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1985年の阪神日本一を振り返っている間に感じた昭和っぽい空気をシェア

 全国の阪神ファンのみなさま、このたびは38年ぶりの日本一おめでとうございました!優勝翌日に発行した東スポはというと、見開き仕様のスペシャルな紙面構成でお届けしました。これでもかとビールをかけられている岡田彰布監督の下がった目尻が幸せいっぱいで、実にほほえましい光景ですね。

2023年11月7日付本紙は1面と終面が合体!

 それならば38年前の1985年はどうだったのかと思い、過去の紙面が収められている縮刷版を引っ張り出してきました。当時の一面記事を東スポWEBアプリでしか読めないアプリ限定記事として公開しております!!

 インターネットも東海道新幹線「のぞみ」も走っていなかった昭和60年の緊迫感あふれる記事と懐かしの写真をご覧になりたい方はぜひ「東スポWEBアプリ」をダウンロードしてください。大事なのでもう一度言います。アプリのDLにご協力お願いします

アプリ限定の「お~ん壁紙」もありますよ(画像クリックでDL先に遷移します)

 とはいえ、ただお願いするばかりでは能がありませんので、東スポnoteでは同じ紙面に載っていた野球評論家・千葉茂さんの「シリーズを斬る」というコラムを取り上げてみようと思います。千葉茂さんは戦前、戦後にわたって巨人を支え続けたレジェンド二塁手。現役引退後は巨人と近鉄の監督を務め、1980年に野球殿堂入りを果たしたすごい方だそうです。私は存じ上げませんでしたが、読むだけで昭和の空気がよみがえってくると思います。知ってる方も知らない方も心ゆくまでお楽しみください。(東スポnote編集長・森中航)

1985年11月3日付の本紙1面、東スポWEBアプリなら記事も読めます!(クリックでアプリストアに遷移します)

千葉茂 日本シリーズを斬る

 ワシの予想通りのゲーム展開になってしもうた。西武の先発が高橋だからというんやなくて、第5戦で眠りから目を覚ましてしまったトラが大暴れするやろと思ったら案の定や。

巨人軍キャンプで王貞治(左)と話し込む千葉茂さん(1980年2月、宮崎)

 二死からバースが歩いた。第4戦までなら掛布が凡打しておしまいや。ところが、第5戦の一発で生き返った掛布がヒットで続き、今度は岡田も投手強襲を打ちよった。完全に第5戦の延長線上で野球をやっとる。
 こうなったら二死でも無死か一死と同じことや。長崎の満塁ホーマーまでは予想できんかったが、初回に阪神が3点くりは取るやろと思っていたから驚かん。打線やなくて〝点〟になっとた打線に〝線〟としてのつながりができたんやから、もう本物や。ペナントレースの勢いを取り戻した。

 西武も石毛の一発でさっそく1点返したが、一方的になってはいかん、4点を忘れて西武らしい野球をやることや。

 1点返したら真弓がドカン。広岡サイ配頼みの西武やったが、こうなるとサイ配の届かんところでのゲームになってしまう。

 これまでヤクルトで一度、西武で二度日本一になり、シリーズで負けたことのない広岡やが、大駒なしの非力な今の西武ではしんどいやろ。

 五十三年のヤクルトにはマニエル、大杉といった大砲がおった。五十七、五十八年の西武にも田淵がおったし、テリー(現ドジャース)や元気のいいスティーブがおった。今年だけはどうにもならん。石毛が3本打っとるが、しょせん大砲ではない。

日本シリーズ第3戦で本塁打を放った西武・石毛(1985年10月、甲子園)

 阪神ベンチは完全にペースをつかんで大騒ぎやろ。「バースが車のハンドルに手をかけた」「いや長崎だ」「祝勝会の準備が始まったぞ」――いろんな雑音が入ってくるやろが、あとは最後までゲームに集中することや。

 いかがでしたでしょうか? 大正8年生まれの千葉さんの言葉に〝重さ〟を感じました。1985年の阪神が日本一を決めたのはシリーズ第6戦でした。

  1.  阪神 3―0 西武

  2.  阪神 2―1 西武

  3.  西武 6-4 阪神

  4.  西武 4―2 阪神

  5.  阪神 7―2 西武

 千葉茂さんも指摘されていたようにカギとなったのは阪神打線が2ケタ安打で爆発した第5戦。そこで3ランを放った掛布が深夜特訓をしていたという興味深い記事も見つけたのでご紹介します。

1985年11月2日付の野球面を読めるようにしました

掛布 たった一人の深夜特訓 「田淵バット」で〝バース病〟粉砕

 ミスタータイガース・掛布の3ランが猛虎をよみがえらせた。西武との日本シリーズに王手をかけた阪神。5戦目にしてやっと2ケタ安打とあたりが戻ってきた。ナインの心からバースだけが頼みの綱、の思いが消えた。これもすべて掛布の一発があったればこそだ。その掛布は不振脱出のだめ一人深夜の特訓を自らに課していた。

深夜特訓していた掛布(1985年10月)

 白球が穏やかな秋の日差しを受け、ゆっくりと弧を描き、最後はバックスクリーンで大きくはねた。

 足取りも鮮やかに一塁ベースを回る掛布。初めて笑った。

 王手をかけるか、かけられるのかの大一番にミスタータイガースは貴重な3ランを初回に叩き込んだのだ。それはいやな思いをすべて吹きはらう一発でもあった。

 試合後「白星は減るもんじゃないし、ウチが絶対有利。もう大丈夫でしょう」と胸を張った掛布。自分の手でつかんだ勝利に〝日本一の座〟も確信した。

 阪神にとっては〝バースシリーズ〟といわれたほど、三冠王に輝いた怪物バースがシーズン同様に打ちまくり、掛布も岡田も真弓も新ダイナマイト打線の面影はなかった。それどころか一発狙いが災いし、全員が奇妙な〝バース病〟にかかっていた。そのすべてをぬぐい去った掛布のシリーズ初本塁打。

 この一発は掛布の〝苦悩〟が生んだもの。「バースのための阪神」の陰口が叩かれていたのは知っていた。それも仕方がないとも思っていた。

 金縛りのナインをなんとか解放しようと吉田監督は①ミーティングなし②夜間練習なし③門限なし――の三無主義で臨んだ。だが、掛布だけは違った。

 宿舎・竹園旅館で深夜、黙々とバットを振った。約一時間、回数にして二百五十回。大粒の汗をしたたらせながら振った。

 一回ずつ相手投手を想定、球筋を定めてのもの。先輩・田淵氏(現評論家)からプレゼントされたバットで一球一球、感触を確かめながら、そこには「バースにだけは負けたくない」という意地があった。

 父・泰治さん(千葉在住)は「やっとボクの手から離れた。大人になった。プレーを見てもバースさんに負けたくないの意欲を感じる。頼もしくなった」と一本立ちした掛布に目を細める。

「ホームランはちょっとつまり気味だったけど、うまく打てた。バックスクリーンに飛び込んだんだから完ぺきといっていいでしょう」

 バースへの維持が生んだ猛虎復活のバックスクリーン直撃弾。ベンチのムードは見違えるほど明るくなった。音なしだった〝六番打者〟に一発も出た。

 岡田も2安打。これでバースが歩かされても大丈夫。逆にチャンスの芽は大きく広がるだけ。

 第6戦の先発を全員が高橋と読んでいる。これとて「ウチの勝ちパターンがよみがえった。早い回でのKOが可能だ」のあと「あと二つ試合は残っているけど一つで決めるつもりで戦うよ」と続けた掛布。たった一人の深夜特訓でバースの影をはらい、吉田監督のいう一丸野球をリズムに乗せた。こうなった時の阪神はスキなしだ。


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