田舎チームが遂に甲子園の決勝に!〝伝説の一戦〟がプレーボール!【太田幸司連載#6】
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決勝進出を決めた瞬間、初めて訪れた充実感
甲子園は大変なことになっていた。昭和44年(1969年)夏の選手権大会。3季連続出場とはいえ、東北の田舎チームが岡山・玉島商を破り、ついに決勝進出を決めてしまったのだ。東北勢としては第1回大会の旧制秋田中学以来の快挙。1回戦から大分商、明星(大阪)、平安(京都)と強豪を次々と撃破し「剛腕・太田幸司」「粘りの津軽打線」などと、三沢旋風はマスコミに大々的に取り上げられた。
▽準決勝
三沢000003000=3
玉商000001001=2
玉島商戦で集中打の口火を切る三塁打を放った八重沢。ついに決勝進出だ
ボクは玉島商打線に5安打しか許さなかった。炎天下で4試合目の登板だったが、疲れるどころか調子はますます上向いていた。1回戦からすべて1点差試合で一瞬たりとも気を抜けず、緊張感をキープできたことが逆によかったのだろう。
甲子園で通算6度目の校歌を聞きながら、ボクは何ともいえない充実感に浸った。思えば、最後の夏のマウンドは「打たれたらどうしよう」「負けたらどうしよう」と、常に恐怖心が支配した。青森県予選、北奥羽大会、甲子園でもずっとそうだった。ところが、決勝進出を決めると、そういった気負いは不思議と消えた。「とうとう最後まで来た。全国2523校の頂点を決める舞台に立てる。悔いはない。いい試合さえできれば、それでいい」。ボクは心底からそう思った。
決勝の相手は愛媛・松山商だ。夏14回目の出場で過去に優勝3度(昭和25年の松山東高時代を含む)、準優勝1度。春13回の出場で優勝2度、準優勝1度。「夏将軍」の異名を取る全国屈指の名門だ。1回戦で高知商に10―0と快勝して波に乗ると、鹿児島商、静岡商、若狭高(福井)を圧倒し、16年ぶり4度目の夏制覇に突き進んだ。打線は4試合で20得点を叩き出し、精密機械の異名を取るエース・井上明はわずかに1失点。すきすら見当たらない完成されたチームだった。
決戦前夜。ボクたちは兵庫・宝塚市内の宿舎でミーティングを開き、松山商の戦いぶりをチェックして対策を練った。「機動力を駆使したそつのない野球をする。無駄なランナーは絶対に出してはいけない。特に大森―福永の1、2番は要注意だぞ」。そしてもう一つ。「ストレートばかりの単調な投球は避けよう。いくら太田の球でも、4番・谷岡を中心とした主軸はスイングが鋭く要警戒。いつもよりカーブを多めに投げよう」
ミ~ンミ~ンミ~ンと、銀傘にセミの声が突き刺さる。甲子園のスタンドは、5万5000人の大観衆をのみ込んで立すいの余地もない。ついにその時がやってきた。8月18日午後1時。球史に残る大死闘のサイレンが、高らかに鳴り響いた。
「夏将軍」の機動力の前にピンチの連続
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