今はなき横浜ドリームランドにShuttle Loopという〝大物〟があって…【サイプレス上野とロベルト吉野インタビュー・前編】
ヒップホップユニット「サイプレス上野とロベルト吉野」のスペシャルインタビュー、7thアルバム「Shuttle Loop」編! 同アルバムを「原点回帰」と位置付ける2人。その思いを存分に語った。(文化部・田才亮)
7thアルバム「Shuttle Loop」制作秘話
――3月に3年4か月ぶりの7thアルバム「Shuttle Loop」をリリースしました。タイトル名の由来は
サイプレス上野(以下サ上) 横浜ドリームランドにあった乗り物の名前ですね。いきなりMAXスピードでスタートして、1回転して上のぼって、逆回転でまた回って、あがって、終わりっていうあっという間の乗り物ですね。「Shuttle Loop」って、ドリームの中でも大物なんすよ。
ロベルト吉野(以下ロ吉) みんながメーンみたいに思ってる乗り物です。
サ上 テレビドラマの撮影場所にも使われるような感じです。で、今回のアルバムは「原点回帰」。サ上とロ吉でやるっていうので「人生なんて一瞬だしな」って感じでついに(メーン的な意味合いのある)「Shuttle Loop」って、タイトル付けちゃうかって。ここで一発やってやるかって。そんな気持ちで。なんで楽曲も無茶苦茶BPM速い曲を作ってもらって。とにかく「どんどん短くしてくれ」と。「あっという間に終わっていい」と。あっという間の乗り物である「Shuttle Loop」と人生の一瞬のはかなさを重ね合わせた感じですかね。
――そのはかなさが伝わってきます。
サ上 だから、俺らを知ってる仲間からすれば「ついにきたね」と。ついに「Shuttle Loopって付けちゃうんだ」と。
――客演も豪華です。(鎮座DOPENESS、STUTS、漢 a.k.a.GAMI、KEN THE 390、TARO SOUL)
サ上 本当に同世代っていうか。売れてない時期を共有しているやつらっていうか。実は俺たち、結構、客演を呼ぶのってためらいがあったんですよ。社交的にも見えるけど、狭い部分もあるので。「変な曲になっちゃったらヤダな」っていうのもあるんですよ。コラボって最初から枠組みがあるならいいんですけど、自分たちの発信するものをちゃんとわかってくれないとヤダなって。
――作り手には当然ある感情です
サ上 でも、あいつらならわかってくれるよなって。鎮座との曲「RAW LIFE feat.鎮座DOPENESS」。本来、鎮座って飄々としてて変な事やるやつってイメージなんですけど、あいつが凄い真面目なリリック書いてくれて。オレも書き直してみたいな。10代から知ってる仲で、あいつも俺たちちゃんと向き合ってくれているなって伝わりました。
――漢 a.k.a GAMIとの曲「MONEY feat.漢 a.k.a.GAMI」は?
サ上 絶対に漢 a.k.a. GAMIがやらないであろうトラックをやりました。あの愉快な感じ。あれをぶつけられるのは俺しかいないしな、みたいな。多分、ほかのやつだったら絶対断られると思うけど、二つ返事で「OKだよ」と。作ってくれたのもCHIVAちゃんっていうトラックメーカーなんですけど、同い年で昔から俺らの事知ってて。完全に悪だくみっすね。「漢君とやるから、愉快な曲頼む」って言ったら、あれが来て「最高!」って。
――漢 a.k.a. GAMIのイメージとは全く違う楽しさがありました
サ上 漢君のマネジャーさんにも「こんなことやらせるのお前だけだよ」って(苦笑)。「ですよねー」なんて言って。
――KEN THE 390、TARO SOULとの曲「万華鏡 feat.TARO SOUL,KEN THE 390」は
サ上 もうタロケンの2人とは盟友中の盟友なんで。感覚わかるんで。「好きにやって」って言ったら、好きにやってくれて。「ちゃんとわかってんなー」って感じでしたね。レコーディングも早かったですね。
ロ吉 仲間たちと普通にというか、同じ道を歩んできた人たちというか。TARO、KEN THE 390だったら、レーベル「ダメレコ」でやってきて、切磋琢磨してやってきた。鎮座とかもほかのエリアでやってて、情報だけは入ってきてた。ずっと仲良い感じが続いてて。あの独自のヒッピー感とこちらの横浜の外れドリームのUMA感が波長が何か合ったのかなと。それで〝うま味〟がいっぱいでたのかなと。漢さんだったら、元々、僕たちのA&Rやってくれてた佐藤さんて方が、漢さんの「MSC」の方にいて。その方が亡くなる前、一緒に酒飲んだ時に「日本語ラップでファンでスターなのは漢さんですね」と言ったんです。いかついけど優しい面もあるのをずっと見てて。「やっと来たんだ」「来るんだこれ」みたいな驚きと。それであの楽曲ですからね。心躍りましたね。
昔はマイクを取り合っていた
――若いころの思い出とかは?
サ上 もう昔は漢君のMSCと俺たちのZZと、タロケンのダメレコの三つ巴って感じで。クラブのマイクを取り合ってたって感じでしたね。昔、漢君が俺をステージから蹴り落したことあるって(笑)。多分、俺がウザ絡みしてたからだと思います。ダメレコとMSCがバトルしてる時に俺が、フラフラとステージに上がってた(苦笑)
――曲「STILL184045」は〝横浜非通知スタイル〟という意味でしょうか? どのような思いがありますか
サ上 横浜の大先輩「OZROSAURUS」が「045(横浜の市外局番)」スタイルで、横浜をヒップホップの地図にバーンと載せてくれて。それで俺たちのスタイルって非通知の「184」だなと。全然誰にも評価されないし、ノルマをこなしてるだけ。まあ、〝ふてくされている〟っていうのが一番強かったよね?
ロ吉 そうっすね。
サ上 俺たち「184」だよって。それで初めてのCD「ヨコハマジョーカーEP」って出したんすよ。当時の消費者金融の武富士で30万円借金して、自主制作で。吉野は1円も出してないですけど(笑)。金借りて、プレスして、流通会社の打ち合わせの前日に飲み過ぎて、結局打合せに行かないっていう。全員怒らせるような出し方で。マスタリングの金もなくて、エンジニアに借りましたからね。丸井で金借りようと思ったら限度額まで借りてて無理だったんすよ。
――なかなかのエピソードですね
サ上 出したら出したで。その時にライターの磯部涼さんとか「184045スタイル」を評価してくれて、帯にも書いてもらったんですけど、全然売れなくて。1000枚作ったんですけど、初回出荷が300枚ぐらいで。700枚ぐらい売れ残って、俺の実家と吉野の実家の玄関に山積み(苦笑)
ロ吉 300枚ぐらいずつですかねえ。
サ上 全然売れねえなあ!って感じだったんですけど、途中で「JET SET」っていうレコード屋の店員さん激プッシュしてくれて。いきなり売れ始めたんですよ。
――完売した?
サ上 地方の同世代とかは気にしてくれてて。結構、売ってくれたんですけど。「謎みっちゃん」っていう後輩がいるんですよ。俺と一緒にこのヤサに住んでた。で3人で栃木に行って、50枚ぐらい売ってくれたんですよ。栃木の仲間が。で帰りの電車に乗って戸塚駅まで帰ったんですけど、その売り上げとちょっと残った在庫を、その謎みっちゃんが電車に忘れちゃったんですよ。
ロ吉 あいつが一番〝珍獣〟っすよね。
サ上 売れたのに金もないし、在庫もない(苦笑)。それで「お前、いまから電車追いかけて来い!」って言って。帰ってきたけどふてくされた目で「無かったすね」って。そんなことの連続ですよ。
どんな場所のライブでも「自然体でいればいいですよ」
――東スポのクルージング餃子フェスなど、異色のライブにも出演した気持ちは
サ上 別に俺たちって、どんな場所でもやってきたんで。いろんなジャンルの人たちともやってきたし。例えば「あのバンドの人たち怖いよ」って言われているような人たちでも、全然、普通にやってきましたからね。俺たちがバイオレンスってわけじゃなくて、だから、楽にやれてるのかなと。何も考えずに。怖いと言われるバンドとやっても「お前ら面白いね」って言われて、この人たち何が怖いの? って。超優しいじゃんって思うことのほうが多い。多分、こっちが構えるとあっちも構えちゃうんですよ。自然体でいればいいですよ。普通に挨拶しますしね。
サ上 さすがにSLANGと一緒になったときにKOさんが楽屋でシャドーやってたときは「ただ事じゃない…」って思ったけど「おお、BOSS(THE BLUE HERB)から話は聞いてるよ!」ってめっちゃ笑顔で話してくれて。で、ライブ見てくれて乾杯して。謎の流れで詰めてくる先輩もいましたが自然に繋がり消えてくし、転がる石のようなことの連続です。(前編終わり、後編につづく)
ツアー情報
6月19日(日)BB Street(神奈川)
6月24日(金)BAR 印度洋(山口)
6月25日(土)音楽食堂ONDO(広島)
7月2日(土)点心バー クンフーキック(大阪)
7月3日(日)MONTAGE(秋田)
7月18日(月・祝)HARLEM(東京)