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野球をやってこられたのは負けず嫌いとプライドのたまもの。完全無欠の指導者になる!【仁志敏久連載#11・最終回】

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横浜移籍3年目、正直「萎えた」自分がいた

 2007年、借金1の4位にとどまり、さらなる一歩を期待したものの、絶対的抑えのマーク・クルーンが巨人へ移籍。先発陣も手薄となり、2008年は再び、苦しいチーム状況に追い込まれてしまいました。

紙面連載41(07年シーズン)

練習に打ち込む仁志。「勝たなければいけない理由」を探したが、なかなか見つけることができず…

 開幕は3連敗。その後も状態は変わらず、11試合目にして既に最下位。そこから上がることは一度もありませんでした。

 終わってみると48勝94敗2分け。100敗するかというチーム状況では「チームが一つに」だとか「気持ちを見せる」というきれいごとは通用しません。何が悪いのか?

 手を抜いている選手などもちろん一人もいません。実力がないかと言えばそうではない。

 村田修一君内川聖一君など素晴らしい選手がいます。投手陣にしても三浦大輔君という柱がいる。

村田内川三浦

左から村田、内川、三浦(すべて2010年)

 勝てない理由を無責任に分析する人間もいますが、問題はそこではありません。「勝たなければいけない理由」を探すべきなのだと思っています。

 例えば、巨人には「メジャーに追いつけ追い越せ」という指針があります。これは長い歴史の中で多くの選手、職員が肌で感じてきました。そのために目指すものが明確です。

 また、「巨人軍は紳士たれ」という言葉。これは野球においてというよりもユニホームを脱いだとき。だらしのない格好を見たファンの頭の中には一生その姿が残るかもしれない。だから選手として人前に出るときは恥ずかしくない格好をすべき。野球の結果に直結するわけではありませんが、人に見られる立場でいる以上、品格も大事ということ。何年も負け越しているわけですからこの1年の負け越しも大した問題ではなく、翌09年も同じことでした。

 この年、自分の身の振り方を再び考えました。シーズンが始まって10試合くらいだったでしょうか。「二軍で調整してきてくれ」と通達されました。

仁志(契約更改、2008)

2008年の契約更改に臨んだ仁志。辞めようという気持ちもあったという

 正直、気持ちが萎えたように思います。もちろん、誰のせいでもなく。自分が何をしているのか、何をしたいのか分からず、時間を無駄にしているような気がしたのです。その後、骨肉腫で亡くなった10歳の少年を思い出していました。

 時間の大切さを教えられ、無駄な時間を過ごすべきではない。ましてや気持ちも入らずに野球をやっていたら周囲にも迷惑。だから辞めようと思いました。

 しかし、日本ではそんな前例はありませんから「はい、そうですか」とはならない。村上忠則GMの熱心な説得に諭され、申し訳なく1年を過ごしました。わがままだと思われたでしょうが、気持ちが入らないまま、プレーをしている方がよっぽど悪影響を及ぼします。

 プロ入り最低のシーズンを最後に日本でのプレーを終えました。何かが足りない。まだやれていなかったことを目指し、米国を目指してみました。

紙面連載42(09年4月、横須賀市・横浜ベイスターズ総合練習場

夢をかなえるべく渡米を決意した仁志

メジャーのテスト中、独立リーグから誘いがあり急遽から西から東へ!

 2010年2月、最後に目指したのは米国。アマチュア時代から海外での経験が多かったことで一度はプレーしたいと思っていました。

 年齢的に契約にたどり着くのは難しいだろうことは分かっていました。ですから、初めからメジャーなど考えておらず、マイナーで十分だったのです。ところが、それもなかなか難しく、机上での話し合いでは全く反応がありませんでした。そのため、実際に渡米してテストを受け、じかにプレーを見てもらって判断を仰ごうと思ったのです。

自主トレで汗を流す仁志(08年1月)

自主トレで汗を流す仁志

 サポートしてくれた方々のおかげでロサンゼルスにあるUSC(南カリフォルニア大)のグラウンドで練習することができました。およそ大学の設備とは思えないほどの球場です。室内にはバッティングマシンも揃っており、練習には事欠きません。

 そこでは同じくテストを受ける元巨人の三沢興一君、吉岡祐弐君、元西武の三井浩二君とも合流しました。

 滞在1週間ほどでテストは行われました。レンジャーズ、ドジャースなど、スカウト数人の前でバッティング、守備を見せます。野手陣が終わるとブルペンで指導しながら投手陣のテスト。

 正直、テストをしていくうち、ここで何とかなることはないだろうと感じていました。スカウトの方々は善意で駆けつけてくれ、見るだけ見てくれたのです。こちらとしてはそれだけでもありがたいと思っていましたから、文句などかけらもありません。とにかく、その機会をもらったことだけでも感謝です。

 一方このころ、他でサポートしてくれていた代理人からも連絡が入っていました。

アトランティック・リーグという独立リーグがあり、その中のランカスターのチームから誘いがあった」とのこと。

 メジャー球団のテストが終わるまで悩みました。アトランティック・リーグの存在すら知りませんでしたから、果たしてそこまでして野球を続けるべきか…。

 しかし、内容を聞き、調べていくうちにレベルが高いこと、環境が悪くないことが分かってきます。テストが終わり、契約の目がないことが明らかになると、次第に興味が湧き、決心しました。

 そう決まれば話が早い。せっかく米国にいるのだから早速行ってみようということになり、急きょ西から東へ渡ります。

 ロサンゼルスでの滞在しか考えていなかったこともあって、ランカスターではちょっと薄着です。ランカスターはニューヨークから西へ車で4時間ほど。緯度は日本の東北地方と同じくらいですから、2月では雪も残っており、かなり寒い。

 着くなり球場にある球団事務所を訪ねました。契約に携わってくれた方々と話をし、監督が近くにいるからとわざわざ呼んでくれました。

 雪に覆われたスタジアム。そこに新たなシーズンが待っていると思うと寒さなど吹き飛び、心が弾みました。

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野球をやってこられたのは負けず嫌いとプライドのたまもの。完全無欠の指導者になる!【仁志敏久連載#11・最終回】

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