2007年12月2日、日本武道館。腎臓がんを克服した小橋建太が546日ぶりにリングに戻ってきた。日本中が注目した鉄人の復活劇だったが、わずか9か月後の翌年9月には、両腕の手術で再度長期欠場を余儀なくされる。2000年8月にノアが旗揚げしてから、小橋が長期欠場したのは実に4回。ひざと腕は何度も故障しており、体にメスを入れた回数は何と11回になるという。
小橋の記憶では、初めて試合を欠場したのは全日本プロレスの若手時代。まだ故ジャイアント馬場さんの付け人をやっている時だった。試合前の練習中、馬場さんから「上から飛べ」と言われた小橋は着地に失敗し、右ひざを痛めてしまった。馬場さんは「今日は休め」と勧告したが、小橋は「休みません」とかたくなに拒否。しばらく押し問答が続いた後、馬場さんの怒声が響いた。
その後、小橋はメキメキと頭角を現し、トップレスラーの仲間入りを果たした。大型外国人相手でも真っ向勝負を挑むスタイルはファンの共感を呼んだが、一方でケガも多かった。1995年8月には“不沈艦”スタン・ハンセンのイス攻撃で、左腕に22針の裂傷を負う。出血が激しく、救急車で運ばれた。病院から戻ると、ホテルのロビーには馬場さんがいた。馬場さんは何も言わずに小橋に笑顔を送った。その瞬間「お前を見に来るファンがいる」という馬場さんの無言のメッセージを感じたという。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。