見出し画像

「ウマ娘」の〝異界を行く者〟。秒で天下を取ったマンハッタンカフェを「東スポ」で振り返る

「ウマ娘」では影の薄い不思議な少女。他の人には見えない〝お友だち〟を追いかけるマンハッタンカフェのストーリーは怪奇現象などの〝見えない何か〟が大好きな東スポ記者にとっては大好物なのですが、前回のnoteで紹介した〝全知全能の神〟アグネスタキオンを組み合わせたことによって、非常に興味深いものになっています。実際のカフェがどんな馬だったのかを知れば、どんなふうに史実の落とし込みがなされているか分かってさらに楽しいはず。「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)

生き写し

「ウマ娘」でマンハッタンカフェの勝負服が黒づくめなのは、実際のマンハッタンカフェも漆黒の馬体をしていたからでしょう。そしてその姿は偉大なる父・サンデーサイレンスとそっくりでした。

左がサンデーサイレンス、右がマンハッタンカフェ

 青鹿毛という毛色も同じで、顔にある流星(鼻筋の白い模様)も似ていたのですから、幼少時に「サンデーの生き写し」「これはすごい馬になる」という評判が立ったのも当然でしょう。この頃のサンデーサイレンス産駒は既に〝なんでも走る〟確変状態で、スペシャルウィークもサイレンススズカも登場していました。そんな中で父と似ているのですから、セリでは1億3000万円の値がつきます。そして、この期待度の高さは、デビュー後のローテーションからも伝わってきました。体質が弱く、3歳1月末という遅めのデビューで3着、2月の2戦目で勝ち上がると、3月にいきなり重賞に出走させるのです。

 前回のnoteの「おまけ」でも触れた弥生賞。そう、そこには既に三冠すら確実視されていた同じサンデーサイレンス産駒の超大物・アグネスタキオンが待っていました。正直、無謀です。なのに、あえてぶつけた…。陣営がいかにカフェの素質を買っていたかよく分かります。しかも、結構強気でした。

「本格化するのは秋以降。でも、潜在能力、競馬センスは相当なもので、強豪相手でも見劣らない」(小島太調教師)

「タキオンは化け物。でも、マンハッタンカフェもここでさらに化けるムードは持っている。万が一を起こせるとしたら自分の馬かもしれない」(蛯名正義ジョッキー)

 とはいえ、小島調教師のコメントの冒頭にあるように、本格化前だったのでしょう。カフェはタキオンについていけません。7馬身ほど離された4着に終わります。

 体質の弱さは数字にも出ていました。弥生賞当日の体重はマイナス20キロ。さらに1か月後、阪神に遠征し、やはり素質の高さからこんなに印を集めるのですが…。

 マイナス16キロ大敗します。ウマ娘でも本人が「体はあまり強くありません」と言っているのはまさにその通りで、そして、タキオンとの関係も見事に落とし込まれています。史実ではカフェがこの大敗を喫した翌週、タキオンが皐月賞を完勝し、その半月後、ダービーを前に屈腱炎を発症してターフを去るのですが、「ウマ娘」のカフェの育成ストーリーでも、タキオンは皐月賞後に驚くべき発表を行うのです。ネタバレ回避のため詳細は書けないものの、いずれにせよ、リアルではほんの少しだけ運命を交錯させたサンデーの生き写しと、サンデーの最高傑作が、ゲームで濃密な関係として描かれるのもまた非常に興味深いですよね。ちなみに、先日行われた東京・秋葉原のコラボイベントでも仲良く〝ご一緒〟でした。

 というわけで話を戻します。阪神の遠征でしっかり結果を残せば「ダービーへ!」となったのでしょうが、大きく体重を減らしての敗戦に、陣営はカフェを休ませることにしました。成長を待とう…というわけで、復帰は8月の札幌。今で言う1勝クラスのレースに出てきます。

 さすがに条件戦では素質が違い過ぎました。後方待機からのひとまくりで2着に2馬身差をつける楽勝はインパクト十分。ただ、もっとインパクトを残したのが体重です。何と…。

 プラス46キロ!

 はい、プラスマイナス10キロ以上の増減があった段階でかなり目立ち、走りに影響があるともされる競馬界(増減が二桁の馬を馬券から外す人さえいます)で、なかなかお目にかかれない数字です。過去2戦で36キロ減っていたのですから、2戦目と比べたら10キロしか増えていないのですが、「46キロのプラス体重で勝つ馬がいるんだ」と私もビックリした記憶があります(「ウマ娘」のカフェが突然の体重増に悩まされたり、クラシック級の秋に向けて体重が増えていくのはこのあたりが元ネタでしょう)。で、カフェは続く「阿寒湖特別」という2勝クラスのレースも完勝します。素質開花の気配が漂っていた、つまり、今後出世しそうな馬だとカメラマンも悟ったのかもしれません。普通は残しておかないような2勝クラスのハンデ戦を勝った馬のレース後の写真が、しっかり残されていました。

 この2戦が2600メートルという長距離だったことともあり、当然、狙いは菊花賞になりますから、カフェはそのトライアル・セントライト記念(GⅡ・2200メートル)に向かいます。本格化気配は紙面から十二分に伝わってきました。

 記者からの印も集まります。

 早くからの先約があった蛯名騎手が乗れない代わりに、まだハタチの二本柳壮ジョッキーが手綱を取ったのを覚えている人はなかなかの競馬通。その二本柳騎手は本紙にこう話していました。

「こんな馬にボクなんかが乗るチャンスは滅多にない」

 幸い、カフェは素直で癖がなく、非常に乗りやすい馬だったので、教科書通りにレースを進めることができました。4コーナーでは外目の3番手に上がり、絶好の手ごたえ。いかにも勝ちそうだったのに伸びあぐねたのはやはりアレが原因だったのかもしれません。

 マイナス10キロ――

 優先出走権が得られる3着以内に入れない4着に終わり、菊花賞制覇の夢はついえたかに見えました。しかし、カフェには不思議な力があるのか、この年の菊花賞は賞金ボーダーが高くなく、出走が現実味を帯びてきます。そこで陣営は、早々に、関西の拠点・栗東トレーニングセンターに入厩させます。レースの週に菊花賞が行われる京都競馬場に長距離輸送するのは繊細な馬には向きません。できるだけ体重をキープしたい…というわけです。環境が変わったカフェはさすがに栗東入り直後はカイバ食いが細くなったそうですが、徐々に食欲を取り戻し、上々の気配でレースに向かいました。菊花賞の体重は…

 プラス4キロ!

 とはいえ、メンバーは揃っていました。ダービー馬・ジャングルポケット、鞍上に武豊を迎えたダービー2着馬・ダンツフレーム。さらにこの2頭に迫る人気を集めたエアエミネムは、夏に札幌記念で古馬を撃破し、前哨戦の神戸新聞杯も制しています。印はこの3頭に集中しました。

 カフェは3頭からだいぶ離された単勝17・1倍の6番人気。実績的には至極まっとうな評価だったんですが、やはりカフェには何か不思議な力があるのかもしれません。実はこの菊花賞、まれに見る超スローペースになるのです。スローなのに縦長で、まだ気性的に完成されていない3歳馬はみ~んな、かかってしまいます。ムキになってスタミナをロスしちゃいけない長距離戦なのにジャンポケなんて騎手が馬をなだめるのに必死で動けない。その動きをマークしていたエアエミネムも動けない。距離にやや不安があったダンツフレームは後方からレースを進めたため、ペース的には最悪のポジショニングになってしまいました。そんな中で、カフェは…。

 静かに

 静かに

 じっとしていました。

 そう、この馬の最大の特長、スキルは…

 かからない――

 絶対に――

 はい、フゴフゴいっている他馬を尻目に、ただ1頭、冷静に、中団の内でじっとしていました。勝負どころの3~4コーナーも7番手の内で虎視眈々。そして、4コーナーを回る段階になって、蛯名ジョッキーからGOサインが出ると、ためにためていたパワーを一気に爆発させました。スタミナをロスした気性の若い馬たちが伸びあぐねる中、粘る逃げ馬を最後にかわし、菊の大輪を咲かせたのです。

 大事に育て、秋を待ち、体重維持にひと工夫こらした陣営の勝利に拍手。何より、カフェは生産者も期待していた素質馬です。表彰式に現れたその美しき漆黒の馬体はまさにサンデーの生き写し――。

 しかし、当時のムードとしては「カフェ時代到来」という感じではありませんでした。あくまで波乱の使者。伏兵の一発。実際、翌日の本紙の紙面はこうです。

 カフェの勝利より、人気馬の敗因に大きなスペースを割いています。本紙は極端かもしれません。とはいえ、正直、これぐらいの存在でした。「スター誕生」まではいかなかった。誰も気付いていなかったんです、この馬の驚異的な成長力に。


去りゆくツートップへの挑戦状

 菊花賞馬の次走と言えば順調なら古馬と対戦する有馬記念ですが、繊細さと体質の弱さを抱えたマンハッタンカフェの反動を心配した陣営は、いったん短期放牧に出します。で、有馬の2週間前にトレーニングセンターに戻してみたところ、思いのほか体調が良く出走へGOサインが出されました。

 2001年の総決算

 年末のグランプリ

 それは一時代を築いた2頭の引退レースでもありました。

 世紀末覇王・テイエムオペラオー

 ライバルのメイショウドトウ

 前年から6回にわたりGⅠでワンツーフィニッシュを決めた2頭が仲良くこのレースでターフを去るのです。5歳の秋になり、さすがに衰えは隠しきれませんでしたが、オペラオーは天皇賞・秋、ジャパンカップともに勝ちに等しい2着。両レースの勝ち馬であるアグネスデジタルとジャングルポケットは有馬記念に出走を予定しておらず、相手は勝負付けが済んだ馬ばかりで、天皇賞・秋、JCを3→5着だったメイショウドトウが2番人気になるのも明らかでした。ほかに人気を集めそうなのが、これまたこの年、オペラオーには歯が立たなかったナリタトップロードだったことからも、メンバーがかなり手薄だったことが分かります。そうなると期待は新興勢力、すなわち若手。当然、その筆頭は菊花賞馬であるカフェになりますから、本紙をはじめ、メディアは大きく取り上げました。例えば追い切り。

 どうやら調子は良好。小島太調教師は「ウチのが本当に良くなるのは来春」と言いつつも「胸前やトモに厚みが出て菊花賞後も確実に成長している」と語りました。では、鞍上の蛯名ジョッキーはどうでしょう。東スポでは毎週木曜日に連載コラムを持っていましたから、当然、この週の木曜日では有馬記念について語っています。

 抜粋してみましょう。

「いや~、正直言って物凄くいい」

「先週も良かったけど、今週の追い切りは力がさらに抜けて文句なし」

「菊花賞を勝った時よりもスケールアップしてるのは間違いない」

 明らかに好感触。「あとは輸送で体が減らなければというところかな」と言いつつ、さらにオペラオーやドトウに敬意を払いつつも「楽しみで仕方がない」という雰囲気です。もう、いかにもやってくれそうな気がしますよね。で、この話を載せているような新聞で、関東の記者が中心となった馬柱はこうなります(オペラオーやドトウは関西馬です)。

 はい、印を見てもいかにも世代交代となりそうなムードなんですが、数字は正直、そこまでじゃありませんでした。単勝オッズはオペラオー1・8倍、ドトウが5・5倍、カフェは3番人気とはいえ7・1倍。そう、ファンは冷静に分析していたのです。

「タイム的にもペース的にも凡戦だった菊花賞馬が通用するのか」

「そもそも菊花賞がフロックだった可能性もある」

「オペラオーとドトウはそんなに甘い相手じゃない」

 同期であり、菊花賞で下したジャングルポケットが1か月前のJCでオペラオーを下していますから、世代レベルが高い可能性もありましたが、カフェはクラシックを主役として牽引してきたわけではありません。秋になって急に台頭し、1冠をかっさらっていっただけにも見えましたから、結論から言うと、この粋は脱していませんでした。

「どこまで通用するか」

 中でも、ドトウはともかく、やはりオペラオーは別格です。展開も馬場も問いません。力のいる冬の中山の馬場も歓迎ですし、高すぎる壁に見えました。いくら成長しているからといって、夏まで1勝馬だった馬が、世紀末覇王に勝つレベルにまで達しているかといえば、さすがに誰もが首をかしげざるを得ない状況だったのです。競馬場やウインズにいた私の周りではこんな声も飛び交っていました。

「売れすぎだろ」

「そんなに強いか?」

「カモだな」

 長年、競馬をやっている人間からすると、人気になったのにこない〝お客さん〟、人気先行で飛ぶ(馬券圏外に飛ぶ)典型的な馬にも映ったんですね。それぐらい、通用するのかしないのか、強いのか弱いのか、全然分からない微妙すぎる存在のまま、カフェは大一番のゲートに入ったんですが、やはりこの馬には不思議なチカラがあるのかもしれません。

 超スローペース、再び――

 はい、菊花賞同様、まったくペースが上がりませんでした。そんな中で断然人気のオペラオーがなかなか動かない。オペラオーを意識しているから他馬も、もちろんドトウも動けない。

 か、金縛り!?

 はい、今見返すと、誰もが何かにとりつかれたように動けなくなっているから恐ろしくなります。しかも、動けないのに折り合いもついていない馬もいました。歴戦の古馬でもかかってしまうような、行きたがってしまうような、魔のペース。そんな中で、カフェは…。

 静かに

 静かに

 じっとしていました。

 そう、この馬の最大の特長、スキル

 かからない――

 絶対に――

 勝負所になり、先頭を走っていたスローペースの演出者・トゥザヴィクトリーの武豊ジョッキーがいきなりギアを上げます

 スローから急流へ――

 この急なギアチェンジというのは、オペラオーやドトウが苦手としていたもの。そんな魔の展開が引退レースにやってくるなんて誰が思ったでしょう。人気馬2頭は上がっていこうとしているもののすぐに馬が反応しません。そんな中、後方にいたカフェに蛯名ジョッキーがGOサインを出します。

「グズグズしてるなら俺たちが行くぞ」

「挑戦者に怖いものはない!」

 蛯名ジョッキーはこの年、全国リーディングを獲得しています。脂が乗り切っていた騎手はタイミングを逃しません。何より、思い切りがいい。4コーナーを前に外に出されたカフェがグングン上がっていきます。年上の先輩たち、年齢を重ねた馬が苦手なギアチェンジを、この若者のポテンシャルはいとも簡単に乗り越えてしまいました。一気にトップスピードに乗ったカフェは4コーナーで大外から先行馬に襲い掛かります。ロスなんておかまいなしのひとまくり。

 ひゅんっ――

 目の前を駆け抜けた漆黒の風

 夢か幻か

 アッと言う間

 一瞬の出来事

 私たちはあのとき、金縛りにあったのかもしれません。正気に戻ったときには、蛯名騎手がムチを振り上げてガッツポーズをしていました。

 感覚としては、そしてイマドキの言葉で言えば〝秒〟です。

 〝秒〟で

 〝秒〟で世代交代――

 オペラオー5着、ドトウ4着。3着は逃げ粘った武豊トゥザヴィクトリー。そして、誰もが2着に入った馬のゼッケン番号を見て、もう一度金縛りにあいました。

「え?」

「1番って?」

「ア、アメリカンボス?」

 その馬の単勝オッズは…

 116・9倍!

 最低人気!

 誰もが顔を見合わせました。

「…」

「…」

「…」

 声を失うファン。しばらくして、誰かがポツリと口にしました。

「マンハッタン…」

「アメリカン…」

「これって…」

「9・11…」

「世界同時多発テロ!?」

 ニューヨークのビルに旅客機が突っ込んだのは3か月半前。時に競馬では、世の中で起こった出来事が結果に反映されたとしか思えない、そうじゃなきゃ説明できないようなことが起こるのですが…。

「ここでくる?」

「年末の大一番で?」

「なんじゃこりゃー!」

 叫びながら、苦笑いしながら、「取れるわけねーよ」と帰路についたファン。マンハッタンとアメリカンの馬連は486・5倍、100円が一瞬で4万8650円になったこの出来事があまりに衝撃的で、今でも〝マンハッタンカフェの有馬記念〟と言えばこのサイン馬券の話になりがちなので、しっかり書いておきましょう。サイン馬券のインパクトもすごいですが、もっとすごいのはカフェです。

 デビューしてわずか11か月

 夏に2勝クラスを勝った馬が

 〝秒〟で世代交代を実現し

 気が付けばグランプリの覇者となっていた。

 この事実にこそ、我々は金縛りになるべきでしょう。成長力はおそらく競馬史上、過去イチ。そしてこの有馬記念。驚異的な成長の真っ最中だったカフェの馬体重は…

 プラス10キロ

 でした。


制圧

 有馬記念の残り600メートルのタイムは33秒9。この33秒台というのは、2500メートル戦ではめったにお目にかかれない瞬発力ですから、さすがに誰もがその力を認めました。体重が増えていたのも、カイバが実になっていたことを表していましたし、古馬になり、ますます成長するのは明らか。「2002年はマンハッタンカフェの年になる」という声の中、天皇賞・春に向けての始動戦に選んだのは日経賞(GⅡ)でした。

 有馬記念と同じ中山の2500メートルで、強力なライバルも不在。まぎれのない少頭数でもあり、単勝オッズは1・2倍をつけました。体重は…。

プラス6キロ――

 しかしこの増加は成長分ではありませんでした。実は調整が思うようにいかず、やや太めが残っていたのです。有馬後に放牧に出たころから、爪に不安が出るようになり、後に小島調教師が本紙のインタビューで語ったところによると常に冷やしながら調教せざる得ない状況だったそうで、100%の仕上げは難しかったのかもしれません。それに加え、雨で上滑りするような馬場がカフェは苦手だったようで、絶好の手ごたえが突然、4コーナーで消えてしまいます。

「もしかして…」

「故障?」

 そう思わせるような大敗(8頭立ての6着)。2002年の主役どころか、一気にその立場は危ういものになりました。実際、蛯名ジョッキーも故障かと思ったそうで、そうじゃないと分かった後もモヤモヤが晴れなかったといいますが、そんな中でも、陣営は爪を必死にケアしながら天皇賞・春へ向けて懸命にカフェを仕上げていきます。菊花賞のときのように栗東トレセンに入ると、徐々にその黒い馬体には輝きが戻っていきました。食欲の戻りも前年秋より早かったそうで、やはりカフェはしっかり成長していたのです。

 最終追い切りは絶好の動き。蛯名騎手にも笑顔が戻り、本紙の連載コラムからも自信がうかがえます。

 印はこんな具合。

 1番人気になったのは阪神大賞典でレコード勝ちをしてきた古豪ナリタトップロード。目の上のタンコブだったオペラオーがいなくなった今、菊花賞以来の戴冠を目指す人気ホースにファンの期待が集まっていました。前年のジャパンカップの覇者で、阪神大賞典で2着し、鞍上に武豊を迎えたジャングルポケットも意気揚々。一方で、カフェの立ち位置はこうでした。

「実力通り走れば勝てるだろうが、前走の大敗が気になる…

 印の付き方は他紙でも似たような感じ。メンバーが強くないので◎はつきますが、ズラリとつくわけじゃない、半信半疑感が漂う状況でした。言わば、有馬記念の前と似たようなムードでもあり、やはりスローペースになるのですが、既にカフェに〝不思議なチカラ〟は必要ありませんでした。誰も金縛りにはあいません。トップロードもジャンポケも、完璧に乗りました。もちろん、カフェも

 静かに

 静かに

 じっとしていました。

 そう、本当にこの馬はいい子です。

 かからない――

 絶対に――

 だからこその「静」から「動」が、京都でも炸裂しました。勝負所でまたまた飛び出したギアチェンジと蛯名ジョッキーの思い切り。ライバルを意識せず、わざわざ内から外にも出さず、コーナリングによってできたスペースに迷いなく突っ込んだときに、カフェの瞬発力が最大限に発揮されました。真っ先に先頭に立ったカフェは再び漆黒の風となり、ゴールを駆け抜けたのです。

「強い」

「本物だ」

 風とともにどこかへ消えた半信半疑感。なお、この日の体重は…

 マイナス6キロ――

 日経賞のときについていた余分なお肉を削ぎ落とせるほどタフになっていました。どうしてもプラスにしなきゃいけないほどヤワな馬じゃなくなっていた。懸命に爪のケアをした陣営の期待にこたえるほど、カフェはたくましくなっていたのです。そうなるとファンはこう思います。

「どこまで成長するんだ」

「もしかしてまだ上があるんじゃ…

 見えない天井に胸が高まる中、しばらくして陣営から発表されたプランにファンは夢を見ました。

「この成長力なら…」

「やれるかもしれない」

「カフェならやれるかもしれない」

 秒で日本を制圧した馬の次走は海の向こう…

 凱旋門賞!!!


天井知らず

 世界最高峰のレース。

 世界最強決定戦

 カッコ良すぎる名前

 凱旋門賞――

「勝てるわけない」

 が

「日本馬が勝つ日がくるかもしれない…」

 に変わってから3年が経っていました。競馬ファンが誰もが叫び、「どうにかならなかったのか」と涙し、「でも、ありがとう」「よくやった」と感謝したのは1999年の10月3日、パリはロンシャン競馬場。

 果敢に逃げ、ゴール寸前まで先頭だったエルコンドルパサー、「チャンピオンが2頭いた」ともいわれたその走りは世界に日本競馬のレベルアップを知らしめました。世界との差を痛感していた日本のファンも、勝利が〝無理ゲー〟じゃないことを悟ったのですが、それから2年、挑戦する馬は現れていません。オペラオーに期待した人も多かったのですが、残念ながら実現せず、オペラオーに匹敵するような馬もいない。

「しばらく凱旋門賞を意識するような強い馬は出てこないのか…」

 そんな中、突然大舞台に現れ、あっさりと古馬王道路線の頂点に立ってしったニューヒーローの凱旋門賞挑戦はどんなふうにとらえられていたのか。端的に言うとこうです。

「エルコンドルほど期待していないけど…」

「期待しないわけにはいかない」

 まず、春から欧州への長期遠征を行い、前哨戦も勝っていたエルコンドルと違い、カフェは凱旋門賞のみに出走するため、ピンポイントでの遠征になりました。以前から「ふらっと出掛けていって勝てるレースではない」と言われていたのが凱旋門賞。長期間滞在したことで現地の水、さらにはヨーロッパ特有のタフな芝に慣れたことがエルコンドル好走の要因と言われていましたから、カフェへの期待度がエルコンドル以下なのは当然です。タフな芝への適性も分かりませんし、海外遠征も初めて。しかも、いくら成長したとはいえ、ちょっとした輸送で体を減らしていた馬です。

「そううまくはいかないだろう」

 こう思うのが普通ですよね。しかも、現地に入ったカフェのテンションが上がってしまい、最終追い切りの鞍上を変更することになりました。蛯名ジョッキーが乗ってしまうとさらに気持ちが入ってしまうので、避けたのです。

 本紙コラムでもそのことに触れつつ「ベストを尽くす」。正直、そこまで強気ではありません。

「厳しいかもしれないな」

 やはり、こう思うのが普通です。

 一方で、テンションは高かったものの、こんな情報もありました。

 なんと、フランスでしっかりカイバを食べていたのです。

「え?」

「あのカフェが?」

 しかも、日本時間の木曜朝に速報された最終追い切りもなかなか。

 このぐらいからでしょうか、期待度がグングン上がっていったのは。輸送で体重が減らないぐらいに成長していて、さらに調子も良くて、よくよく聞けばエルコンドルの年と比べ、はるかにメンバーも弱いというのです。

「ひょっとして…」

「ひょっとするかも」

「やりかねないかも」

 そんな言葉についてまわるのはこの言葉。

「マンハッタンカフェなら」

 そう、カフェには未知なる魅力がありました。海外遠征というのは、馬が完成してから行うのが普通です。でも、急激に力をつけはじめてから1年もたっていないカフェは、まだ未完成の可能性がありました。つまり、もっと上があるかもしれないのです。

「春よりさらに強くなっているとしたら」

「勝負になるんじゃ…」

 そう考えて有馬記念や天皇賞・春を思い出すと、この馬の不気味とも言える底知れなさが、浮かび上がってきます。

「どこまで強いか分からない」

「天井知らず!」

 もう止まりません。黒光りする馬体は…

「サンデーの生き写し!」

 鞍上は…

「エルコンドルの蛯名正義!」

 レースが始まるころにはかなり舞い上がりつつあったファンの前で、カフェは4~5番手の外を絶好の手ごたえで進んでいきました。テレビ画面の向こうから伝わるフランスの華やかな雰囲気と、世界最高峰のレースらしい熱気。おそらく誰もが気合満々で、前のめりになっているであろうことがひしひしと伝わってくる中、私たちは恐るべき光景を見ます。そんな場でもカフェは

 静かに

 静かに

 じっとしていました。

 そう、この馬の最大の特長、スキル

 かからない――

 絶対に――

 これほど心強いものはありませんでした。

「すげえ…」

「このままなら」

「一気に…」

「世界一になっちゃうかも!」

「いや、なっちゃえ!」

 勝負所で小島太調教師はこう思ったそうです。

「もらった」――

 はい、私たちも思いました。だから、4コーナーに向かう長い直線の途中で突然、本当に突然、カフェの手ごたえ悪く、いや、悪いどころか消えてしまい、ズルズルと後退していく様子を見て、声も出せず、ただただボー然となりました。

「…」

「…」

「…」

 金縛り!?

 いやいや、大ごとじゃなかったからそんなふうに振り返れますが、あのときは本当にフリーズしました。翌日伝わってきた、手ごたえが消えた理由は故障です。

 屈腱炎――

 それは奇しくも、タキオンと同じケガでした。

 サンデーの最高傑作と、サンデーの生き写し。

 2頭の本当の実力は、同じ父を持つフジキセキと同じく、いまだに漆黒の闇の中です。

砂浴びするカフェ


おまけ1

「ウマ娘」では、カフェにしか見えない「お友だち」という謎の存在がサンデーサイレンスだともっぱらの噂ですが、冒頭で触れた通り、2頭は本当にそっくりでした。現実では、あまりに見た目が似ているので、引退後の種牡馬時代にカフェはサンデーサイレンス役で映画に出ています。サンデーを購入し、日本競馬の歴史を変えた吉田善哉氏の半生を描くドラマが2004年に制作されたのですが、その時点でサンデーが死んでいたため、カフェが指名されたのです。

種牡馬時代のカフェ


おまけ2

 不思議なチカラを持っているとしか思えない場面がいくつもあったカフェですが、新馬戦でも非常に珍しい経験をしています。デビュー戦の1月29日は月曜。雪で順延になったための平日開催だったのですが、それだけじゃありません。実はカフェはもともと27日(土)の新馬戦に出馬投票したのですが、抽選で除外になっています。つまり、出走不可。27日用の本紙の「除外馬一覧」にもしっかり名前が載っています。

 で、これが複雑なところで、このときの降雪順延では、もう一度、出馬投票がやり直されたため、摩訶不思議なことが起こります。いったん除外になったカフェが、今度は当選、つまり出走することになるのです。一度は「今週は出ない」となっていったん馬体を緩めたのに急きょ「月曜に走るぞ」――そんなレースで3着だったのですから、やっぱりカフェはすごいですし、不思議なことが起こる馬だったんですね。


カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ