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1972年ミュンヘン五輪で金!のバレーボール男子代表も「美男子ぞろい」という記述を発見したよ

まもなくパリ五輪が始まりますね。なかでも、石川祐希、高橋藍らを擁するバレーボール男子日本代表は現在、世界ランキング2位につけており〝史上最強軍団〟との呼び声も上がるほどです。待望の金メダルに手が届けば1972年のミュンヘン五輪以来52年ぶりの快挙です。

ミュンヘン五輪の日本代表はどんな感じだったんだろう……?

その謎を解き明かすべく過去の東スポ紙面を掘り起こしていたら、当時の日本代表も「アジアの歴史が始まって以来の美男子ぞろい」というびっくりな記述を見つけてしまいました!というワケで、ここからは52年前の東スポをじっくりお楽しみください。1部20円というだけで時代を感じますね(笑)。

※以下の記事はすべて、1972年9月11日付東京スポーツから抜粋したものです。表記も当時のママです。

男子バレー栄光の金メダル

【ミュンヘン10日発=小泉志津男特派員】長くて遠い道だったが、日本の男子バレーボールチームはついに乗り切った。待望の金メダル獲得――決勝戦で東独と対戦した日本は、第1セットを落とし、またも苦しいスタートを切ったが、第2セットに本来の調子をとりもどし、第3、第4セットを連取、セットカウント3ー1で見事東独をふり切った。オリンピックで日本の男子バレーが優勝したのは初めて。実に12年目にして実現した快挙である。

1972年9月11日付本紙1面

俺に続け!南が連日の主役

またも根性の逆転 第2セットから〝日の丸ペース〟

 準決勝のブルガリア戦同様、金メダルをかけた東独戦の日本のすべり出しは大苦戦だった。技の日本と力の東独の対決、粘りのペースになれば、日本有利と見られたが、第1セットは逆に東独が粘り勝った。マウネ、シューマン、それにベテランのシュナイダーの強打を中心とした得点力に加え、レシーブ陣も完璧。日本の速い攻撃、コンビネーションアタックをどこまでくい止めるから注目されたが、それが意外なくらい拾った。第1セット12ー10から日本が1点を取るのにサイドアウトをなんと13回も重ねたほど。大古のスパイク、横田の二段攻撃、ブルガリア戦と同じ大活躍のベテラン南の硬軟自在のアタックは決して不調でなかった。それでも日本はこのセットを取れなかった。

 だが第2セットに入ると日本は完全にチームペースを取り戻し15ー2であっさりセットをタイにした。このときの日本の主役は南。彼のやることなすことが面白いようにズバズバ決まった。南の活躍につられて腰痛をおして連続出場する横田、それに森田と嶋岡の若手コンビが奮起。その間をぬって主砲大古の右腕がうなりだし時間差ABC、ブロック、フェイントで着実にポイントをあげた。

 それにしても東独は予想外に粘った。予選リーグで日本に3ー0のストレート負けした東独が、この日は見違える活躍で日本を土壇場まで苦しめぬいた。決勝戦にふさわしい好ゲームの死闘――日本は悲願の〝金メダル〟を3時間5分の接戦で勝ち取った。その主役は東京五輪(銅メダル)、メキシコ五輪(銀メダル)のレギュラーでベテラン南だった。

(非常に読みづらいですが…)決勝の得点表

〝奇跡〟呼び込んだ男 見事ベテラン陣の働き

 予選リーグ(ルーマニア、キューバ、東独、ブラジル、西独)をいずれもストレートで5戦全勝したときの日本チームの力はズバ抜けていた。それが準決勝のブルガリア戦で3ー2の大激戦のあげくやっと勝ちを拾ったとき、専門筋の一部には決勝戦で当然ぶつかると思われたソ連戦に苦戦必至の見方が強かった。それが思わぬハプニングで勝利の女神が日本にほほ笑んだ。ニガ手のソ連が準決勝で日本が楽勝した東独に完敗したからだ。その瞬間緊張の糸がぶっつり切れた。ブルガリアとの3時間あまりの大試合の一瞬に吹き込んだ。東独に心理的に勝る日本は決勝戦で意外な苦戦をしられたとはいえ、窮地に立ってもムードが明るかった。

 もう一つ、日本チームの〝ミュンヘン作戦〟の秘密兵器は31歳のベテラン南将之(旭化成)の大活躍だ。大古、森田、横田、猫田の〝四本柱〟の陰にあって南の心にいくばかりの変幻自在の攻防は若手のチーム力をぐいぐい引き出す役目を果たした。南とともにベテラン中村も主役の一人。金メダルの秘密は両ベテランの活躍につきる。

南将之はその後代表監督を務めた(1990年)

【前田総監督の話】第2セットを拾ってから完全にペースをつかんだ。今は本当によくやってくれあという気持ちだ。それにしても男女両方金メダルはむずかしいことだ。

【中村主将の話】準決勝、決勝までくれば相手は強いし、実力は紙一重。今日は思い切っていった、。これで女子の仇討ちもできたでしょう。

【松平監督の話】 運が良かったです。人の和、地の利はつくれても運はつくれない。待望の金メダル、12年間やってきましたからね。男子バレーはソ連だけでなく、東独、ブルガリアが強い。ひとつ間違えばこの金も4位になっていたんです。それだけにこの勝利はうれしい。

寺内大吉氏がつづった男子バレー

寺内大吉氏(1970年)

島国根性吹き飛ばした松平用兵

 アジアの歴史が始まって以来の美男子ぞろい――と、ぼくは日本の男子バレーチームを褒め千切った。その美男ぶりが一段と輝いたのが、ブルガリアとの準決勝だった。

 言ってみればゲームを二つ落としていたような試合だった。それを逆転したのである。

 たちまち二セットを奪われ、第三セットも2ー4とリードを許した。日本の好材料は全然なしだ。

 森田は自信喪失、横田は腰の痛みを訴え、猫田またトスワークが乱れている。松平ベンチとしては手の打ちようがなくなっていたはずである。

 ここで思い切って、と言うより万策つきて起用したのが、南、中村のベテラン、それに新人の西本だ。決して破壊力のある予備軍ではない。

 だが、これらのベテラン新鋭は、横森猫の一線級の練習台を近年ずっとつとめてきた。着実に拾いまくり、正確に決めるべきところを決めるだけという戦力だった。

 しかもこの非力さが勝利をあせるブルガリアの虚をついた。力と力で日本勢にぶつかってきたブルガリアはバレーボールに違和感をおぼえはじめたようだ。ペースが変わってぐんぐん追いつかれ、この第三セットを奪い返された。

 もう一つのピンチは、ファイナル・セットに持ち込んだあと、ようやくブルガリアが日本のペースをのみこんできて7ー11と大きくリードしてしまったときだ。

 松平ベンチの用兵は、ここで奇蹟のさえを示した。休ませていた森田を戦線に復帰させ、再び力のバレーで応じたのだ。この時点でもブルガリアは迷った。これまでびしびし決めていたスパイクの前に厚い壁が立ち現れたからだ。あっという間に12ー11と逆転された。そしてエーススパイカーのズラタノフの強打を森田のブロックで止められた瞬間、壊滅してしまった。二度も勝っていたゲームを、ブルガリアは落としたことになる。

 朝に女子チームの惜敗を見、深夜に男子のピンチを目撃したぼくらである。あらためて勝負というものに〝楽勝〟なんてあり得ないことを悟ったものである。金メダルへ通ずる道がいかにきびしいか。

 ぼくは断言していい。これで日本の男子チームはミュンヘンで金を獲得するための条件を身につけたと。

 破竹の進撃を続けた予選リーグ。すべてが完璧で非の打ちどころがない。わずかな難点はミュンヘンにきて全く苦労をしていない、という点だった。
 このことは女子チームにも言えた。ために決勝戦でソ連に苦敗を喫してしまった。

 試練を準決勝で経験させられたことが、幸運につながるかどうか。あとは選手の力量というよりも松平ベンチのさい配がすべてであろう。この厚い選手層を、緩急自在どのように活用してゆくあにかかる。

 調子づけば騎虎の勢いになる。だが、いったんつまずくと、ただりなく後退してしまうのが島国根性である。

 この悪癖を男子バレーチームは見事に克服してくれた。賛辞の言葉も見失ってしまうほどである。

 そんな意味で、アジアは一つオーバーだったが、この島国に現れた最も粘り強い男たちと言えるだろう。

 女子のときにも書いたが、バレーボールという競技で、いかにベテラン選手の存在が必要であるかを、今夜の男子チームはズバリ示した。中村や南の東京オリンピック勢の活躍。今後のチーム作りにも新旧の歯車をいかに嚙み合わせてゆくことが大切であるかを思い知ったはずである。

 とにかくこのブルガリア戦を逆転しただけで、日本男子チームの金メダルは決まっていたようなものだ。(原文ママ)


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