「ウマ娘」では信念のお嬢様!メジロマックイーンが乗り越えた血・事件・ライバル対決を「東スポ」で振り返る
アニメ「ウマ娘」を観た後、私は現役時代よりメジロマックイーンのことが好きになりました。Season2の準主役、名家に生まれた落ち着いた物腰の令嬢として描かれていますが、時折見せる負けず嫌いな部分だったり、頑張り過ぎてしまう姿、そして芯の強さにハッとしたのです(天然ボケなのもカワイイですが)。改めて振り返れば、隙のない走りで競馬界を引っ張り続けたマックイーンにも、自分の置かれた立場を全うする信念がありました。何より、アニメ同様、めちゃくちゃ強いのですが、主人公とまではいかない感じも…トウカイテイオーとのライバル関係や、アニメには描かれていない挫折ともども「東スポ」で振り返ってみると、本当にこの馬はカッコイイです。ぜひご覧くださいませ。(文化部資料室・山崎正義)
宿命
ゲーム「ウマ娘」でメジロマックイーンを育成すると、彼女がまっすぐな瞳でこう話すシーンが出てきます。
「メジロの名を持つウマ娘として、果たさなければならない、高い目標があります。天皇賞制覇という目標です」
「勝利を義務付けられたメジロのウマ娘として責任を果たしたいのです」
競馬に詳しくない方にとっては「分かるような分からないような…」といったところかもしれませんので、ご説明しますと、そもそも「メジロ」という馬名(冠名)は、生産者兼オーナーとして日本競馬を牽引したメジロ牧場に関係する馬だということを表しています。このグループは、マックイーン以前にも、「メジロ〇〇〇」という名馬を数多く輩出してきたのですが、一貫していたのがこの目標。
「天皇賞を勝つ!」
もともと創業者が皇室とゆかりの深い東京・目白に自宅を構えていたこともあり、その思いは人一倍だったのでしょうが(この目白=皇室という高貴な感じが「ウマ娘」のマックイーンともぴったりなのも素敵です)、何といっても1905年に起源を持つ日本で最も歴史のある大レース。で、春と秋の年2回行われてきたのは今と変わらないものの、秋の天皇賞は1983年まで春と同じ3200メートルでした。つまり、天皇賞=3200メートル。勝つのに必要なのは「スタミナ」ですから、メジログループは、スタミナ寄りの血統を重視した生産を行い、見事に複数の天皇賞馬を誕生させます。で、引退した天皇賞馬が、スタミナの才能を子供に受け継ぐことで、親子制覇という偉業も成し遂げます。1970年の天皇賞馬メジロアサマを父に持つメジロティターンが1982年の天皇賞を勝つのです。
メジロアサマが第62回(1970年)の天皇賞を勝ち…
その息子・メジロティターンが第86回(1982年)の天皇賞を勝利
いやはや、これぞ競馬ならではの〝血のロマン〟なのですが、この流れに沿うと、自らの使命はおのずと決まってきます。メジロティターンの子供として誕生したマックイーンが「天皇賞の勝利を義務付けられた」というのは、そういうことなのです。史上初の天皇賞親子三代制覇を目指せ!というわけなんですね。
お兄さんに菊花賞馬メジロデュレンを持つマックイーンにも相当な期待がかけられていたのは間違いないでしょう。ただ、生まれたときからスタミナは保証されている一方で、このような血統はスピード不足の場合があるので、3歳クラシック前半には不向きです。皐月賞の2000メートルはもちろん、ダービーの2400メートルすら距離不足の可能性がありますし、そのトライアルはもっと短い距離だったりもしますから当然ですよね。同時に、おくてなのも特徴のひとつ。マックイーンの父ティターンも祖父アサマも、春のクラシックに縁がなく、天皇賞を勝ったのは古馬になってからの4歳秋。マックイーン自身が大型馬でなかなか仕上がらなかったこともあり、デビューは少し遅めの3歳2月になりました。脚元も丈夫ではなかったので負担の軽いダート戦に出走し、楽勝するものの、続く芝2戦は2、3着。陣営は血統にならい、じっくり育てることを決め、夏まで成長を促す休養を与えます。
9月になって復帰したマックイーンは北海道で連勝。素質の高さとともに、思っていた以上のスピードで成長しているのが明らかになり、陣営はクラシック三冠目・菊花賞に目標を定めます。距離3000メートルですから、マックイーンの適性にもぴったり。しかも、なかなか粋なローテーションを組みました。トライアルの重賞に挑戦するのではなく、兄デュレンが菊花賞制覇の前に出走し、勝利を収めたのと同じレース「嵐山ステークス」を選択するのです。菊花賞と同じ京都競馬場で、同じ距離でもある3000メートルで行われるのですから、ステップレースにはぴったり。どちらかというと裏街道ですが、知る人ぞ知る〝菊への近道〟でもありました。残念ながらマックイーンは騎手のミスもあり、2着に敗れ、賞金的に菊花賞の出走が危ぶまれもしましたが、血の宿命か、回避する馬が出て、何とか18頭に滑り込みます。
人気は大外のメジロライアン。同じメジログループの同期ですが父が異なり、マックイーンよりも成長度合いが速く、早々に頭角を現し、この年のクラシックの中心的存在になっていました。皐月賞3着、ダービーは2着と、惜しくもGⅠには手が届いていませんでしたが、ダービー馬アイネスフウジンが戦線離脱している中で、秋のスタートも順調に切ったため、上記のようにガッツリ印がつく1番人気。対するマックイーンは、春のクラシックには出ておらず、前述のように裏街道を進んできたのでそれほど目立つ存在ではなく、ライアンの陰に隠れた〝メジロの2番手〟といったところ。だからこそ、勝ったときの杉本清アナウンサーの実況はこうでした。
「メジロでもマックイーンのほうだー」
菊花賞馬は、この後、有馬記念に向かうのが普通ですが、体調がイマイチだったマックイーンはグランプリはライアンに任せ、休養に入ります。ライアンは、その有馬記念で奇跡の復活を果たしたオグリキャップの2着。しっかりと結果を残したことで、「来年はこの馬が中心になる」と予感させました。この時点で、ファンの多さも期待度も、マックイーンよりライアンだったのですが、年が明け、大きなターニングポイントを迎えます。有馬でオグリにミラクルを起こさせた若き天才ジョッキー・武豊が鞍上に迎えられるのです。
アイドル的な人気を誇っていたのに加え、父が名ジョッキーという〝血のロマン〟を持つ武騎手を背に、春の天皇賞での親子三代制覇を目指す…マックイーンが舞台の中心に躍り出る準備は整いつつありました。しかも、武騎手は、始動戦の阪神大賞典(GⅡ)の前に、紙面でこう語るのです。
「オグリら3強が引退して、後継馬が待たれます。ええ、マックイーンはスーパーホースの後継になる素質を備えていると思いますよ」
期待された菊花賞馬が必ずしも順調に成長するとは限らないのが競馬の怖いところですから、このコメントは心強いものでした。そして天才の眼力通り、マックイーンは阪神大賞典を圧勝するのです。
単勝1・2倍の断然人気だったとはいえ、他馬がお手上げの強さ。血統面も考慮され、一気に天皇賞・春の大本命となったマックイーンはこのままの勢いで、本番も制します。もっともスタミナがある馬が堂々と先に仕掛ける横綱相撲。
スタミナ勝負に持ち込んだのですから、ライアンも、同じくライバルとして名前の挙がっていたホワイトストーンもまったく歯が立ちませんでした。
武豊ジョッキーが表彰式で高く掲げたのはメジロ軍団創業者の写真。
一族の悲願達成、天皇賞初の親子三代制覇――実に感動的なシーンですよね。でも、私から見れば、マックイーンの物語は、ここが始まりです。血の宿命、メジロ家の義務は果たしました。今度は現役最強馬としての責務、スーパーヒーローになることへの期待感と闘うことになるのです。
事件
天皇賞・春で偉業を達成したマックイーンは「宝塚記念」に駒を進めます。
印を見ても分かる通り、同門同期のライアンとの一騎打ち。レースでは、ステイヤーではなく中距離向きのライアンが、4コーナー先頭の強気な先行策に出て、マックイーンの追い上げを封じました。
先行有利のレース展開になったことと、それ以上に距離適性の差だったのは明白でしたので仕方ない結果なのですが、ファンが物足りなさを感じたのも事実です。ここで勝てば一気に主人公だったのに一歩及ばず。また、天皇賞・春を横綱相撲で完勝するような馬が「現役で一番強い」と言われることに違和感はありませんが、マックイーンが「最強馬」と言えるかどうかは微妙な気がしたのです。最強馬なら中距離でも勝ち切りますし、何より、マックイーンが3000メートル以上でしか重賞を勝っていないことが関係していました。
「〝最強ステイヤー〟ではあるけど〝最強馬〟とまでは言えないような…」
漫画や映画で言えばこんな感じ。
「中心キャラなんだけど、主人公とまではいかないような…」
ファンもメディアも抱いたこの感覚と空気感が伝わったのかもしれません。マックイーンと陣営はさらなる鍛錬を積み、並々ならぬ覚悟で秋に向かいます。
「最強馬だと認めさせる!」
「主人公になってやる!」
「長距離だけじゃないことを証明してみせる!」
そのために最も手っ取り早いのはスピードも要求される2000メートルの天皇賞・秋を勝つことにほかなりません。ステップレースとして選んだ京都大賞典(GⅡ)では、2400メートル戦ながら、明らかに2000メートルを意識したレースをします。レース序盤からいつになく積極的な、スピードに乗せていくようなレースをしてあっさりと押し切るのです。2000メートルのスピードに戸惑わないよう、レース序盤で遅れないようにするための試走をしたわけで、マックイーンはそれを難なくクリアします。
メディアも、レースぶりの意図を理解しましたし、武豊ジョッキーも笑顔を見せました。
「この馬に2000メートルはちょっと距離不足です。1ハロン長い宝塚記念で負けているだけに、距離が一番の課題。でも、今日でメドは立ちました」
さあ、本番です。名実ともに最強馬、主人公となるための大事な一戦。同門のライアンがケガで離脱したため、正直、ライバルは不在でした。
ライバルがいないのに、どうして◎ばかりじゃないの?と思われる方もいるでしょう。これは本紙の予想陣がヘソ曲がりなのもありますが、実は他紙でも似たような現象は起きていました。
「強いのは分かっている。でも、やはり距離不足は否めない」
「真面目で堅実。でも、まだスーパースター感はない」
競馬記者なら、そして長く競馬を見てきたファンなら、どうしても誰かに足をすくわれる可能性を指摘したくなる状況だったのです。とはいえ、バブル的な競馬ブーム真っただ中で、ちょうどライトなファンも増えていた時期だけに、素直に馬柱だけを信用した人も多く、単勝は1・9倍。本当なら2倍台だったと思いますが、雨により、「重」どころか「不良」(最も悪いレベル)の馬場になったことで明らかにオッズが下がりました。馬場が悪くなることで、スピード色が薄まり、スタミナ色が強くなって、よりマックイーン有利の状況が出来上がったのです。で、雨が降り続く中で行われたレースは…。
2番手に6馬身! 直線を向いたマックイーンは、重たい馬場もなんのその、力強い脚取りで、グングン後続を突き放していったのでした。
「強すぎる!」
「最強馬だ!」
「君こそ主人公だ!」
半信半疑だったファンも記者もひれ伏す圧勝劇。どっちに倒れるか分からなかったオセロは白を上に向けて盤上に収まり、周囲も白く染めていきました。スタンド前に戻ってきたマックイーンを11万人の大観衆が歓声と拍手で迎え、武騎手が手を上げて応えます。気が付けば、傘がいらないほど雨は小降りになっていました。テレビ中継では、待機所に戻り、馬から下りた武騎手が関係者と握手をしている姿が映り、リポーターが興奮気味にその様子を伝えています。天皇賞の春秋制覇。スターがスーパースターへ――。まさに祝福ムード一色。あとは天才の勝利ジョッキーインタビューを待つばかりだったのですが、とんでもない事件が起こります。いや、起こっていました。首に花飾りをつけて検量室を出てきたのは武豊騎手ではなかったのです。
「え?」
「え?」
「なんで?」
スタジオの出演者も、視聴者も、まるでキツネにつままれたよう。リポーターが驚きつつも「おめでとうございます」とマイクを向けると、その騎手、2位入線のプレクラスニーに乗っていた江田照男ジョッキーもキツネにつままれたような顔をしています。しばらくして、インタビュー画面を通じて、競馬場に巻き起こった「うわー」という大きな声の渦が伝わってきました。場内の大画面にこんな文字が映ったのです。
東京10Rは、審議の結果
1位入線の13番が
18着に降着になりました。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
13番はマックイーン。つまり、1着だったはずのマックイーンが失格となり、18着になったというのです。確かにレース後、「審議」のランプはともっていましたし、場内の放送で、最初のコーナーで不利を受けた馬がいたとも伝えられていました。ただ、大事に至るようなものだとは誰も思っておらず、「なんだか審議が長いな」「どうしたんだろ」ぐらいの感覚だったので、まさに驚天動地。目の前で6馬身もぶっちぎった馬が1着ではないという意味不明の状況に、ほとんどの人が納得できませんでした。
「ウソだろ」
「そんなアホな!」
呆気に取られている人、泣いているマックイーンや武豊のファン。そして、怒号も飛び交いました。そりゃそうです。競馬はスポーツとはいえ、ギャンブルでもあります。多くの人が持っていたと思われる圧倒的1番人気馬がらみの馬券がすべて紙くずになったのですから。
「ウソだろ」
「金返せ!」
「ふざけるな!」
一方で、「ふざけるな!」という声は、他の騎手からも上がっていたのでした。スタート直後、外めの枠から好スタートを切ったマックイーンが内に切れ込んでいったため、玉突き事故のよう現象が起こり、行き場を失い落馬寸前になった馬がいたのです。競馬場に流れた映像やテレビカメラではそこまでひどいようには見えませんでしたが、現実は違いました。翌日の本紙1面に載った連続写真をご覧いただきましょう。
確かにかなり危険な状況だったことが分かります。武豊ジョッキーがわざとやったわけではないことも分かりますが、落馬によって命を落とす、まさに死と隣り合わせの仕事をしている騎手が「ふざけんな!」と声を上げるような状況だったのは間違いないのです。でも、ファンは戸惑いました。そもそもこの降着制度が導入された年だったのでその理屈を理解している人も少なく、それによって当たり馬券がハズレになることさえ知らなかったファンもいたのです。競馬場が、WINSが大混乱に陥ったのは言うまでもありません。競馬の世界を飛び出し、一般のニュースでも報道されるほどで、上記のように本紙なんて翌日の1面トップニュース。それほどの扱いになる要素が、この一件には詰まっていたのです。
1着からビリ。
明から暗。
しかも、そうなった馬が現役最強の称号を完全に手中に収める寸前だった断然の1番人気馬で、アイドル級の人気を誇っていた武豊ジョッキーが乗っていたのですから、まさに大事件なのです。当時の東京競馬場の芝2000メートルのコース形態は、スタート直後にこのようなことが起こり得る設計だったので大いに同情の余地はあるものの、GⅠにおいて1位入線した馬が降着処分になったのも初めてのことでした。
狂った歯車
競馬史に残る失格劇により、マックイーンの立ち位置はますます微妙になりました。
「現役最強なのは間違いない」
「中距離でもめちゃくちゃ強いのもよく分かった」
「だけど…」
モヤモヤが消えません。
「だから今度こそ」
「スッキリさせてほしい」
それは陣営も同じでした。
「今度こそ!」
「最強を証明する!」
「正真正銘の主人公になる!」
気合満点の調整過程を経て、マックイーンは「ジャパンカップ」に向かいます。
まだまだ外国馬が圧倒的に強い時代でしたし、凱旋門賞の2着馬をはじめ、なかなかの刺客が集まっていましたが、ファンは最強馬が最強馬たることを証明してくれるレース、世界をやっつけるスーパーホースの誕生を信じ、マックイーンを単勝1・9倍の圧倒的1番人気に支持しました。その期待を背負い、前走の借りを返すべく、武豊ジョッキーも完璧なレースを見せます。絶好の4~5番の内でじっと力をためて直線を向き、前が開きました。あとは抜け出すだけ。
「いけ!」
「マックイーン!」
大観衆の絶叫とともに、マックイーンが必死に脚を伸ばそうとします。
しかし、その外をあっさりと外国馬がかわしていきました。4着。競馬場がため息に包まれます。
紙面ではさすがの武騎手も弱気なコメントを出していました。
「道中のポジションも良かったし、手ごたえも十分。最後の直線で前が開いた時は〝いける〟と思ったけど」
「マックイーンも伸びているのに、差がまるで詰まらなかった。上には上がいる」
スタミナタイプの馬特有の瞬発力のなさも指摘され、ファンと陣営のモヤモヤは晴れるどころか、さらに深まってしまいました。ただ、次は東京競馬場ほど瞬発力を要求されない中山競馬場での有馬記念です。新星も登場していませんし、スタミナ勝負に持ち込めば、負けるようなメンバーではありません。
構図としては完全な1強で単勝は1・7倍。2番人気が8・7倍で、しかもその馬が3歳の、クラシックも勝っていないナイスネイチャだったのですから、いかにタレント不足だったかが分かります。だからでしょう、ジャパンカップの時よりもファンの熱は明らかに低かったです。「今度こそ!」というのとはちょっと違いました。ひとまず現役で一番強いことを証明して、一年の最後を無事に締めくくってほしい。そのうえで来年、外国馬に負けないぐらい、さらに高みを目指してほしい…といったところでしょうか。スピード勝負にはならないでしょうから、勝つことは勝つでしょうが、胸を張って「現役最強!」と言えるだけのスーパースターになるのは来年でも構わない…といった感じだった気がします。
「とにかく1着で」
「モヤモヤはナシで」
「スッキリ来年に向かいましょう」
が、再び事件が起こります。中団から徐々に先団に上がっていき、直線、万を持して脚を伸ばしていくマックイーンの内から1頭、スルスルと、本当にスルスルと、まったく人気のない馬が勝利をかっさらっていったのです。
「これはビックリ、ダイユウサク!」
言い方は悪いですが、絶叫するアナウンサーが発した馬名を聞いても「そんな馬出てたの?」ぐらい目立たない存在。だからみんな、急いで新聞を確認したり、オッズを確認しました。そして、ブービーの14番人気であること。単勝オッズが100倍を超えていること(実際は137・9倍。100円が1万3790円になる計算)に気付き、そこで初めて声を上げたのです。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
もはや笑うしかないレベル。説明がつきません。いや、競馬に絶対はないのですから起こり得ないことではないのですが、「理」で考えてはじき出される結果ではありませんでした。で、こんなふうに説明ができないことが起こったとき、人はどうするのか。ファンはこんなふうに言いました。
「この秋のマックイーンはどこか流れが悪いんだな」
「歯車が狂っているのかも」
翌日の本紙もこうです。
運に見放された――。この同情、よ~く考えてみれば酷ですよね。スター性抜群の主人公というのは、決して運に見放されません。運がないというのは、真面目に頑張っているのに結果が出ないマックイーンについて「もってない」と言っているようなもの。実際、私も含め、当時の見方はそうだったんですが、今考えれば、最低だと思います。マックイーンは既に現役で一番強いことを走りで証明していました。でも、我々はそれを形として、「GⅠ優勝」として、証明することを求めました。ハデな勝利を望みました。真面目なマックイーンと陣営は、その期待に応えることこそ責務だと感じたはずです。だから、必死でトレーニングをしていました。現役馬で明らかに一番強いのに、もっともっと強くなろうと、死に物狂いで練習し、一生懸命レースで走ったんです。なのに、ちょっとした展開のアヤで負けたら「流れが…」とか「運が…」って、そんな思いやりのない言葉があるでしょうか。降着しても、世界の壁に阻まれても、超大穴の激走に敗れても、マックイーンは常に全力で走っていたのです。アニメ「ウマ娘」をご覧になった方は、あの物語の中のマックイーンをこの秋のマックイーンに重ねてみてください。
「わたくしはゴールしか見ていませんもの」
「落ち込んでなんかいられませんわ」
「わたくしは最強であり続けなければならないのですから」
もう涙しか出てきません。しかも、秋の挫折を「練習が足りないから」だと感じた陣営とマックイーンは、翌年、ますます自分を追い込んでいくのです。
秋の雪辱を期すために
最強であるために
誰もが認める主人公になるために
しかし、そのマックイーンの前に、スター性抜群の主人公キャラが現れます。
ライバル登場
絶対に負けられない春、まず目指すのは天皇賞・春の連覇。そして前年、2着に敗れている宝塚記念優勝です。マックイーンは前年同様、「阪神大賞典」(GⅡ)から始動し、単勝1・3倍に応えます。
紙面では、このレースに並々ならぬ決意で出走したことが記されていました。相手もそれほど強くなかったのですから、馬体を緩めに、太めにつくって、「軽くひと叩き」でも良かったのに、最終追い切りだけではなく、レース前日にもしっかり負荷をかけ、3か月前の有馬記念と同じ体重で出てきていたのです。
「万に一つも足をすくわれるわけにはいかない」
「常に全力!」
はい、アニメ「ウマ娘」のマックイーンがよぎりますよね。レース後も、池江調教師はさらに気を引き締めており、あとは天皇賞に向けてさらに調子を上げていくだけ。現役で最も強い馬が、最も得意な長距離で、しかもライバルらしいライバルもいない状況だったので、「1強濃厚」でした。しかし、レースまで1か月を切った4月上旬に行われた「大阪杯」(GⅡ)で状況が一変します。骨折で戦列を離れていた前年の二冠馬トウカイテイオーが、ターフに戻ってきたのです。しかも、大楽勝で!
テイオーのnoteでも書きましたが、この復帰戦は、正直、誰もが半信半疑で見ていました。軽症ではない骨折明けで、10か月ぶりの実戦、体重はプラス20キロ。「とりあえず無事に回ってきてくれれば…」なんて声も出ていたのです。なのに、ムチも使わず、手綱を持ったままで勝ってしまったんですから、衝撃度はハンパじゃありません。
「復活だ!」
「やっぱりすごいんだ!」
もともとファンの多い馬でしたので競馬界隈は狂喜乱舞。さらに拍車をかけたのは、テイオーの底知れなさです。そう、この時点でまだ1回も負けていなかったのです!
「どこまで強いか分からない」
「現役最強…」
「いや、史上最強かもしれない!」
大阪杯でひと叩きした無敗の帝王が向かうのは天皇賞・春。「1強」だったはずのレースは、大阪杯のたった2分間で、突然「2強」にシナリオ変更されました。まさに現役ナンバーワン決定戦。しかも、2頭は未対戦なのですからこうなります。
夢の対決――。
天皇賞ウイークの競馬メディアはまさに2強対決一色でした。
「世紀の一戦!」
「どっちが強いか」
この時は本当に盛り上がりました。戦ったことがないから、ファンはいくらでも持論を戦わせることができますし(それが楽しいんです)、両陣営も火花バッチバチ。マックイーンもテイオーもさらに調子を上げていたので、出てくるコメントの端々から「この状態なら負けない!」という自信がうかがえるのです。極め付きは両ジョッキーのコメントでした。実は大阪杯の週、テイオーの追い切りに乗った岡部騎手はこう口にしていました。
「地の果てまで走れそう」
カッコ良すぎるフレーズなので、その後、様々な記事で引用されます。で、あるとき、武豊騎手がこんなふうに返したんです。
「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」
スタージョッキー同士のセンスあふれる言葉の応酬がさらに対決ムードをあおっていったんですが、レースが近づくにつれ、何となくテイオーの方に注目が集まりだしているのを感じたのは私だけではなかったでしょう。例えば、本紙は栗東トレーニングセンターの関係者から証言を集めた記事を載せています。「匿名で話してください、どちらが強いと思いますか?」と取材したのですが、軍配はテイオーでした。例えば…
「距離適性ならマックイーンだけど、瞬発力ならテイオー」
「ポテンシャルが違う」
「テイオーの方がスケールが大きい」
瞬発力不足に関しては昨冬も指摘されていたので、マックイーンはこの春、調教で一瞬のキレ味を出すように鍛錬していました。でも、スケールを持ち出されてはグウの音も出ません。そして、それは、ファンも薄々感じていたことでもありました。
「テイオーには華があるんだよなあ」
「カムバックした無敗馬が現役最強馬を倒すなんて漫画みたいじゃん」
残酷ですよね。一度も戦っていないからこそ、対戦データのない夢の対決だからこそ、ファンは持って生まれたスター性とドラマ性を重視しだすのです。レースが近づくにつれ「テイオーが勝つのを見たい」という雰囲気がつくり上げられていき、マスコミもそれに加担した気配があります。レースの馬柱につく記者の印もそうでした。どの新聞もマックイーンよりテイオーにつく◎の方が少しだけ多かったのです。
テイオーの回でも書きましたが「マックイーンが3着以下に落ちることは絶対にないが、テイオーには負けるかもしれない」という気持ちが反映された記者たちの印は、ファン心理とも一致していたのでしょう。単勝オッズは、テイオーが1・5倍で、マックイーンが2・2倍。実績では上なのに、適距離なのに、ディフェンディングチャンピオンなのに、現役馬で一番強いはずなのに、マックイーンは2番人気でレースを迎えるのです。
運命のゲートが開きました。マックイーンが前、その斜め後ろにテイオー。1周目のスタンド前を通過したときの歓声はおそらく天皇賞・春史上、最大のボリュームだったはずです。名アナウンサー・杉本清さんはこう表現しています。
「さあ1周目のホームストレッチ。これから京都の大スタンドがうなります。そして京都の大スタンドがよじれます」
本当によじれるぐらいの大歓声(11万人!)。それがいったん静まる中、2頭は1コーナーを回り、2コーナーから向こう正面に向かいます。マックイーンは4番手、テイオーは左斜め後ろ。3コーナーを回ったところでマックイーンが2番手に上がり、坂を下りながら先頭に立ち、すぐ後ろにテイオーが迫っていったとき、再びスタンドがよじれました。杉本アナウンサーも興奮しています。
「春の盾は絶対に渡せないメジロマックイーン」
「春の盾こそ絶対に欲しいトウカイテイオー」
4コーナーを前にスパートしたマック。ついていくテイオー。あの瞬間のあの興奮を味わった人は絶対に競馬をやめられません。今でも映像を見るだけで鳥肌が立ち、あやうく昇天しそうになるほどで、決着を見たいような見たくないような…という気持ちを、テレビでは杉本アナが代弁してくれていました。
「負けるなマックイーン」
「負けるなトウカイテイオー」
王者なのに、挑戦者のように先に仕掛けたマックイーン。それを追う無敗のテイオー…。
テイオーが伸びあぐねる中、マックイーンはまさに地の果てまで、いや、天にも昇るぐらい加速していきました。最強ステイヤーは、天下に高らかに宣言したのです。
「俺が最強だ!」
2着のカミノクレッセに2馬身半をつける完勝。杉本アナが今度は馬の気持ちを代弁します。
「マックイーン、どんなもんだい!といったところ」
誰もが認めました。
「最強だ!」
「最強はマックイーンだ!」
昨秋、いくらもがいても掲げることができなかったGⅠのタイトル。雪辱を期し、ハードなトレーニングに耐えた日々。陣営の喜びもひとしおで、クールな武豊ジョッキーでさえ興奮していたことを翌日の本紙は伝えています。
一方、マックイーンから10馬身離された5着に敗れたテイオーの敗因はレース直後は明らかにならず、10日後、骨折が判明します。天皇賞・春のレース中に折れたということで、「ケガをしなかったらマックイーンに勝っていたかもしれない」と主張するファンもいました。でも、今改めて振り返ってみても、あの天皇賞のマックイーンの強さはハンパじゃなく、テイオーにアクシデントがなかったとしても負けなかったと思います。それぐらい強かった。そして、あの強さを生み出したのはテイオーだった気もします。アニメ「ウマ娘」のマックイーンはテイオーにこう言いました。
「勝ちたい相手がいるからこそ、もっと強くなれるのです」
もしかしたら、マックイーンはテイオーというライバルの出現を待ち望んでいたのかもしれません。よくよく考えれば、あの頃のマックイーンにはライバルがいなかった。だからこそ「最強馬と呼ぶには戦ってきた相手が弱すぎる」という声もあったのですが、テイオーの復活、夢の対決が実現したからこそ、誰もがマックイーンを認めたのです。私はこうも思います。
あの春、テイオーは、マックイーンを最強馬として世に認めさせるためにターフに戻ってきたのではないか――。
戦いは終わらない
天皇賞・春の後、武豊ジョッキーはこう宣言しました。
「今後のGⅠは全部勝つ!」
名実ともにスーパースターとなったマックイーンは、最強馬であり続けるための戦いに突入します。まず最初のターゲットは前年、ライアンに敗れた宝塚記念。その先にあるのは秋の王道GⅠ完全制覇なのですが…無念です。アニメ「ウマ娘」で言えば主治医登場。マックイーンは宝塚記念を目指し、調整している段階で骨折をしてしまいます。全治6か月。競走馬としてのピークを迎えつつあったのに、秋を全休することになってしまいました。
その秋、ライバルのテイオーは戦列に復帰し、天皇賞・秋で負けた後、ジャパンカップで見事に復活します。そして年が明け、いよいよマックイーンが復帰に向けて歩み出すタイミングで、今度はテイオーが骨折。ホント、競馬の神様は何をしてくれているのでしょう、勘弁してほしいですが(苦笑)、マックイーンは無事にケガを乗り越えます。それどころか、11か半ぶりに出走した4月の大阪杯(GⅡ)をレコードで圧勝するのです。
「つ、強すぎる…」
ケガからのブランク明けとは思えない、誰もが呆気に取られるほどの強さ。年齢も年齢だったので、燃え尽き症候群も心配されていましたが、マックイーンの心はまったく折れていませんでした。アニメ「ウマ娘」でも骨折したマックイーンが必死でリハビリしながら「今のゴールは骨折前より強くなることです」と語ったように、さらなる高みを目指す…このひたむきさがマックイーンの魅力でもあり、ひたむきだからこそ、ライバル不在なのに名勝負を呼びます。続いては前人未到の3連覇を狙った天皇賞・春。
単勝1・6倍の大本命。しかし、その存在感の大きさが、伸び盛りの4歳馬を一気に成長させるのですから競馬というのはスポーツです。テイオーがいたからこそマックイーンが過去最高のパフォーマンスを発揮した昨年のように、立ちはだかる山が高ければ高いほど燃えることで知られるライスシャワーが徹底マークを敢行。まるで何かに取りつかれたような恐ろしいまでの強さを見せるのです。
2着のマックイーンもレコードタイムで走ったのに、さらにその上をいく完勝。大記録の達成を期待して集まったファンはガッカリしましたが、マックイーン陣営は、翌日の紙面で「力は出し切った。相手が一枚上だった」と完敗を認めます。アニメ「ウマ娘」にも反映されており、ネタバレになるので詳細は避けますが、この潔さは拍手を送りたくなるようなスポーツマンシップでした。しかも、マックイーンはこの程度ではくじけません。再び前を向き、宝塚記念に向かいます。
人気を2分するのは前年の覇者でもある遅咲きの同門同期メジロパーマー。ライアンに敗れた一昨年と同じように、「中距離では相手に分があるかも」という意見もありましたが、高みを目指すことでさらに成長を遂げていたマックイーンはあの頃のような単なる最強ステイヤーではなく、まぎれもない最強馬でした。横綱相撲で完勝するのです。
「つ、つ、強すぎる…」
普通なら能力が減退していく6歳春とは思えません。血統がおくてなのもあったでしょうが、何より「最強であり続ける」というひたむきさが、そして、秋のGⅠへの並々ならぬ意気込みがマックイーンをさらにさらに強くしていました。
「2年前の雪辱を」
「忘れ物を取りに行く」
ストイックな王者に〝天井〟はありません。
どこまでも強く、もっと強く――。
秋初戦、「京都大賞典」を前に普段は控えめな池江調教師すら、自信のコメントを出していました。
「この秋は土つかずで有馬記念まで突っ走りたい」
「6歳馬といっても、筋肉のハリなんか若駒のそれですよ」
確かに調教の動きも豪快そのもの。レースも…
59キロを背負ってこの強さ。コースレコードも叩き出し、スピード能力に減退がないどころか、さらなるパワーアップも見せつけます。それはあたかも、復帰を目指し、トレーニングセンターに戻ってきたトウカイテイオーへのメッセージにも映りました。
「あなたがいつ戻ってきてもいいように私は最高で最強であり続けます」
「もってない」と言われた2年前がウソのよう。既にメジロ家の宿命すらかすむほど、マックイーンは誰もが認める主人公として、競馬界のど真ん中に立っていました。
いざ、秋の王道完全制覇へ。
いざ、史上最強へ。
ニュースが入ってきたのは天皇賞・秋を4日後に控えた10月27日の朝でした。
本番へ向けての最終追い切り後に厩舎に戻ったマックイーンの脚が熱を持っていたのです。ざわつく関係者とマスコミ。不安が生じたのが昨年の天皇賞・春の後に大きな骨折をした左脚でもあり、1時間後、池江調教師がマックイーンの出走回避を表明します。その表情はまさに沈痛の2文字。それ以上にマックイーンも無念だったでしょう。過去2年、どうしても手が届かなかった天皇賞・秋の盾を掲げるため、骨折の痛みに耐え、必死にリハビリを重ねてきたのです。そして、ケガを乗り越えてさらに強くなったのです。
忘れ物を取り返すはずだった。
史上最強馬になるはずだった。
なのに…。
なのに…。
「主治医を呼んでいただけますか」
アニメ「ウマ娘」でマックイーンがこう言った時と同じように、正直、紙面を読んだ感じでは〝大事を取った〟ぐらいにも見えました。しかし、それは獣医の診断結果が締め切りに間に合わなかっただけ。診断の結果は球節炎ではなく、繋靭帯炎(けいじんたいえん)――。それが競走馬にとって不治の病であることを知らされたときのマックイーンの胸の内を想うと、私は涙が止まらなくなります。ネタバレになるので詳しく書けませんが、アニメを見てさらに泣きました。
もっと強くなりたかったはず。
絶対的な主人公として、その強さを、秋空の下で大観衆に見せたかったはず。
でも、もうマックイーンは走ることができない…。
あのときの喪失感を私たちは忘れません。そして、ポッカリ開いた心の穴の大きさに驚きつつ、気付くのです。失ってから気付くのです。
主人公でした。
マックイーンはまぎれもなく主人公でした。
ありがとう。どうかゆっくりお休みくださいませ。
エピローグ
秋の王道路線の先にあったはずの再戦。マックイーンが夢見ていたトウカイテイオーとの2度目の対決は実現しませんでした。永遠のライバルの運命が交錯したのは、結局、たった一度だけ。しかし、先にターフを去ったマックイーンの思い、最強馬としての誇りは、しっかり受け継がれていました。引退決定の2か月後。有馬記念。
トウカイテイオー、奇跡の復活。
それは、不屈の魂のバトンリレーだったのかもしれません。
おまけ1 ゴルシとの関係
「ウマ娘」ではゴールドシップがメジロマックイーンにやたらと絡んできます。ちょっかいを出したり、自由奔放な言動で振り回したり…困惑しつつもどこか嫌ではなさそうなマックイーン、また、ゴルシによりマックイーンの愛すべき天然ボケっぷりが引き出されるので〝名コンビ〟なのですが、「どうしてこんなに正反対のキャラが一緒にいるんだろう」と思った方もいると思います。既にご存じの方も多いでしょうが改めてご説明しますと、史実で2頭の関係はこうです。
ゴルシはマックイーンの孫。
そう、ゴールドシップの母の父がマックイーンなのです。一緒にいるのには理由があるんですね。
おまけ2 ターボ師匠
天皇賞・秋直前でのマックイーン故障回避の本紙1面には、こっそりツインターボ師匠も登場しています。
1か月半ほど前のオールカマーを伝説の大逃げで圧勝し、天皇賞・秋に出走するつもりだったので、ライバルの回避でチャンスが大きくなったことに調教師の顔色が変わったそうです。残念ながら、ターボ師匠はレースではガンガン飛ばし過ぎて惨敗してしまうのですが(苦笑)、1面に記事が載るぐらい注目の存在だったとも言えますよね。
お知らせ
間もなくオープン1か月を迎える「東スポ競馬」。〝中の人〟ではなく、一ファンとして使ってみたご報告の第3弾もアップいたしました。玄人の皆さんにも刺さり、なおかつウマ娘から競馬を知った人にもオススメなコンテンツを発見…ちなみに、ゴルシの写真パネルが当たるキャンペーンもやっているそうです。