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ケガをしても練習を休まない小橋建太「あの温厚な馬場さんが怒ったんだ」【豪傑列伝#6】

 2007年12月2日、日本武道館。腎臓がんを克服した小橋建太が546日ぶりにリングに戻ってきた。日本中が注目した鉄人の復活劇だったが、わずか9か月後の翌年9月には、両腕の手術で再度長期欠場を余儀なくされる。2000年8月にノアが旗揚げしてから、小橋が長期欠場したのは実に4回。ひざと腕は何度も故障しており、体にメスを入れた回数は何と11回になるという。

【小橋の話】01年1月に右足に軟骨を移植する手術をした。あの時「この手術をして復帰したスポーツ選手はいない」と言われた。さすがに「オレはもうプロレスの神様に見捨てられたのかな」って思ったよ。初めて引退の文字が頭をよぎった。ノアはベルト新設に向かって動いていたけど、自分は蚊帳の外。歩けないし、練習もできない。病院の窓から外を見ても、タメ息しか出なかった。「早く治さないと」という自分と、燃え尽き症候群の自分がいた。そこから(02年2月に)復帰は果たしたんだけど、今度は復帰戦で左ひざの靱帯を断裂してしまった。その時はもっと落ち込んだな。

三冠ヘビー級王座を奪取して馬場(右)の祝福を受ける小橋(1996年7月、日本武道館)

 小橋の記憶では、初めて試合を欠場したのは全日本プロレスの若手時代。まだ故ジャイアント馬場さんの付け人をやっている時だった。試合前の練習中、馬場さんから「上から飛べ」と言われた小橋は着地に失敗し、右ひざを痛めてしまった。馬場さんは「今日は休め」と勧告したが、小橋は「休みません」とかたくなに拒否。しばらく押し問答が続いた後、馬場さんの怒声が響いた。

【小橋の話】あの温厚な馬場さんが怒ったんだ。最後には「お客はジャンボ(鶴田)や天龍(源一郎)、タイガーマスクを見に来ているんだ。お前を見に来るんじゃない!」って言われた。悔しかった。その時は3日間くらい試合を休んだんだけど、オレは「絶対に自分を見に来るファンをつくる」って決意した。後で思ったんだけど、馬場さんはオレが休まないと思っていたから、厳しい言葉をかけたんだと思う。

小橋はスタン・ハンセンの暴走ファイトで左腕に裂傷を負った

 その後、小橋はメキメキと頭角を現し、トップレスラーの仲間入りを果たした。大型外国人相手でも真っ向勝負を挑むスタイルはファンの共感を呼んだが、一方でケガも多かった。1995年8月には“不沈艦”スタン・ハンセンのイス攻撃で、左腕に22針の裂傷を負う。出血が激しく、救急車で運ばれた。病院から戻ると、ホテルのロビーには馬場さんがいた。馬場さんは何も言わずに小橋に笑顔を送った。その瞬間「お前を見に来るファンがいる」という馬場さんの無言のメッセージを感じたという。

【小橋の話】馬場さんと温泉で一緒になったことがあるんだ。その時、馬場さんは「オレも日本プロレス時代はよくケガをした。でも休まなかった。責任があるからだ」とオレに諭すように言ったんだ。若手の頃は強制的に休まされたけど、馬場さんが言いたかったことは「お前がトップに立ったら、休みたくても休めないんだぞ」ということだったんだと思う。何度もケガをしながらも、こうやってリングに戻れたのは馬場さんの教えがあったからだと思う。そして自分を支えてくれるファンの力だ。これからもファンに恩返しできるように頑張りたい。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。

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