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甲乙つけがたい絶品のチョークスラムを放つ3人【WWE21世紀の必殺技#7】

 WWEに限らず、同じ団体内ではフィニッシュ・ホールド(決め技)の重複は認められない。ふた昔前、馬場と猪木が同じ団体(日本プロレス)に所属していた時代(67~71年)、それは「レスラー同士の自主規制」に委ねられていた。

「他人が決め技として使っているのをパクるのは恥である」的な仁義と言えたかもしれない。猪木が必殺技にしていたコブラツイストを馬場が使うようになった時(68年)、猪木は当然、激怒したろう。

 その激怒から生まれたのが「コブラを超えた新・必殺技」の卍固めだった。これは馬場と猪木のライバル関係だから起きた例外中の例外で、普通であれば(この場合)馬場のコブラ使用は、絶対に許されぬ時代だった。

 現在のWWEにおいて唯一、複数のトップレスラーが決め技にしているのがチョークスラムだ。90年にアンダーテイカーが使い始め、その実弟というキャラで97年に登場したケインが続いた。

エッジ(左)を高々と抱え上げるケインのチョークスラム

 そして98年にWCWから移籍してきた大巨人ビッグショーが加わって「3人の名手」がWWEに集結してしまったが、御大ビンス・マクマホーンは、さぞかし悩んだに違いない。どこの団体よりも個々のキャラクターを重視するWWEにおいて、トレードマークである決め技のダブリは、絶対にあってはならない鉄のルールだったからだ。

 しかし、結果的にマクマホーンは例外措置を認めた。それだけ、3人のチョークスラムは甲乙つけがたい絶品だったからこその決断だったろう。

 3人のチョークスラムで誰のが一番か。破壊力だけから言えば、213センチの長身を利用できるビッグショーだろうが、総合的にバランスが取れているケインの一発に一票入れたい。

 落差のビッグショー、飛距離のテイカーに比べ、ケインの売りは落下速度にある。チョークスラムという大技の本質は、速度にあるような気がするからだ。

「相手の首をつり上げて落とす」という技は、80年代まではネックハンギング・ツリー(人間絞首刑台)しかなかった。全盛時の坂口征二が得意とした大技だが、完全なチョークの状態で絞めるので、当然レフェリーの反則カウントが入る。

ペドロ・モラレス(奥)をネックハンギングで吊り上げる坂口(1978年7月、日本武道館)

 叩きつけてからフォールの体勢に入る坂口に対し、アメリカのレフェリーは「反則技によるフォールは認めない!」とフォールカウントを拒否。坂口をしばしばぼう然とさせたものだ。

 その泣きどころを巧みに改善し、チョークでありながら「5秒以内だから、ま、いっか」と黙認させてしまうのがチョークスラムのコツ。やはり「パパッと持ち上げて、猛烈なスピードで落とす」ケインの一撃が、ネックハンギングというプロレスならではの大技を、正しく継承しているように思えて仕方がない。

 すべてのプロレス技に深い歴史がある。

流 智美(ながれ・ともみ) 1957年11月16日生まれ、茨城県水戸市出身。プロレス評論家。『ルー・テーズ自伝』、『門外不出・力道山』、『猪木戦記』、『馬場戦記』、『日本プロレス歴代王者名鑑』など、昭和プロレス関連の著書多数。

※この連載は2006年2月~5月まで全10回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けしました。


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