〝ドリーム〟は今もここにある!【サイプレス上野とロベルト吉野インタビュー・後編】
ヒップホップユニット「サイプレス上野とロベルト吉野」のスペシャルインタビュー「結成秘話とドリームの仲間」編! 7thアルバム「Shuttle Loop」を「原点回帰」と位置付ける2人はそもそもどうやって出会ったのか? 音楽、仲間、地元との絆…。ニューヨークの団地で始まった「ヒップホップの精神」を〝横浜のハズレ団地〟で育ち、発信する2人が体現する――。(文化部・田才亮)
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ユニット結成のきっかけ「やっと話せる人が現れた」
――そもそも2人はどういう経緯でユニットになったんですか?
サイプレス上野(以下サ上) そうっすね。ヒマだったからかな(笑)。
ロベルト吉野(以下ロ吉) 実は決定的な瞬間があって。地元に春日神社ってあるんですけど、そこで年末年始に「護摩焚き」の催し物があったんですよ。俺たちみたいなやつらは、みんなそこに集まる感じで。当時、俺は、やみくもにヒップホップやロックを爆音で聴いてて。で、上野君とかは先輩のラップグループで先に活動してたんですよ。顔見知りではあったんですけど、上野君が「お前、これ聞いてるの、いいね」みたいな感じで認識されたって感じですね。
――当時は何を聞いてましたか
ロ吉 その時は「KRS-One(ケーアールエス・ワン=ヒップホップのレジェンドMC)」とかですね。この辺って田舎なんで、横浜のHMVに行って買うっていうのがステータスみたいな感じで。大事に聴いてたら「やっと話せる人が現れた」みたいな。
――上野さんはその時はどう思ってたんですか?
サ上 俺は吉野の1個上で、もう俺は当時、ラップグループでライブとかもやってた感じなんで。調子に乗ってるじゃないですけど「お前らなんか全然知らねえべ」って。ずっと同じ団地なのに急に(笑)で、吉野のお兄ちゃんの方も知ってて「吉野君、吉野君」って感じだったんすよ。だから、吉野は嫌だと思うけど、当時の俺からしたら「吉野君のおとうと」みたいな感じで、ずっと付きまとってたんですよ。でも「お前、結構いいの聴いてるな」って。その時の1歳、2歳違いは結構、隔たりがあるものなんですけど、それから一緒に遊んでたって感じですかね。
――それが今の形に?
サ上 俺が組んでたラップグループが崩壊して。みんなほかの遊びを覚えて、ライブに来なくなっちゃったんですよ。それでそのグループの末期ぐらいから、吉野は入ってたのかな。で、ある時、横浜の名門の「CIRCUS(サーカス)」っていうディスコがあったんですど。そこでのライブで、歌うのが俺1人しかいなくて。仲間のバース(歌詞)もあるから、どうしようもなくて。ディスコに置いてあった人形と俺で、腹話術みたいにしてライブしたことありましたからね! まじ奇行っすよ! 自分のバース歌ったあとに、声変えて腹話術みたいにして歌ってましたからね(苦笑)
ロ吉 奇行の動きでしたね(笑)。
――それこそ〝UMA系ラッパー〟ですね
サ上 で、そのライブを「m-flo」のVERBAL君が見てて「半端じゃねえやつがいる」と(笑)。VERBAL君には「きみ、凄いね!」って言われて。俺はそのころ仲間もいなくなって、とんがってたので「有名人のm-floがアンダーグラウンドに対して何言ってんの?」って仲良くならなかったんです。でもめちゃくちゃ良い人で、いまではむっちゃ仲いいんですけどね。
ロ吉 ハードコアラッパーですね。
――それが2人でやり始めたのは?
サ上 チケットもノルマ制できつかったんすよ。そういうのも続いてて、しんどいからちゃんとやらなきゃなってなって。それで吉野に「バックでやってくんね?」って。それでそのままだよね?
ロ吉 そうっすね。
サ上 それなんで「サイプレス上野とロベルト吉野」って、間に「と」が入ってるんですよ。だから、いままで、グループ名を付けたことがないんですよ。グループとして「武道館目指そうぜ」とか語ったことも全然なくて。身の丈でやれたら全然いい、って感じで。「戸塚の公会堂でやれたらいいよな」とか。
ロ吉 ライブが決まったら、そこで何をやるか決める。デカい箱とか大きさとかは関係なくて。
サ上 一番ヒマな時とかは週5日でずっと練習してましたね。リサイクルショップで買ってきた意味不明なレコードをずっと聞くみたいな。それも面白いフレーズを探すためにやるみたいな感じで。
――波長があった
サ上 でも好きな音楽とかは全然バラバラなんですよ。俺はDJやる時とかは全然「四つ打ち(ディスコ、ハウス、テクノ)」かけますし。チャラいとか言われるけど。吉野はもうハードコアとメタルだし。あとは仲間がいて。もう、自然に仲間がいるというか。無理して「付いていくよ!」とかいう感じじゃなくて。だから、やりやすいというか。
ロ吉 だから、音楽の方向性とかでケンカとかしたこともないですよ。全然違うことで酒の席では揉めるけど(笑)。仲間が自然と中和してくれるというか。
ドリームのやつらは〝たけし軍団〟
――でも、ずっと仲間との関係性が大人になって続いていくというのも貴重ですね
サ上 でも、異常に見られるんですよ。仲間、友達との関係性って、都会とかに行っての仕事が増えると、会わなくなるじゃないですか。いまだに週2、3で集まって、ももクロの曲聞いたりとか。この前は親友の命日だったんですけど、みんなで墓参りして。まあ、不謹慎な事しかやらないですけど(笑)。
ロ吉 (天国の親友を楽しませて)喜ばせるのが一番ですからね。
サ上 そうそう! もう昔からの関係がそのままなんですよね。墓参り行って「じゃあ線香吸うか」って(笑)。
ロ吉 漫画の「蒼天の拳」みたいっすね(笑)。
サ上 で、散々ふざけた後で「1回ぐらい手合わせておくか」「やべーやべー忘れてた」って。で、そのあと「寿町(横浜のディープタウン)」せめるってのが恒例になってますね。
――上野さんは有名人だから目立つのでは?
サ上 いやもう…(苦笑)。ドリーム流でふざけてたら、怖い人と道で寝てる人に追い掛け回されて、助けに来た後輩の車がスパーっと前に止まって、それに飛び乗って逃げるみたいな感じっすよ。毎回(苦笑)。
ロ吉 オレも〝酒の野良犬〟だから、あの辺行くと帰れなくなっちゃうんですよね(苦笑)。
サ上 揉め事が好きなわけじゃないんですよ。ただ、街中でモノボケみたいなことやるのが好きで、それを気にくわない人もいるみたいな。ノリ的には「天国のアイツのために!(笑わせる)」みたいな感じなんすけどね。カッコよく言うなって感じですね。そこの街にはそこのルールがあるから気をつけます。
――それにしても仲間の絆が強いですね
ロ吉 ほかの横浜のグループと飲む機会があったんですけど、みんなから「ドリーム(団地)のやつらは、たけし軍団みたいな感じだよな」って言われるんですよ。
サ上 確かに。ありがたいことに、ギャグで後輩が俺に「殿!」とか言ってきたりしますからね。そんな気持ち一切ないんだけど。あとは「上野君がいて、マジで軍団構成が完璧に成り立ってる」とか言われますからね。ガダルカナル・タカさんみたいに、助言くれるやつもいるし、枝豆さんとかみたいにマジな武闘派のやつもいますし。吉野とかもすぐにぶっこむ系ですからね。あとはすぐに脱ぐ、らっきょさんみたいなやつもいるし。義太夫さんみたいなやつもいて、あだ名は「ギダ」っすからね。あと最近は「Wu-Tang Clan(米国のヒップホップグループ)まんまじゃん」とかも。向こうもスタテンアイランドっていうNYでも離れ小島だからドリームに近いというか(笑)。俺はメソッド・マンになりたかったんだけど、RZAになっちゃってたのか…。
――団地をスタジオにした2人の「ヤサ」ですが、周辺の方の反応は?
サ上 そうですね、さっき、ここに来る前に乗ったエレベーターでも、タムラ君のお母さんが話しかけてくれて(笑)。
ロ吉 あ、タムラ君のお母さんだった?
サ上 そう。タムラ君のお母さんにはハワイ土産の洋服とかもらったりしているので、おおむね、良好ですね。脈々と続く、この街の流れというのがあって。俺らのキッズ時代があったから、多分、煙たがられるというか「上野の息子が」「吉野の息子が」という感じでいてくれているという感じですね。
ロ吉 昔はろくに挨拶もしなかったのに(苦笑)。カップラーメンを路上でお湯入れて食べたりとか。
サ上 ねぇ。中学生時代には今のヤサの真ん前のエレベーターホールでダンボール敷いて寝てました。夜中遊びに行ってるから家帰れなくて。今そんなガキいたら蹴っ飛ばしてからヤサに迎え入れて温かいスープを与えます(笑)。でも、そもそも昔はこんなに街自体がキレイじゃなかったんですよ。
――2人の話を聞いている分にはもっとワイルドな所と思ってました。
サ上 遊園地(横浜ドリームランド)があった時の方が、街も荒廃してて。商店街も2つあったんですけど…。バイク屋のおやじがね。
ロ吉 そう、このオヤジはね、なかなかレベル高くて。かつらを接着剤で付けていたんですよ。
サ上 生で「こんなやついるのか!」と見れたのがヤバかったですね。吉野の兄貴が「特攻の拓(ぶっこみのたく)」の武丸みたいな頭してたんですけど…。
ロ吉 兄貴がそのオヤジからエロ本みたいの見せられたりとか(苦笑)。
サ上 街としては栄えてたという感じなんですけど、だからこそ逆に荒廃したっていう部分はあったかもしれないですね。不法投棄の車とかも何台も乗り捨てられてましたもん。そこを俺らがスケボーで駆け抜けていくみたいな。そこで拾ったのが「ガンマニア」っていう、ラップのテープがあったんですよ。
――ガンマニア?
サ上 全然聞いたことなかったんですよ。10代の後半のころかな。俺らはもう当時にはラップやってて。吉野の車でそのカセットテープを聞いたんです。で、いまだにそのクルーには会いたいと思ってるんですよ。吉野と「なあ、アイツらのほうがUMAじゃないかって」と言ってます(笑)
ロ吉 俺らはいまだに好きですから。温故知新ですよ。
サ上 ずっと言い続けてるんですけどいまだに会えないんです。
――どんな感じのクルーなんですか?
サ上 「俺ら、ガンマニア!」ってずっと言ってて。学校の歌があって。「一時間目~」「二時間目~」ってラップしてて。
ロ吉 「先生ありがとぅ!」って。
サ上 そのサビが「売店のおばちゃんに会おう!」って。超良い歌なんですよ!
ロ吉 かなり貴重な経験でしたね。
サ上 「売店のオバちゃんに会おう!」は名パンチラインだったね。よく、そうやっていろんなカセットテープを聞いてました。
――団地仲間にはほかにどんな方がいましたか?
サ上 アーティストなら「在日ファンク」の〝ハマケン〟浜野謙太とかは吉野の同級生です。
ロ吉 吹奏楽部で一緒にトロンボーン吹いてました。家とか普通に遊びに行ってましたね。
サ上 信じられないような〝道の分かれ方〟ですけどね(笑)。1つ年下なんですけど。たけのこ会っていう幼稚園前ぐらいから友達で、この前も会って。「おう、謙太」「上野君」みたいな感じですよ。あとはクレイジーケンバンドの横山剣さんが先輩でいますね
――すごい!
サ上 たまたまですよ。それでこの前、目の前のスーパーで買い物してたら、あるおばちゃんに「tvk(神奈川のテレビ局)見たわよ」って声かけられて。それで「私ね、ケン君の同級生なの」
って言われて。どこのケン君?って思ったら、横山さんのことだったんですよ。昔話いっぱい聞かせてもらいました。
ロ吉 話が壮大過ぎますね…
サ上 いまはここに作業に来るだけだけど、やっぱりこの辺を歩いていると面白いことがいっぱいありますよ。
感じる地元の絆、音楽で地元を盛り上げる
――この団地にスタジオを構えた理由は
サ上 もともと、住んでいたってのもあるし。この部屋が空いた時に、長州ばりに「(東京ドームじゃなくこの部屋を)おさえろ!」と後輩に言って。それでここに後輩と住んでたんですよ。一部屋をスタジオにして、スタジオを使うやつらと、俺と後輩で家賃を割り勘にしてました。それが続いてきたって感じですね。いまは住むやつはいなくなったけど、もう15年ぐらいは借りてますかね。
――制作はどんな感じですか?。
サ上 ありがたいことに、若いラッパーとかもみんな来てくれるんですよ。「ヤサ(スタジオ)行ってもいいですか?」って。あとは団地の夏祭りのライブに来てくれてた、若い子達が大きくなって来てくれたりとか。音楽を聴くというのと、ワイワイ騒いだりって感じですね。それである時、酒の空き缶が大量にあるのを見て「こりゃダメだ」って行って、本格的にスタジオとして片付けている感じです。長年やってて、やっと気づきました。
――手作りで大変ですね。
サ上 いや、もう、みんなが手伝ってくれて。知り合いの大工が押し入れを改造して、防音スペースも作って、ボーカルブースもあるんですよ。その時はその大工の友達が火災報知器触っちゃって、管理組合の人にめっちゃ怒られました(苦笑)。あとは、クロス屋の友達が壁紙を貼ってくれたりとか。そこらへんでスケボーやってたやつが「遊び行っていいですか?」なんて、言ってヤサにきて「俺、クロス屋なんで持ってきますよ!」って。タダで全部やってくれて。ゼロ円すよ!
――結構、遊びに来た人間はスタジオに入れちゃう感じなんですか?
サ上 全然来てますね。
ロ吉 子どもたちも来てます。小学生ぐらいの。
――小学生ですか!?
ロ吉 玄関で待ってたりとか。
サ上 あとはドアをガンガンやって。何?どうしたの?って。って対応したら「ラップのお兄ちゃんに会いに来た」って。俺だよ、って教えてあげたら「やったー!」って喜んで。ただ、家に入れちゃうのはアレなんで「ちゃんとお父さんとお母さんに許可もらったら遊びに来ていいよ」と。勝手に部屋に入れてるとか噂になったら嫌じゃないですか。その当時、ドアに俺らのステッカー貼りまくってたんで、一目でわかるんすよね。ステッカーも管理組合の人にめちゃ怒られたな。一番偉い人が実家の一階下の方だから気まずい、気まずい(笑)。
――でも、地元の絆を感じます
サ上 おじさん、おばさんとかも「テレビ見たよ」とか「ラジオ聞いたよ」とか言ってくれて。それはデカいですね。昔、この屋上を借りて「WONDER WHEEL」のMV撮ったんですよ。で、想像もしなかったんですけど、屋上で何かやってると建物がめちゃめちゃ揺れるんですよ。
――大変だ
サ上 ターンテーブルとか出して、テキーラも飲んで何十人もガンガンやってたんで、住人は「何が起きてる!」とめっちゃ怒られて。その時に「実は音楽やってるんです」って明かして、そこから認知されたって感じっすかね。その時は「そんなやつらがここ来ちゃった」みたいな感じで見られてましたね。
ロ吉 そのあとぐらいから団地の集会所で冬休みにクリスマスパーティーやったりし始めましたね
サ上 夏祭りにパーティーやったりして、地域貢献をやってきたんですね。団地のみんなもオレたちにチャンスくれて。地元でやれるのがうれしいかったですね。で、そのあとに「ていうか、よく見たら、上野さんちの三男坊じゃん」みたいな感じで受け入れられました。夏祭りやってたら母ちゃんの友達が一万円くれたりとか。機材代5万ぐらい自腹だったんですけど、みんなが金出してくれましたね。
――音楽で地域を盛り上げるというヒップホップの精神を体現してますね
サ上 そうっすね。そうなってればうれしいですね。俺たちの憧れていた「ニューヨーク感」というか。団地のはざまで音出して、ブロックパーティーやって。パーティーやってたら、ベランダから顔出して、手を振ってくれたりして。「あ、こういうのを求めてたなあ」って感じちゃいましたね。
――地元の子供や若い人間たちからラップやDJの勉強をさせてくれという声もありますか?
サ上 結構、あるよね。
ロ吉 結構ありますね。
サ上 レコーディングしたいっすとか。スタジオの中を見たいとか。まず、いまの子達って「VHS」を知らないんですよ。「これ、どうやって見るんですか?」って(苦笑)。たけしさんの「お笑いウルトラクイズ」のVHSとか見せたりするんですよ。「こういう時代があったんだぞ」って。ユーチューバーとかの比じゃねえからな!って(笑)。げらげら笑ってます。(終わり)
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