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井上康生の道着を強奪!澤田敦士「ふんだくって、そのまま持って帰っちゃいました」【豪傑列伝#28】

 その生い立ちは栄光と波乱の連続だ。北海道出身の澤田は幼い頃から抜群の運動神経で、小学校時代には砲丸投げで当時の道内記録を作り、スキーも旭川市の大会で優勝。柔道も全国大会2位に入るなど、地元テレビ局では「スーパー小学生」と特集が組まれたほどのスターだった。

澤田は母校・明治大学で怪気炎を上げた

 小学校卒業後は上京して、柔道の超名門・講道学舎に入門。畳の世界で頂点を目指したわけだが…。

【澤田の話】待っていたのはしごき…いや、厳しい練習でした。今も柔道で活躍しているM田先輩には特にかわいがられました。1日に7~8回絞め落とされて、本当にキツかったですね。逆に中学でそういう経験をしたんで、怖いものなんてなくなりました(笑い)。

 講道学舎の厳しい指導で覚醒した澤田は、世田谷学園高時代から豪傑ファイターとしての頭角を現し始めた。最初の標的は2008年北京五輪柔道100キロ超級金メダリスト・石井慧だ。澤田の心ないひと言が、石井の柔道人生に大きな影響を与えたのだという。

【澤田の話】後輩の中学生の試合を見に行った時です。そいつの相手が、大阪・清風中の石井でした。その後輩が石井と引き分けたから、帰り際にエレベーターで「何であんな無名のヤツに引き分けるんだ」と説教したんですけど、実はその場に石井もいたんですよ。石井はプロになってからも「澤田さんのひと言で、自分は講道学舎に入るのをやめました」とグチってますね。石井は高校から国士舘ですが、あの発言がなければ世田谷学園に進学して、講道学舎に入門したと思いますね…。

 柔道金メダリストとの因縁はまだある。00年シドニー五輪100キロ級の井上康生氏だ。澤田は明治大進学後の03年世界選手権(大阪)に先輩の付け人として乗り込んだが、その際に当時無敵を誇った井上氏の愛用の品を強奪したという。

【澤田の話】康生さんがオール一本で優勝したんで、大会後の打ち上げで「今日着ていた道着ください」と言ったら「ダメだよ」と突き返されました。でもボクも引き下がりません。「いいじゃないですか」とふんだくって、そのまま持って帰っちゃいました。道着の行き先ですか? うちのオフクロが保育園を経営してまして、今もそこに飾ってあります(笑い)。

とんだ災難に遭った井上氏

 柔道界の大先輩から、命の次に大事な道着を強奪した澤田。学生時代は一般人に対しても容赦せず、路上で大立ち回りを演じたこともあるとか。

【澤田の話】大学1年の時に道を歩いてたら、女の子2人を連れた大男がこっちに向かってきました。向こうからぶつかってきて「土下座しろ!」とか言って殴ってきました。これは正当防衛だと思って、自動販売機に押し込んで、機械が壊れるぐらいガンガン殴り返しました。向こうが電話で助けを求めようとするから、3人のケータイも全部折ってやりました。

 アマチュア時代からやりたい放題だった澤田。今後も暴走をやめるつもりはない。「尊敬する猪木さん、小川(直也)さんは不可能を可能にしてきたんで。ボクもそうなれるように、まだまだ突っ走っていきますよ!」

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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