで。チ○コをかまれたり、男をあんな間近に感じたことはなかったよ(苦笑)。珍さんには試合後「よかったよ」って。何がよかったのか知らないけれどニコッとされた記憶がある。試合自体は確か、逆エビ固めか何かで勝ったんだけれど、悶々としたモノは残った。
勉強になった
でも、あの時のことを振り返ってみると恥ずかしい過去だけれど、勉強になったことも多かった。今思えば珍さんが会場を笑わせていたのであって、僕が笑われていたわけじゃないんだよね。大きな違いだけれど、当時の僕はまだ若くて、でしゃばったところもあったし理解できてなかった。
そのうちに珍さんとの試合を卒業するんだけれど、五所川原吾作にその座を奪われてホッとした半面、悔しいという複雑な気持ちもあったなあ。まあ、何はともあれ男として、あってはならないことを体験した唯一無二の試合だよ。