見出し画像

実装即逃げ!「ウマ娘」タップダンスシチーを「東スポ」で振り返る

 20日にゲーム「ウマ娘」でタップダンスシチーが育成ウマ娘として追加された瞬間、「そりゃそうだよな」と思いました。何せ今週末はジャパンカップですから。ただ、私は同時に「しまった」と頭を抱えました。実はこの秋、アニメ「ウマ娘」と伴走する形で毎週noteをアップしており、そちらも書かねばならず、時間が足らないのです。正直、タップダンスシチーの方は後回しに…とも考えました。でも、私は月曜日に見てしまったのです。公式さんがアップした紹介動画を。その中でタップが「これからも一生、一緒にバカ騒ぎしよう」と言うのを。そして思い出したのです。タップとともにバカ騒ぎした日々とその戦いぶりを。彼はいつも誰よりも先に動きました。だから私も動かねば…というわけで、やや私情が入ったnoteにはなりましたが、戦績や当時の空気感には間違いはございません。「東スポ」を使っての振り返り、ぜひお付き合いください。(文化部資料室・山崎正義)


遅咲きの地味キャラ

「ウマ娘」ではロマンを追い求める行動派で、「大金や名声のために走る」「常識を破壊してやる!」などというややぶっ飛んだキャラのタップダンスシチーですが、史実では、デビュー当初、それどころか5歳になるまではめちゃくちゃ地味でした。出世しそうでしない感じと言ったらいいでしょうか。3歳の3月になってデビューし、2戦目で早々に勝ち上がり、4戦目の京都新聞杯(GⅢ)で3着に入るのですが、その後は4連敗。年末に1つ勝って飛躍を期待されたものの、4歳時は5、3、2、5、4、2着とすべて掲示板に載るものの1勝もできません。5歳初戦、思い切って重賞に格上挑戦したときの馬柱があるので載せておきます。

 で、ここで3着に好走した後、自己条件に戻って連勝し、日経賞(GⅡ)でも2着に入り、「本格化か?」と思わせるのですが、一気に花は開きません。オープン特別を1番人気で3着に取りこぼすと、目黒記念(GⅡ)5着、札幌記念(GⅢ)8着…。軌道に乗れない理由は激しい気性にありました。入れ込みやすく、鞍を乗せるとテンションが上がり、それこそパドックでタップダンスを踏むようになってしまうのです。

 踊っていいのはステージだけ。パドックでそうなってしまうとレース前に体力を消耗してしまいます。加えて、レースでも真面目に走らない面があり、能力はあるのに、それを発揮できない状況に陥っていたのです。そもそもあまりなじみも実績もない米国馬を父に持つ外国産馬。所属する佐々木晶三厩舎もまだブレーク前でしたし、正直、〝地味なオープン馬の一頭〟に過ぎなかったタップに、転機が訪れたのは、札幌記念の後でした。騎乗した四位洋文騎手が、佐々木調教師にこう言ったのです。

「こういうタイプの馬は哲っちゃんが合っていると思います」

 哲っちゃんとはこの2002年の時点でキャリア13年の佐藤哲三ジョッキー。1995年には全国リーディング10位になったことがあり、96年にはマイネルマックスという馬でGⅠ朝日杯も勝っています。当時の競馬ファンからしたら〝関西の中堅実力派〟といったところですが、大変失礼ながら、タップ同様、どちらかというと地味な騎手でした。

 一方で私のような馬券派、どちらかと言うと穴党の人間からすると、非常に頼りになる存在で、とにかく最後まであきらめずに馬券圏内に入るよう、見せ場を作ってくれる人。大事なところで思い切った乗り方もできますし、人気薄で人気馬をギャフンと言わせることもできる勝負師なので、馬券を買いたくなるジョッキーとも言えました。ただ、繰り返して失礼ながら地味です。でも、四位ジョッキーのような名手は分かっていたんですね。具体的に「これだから合う」ということは言わなかったようですが、感覚的に哲三ジョッキーに合うピンときたのでしょう。そして、佐々木調教師がそれをあっさり受け入れると、驚くことに次走の朝日杯チャレンジカップで、タップは重賞初制覇を飾るのです。

 とはいえ、何度も何度も申し訳ありません。やっぱり地味でした。低調なメンバーの中、5番人気の馬が3番手を進み、なんとかギリギリ先行していた馬をかわしただけ。輝く未来が見えるような勝利とは言えません。

 しかも、タップはこの後、京都大賞典、アルゼンチン共和国杯と、上位人気に推されたGⅡで勝ち馬から0・4秒、0・8秒離された、惜しいとも言えない3着を続けます。さらにメンバーが落ちた京阪杯(GⅢ)でも5着。ファンからしたらこうでした。

「地味に力をつけて、5歳にして何とか重賞を勝ったけど、GⅠ級じゃないよな」

「頭打ちかもね」

 気性によって力を発揮できていない部分も大いにあったのですが、それは非常に見えづらかった。だから、年末の有馬記念にエントリーしたものの、印は全くつきません。

 単勝オッズ86・3倍の13番人気(ブービー)なのも当然の戦績。それぐらい地味な存在でした。でも、逆に言えば腹をくくれる状況。常に見せ場を作ろうとする騎手にとっては思い切ったことができる状況だったのかもしれません。哲三ジョッキーは賛否両論を巻き起こす、とんでもない乗り方をします。

 スタートを切るとハナへ。ここ2年、逃げたことはなかったものの、先行馬でしたし、ここは先行有利の中山競馬場。他にどうしても行きたい馬も見当たりませんでしたから戦法としては分かります。淡々と逃げていたので、1コーナー手前ですぐ後ろにいた1番人気のファインモーションがすっと交わしていったのも想定の範囲内でしょう。タップは2番手に収まったのですから、ポジションとしては悪くありません。悪くないのですが、向こう正面に入り、3コーナーを前にして〝事件〟が起こります。6勝6勝の超良血で武豊ジョッキーが乗って大きな期待を背負っていた前をいくファインモーションにタップが並びかけ、先頭を奪い返したのです。

「なにやってんだよ」

「邪魔すんなよ」

 競馬場で、ウインズで「おいおい」という声が挙がりました。はたから見ると13番人気の馬がヤケクソになって、みんなが馬券を買っている1番人気の3歳牝馬にケンカを売っているように見えたのです。しかも、先頭に立つどころか、3~4コーナーからガンガン速度を上げていき、後続を突き放していきます。

「なんだなんだ」

「暴走だ!」

 直線を向きつつさらにスパートして後続には8馬身。はい、仕掛けとしては早すぎますから誰もが思いました。

「こりゃバテるだろ」

「バテるよな」

 が!

「え…」

「え?」

 止まらないタップ。

 止まらない13番人気。

「おい…」

「おい!」

 最後の最後、2番人気のシンボリクリスエスに差し切られたものの、あわや大金星の2着に、誰もが唖然となりました。

「なんだなんだ」

「残っちゃったじゃん」

 競馬場にいた私は、ファンの声を実際に耳にしていますので、正直に書いておきます。どちらかというと怒りが含まれた声の方が多かった。

「何やってんだよ」

「哲三、余計なことするなよ」

「ファインの邪魔すんなよ」

 確かに、1番人気のお嬢様が天才を背に優雅に走っているのを邪魔して、ペースを乱したように映りました。競馬というのはレースに出ている全頭にチャンスがあり、実際に2着に残っているのですから悪いことをしたわけじゃありません。でも、13番人気が2着に残ったことで馬券が外れてしまった人が多数いたため、余計に賛否の「否」が大きくなったという側面がありました。また、「否」まではいかなかった人も、タップの印象はこうでした。

「ずいぶんうまくいったな」

「哲三らしいよ」

「一発やりやがった」

 裏側にあるのは

「イチかバチかのギャンブルに成功」

「実力ではなくフロック」

 私もそう思いました。実際、哲三ジョッキーからしても思い切った乗り方だったのは間違いありません。でも、実はこれ、「イチかバチか」ではあったものの、根拠がなくやったことではなかったそうです。アルゼンチン共和国杯で抑えようとしたところ、馬がめちゃくちゃ行きたがってしまったという失敗を踏まえ、そうなる前に、「行きたがったタイミングで行かせちゃえ」という、馬の気性を考えての判断だったと、後に明らかになるのですが、それはまだ我々ファンには分かりませんでした。

「有馬で大穴をあけた馬」

「一発やらかした馬」

 そんなイメージのまま、タップはサラブレッドとしては全盛期が過ぎてもおかしくない6歳になります。

 この時点で、誰も想像していませんでした。

 あんな馬になるなんて。

 あんな偉業を成し遂げるなんて。


負けて強し

 有馬の激走がフロック視されていたことは、復帰早々、明らかになります。しっかり休んでターフに戻ってきた4月下旬のオープン特別、印をご覧ください。

 グランプリで2着に入った馬とは思えない薄さ。単勝は7番人気なのですから、いかに信用されていなかったかが分かります。しかも、ここを2馬身差で完勝したのに、次走の金鯱賞(GⅡ)でもこの程度。

 単勝も4番人気にとどまりました。年齢も年齢ですし、やはり実力に関して半信半疑だったファンが多かったのでしょうが、ここでタップは見ている人たちを「おっ」と思わせます。中京競馬場の2000メートル。2番手で進むと、向こう正面から先頭に並びかけ、3コーナー手前から一気にスパートをかけるのです。

「おいおい」

「早すぎるだろ」

 誰もが思いました。しかも、抜群の手ごたえで〝もったまま〟上がっていったわけではなく、哲三ジョッキーが追って追って追いまくっています。

「さすがに…」

「厳しいだろ」

 が…

「え?」

「あれ?」

「止まらない?」

 そう、そのまま押し切ってしまったのです。

「もしかして…」

「こういう乗り方だと強いのか?」

 思い出すのは昨年の有馬記念。「途中から自分のタイミングで動き、4コーナーでさらに他馬を突き放すような強引なロングスパートだと力を発揮するのでは?」ということが想像できる勝ち方でした。長年競馬を見ている人間からしたら俗にいう〝強いレースぶり〟でもあったので、「なかなかやるな」と感じた人も少なくなかったはず。私もそうでした。では、そんなふうに前哨戦を完勝した馬が本番の宝塚記念でどんな評価を受けたか、見てみましょう。

 印はついていますし、単勝オッズ9・3倍の4番人気ですから、売れてはいます。前年、3歳馬ながら天皇賞・秋と有馬記念を勝ったシンボリクリスエス(2・1倍)、この年のダービー馬・ネオユニヴァース(4・4倍)、芝とダートの二刀流アグネスデジタル(6・8倍)の次という順番も妥当です。血統が良くて外国人ジョッキーが乗っていたらもう少しデジタルに肉薄していたかもしれませんが、4番人気は4番人気だったはず。そう考えると妥当は妥当なんですが、う~ん、なんて言うんでしょう、

 脇役感――

 やはり、何度も言う通り、年齢も年齢で、騎手も厩舎も血統も地味なのが関係していたんだと思います。どうしても、日本のエースになっていたクリスエスや、次のエース候補・ネオユニヴァース、個性的なデジタルに目がいってしまうんですね。で、目がいってしまうと同時に、主役感がないと「この馬がGⅠを勝つのか?」と思ってしまうのがファン心理。「役不足」に見えてくることで、少しだけ馬券を買う手が止まってしまうのです。9・3倍というのは、まさに絶妙なところで、ヒーロー感があったら、おそらく8倍ぐらいだったと思います。これが人間が人気を作り出す競馬の怖さであり、面白さで、私も結局、そんな空気に飲みこまれ、タップダンスシチーの馬券を少額にとどめてしまったのですが、稀代の名馬はこの宝塚でとんでもなく強い競馬を見せます。道中6番手から、3コーナー手前で徐々に上がっていくと、またまたあの戦法を取るのです。

 誰よりも先に動き

 誰よりも先にスパート

 誰よりも先に先頭へ

 これがかなり外を回ってのものなのですから、距離ロスだってあります。でも、敗戦の末、前年の有馬でつかんだ戦法に、哲三ジョッキーは自信を持っていました。GⅠの厳しいペースの中、そのペースをさらに厳しくするような乗り方で直線を向き、堂々と先頭に立ったのです。

「早すぎる」

「さすがに強引すぎる」

 はい、誰もが思いました。競馬を見てきた人間なら分かります。その競馬は

 〝これで勝ったら化け物〟案件――

 タップは残り200メートルでも堂々と先頭でした。内からきたのは
1番人気

 シンボリクリスエス!

 いざ、勝負!

 しかし、既にその時点で後続馬が背後に迫っていました。タップのように先団を飲み込む馬、一気にレース全体を前がかりにする馬が登場すると、競馬というのは完全に〝差し有利〟になるのです。

 残り100

 外からヒシミラクル

 さらに外からツルマルボーイ

 ドドドドと押し寄せたのがその2頭だったことに、長年競馬を見続けてきた私は確信しました。

「この馬…」

「強い…」

 理由を説明しましょう。勝ったヒシミラクルは生粋のステイヤーです。本来なら2200メートルという距離は短いはずのそのスタミナ馬が勝つほど、このレースが厳しい流れになったことを証明しています。しかも、2着のツルマルボーイは、そういう展開になった時にだけ突っ込んでこられるよう、横山典弘騎手が最後方で〝死んだふり〟をしていた馬でした。つまり、このレースは

 タフで

 ハードで

 絶対に先行馬が勝てない展開

 同時に

 それを作り上げた馬は大敗必至の展開

 なのに

 なのに…

 タップは3着に残っていたのです。なんなら、いったんは前に出られた1番人気馬・シンボリクリスエスを最後の最後にかわしていたのです。

「すげぇ」

「すごすぎる」

 あのときの興奮を今も私は昨日のことのように覚えています。強さに震えたと同時に、タップのレースぶりに興奮したのです。結果的には負けましたが、一番強い競馬をした。何よりそれが

 自分から動いた

 ものだったからです。

 自分で動いて

 自分でレースを厳しくして

 勝ちにいった

 負けたのですから正解ではなかったのでしょう。下手をすれば暴走ですし、自作自演ですし、前年の有馬のように周囲からしたらペースを乱し、レースを壊す、困った馬だったかもしれません。でも、全責任を自分で負うような決死のまくりは、私の心のぶっ刺さりました。なぜなら、あの頃、あんな競馬をする馬、する騎手はあまりいなかったからです。理由は明白。あの頃、日本競馬は

 切れ味鋭いサンデーサイレンス産駒が

 切れ味の生きる高速馬場で

 ためにためた末脚でスパッと差し切る

 のがトレンドだったからです。自分から動いたらサンデーの切れ味に屈する中、自分から動く人が減るのは当然。また、馬場が高速化したことで、ソツのない競馬も求められるようになっていました。

 先団内をキープして

 外を回らず

 教科書通りに抜け出す

 ことが褒められました。後方でも先団でも、キーとなるのは

 じっとしていること

 だから、タップのような馬、タップのような乗り方は非常に珍しいものになっていたのです。時にはレースをぶっ壊すような強引な馬が出るからこそ競馬は面白いのに、そういう馬が減っているのを少しだけ寂しく思っていた。退屈に感じていた。だから、タップの競馬に私の心は撃ち抜かれたのです。

「この馬はヤバイ」

「ヤバすぎる」

「面白すぎる」

 同じことを思った人も絶対にいたはずです。私ほどではないかもしれませんが、「一番強い競馬をしたのはタップダンスシチー」だという見方は多かった。つまり、誰もがタップはGⅠ級だと確信したのがこの宝塚記念でした。でも…人が人気を作るスポーツというのはやはり面白く、そして怖い。秋になり、競馬の神様が僕らに質問をぶつけてきます。

「だったら信じられますか?」

「勝ったわけじゃないのに」

「スターホースとも言えないのに」

「その強さを」

「タップダンスシチーを」

「本当にあなたは信じられるんですか?」


19年ぶりの逃走劇

「秋はタップダンスシチーで儲けてやる」

 私だけではなく、宝塚の強さを見た競馬ファンにはそう口にしている人がたくさんいました。競馬記者の中にも秋の注目馬として挙げる人が多く、期待が膨らみます。始動戦は京都大賞典。

 メンバー的にもさすがに1番人気。そして、スタートしてすぐにハナに立ったタップはあっさり逃げ切ります。

「よっしゃ!」

「このままGⅠ制覇だ!」

 そうなった人もいたかもしれません。でも、私はそうなりませんでした。逃げたのですから、自分で動いた。自分でレースを作った。だけど、有馬や金鯱賞や宝塚のような荒々しさ、強引さがなく、なんだか物足りなかったのです。

「強いけど…」

「本格化してるけど…」

 ちょっぴり冷めた熱。さらに、次走が天皇賞・秋ではなく、ジャパンカップだと発表されたことでやや拍子抜けします。天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念という秋の王道GⅠ3連戦はローテーション的にキツイことは分かっていますし、だからこそ狙いを定めた陣営の作戦だったのですが、レースをぶっ壊し、近年の競馬トレンドをぶっ壊すタップに惹かれていた私は、そんなの関係なく、「全部勝ってやる」ぐらいのスタンスを期待していたのかもしれません。あの強引なレースみたいに力を残さないスタンスを勝手に望んでいたのです。本当に勝手だと思います。でも、他の競馬ファンも、私とは違うベクトルで冷めつつありました。タップが出なかった天皇賞・秋で、シンボリクリスエスがとんでもない勝ち方を見せたのです。

 不利といわれる大外18番枠をもろともしない完勝劇に誰もが感じました。

「やっぱり国内最強はクリスエスだ」

「やっぱりスターホースだ」

 オーナーは名門・シンボリ牧場

 トップトレーナーの藤沢和雄調教師

 今で言うルメール騎手のような存在だったペリエ騎手

 キラキラしていますよね。しかも天皇賞が休み明けですから、続くジャパンカップはもっと体調をアップさせてくるはずです。

「タップがいくら強くても」

「こりゃかなわん」

「外国馬も出てくるし」

 このムード

 この雰囲気

 ジャパンカップ週、本紙の追い切り速報紙面をご覧ください。

 メインは当然、クリスエス

 タップは…

 こんなに小さい扱いでした。調教の動きは良かったんです。翌日の紙面には佐々木調教師のこんなコメントも載っています。

「以前はそれこそパドックでタップダンスをしていたが、今年に入ってだいぶまともに歩けるようになってきた」

「完成の域に近づいてきた」

 ローテーションについても。

「GⅡなら急仕上げだろうと勝てる。でもGⅠを勝つには機が熟さないとダメ。だからこそ今まで数を使ってこなかったし、天皇賞(秋)も使わなかった。前走とは状態が違うよ」

 自信あり。買いたくなります。でも、印は…

 こんなものでした。他紙ではもうちょっと印はついていたと思いますが、この印の薄さは〝競馬あるある〟でもあります。このレースを「クリスエス1強」だととらえると、記者というのは「クリスエスを倒せる馬」を探しがち。そうなると対戦してきた日本馬より「未知なる外国馬」に一票投じたくなる。または「伸びしろ」「スター性」。特にファンはそこを見ます。はじき出された数字は…。

 シンボリクリスエス 1・9倍

 ネオユニヴァース  7・0倍

 アンジュガブリエル 12・1倍

 タップダンスシチー 13・8倍

 ザッツザプレンティ 14・0倍

 ここまでクリスエス断然になるのは、あの頃、競馬界にスーパースターが見当たらなかったことも大きいです。既に「スター」ではあったクリスエスに秋の古馬王道3連勝を飾ってもらい、「スーパースター」になってほしい…ファンのその願いによって、もともと持っているスター性、前述のキラキラ感はさらに輝きだし、キラキラ感の薄い馬との差はさらに開きます。だから宝塚で先着しているタップと、これだけ差がつくのです。国際レースのため、「日本のエースが外国馬を蹴散らしてほしい」とう応援的な要素もあったでしょう。

 3番人気が外国馬なのはやはり「未知」でしょうが、驚くべきは2番人気と5番人気が3歳馬2頭で明らかにタップの票を食っているところです。ネオは春の2冠馬ながら宝塚でタップが完封していますし、前走の菊花賞でも3着に負けています。その菊花賞を勝ったザッツザプレンティはスタミナを活かしきって最後の1冠をもぎとっただけにも見えました。なのに…やはり反映されたのは「伸びしろ」「スター性」。人気というのは人がつくるということがよく分かる結果ですが、この数字が、タップを買おうとしていた人たちを惑わせます。

「この馬は強い」

「GⅠを勝つ!」

 そう思っていた人からしたら、想定単勝オッズは7倍前後。つまり、13・8倍は

 ほぼ倍!

 これは

 つきすぎ

 なのです。

 勝負師なら「やった」「おいしい」と感じるでしょう。ただ、ここまでオッズがつくと、私のような凡人は迷ってしまいます。

「こんなにつくってことは…」

「やっぱりこないんじゃ…」

「そこまで強くないんじゃないか…」

 おそらく長年競馬を続けている人なら似たような心理になったことがあるはずです。自分の応援したい馬があまりに売れていないと不安になる。これこそ私の言った「競馬の神様による質問」でした。

「自分が強いと感じた馬」

「その馬の強さを」

「本当にあなたは信じられますか?」

 前日の夜、降りしきる雨の中で私はずっと自問自答していました。

 心にぶっ刺さった馬

 魂を揺さぶる走りをする馬

 間違いなく強い馬

 でも…

「宝塚では先着したけど、あのときクリスエスは半年ぶりのレースだった」

「今度はクリスエスは休み明けじゃない」

「場所はクリスエスの差し脚が生きる東京競馬場」

 迷いました。雨もまた迷わせてきました。タップは重馬場経験がなく、道悪適性がハッキリしないのです。クリスエスもそうなのですが、540キロにもなる雄大な馬体はパワータイプを物語っており、記者や陣営も「こなせるはず」と言っていました。

「だから13倍もつくのか」

「そうだよな」

「普通に考えたら厳しいか…」

 決められずに向かった東京競馬場。やまない雨、「クリスエス、頼んだぞ」という場内のムードの中、時間だけが過ぎていきます。

「どうしよう…」

 決められません。レースが近づき、雨はやみましたが、私はまだマークしていないマークカードを握りしめ、場内をウロウロしていました。すると、こんな声が聞こえてきました。

「哲三、めちゃくちゃ気合入ってるじゃん」

「そうなの?」

「東スポに書いてあるよ」

 2人組がしゃべる声。え? 東スポ? 私は急いで自分の新聞を開きました。そんな記事、あったっけ。どこだ、どこにある…それは小さなコラムの中でした。哲三ジョッキーがこう言っていたのです

「この一戦のために肉体改造をしてきた」

「確かにオレはユタカさんや外国のトップ連中に技術ではかなわないけど、馬には負けたくない。タップはものすごく追わせる馬。冗談じゃなく、こっちはレースが終わって鞍を上げるのにも苦労するほどヘトヘトになる。でも、馬が頑張って走り抜こうとしてるんだから、人間がもっと後押ししてやらないかんでしょ。クタクタになるようではダメ。だからオレはこのレースのために体をもう一度鍛え直したんだ」

 すげぇ。

 思わず口から出ました。あの強引な戦法は「馬と話し合って決めました」的な生ぬるいものじゃなかったのです。馬の前進気勢とパワーに騎手が真っ向から向き合い、負けることなく叱咤する…。考えてみれば、タップが上がっていくときには、上がっていきたいはずなのに哲三ジョッキーがゴシゴシ追っていました。「馬の気持ちを優先してます」だったら、あのようにはなりません。あれは「前に行かせろ!」「だったらここまでできるか?」という、馬と騎手の勝負だった。レースとか、展開とか、他馬なんて関係ない。「やれんのか!」という勝負だったのです。だから、何かを破壊するような、レースのすべてを変えるような走りができる…。

 強い…

 馬も

 騎手も

 だから心が震えるんだ!

 雨がやんだ東京競馬場。1枠1番からスタートを切ったタップを哲三ジョッキーが叱咤しました。「いくぞ」。すーっと先頭に立ち、後続を離していきます。

 3馬身

 5馬身

 2コーナーを過ぎて向こう正面に入るあたりで差を広げます。

 7馬身

 8馬身

 3コーナーあたりで歓声が起こります。

 10馬身!

「おいおい」

「ずいぶん飛ばしてるけど…」

「もしかしてこのままいっちゃうのか?」

 そう焦ったファンからのざわめきに近い歓声だったのですが、4コーナーを前に差が5馬身に縮んでいくと、その声は徐々に収まっていきます。

「暴走か」

「だったらあとは…」

 誰もが後ろのクリスエスを探しだしたとき、直線を向いたタップがやったことに私は震えました。

 日本一長い直線

 持たせたい

 体力を温存させたい

 誰もがそう思うはずなのに

 スパート!

 そう、有馬の、宝塚のあの3コーナーとやっていることは同じ

 じっとしてなんかいられない

 誰よりも先に動き

 自分でレースを厳しくして

 勝ちにいく

 他馬なんて関係ない

 やることは同じ

 タップの「やれんのか!」

 哲三ジョッキーの「やれんのか!」

 その勝負に

 後続は

 他馬は

 全く追いつけませんでした。

 どよめきの競馬場

 単勝13・8倍の4番人気馬が世界を相手に逃げ切ったという驚きと、もうひとつ。

 2着につけた着差

 9馬身!!

 伝説の逃走劇にはドラマもついていました。

 勝利ジョッキーインタビューで哲三騎手が言うのです。

「カツラギエースが勝ったジャパンカップを見て騎手にあこがれたっていうのもあるんで」

 つながるドラマ。そして…

 えっ

 あっ…

 あのときもそうだった。

 シンボリルドルフミスターシービーという三冠馬2頭への期待が高まりに高まったせいで、同じ年に宝塚記念を勝っていたカツラギエースが人気を落としていた。宝塚で誰もが「強ぇ」と言っていたのに単勝オッズは55倍。「スター性」「未知」「伸びしろ」、すべてで劣ったことにより、実力馬が盲点になった。あの「エースの一撃」にあこがれたジョッキーが、19年の時を経て「タップの一撃」――

 信じれば

 信じきれれば

 馬は

 競馬はこたえてくれる。

 すごいものを見せてくれる…。

 これが、あのジャパンカップで、タップと、競馬の神様が教えてくれたこと。

 買えなかった。

 信じきれなかった。

 最後の最後でタップを買えなかった大馬鹿野郎が、今でも宝物にしている教えです。


最強コンビ

 振り返ると、あのときの私は、仕事で行き詰まっていました。自分に自信がなかったのでしょう。自分を信じきれない人間が、馬とジョッキーを信じ切れるわけがありませんでした。ただ、おかげで「もう絶対に後悔はしたくない」と前を向くこともできました。

「信じよう」

「強いと思った馬を」

「タップと哲三ジョッキーを」

 次走は有馬記念。

 さすがに◎もつきます。単勝もクリスエスに次ぐ2番人気。しっかり売れましたが、一方で今回は、スター性という以前に、競馬の常識的に考えて厳しい要素もたくさんありました。

「激走の反動が出ないわけがない」

「前走はノーマークだったけど今回はキツイ」

「前走は重馬場で全馬の切れがそがれたけど、今回は良馬場」

「引退レースのクリスエスはメイチで仕上げてくる」

 だからこそ、前走で圧勝しているクリスエス(JCは3着)の2・6倍に劣る3・9倍だったわけで、「ジャパンカップみたいにうまくいくわけがない」という声が多く聞かれる状況。ただ、私は迷うことなくタップを応援しに中山競馬場に行きました。その目の前で、好スタートを切ったタップが先頭に立ちます。

「そうだ」

「今日も自分で動いて」

「ねじふせろ!」

 しかし、激走の反動があったのでしょう、スタンド前でアクティブバイオとザッツザプレンティがかわしていき、3番手に収まったタップは、いつものように勝負所で上がっていくことができませんでした。4コーナーでは、早々にリンカーンに交わされ、さらにそのリンカーンをクリスエスが早々に交わし…

 馬群に沈んだタップ

 そのタップがJCでやった9馬身差をやり返すクリスエス

 競馬の面白さと、さすがに〝いつものタップ〟ではなかったように見えたので、私も割り切れました。そして、競馬の神様にこう問いかけました。

「またですか」

 そう、惨敗の4日後、タップはまた1つ年を取ります。

 7歳。

 衰え必至。

「あなたは信じられますか?」

 2004年、上半期の始動戦は3年連続の金鯱賞。年齢に加え、59キロという酷量を背負ったタップには懐疑的な目を向ける人もいました。そんな中…

 逃げて後続をしのぎ切ったタップがはじき出したのは

 レコードタイム!

「やっぱりすげぇ」

「もう本物だな」

 おそらくここでほとんどの競馬ファンは完全にタップを認めたと思うのですが、続く宝塚記念でまたまた競馬の神様が問いかけてきます。

 低調なメンバー

 調子は絶好

 哲三ジョッキーが言います。

「普通の競馬をさせてもらったら負けんぐらいの気持ち」

「今後、タップは〝強い馬〟から〝最強馬〟になってほしい」

 主役です。

 1番人気です。

 でも、2番人気のゼンノロブロイとオッズはそれほど変わらず、圧倒的な1番人気ではありませんでした。ロブロイはGⅠを勝っていないのに…やはり今回、何度も言ってきたように、ファンは血統や厩舎というブランドや、伸びしろという要素を重視しがちでした。逆に言えば、それを踏まえると、アラを探したくなるのが地味で高齢なタップでした。その証拠に、実はこの年の宝塚記念のファン投票で、一番の実績を持っているタップはなんと6位だったのです。

「7歳だし」

「みんなの目標にされる脚質だし」

「今回は先行馬も多い」

「逃げそうなローエングリンもいる…」

「大外枠」

 ロブロイのようなサンデーサイレンス産駒で、藤沢厩舎で、4歳馬だったら2・0倍ぐらいだったでしょう。でも、

「強さを…」

「信じられますか?」

 競馬の神様のこの問いに、ファンが迷ったからこその3・5倍。1番人気の単勝オッズとしては微妙としか言いようない数字を背に、タップはスタートを切りました。スピード豊かなローエングリンが飛ばしていくと、ホットシークレットが2番手につけ、タップは3番手。縦長の隊列で向こう正面に入ったこのレースのポイントとなるのが、その後だというのは、誰の目にも明らかでした。

「動けるのか」

「昨年の有馬では動けなかったタップが」

「人気を背負い」

「年齢を重ねた今」

「いつものマクリを見せられるのか」

 我々はとんでもないものを目にします。

「いつもの」どころじゃなかった。

 いつも以上

 3コーナーを前に、もう、タップが先頭に立っていたのです。

「え?」

「さすがに…」

 ざわめく場内。そりゃそうです。いくらなんでも早すぎる。なんなら去年より早いのです。すべてをのみこみ、差し馬の台頭を許して3着に終わった去年より早く、1番人気馬が先頭に立ち、なんならスパートしているのです。

「おいおい…」

 ファンの不安も分かります。本来、目標にされたくない1番人気馬が、自ら目標になっている…。他馬が狙いを定めないわけがありませんし、放っておくわけがありません。後続がしっかりついてきています。

「これ…」

「まずくないか?」

「哲三、大丈夫なのかよ!」

 上がる悲鳴

 並びかけてこようとする後続馬

 ここでタップがどうしたか、もう皆さんお分かりかと思います。

 4コーナー手前

 普通の逃げ馬や先行馬が息を入れるところで

 スパート!

 直線を向いてさらにスパート!

 さすがにスピードが鈍りはじめます。

 軽快感ゼロ…

 もがき

 あがき

 明らかにバテていました。

 でも、

 後続はもっとバテていました。

「すげぇ」

「強ぇ」

「強すぎる!」

 半信半疑だった人が口をあんぐりさせる中、私は震えていました。単勝オッズ3・5倍。馬券的には全く妙味がありません。大きな払い戻しを受けるには大金が必要で、そんな大金を持っていない自分には縁がないと思っていたオッズでした。なのに、あのときは何の迷いもなく買えた。少額です。大儲けなんて無理でした。でも、爽快感は〝大儲け〟級。

「自分が強いと信じた馬が」

「自分が強いと思う乗り方で」

「いや、それ以上に強いレースで勝つのは」

「こんなに嬉しいんだ」

「こんなに気持ちいいんだ」

「すげぇ」

「競馬ってすげぇ!」

 たくさんお金を増やしたいと思って馬券を買い続けてきた大馬鹿者に、たくさんお金が増えなくたって馬券を買うのは面白いと教えてくれたタップと哲三ジョッキー。

「もう問題は不要ですよ」

 私は競馬の神様にそうつぶやいたのですが、神様は意地悪でした。

 もう一回。

 追加で問うのです。

 過去最大級

 最難問

「あなたは信じることができますか?」


誰よりも先に

 宝塚記念のレース後、哲三ジョッキーは話しました。

「タップがこちらに心配させないくらい良かった。よっぽど馬が強くないとできない芸当だよ」

 馬と互いの肉体をぶつけ合い、勝負しつつ、作り上げた戦法。哲三ジョッキーだからこそ確立できた肉を切らせて骨を断つタップ戦法だと思うのですが、あくまで馬を立てるところも哲三ジョッキーらしく、感動的でした。佐々木調教師も絶賛です。

「7歳だが今でもジワジワ強くなっている」

「年間3~4戦に絞れば10歳まで現役を続けられる」

 驚きのタフさと底知れなさ。そして、誰もが確信したのは「今、一番強いのはタップだ」ということでした。年齢? 血統? 厩舎? 騎手? そんなの関係ない。

 タップは強い。

 一番強い。

 そんな馬にかけられる次の期待は…

 はい、見出しにある通り、凱旋門賞。

 日本馬の悲願ながら

 日本馬に向かないタフなレース

 切れ味とか軽さでは勝負にならないレース

 そこでタップです。

 切れ味や軽さと真逆

 肉を切らせて骨を断つ戦法ができるタフな馬

 タフな肉体

 タフな相棒

 あの重馬場のジャパンカップをぶっちぎっているから日本馬が苦しむタフな馬場もこなせそう。

「いけるんじゃないか」

「こういう馬なら凱旋門賞を勝てるんじゃないか?」

 順調に夏を越したタップは、順調に海を渡る準備をしていました。

「もしかして…」

「いけるかも…」

 高まる期待。しかし…

「まさか、ケガ?」

 そう心配した私は、記事を読んでやりきれなくなりました。出発予定だった飛行機が欠航となり、次の便に乗るとわずか数日しか調整できないため、出走断念――。

「そんなバカな…」

「タップならやれると思ってたのに…」

 が、数日後、驚くべき発表があります。

 なんと、タップの一口馬主さんやファンからの反響がすさまじく、一転して参戦するというのですが、もっとビックリしたのは、改めて乗る予定の飛行機で現地に着く日時です。

 世界最高峰のレース

 凱旋門賞に向けて

 フランス到着が

 レース2日前!

「ええーー!!」

 そんな中で、外枠から好スタートを切ったタップが〝いつも通り〟の競馬をしたことに私はテレビの前で震えました。

 2番手から

 誰よりも先に動き

 誰よりも先にスパート

 直線を向いて先頭

「タップ!」

「哲三!」

 無理だと分かっていても声が出ました。すぐにズルズル下がっていきましたが、レース前々日にフランスに着いた馬が一瞬でも先頭に立ったのです。しかも、凱旋門賞で。

 タップの精神力

 ファイティングスピリット

 脱帽しつつ、私は少しだけ心配になりました。

「体調を崩さなければいいけど…」

 慣れない場所に行って、いきなりレースになって、タフな馬場を4角先頭ですから、消耗度は相当でしょう。重馬場のジャパンカップを逃げ切ったどころじゃないのも想像がつきますから、有馬記念に出ると聞いたときは戸惑いました。体調は整うのだろうか。無理をしなきゃいいけど…ただ、これを聞くともう応援するしかありません。

 有馬で引退――

 私のやることはシンプルでした。体調は心配だけど、ファンとして無事を祈り、声援を送る。そして…

 強さを信じる

 ラストランなのですから、なおさら迷いはなかった。なかったのですが、自分の勤めている会社が、レース4日前にとんでもないことをやってくれます。

 なんと、タップが引退を撤回したことをスクープしたのです。「シチー」で知られるクラブ法人「優駿ホースクラブ」の代表曰く、「(一口馬主の)会員から現役続行の声が大きい」「過去4頭しかいない10億円ホースにさせたい」。加えて、7歳馬だが力の衰えは全く感じられないことと古馬勢の戦力分析から、「走らせることのメリットが大きいと判断した」――確かにタップは年齢を感じさせません。また、古馬路線では宝塚でタップが負かしたゼンノロブロイが本格化し、天皇賞・秋とジャパンカップを勝っていましたが、極端に言えば〝それだけ〟。ロブロイ以外に新星は現れておらず、明らかに層が薄い状況でした。つまり、普通に走れば来年も活躍必至。

 だけど…

 と、思ったのは私だけではなかったはずです。「引退レースだから」と悩むことなく応援をすることを、馬券を買うことをすんなり決められたときとは状況が変わってくるのです。

「普通に考えれば厳しいよな」

 そうです。常識的な考えが改めて浮上してきます。加えて

「来年もあるんだし」

 とも思うのです。

「またですか」

 そうです。

「本当に難しい問題を作るがうまいですね」

 はい、競馬の神様がまたまた我々に問いかけてきました。

「あなたは信じられますか?」

 無事に走ることなら信じられます。でも

「自分が信じた馬の強さを信じられますか?」

 こう問われたら本当に悩みます。調教の動きを見る限り、タップは完調ではありません。佐々木調教師の「欲を言えばあと2週間ほど調整期間が欲しい」「昨年のジャパンカップには及ばないが、走れる状態にはなりました」というコメントからもそれは明らかでした。まして当時の日本競馬では今よりもはるかに「海外帰りは厳しい」というのが常識。裏読みすれば、引退撤回は「今回は厳しいから来年また頑張る」とも言えるのです。常識的に考えれば、誰が見ても厳しい…印も物語っています。

 無印がこんなに! 本紙では◎が2つ付いていますが、他紙ではあまり見かけなかったと記憶しています。それぐらい記者から見たら完調手前だったわけで、ただの海外帰りではなく〝弾丸遠征〟の反動も容易に想像できたのです。ファンだって正直でした。単勝オッズは8・8倍。1番人気ゼンノロブロイの2・0倍から大きく離されているだけではなく、3歳の地方馬ながらジャパンカップで2着に入ったコスモバルクの7・0倍にも劣っていました。

「タップは無理だろ」

「厳しいよな」

「今回は消し」

 思えば、昨年もJC激走の反動で有馬は敗れました。コスモバルクが逃げの手に出たら、やり合うことになる可能性もあります。

「タップ…」

「哲三…」

 前の晩、私はレースビデオを見返していました。

 何度も何度も。

 何度見ても同じでした。

 タップと哲三ジョッキーは毎回同じ

 自分から動き

 自分からスパート

 最高でした。

 カッコ良かった。

 でも、それが唯一できなかったのが昨年の有馬。激走後の反動。そう考えると、今回、タップは体調的に自分から動けない可能性はあります。

 動けないかも

 スパートできないかも

 どうしよう

 俺はどうすればいいんだ…

 弱気になった深夜、私が思い出したのは競馬の神様の問いです。

「信じられますか?」

「強さを信じられますか?」

 信じたいですよ。でも…

動けないかもしれないんですよ…」

 そう口にした瞬間、思考が別の方向に向かいました。

 動けない?

 それは動かないのか?

「いや…」

「動かないわけがないじゃないか!」

 惚れた人馬

 何度も見てきた人馬

 だから、想像できました。

 完調じゃないから

 来年があるから

 そんなことであの人馬がヒヨるわけがない。

「動こうとしないわけがない!」

 動けないかもしれないけど…

「動こうとはしてくれるのは間違いない!」

 あの境地こそ「信じる」ということなのかしれません。タップと哲三ジョッキーが教えてくれたのです。

 競馬との究極の向き合い方

 究極の楽しみ方

 ガチャン――

 ゲートが切られた直後、哲三ジョッキーがガシガシと手綱をしごいた瞬間、私は生きていて良かったと思いましたそして、師走の澄んだ空気を切り裂き、ペースを落とすことなく逃げたタップを、哲三ジョッキーが3~4コーナーの勝負所でさらに促しているのを見て、競馬に出会って良かったと思いました。

 誰よりも先に動き

 誰よりも先にスパート

 今日もタップと哲三ジョッキーは

 4角先頭!

「いけっ!」

「いっけー!!!」

 人馬と神様に感謝しながら叫んだあの日のことを私は一生忘れません。最後の最後、ロブロイに差されてしまいましたが、電光掲示板にともった「レコード」という文字を見て、私の震えは止まりませんでした。

 凱旋門賞帰りでも

 完調手前でも

 ヒヨらなかった

 肉を切らせて骨を断った

 タップと

 哲三ジョッキー

 あなたたちは本当にすごかった。

 それを見られただけで十分だった。

 人馬を信じられれば

 強さを信じられれば

 競馬は100倍面白い!

 ひとつ付け加えるなら、そんな人馬に出会ったとき、馬券で勝負しすぎないことをお勧めさせていただきます。宝塚記念で「儲かる」がなくても競馬は楽しいと気付いたはずなのに、単勝8・8倍がごちそうに見えてきてテンションが上がりまくった大馬鹿野郎は、あの日、朝から銀行に走り、今までの競馬人生における最大額の単勝を購入してしまったことで、少しだけ「楽しい」が減ってしまいました。そして、翌年、金鯱賞三連覇の後、謎のスランプに陥り、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と4連敗したタップでその負債を取り返そうとしたことで、あの人馬との素晴らしい思い出が少し苦いものになってしまいました。ここまで読んでくださった皆さんが私と同じ失敗をしないことを祈り、あえて告白させていただきます。


アニメの史実もおさらい!

 冒頭で書いたように、この秋、Season3が放映されている「ウマ娘」のアニメについては、毎週、その内容の史実を振り返っています(水曜更新)。最新話を楽しむお手伝いができれば幸いですし、アニメをご覧じゃない人も、キタサンブラックやサトノダイヤモンドが活躍した2010年代半ばの競馬を懐かしむ意味で使っていただければこれ以上の喜びはありません。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ