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夜間國際交流、我們一起唱了布施明的歌!

 飲み屋でした「約束」をどう受け止めるかは結構むずかしい。酔った勢いで言ってしまっただけということもあるし、寝て起きたら約束を失念してしまうこともある。どちらか一方が記憶をなくすくらいならまだマシで、両者ともに忘れていて第三者だけが覚えているなんてこともある。(東スポnote編集長・森中航)

Day2

 玉置浩二の『悲しみにさよなら』を歌ったあと、A君は「明日は日本語を話せる友達を連れてくる」と言った。「OK、ブラザー」と言ったかどうかは記憶が薄いが、私はノリでA君と約束をした。

 翌日もブルシットジョブを片付けて、会社を後にした。疲れているから早く家に帰って寝てしまいたい。が、A君との約束があることを思い出してふと足を止める。会いたくてしょうがないということは、まずないだろう。私が行かないことで、「アイツは約束破ったから大嫌い。絶交だ」と怒り狂うこともないはずだ。日本に住んでいるのなら、その店に通うことでそのうち顔を合わすのが酒場の縁というもの。だが、日本に1~2週間だけ滞在しているA君とはもう二度とこの先の人生で会わないかもしれない…と思うとなんだかセンチメンタルになり、勝手に足がバーへと歩みを進めていた。

 A君は昨日と同じ席に座っていた。隣にはB君もいる。二人は高校からの同級生だと言い、二晩連続の乾杯(カンペー)で盛り上がって話し込んだ。中国の歴史について話していると、殷王朝以前や三星堆遺跡について教えてもらった。

ペンを片手に中国の歴史トーク。ちなみにB君は三国志だと呉派だった

 そこに、きれいな顔をしたフランス人が店にやってきた。このイケメンをJ君としておこう。J君はこの店に一度来たことがあるそうで、「ここに来るのは1年ぶりやねん」と関西弁で言った。聞けば、京都にも2年住んでいたことがあるという。私は前日、A君に旅行先として京都を薦めていた。A君はポケットから私が書いた京都オススメ観光スポットのメモを取り出して、「今週末、行くことに決めた」と笑った。そんなやりとりを目にしたJ君は「京都めっちゃええからな」と大きくうなずいた。

 玉置浩二をギターで弾かせたらピカイチの常連客(=20代)もやってきたので、私とB君は「彼が演奏してくれるから歌ったらいいよ」とA君に促した。A君が中国語で披露してくれたのは玉置浩二の『行かないで』だった。中国語の歌詞の意味はわからないが、切ない思いが伝わってくる。B君が「Aは中国で、歌の大会で優勝したことがあります」とこっそり教えてくれた。なるほど上手なワケだ。『行かないで』も悲しい歌だったので、私たちはA君をSad Song Masterと呼んで笑い、Sad Songについて話をした。

「演歌って知ってる?」

 私が尋ねると中国人の2人がポカンとした。だが、演歌を英語でどう説明したらいいのかがわからない。

東スポに来社した石川さゆり(1982年4月)

「Japanese traditional? Japanese classic…」と頭をひねっていると、フランス人のJ君が「traditionalは違うね。それだと雅楽みたいなニュアンスになっちゃう」と突っ込み、「どっちかと言ったらJapanese Soul Balladちゃう?」と提案した。

 なるほどSoulとしたほうが演歌の魂があっていい気がする。店にいた皆が感心していると、J君は「上野発の夜行列車おりた時から~♪」と『津軽海峡・冬景色』のフレーズを歌ってみせ、突然「そういえば、私、布施明めっちゃ好きやねん」と言い出した。

 ギターを鳴らしていた常連客がすぐさま『君は薔薇より美しい』を弾き始めると、日中仏の大合唱が始まった。

世界の布施明だ(写真は1976年)

 1979年1月にリリースされた布施明、42枚目のシングル。春のカネボウ化粧品のコマーシャルソングに使われ、このCMがきっかけで布施明は翌80年にオリビア・ハッセーと結婚して1児をもうけた(その後、89年に離婚)。

 そのすべてが私も産まれる前の話で、もちろん20代のA君もB君もJ君も誰一人として当時を知る者はいない。それなのに、目に見えない翼を広げた私たちは興奮し、席を立ちあがり、サビになると誰もが布施明になったつもりで「あ、あ~あ、あ~あ、君はぁ~」と声を張り上げ、「変わったぁ~~~~~~!」と歌った。


 A君とB君はその後、「それが大事」(大事MANブラザーズバンドの3枚目のシングル、1991年発売)を仲良く中国語バージョンで歌ってくれた。

 口ひげをたくわえた店長はそんな一部始終を目を細めて見つめていた。(おわり)


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