アグネスタキオンは〝知っていた〟のか…「ウマ娘」でも異彩を放つ名馬の強さと謎を「東スポ」で解き明かす
ゲームが1周年を迎え、新ウマ娘が続々と追加されていますが、キャラの濃さで言えば、アグネスタキオンを超えるのは正直、難しいと思います(苦笑)。めちゃくちゃ強いのに問題児で、やや不気味なマッドサイエンティスト…はい、正直、ヤバいヤツなんですが、この娘にハマる人、意外と多いです。何を隠そう私も、育成ストーリーともども大好きになってしまいました。美貌と孤高と狂気、そして何もかもお見通しのような態度…目の前でひれ伏したくなるのですが、その〝全知全能の神〟感、があるのはどうしてなのだろうと、改めてその足跡をたどってみると…納得しました。浮き彫りになったのは人知を超える強さと、ひとつの仮説。そう、タキオンは知っていた――信じるか信じないかはアナタ次第です。(文化部資料室・山崎正義)
まずは強さから
2012年に流れたJRAのCMは、アグネスタキオンについて、こんなふうに表現しました。
はい、異論反論オブジェクション、何もございません。まずは、タキオンの意味「超光速の粒子」にちなみ、その4戦を光まではいきませんが、高速で振り返ってみましょう。まずは、調教であまり目立っていなかったため3番人気にとどまった新馬戦を楽勝し、「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」というGⅢに出てきます。
1番人気は単勝1・4倍でクロフネ。翌年からダービーが外国産馬に開放される…という絶妙すぎるタイミングにこの名前、しかも2戦続けてレコード勝ちをしていたので、めちゃくちゃ注目を集めていました。タキオンは4・5倍の2番人気で、4・8倍で続いたのがジャングルポケット。この馬が札幌3歳ステークスで下していたタガノテイオーが2週前のGⅠ「朝日杯3歳ステークス」で2着に入っていたので、超ハイレベルな一戦となったのですが…。
完勝でした。直線を向き、追い始めてすぐに反応したわけではないものの、エンジンがかかってからの豪快なフットワークと伸び、切れ味がすさまじく、残り150メートルで3馬身半差をつけたのです。上がりも秀逸の33秒8。で、クラシックシーズン初戦の弥生賞も楽勝で後続に5馬身差をつけます。
皐月賞の印はこんな具合。単勝オッズは1・3倍。
直線を向いて追うとしっかり伸び、後続が背後に迫ったらまた伸びて突き放してのゴール。
「史上最強馬かもしれない」と思わせたタキオンは、この後、大本命で迎えるはずのダービーを前に、屈腱炎を発症し、引退することになります。クロフネはこの後、芝とダートでGⅠを勝ち、ジャングルポケットはダービーとジャパンカップを勝ち、なんなら皐月賞2着のダンツフレームも古馬になって宝塚記念を勝ったのですから、タキオンが相当強かったことは明らかです。だからこそ、わずか4戦で神話になったのですが、さすがにぼんやりすぎて競馬初心者の方には分かりづらいかもしれません。サイレンススズカのようなぶっちぎりもありませんし、中には「本当に強かったの?」と疑う人もいるでしょう。では、どうやってタキオンの強さを伝えるか…はい、これこそ当noteの得意とするところ。過去の紙面を発掘しながら、当時の空気感を令和にもってこようと思います。キーワードはコレ。
三冠当確ムード――
それは、あのディープインパクトに匹敵するほどでした。しかも、3歳春の時点の「死角のなさ」はディープ以上だったのです。
発掘
まずは、2戦目のラジオたんぱ杯の勝利を伝える紙面。
見出しに「とんでもない大物出現」とある通り、誰もが「来年のクラシックはこの馬だ」とは思いました。記事にもありますが、年々、たんぱ杯の重要度が上がっていたことも関係しています。2歳(当時の表記は3歳)ナンバーワン決定戦として朝日杯があったものの、そちらは1600メートル。2000メートルのたんぱ杯の方がクラシックに直結すると言われており、翌年を見据えるハイレベルなメンバーが集まるようになっていたのです。そんな中で、前述の通り、クロフネとジャングルポケットを問題にしなかっただけではなく、鞍上の河内洋ジョッキーはレース後にこうコメント。
それでいて、お兄ちゃんがこの年のダービーを河内騎手が乗って買っていたアグネスフライト(お父さんは大種牡馬サンデーサイレンス)という良血なのですから、見出しの「河内がダービー連覇早くも意識」もまさにその通りでしょう。ただ、このぐらいの見出しがつく馬は、時々現れます。なんならこの2年前のアドマイヤベガもそうでしたし、5年前のロイヤルタッチも、たんぱ杯後に「来年のダービー馬」と言われました。ただ、それ以上の馬なのかなと関係者やファンが感じたのは、年が明け、弥生賞前を前に、タキオンを管理する長浜調教師からこんな言葉が出たからです。
はい、ハッキリと「3冠を意識する」と言っています。まだ1冠(皐月賞)も取っていないのに、その前哨戦も走っていないのに、です。何より競馬サークル内を驚かせたのが、長浜調教師が慎重派だったこと。大きなことを言わない人がこれだけ言うのです。さらに他の記事では、雨予報に対する答えとしてこう話しています。
しかも、同じく慎重な河内洋ジョッキーもレース前に自信をのぞかせました。
たんぱ杯のレース描写でも書きましたが、タキオンは豪快なフットワークなのに切れ味も兼ね備えていました。だから、レース当日の不良馬場は、明らかに強味を消された状況だったのですが、結果は楽勝。今度は、同じレースを戦った騎手にタキオンの強さを証明してもらいましょう。5馬身離された2着だったボーンキングに乗っていた天才・武豊ジョッキーは…。
3着に入ったミスキャストに乗っていた横山典弘騎手がダメ押ししています。
完全にお手上げ(苦笑)。で、皐月賞ウイークの公式会見で長浜調教師は再び口にしました。
今回はこの言葉の強さ、タキオンの強さを証明するために、4年後、無敗で三冠馬になったディープインパクトの弥生賞前~皐月賞を調べてみました。
父は同じサンデーサイレンス
同じく2戦2勝で弥生賞へ
その単勝オッズは同じ1・2倍
3連勝として皐月賞に臨んだときの単勝オッズも同じ1・3倍
怖いぐらいの共通点で、もちろん、ディープ陣営も三冠は意識していたはずです。実際、弥生賞前に池江泰郎調教師がこんなふうに話す記事がありました。
ただ、東スポ以外には載ったかもしれませんが、本紙ではどうしても「三冠を意識する」という言葉は見つかりませんでした。それは皐月賞ウイークになっても同様。では、なぜ、言葉の強さに差があるのか。もちろん、調教師さんの性格もあるでしょうが、タキオンにはそう確信させる、つまりは陣営に「この馬は大丈夫だ」と思わせるものがあったのです。弥生賞後の紙面でディープとの違いを見てみましょう。まずはタキオン
続いてディープ
どちらも「次の皐月賞は決まり!」的な記事ですが、根底に流れる空気感は違います。半端じゃなく強いのは同じなのに、タキオンの紙面に大きな見出しに取られている「死角なし」という感じが、ディープにはほんの少しだけ薄いのです。記事の後半ではこんなふうに書かれています。
その理由として挙げられているのが、まだ馬込みで競馬をしたことがないこと。弥生賞は10頭立てでしたが、フルゲート必至の皐月賞で、多頭数をさばけるのか。ディープは後方からギュイーンと追い込むカッコイイ脚質だったからこその不安でもあり、実際はなんてことなかったんですが、弥生賞終了時点では、その脚質や戦法は直線の短い中山では大いに死角に見えたんですね。また、弥生賞の着差がクビ差と小さかったことや、あまりに鮮やかな走りが重馬場になったときの心配にもつながりました。
一方で、タキオンはどうでしょう。2戦目で徐々に上がっていく競馬ができており、弥生賞では3番手につけています。しかも、2着に5馬身差で、不良馬場も克服しているのです。死角が見当たりません。そしてその周囲の見立てと空気感を裏切ることなく、皐月賞でも先行して抜け出すセンスあふれるレースを見せました。
圧倒的ながら隙もない
パーフェクトな完成度
はい、春の時点で、ディープより上だった、少なくとも上のように見えたものがこれです。
三冠への濃度――
タキオンはそれぐらいの馬でした。だからこそ、故障してしまったときの紙面にはこんな見出しがつきました。
夢と散った三冠。夢じゃなく現実的だった三冠だからこその見出しです。誰もが思いを馳せました。一度も本気を出さずに競走生活を終えたタキオンは、本当はどれぐらい強かったのだろうか、と。現役を続けられていたら、どんなレースを見せてくれたのだろうか、と。だからこそ、ゲーム「ウマ娘」のアグネスタキオンが追い求めているもの、知ろうとしているのが「ウマ娘の脚に眠る可能性の果て」なのかもしれませんが、今回は、もうひとつ、あのキャラの「自分の限界を分かっている」という部分にもスポットを当ててみたいと思います。なんと、タキオン自身も、自分の脚の限界を分かっていたのかもしれないのです。
タキオンは知っていたのか
競走馬にとって不治の病である屈腱炎でターフを去ったタキオン。「ウマ娘」の育成ストーリーで、こんなことを口にする場面があります。
そして、こんなことも。
不気味なまでに何もかもを分かっているような発言に、底知れない魅力と恐怖を感じるのですが、実際のタキオンも、皐月賞の時点で脚に限界にきていることに気付いていた可能性があります。
「なんだなんだ」
「謎解きか?」
はい、ある意味、ミステリーかもしれません。
「おいおい」
「オカルトか!?」
「いくら東スポだからって…」
という方もいらっしゃると思いますが、もうしばらくお付き合いください。予兆は間違いなくあった。それが新聞記事として残っています。皐月賞ウイーク、タキオンはどこかおかしかったのです。まずは追い切り。
併せ馬で先着できなかったことで、「絶好調!」ではなく「及第点」という見出しになっています。単勝1・3倍の馬の追い切りとは思えないほど、地味な内容なのですが、もうひとつ注目すべきは記事の最後にある河内ジョッキーのコメントのこの部分。
はい、追い切る場所を変更しているのです。レースでも折り合いに不安のない、決して気性難ではない馬がワガママを言ったわけです。
「勘繰りすぎでしょ?」
「その日だけ機嫌が悪かっただけでしょ」
はい、確かにそうかもしれませんから、私だって、追い切りコース変更だけで「タキオンは知っていた」なんて言いません。では、これはどうでしょう。レース前日、本紙は次のような記事を載せています。
土曜日の朝、栗東トレーニングセンターから中山競馬場に移動させようと馬運車に乗せようとしたところ、なかなか乗り込まなかったというのです。正直、この〝事件〟は私も知りませんでしたから、記事を見つけたとき、背筋が冷たくなりました。そして、そんなタキオンが皐月賞のゴール板を先頭で通過した数分前に記憶を飛ばし、さらに怖くなりました。覚えているでしょうか。あの日、タキオンはゲートになかなか入らなかったのです。当時を知る皆さん、思い出しませんか? 大本命馬がゲート裏でゴネて、目隠しをされたあの瞬間、「あれ?」「そんな馬だったっけ?」となったはずです。結果的に目隠しの効果で何とかゲートインし、レースではあっさり勝ったので私も忘れていたのですが、明らかにおかしかったと言えます。
追い切り拒否
馬運車乗り込み拒否
ゲートイン拒否
そして、皐月賞のレース後、河内ジョッキーは次のようにコメントしました。
名手が首をかしげていたのです。予想より伸びなかった…。いや、「馬が自ら加減したんじゃ…」は邪推でしょうか。
この謎解きで、私は陣営の皆さんに「どうして気付かなかったんだ」と言いたいのではありません。そんな予兆で出走を取りやめていたら、競馬なんて成立しません。私が伝えたいのは「タキオンは知っていたかもしれない」「知っていた上で皐月賞を勝ったのかもしれない」「その可能性がある」ということです。だとしたら、只事じゃありません。
自らの脚の限界を知りつつ
その上で最悪の状況にならないように走り
陣営やファンの期待にこたえた――
これ、やっていることは〝神〟です。
タキオンは、そんな人知を超えた馬だったのです。
可能性の話で失礼しました。
タキオンの「if」
それはタキオンへの「畏怖」
お後がよろしいようで。
おまけ1 予言者発見
実は今回、タキオンという神だけではなく、〝予言者〟も発見してしまいました。弥生賞の週、つまり弥生賞の結果が出る前の時点で、本紙記者がエアグルーヴなど、数々の名馬を育てた名伯楽・伊藤雄二調教師に話を聞いているのです。
内容を抜粋します。タキオンについての見立てです
未完成のボディー。切れすぎるがゆえ、他馬より大幅に消耗する体力…だからこそ危うさもあると指摘しているのだから恐れ入ります。そして、河内ジョッキーも分かった上で大事に大事に乗っていた。それでも馬の体には限界が、どうしようもないことがあるのでしょう。ちなみに、「ウマ娘」のタキオンも名伯楽と似たようことを言っていました
おまけ2 マンハッタンカフェ
「ウマ娘」のタキオンのストーリーで重要な役割を果たすどころか、互いのストーリーになくてはならない存在として描かれているのが同期のマンハッタンカフェです。タキオンがリタイアした後、ダービーを勝つのはジャングルポケットで、マンハッタンカフェが台頭するのは秋以降。ただ、2頭は同じレースを走っています。それが弥生賞。
これはもうマンハッタンカフェも当noteで紹介しないといけませんね。しばしお待ちください。