【バレーボール】パリ五輪でメダル奪取へ!石川祐希は己を、チームを鼓舞し続ける大黒柱となった
グッズ売り場は長蛇の列!高まる男子バレー熱
2024年パリ五輪予選を兼ねたバレーボール男子W杯(東京・国立代々木競技場第一体育館)で男子日本代表をけん引した主将・石川祐希(27=ミラノ)の振る舞いは、まさに頼れる〝リーダー〟だった。
6~7月のネーションズリーグ(VNL)では、主要国際大会で46年ぶりの表彰台となる銅メダルに輝き、注目度が急上昇。さらに石川、高橋藍(日体大)を筆頭に、端正なルックスを兼ね備えた選手が複数在籍していることから、バレーボール関係者からは「アイドルのおっかけに近いファンもいる」との声も上がっていた。
W杯の初陣となった9月30日のフィンランド戦は、午後7時25分開始だったものの、2階の自由席の争奪戦に参加したファンが朝8時ごろから並んでいたという。さらにグッズ売り場には長蛇の列ができており、昼過ぎの段階で100メートル以上の長さにまで及んでいた。
まさに想像通りの人気ぶりだったが、肝心な試合は苦戦を強いられた。フィンランド戦はフルセットの末に3―2で辛勝。10月1日のエジプト戦は第1、2セットを連取しながらも、2―3でまさかの逆転負けを喫し、石川は「これが今の僕たちの力だと思う。流れを僕たちが相手に渡しているイメージ」と顔をしかめた。
悲観論が目立つ中、石川は…
今大会は終盤の3試合(セルビア、スロベニア、米国)が勝負の戦いになるとの見方が強かった。それだけに、大会関係者は「この段階で格下に負けていたらパリ五輪は厳しいのでは」と困り顔。別の関係者も「序盤の試合はストレートで勝ってほしいところ。フルセットでやっちゃうと自分たちの弱点が露呈してしまう」と肩を落とした。
記者たちの間でも悲観論が目立っていた。しかし、石川は気持ちを切り替えていた。空き日だった2日にはミーティングで「悪いところにフォーカスすると、悪いところに目が行きがちになる。いいところに目を向けよう」とチーム全体のメンタル面を修正。勝てば問題はない――。かねて「五輪切符を必ず取る」と明言。各試合でどう戦うべきかを考え、常に最善策を模索していたのだ。
個人の調子も絶好調だったとは言い難い。大会前に腰痛を発症。直前まで満足な練習を積めず、フィンランド戦は攻守で精彩を欠く場面が目立った。そんな中でも、毎試合ごとに自身のプレーをブラッシュアップ。大会中盤に関田誠大(ジェイテクト)が「どんどんコンディションもよくなって、より頼もしくなると思う」と語っていた通り、日々状態を上げてきた。
石川の復調とともに、チームも本来の力を取り戻した。3日のチュニジア戦を皮切りに、4日のトルコ戦、6日のセルビア戦と3試合連続でストレート勝ち。7日のスロベニア戦を前に、再びストレートで勝利を収めれば、4大会ぶりとなる自力での五輪出場が決まる位置にまで上り詰めた。
「スロベニア戦もストレートで勝てるかな?」。試合前にある大会関係者はぽつりとつぶやいた。記者も同じ気持ちだった。だが、そんな心配は杞憂に終わった。第1セットは石川の強打などで最大5点差をはね返すと、第2、第3セットは日本ペースの展開で試合が進んだ。最後は24―18の場面でスロベニアのサーブが外れ、花の都行きのチケットを奪取。コートで抱き合う石川や高橋らの目には涙が浮かんでいた。
厳しい状況下でもチーム、己を鼓舞し続けた石川は、大一番でチームトップの15得点をマーク。「自分たちの強さをみなさんに証明できた。五輪の切符を取ると言ってずっとやってきたので、それをみなさんに見せることができて、そしてみなさんと喜べてとても幸せです」と声を震わせた。
約半世紀ぶりのメダルへ
第一関門はクリア。勝利の余韻に浸った一方で、石川の視線は早くも世界の表彰台を捉えていた。「強いチームが今大会を勝ち抜いて五輪に出場できると思っている。今大会で勝ち抜けたので、メダルを目指せるチームにはなっている」と言い切った。
金メダルを手にした1972年ミュンヘン大会以来、五輪でのメダルから遠ざかっている。自国開催だった21年東京五輪は8強止まり。「もう一度、気を引き締めて戦っていきたい」。約半世紀の時を経て、大黒柱が歴史に新たなページを彩る。(運動二部・中西崇太)