「ウマ娘」の魔法少女は牝馬版ゴルシ!?ワガママお嬢様スイープトウショウの〝やだやだ事件〟を「東スポ」で振り返る
「ウマ娘」ではツンツン駄々っ子な魔法少女という愛らしくも強烈なキャラで描かれているスイープトウショウですが、リアルでも負けず劣らずぶっ飛んでいました。牡馬を蹴散らすスーパー牝馬ながら、じゃじゃ馬っぷりがハンパじゃなく、その気まぐれに誰もが振り回されたのです。その強さをリスペクトしつつ、伝説となっている「やだやだやだやだ!」を「東スポ」で振り返ってみましょう。(文化部資料室・山崎正義)
才女から新女帝へ
2~3歳時(人間で言ったら10代)のスイープはまだ〝ワガママ女王様〟ではありませんでした。〝困ったちゃん〟ではありましたが、手がつけられないほどではなく、メディアを通じて気性難であることは伝わってきていたものの、ファンが魅了されていたのは彼女の走り。後方からギュイーンと他馬をかわしていく圧倒的な追い込みで牝馬クラシック戦線を沸かせていたのです。
デビュー戦からモノが違う差し切りで、2戦目でファンタジーステークスというGⅢに挑戦すると、そこでも4コーナー9番手から豪快に突き抜けました。見てください、当時の本紙には「あきれる強さ」という見出し。
ただ、豪快である半面、極端なレースぶりなので他馬の不利を受けたり、スローペースになると届かなかったりします。今思えば単なる気まぐれだったのかもしれませんが、当時は〝粗削りな才女〟といった感じでした。3歳になり、牝馬クラシック戦線では、桜花賞の前哨戦・チューリップ賞を4角14番手からギュイーン。
鮮やかに差し切ったんですが、本番では2番人気で不発(5着)。続くオークスでは2着に好走するものの、秋はGⅡローズステークスで人気を裏切り(2番人気3着)、「早熟だったのかな?」と思わせて、秋華賞で大爆発。
何と直線だけで前をいく15頭を差し切ってしまったのです。秋華賞のコースである京都競馬場の芝2000メートルは小回りで圧倒的に先行馬有利。追い込み馬にはまったくもって不向きですから、常識破りの末脚には誰もが度肝を抜かれ、「本気を出した時のこの娘はシャレにならない」とゾクゾクしました。
この初GⅠ勝利のインパクトが強烈だったのでしょう。年上のお姉さんたちに挑戦した続くエリザベス女王杯(メスのナンバーワン決定戦)では1番人気に支持されました。しかし、本馬場入場でゴネるなど気難しさも見せて不発(5着)。ただ、ファンもメディアも「若さが出ただけ」ぐらいな受け止め方でしたし、個性的なキャラの登場はむしろ歓迎されてもいました。そして翌年、オトナになったスイープはとんでもない偉業を達成します。マイルのGⅠ安田記念で10番人気ながら追い込んで2着に入ると、続く宝塚記念をぶっこ抜いてしまうのです。
強豪馬が集まる王道GⅠであり、上半期の総決算でもある宝塚記念を牝馬が勝つなんて、まだまだビックリな時代でしたから、みんなが「マジかよ!」となりました。強いのは知っていました。でも、この時期はやっぱり牝馬は格下扱いだったのです。ウオッカやダイワスカーレットが登場する前でしたし、女帝エアグルーヴ以降、なかなか牡馬と互角に渡り合える牝馬も登場しておらず、しかも、このレースにはなかなかのメンバーが集まっていました。
宝塚記念で牝馬が勝ったのは1966年までさかのぼらないといけないのですから、前走の安田記念で2着に入っているのに記者の印が薄いのも仕方ありません。単勝オッズも38・5倍の11番人気。でも、レースは完勝でした。いつもより前めの7~8番手から、これまたいつもと違い早めに抜け出し、牡馬を完封したのです。
この偉業で、スイープにつきまとっていた〝困ったちゃん感〟はかなり和らぎました。気まぐれだったはずが、2戦続けて好走し、記事では管理する鶴留調教師が「最近になってやっと思うように調教できるようになったぐらいで、まだ強くなる」とも話しています。本文にはこんなフレーズ。
「優等生に変身」
人間と同じく、競走馬は年齢を重ねるほど落ち着いてくるものですから、ファンもそう思いました。でも、ゴールドシップがそうだったように、希代のクセ馬がいかにもイイ子ちゃんになったときは要注意(苦笑)。さあ、いよいよワガママ劇場の本公演が始まります。
天覧競馬で…
「牝馬の中での強い馬」ではなく「現役トップホースの一頭」として臨んだ秋。まずはGⅡ毎日王冠で軽く人気を裏切りますが(2番人気6着)、いかにも〝叩き台〟といった感じだったので、続く天皇賞・秋では本領発揮を期待されます。
かなり印が付いているように、牡馬も交じる大レースで有力馬の一頭として4番人気の支持。宝塚記念で3着に負かしたゼンノロブロイが1番人気なのですから、「まともに走れば…」と思わせました。実際、レースではまともに走りました。しかし、事件はレース前に起きたのです。
「あれ?」
「騎手が下りたぞ」
「どうしたんだ?」
競馬のレースというのは、パドックでお客さんに顔見せをした後、コースに入場し、「返し馬」というものを行います。レース前の軽いウオーミングアップのことで、各馬が思い思いの方向に走っていき、最終的にスタート地点に集まるのですが、何と、スイープトウショウは馬場に入ったものの、立ち止まり、まったく動かなくなってしまったのです!
「何があったんだ?」
「アクシデントか?」
「もしかしてケガ?」
いやいや、単なるワガママだったんですが(笑)、競馬場はかなりザワつきました。ぶっちゃけ最初は何が起きているのか分からなかったんです。多くの人が馬券を買っている上位人気馬に「何かがあった」ことは間違いありません。でも、何かが分からない。故障したような様子はないですし、暴れていれば「ああ、イレ込んじゃって大変なことになってるんだな」と理解できますが、スイープはデンと澄ました顔で突っ立ったまま。主戦の池添謙一騎手や厩務員さんが懸命に走るように促しているのは見えました。押してます。引いてます。でも、微動だにしない。こんな場面を目にしたことがあるファンはほとんどいませんでしたから、みんな、頭の中に「?」を浮かべたまま時が流れていきました。で、騎手が馬から下りたのです。
「やっぱり故障かな」
「じゃ、馬運車が来て乗せる?」
「でも、そんな雰囲気はないし…」
「あれ? 厩務員さんに引かれて歩きだしたぞ」
「どこ行くんだろ」
出走をやめるのだったら他馬の邪魔にならないよう、芝コースから出るはずです。しかし、スイープはそのまま芝コースを、スタート地点に向かっていきました。よく見ると、池添騎手もそちらに向かって走っていきます。
「走ってる!」
「馬じゃなくて騎手が走ってる!」
後年、池添騎手は本紙の連載で「ヤジられるし、恥ずかしかったですよ」と振り返っていましたが、まさに前代未聞の光景でした。で、馬もジョッキーもスタート地点にたどりつき、どうやらレースに参加しそうだと分かったファンは、やっと気づいたのです。
「もしかして動かなかっただけ?」
「動きたくなかっただけ!?」
衝撃の事実に、もはや笑うしかありません。そしてこう苦笑い。
「よりによって」
「こんな大事な日に…」
そう、何とこの日は天覧競馬。天皇皇后両陛下が初めて天皇賞を観戦されるという記念すべき日だったのです! 一番やっちゃいけない日、一番ダメな日に、スイープは「やだやだやだやだ(byウマ娘)」をやらかしたのです!
「やっぱりこの馬は普通じゃない」
「強いけどヤバイ」
「ワガママお嬢様なんだ!」
というわけで、競馬場で一部始終を見ていたファンやメディアは忘れかけていたスイープの気性のヤバさに再び気付きました。しかし、この日は、優勝したヘヴンリーロマンスの松永幹夫騎手が馬上で陛下に頭を下げる名シーンがあったこともあり、スイープの〝事件〟はそれほど大きく報じられませんでした。超スローペースの中、後方から追い込み届かず5着に終わった結果もあくまで展開のアヤで、気性が敗因という感じにもならなかったので、大多数のファンに〝ヤバさ〟はそれほど植え付けられなかったんですね。しかも、スイープが、続くエリザベス女王杯で自らのヤバさをいい方向に振る、とんでもないレースを見せたので余計でした。
宝塚記念を勝っている馬が牝馬限定戦に出てくるのですから、このぐらいの印は当然で、実際、2番人気に支持されるのですが、レースは追い込み馬にとって最悪の展開になります。オースミハルカという馬が、他馬を引き離して逃げたのに誰も追いかけない、まさに独り旅。〝逃げ馬が逃げ切る〟〝先行馬しか上位に来れない〟絵に描いたような展開でした。余力を残しながら2番手に5~6馬身の差をつけたまま4コーナーを回ったオースミハルカがさらに後ろを突き放し、追い込んできたスイープとの差は残り200メートルでまだ7~8馬身。なのに、その絶望的な差をスイープは逆転するのです。
え?え?え?え?
おいおいおいおい!
届くんかーい!
秋華賞に続くあまりにもこの鮮やかな追い込み劇は、再びファンの脳裏から「ワガママお嬢様」の印象を薄れさせるほどのインパクトでした。
紙面では池添騎手がこんなふうに胸を張っています。
「こんな個性的な馬がいてもいいんじゃないですか」
確かに、動かなくなって周囲を困らせるのも個性、度肝を抜く走りを見せるのも個性。どちらもハラハラドキドキさせてくれるこんな素敵な馬はいない!ってことです。実際、このレースで、スイープのトリコになったファンはたくさんいました。そして、どちらかというと〝いいイメージ〟の方を強く残したため、前記のように、ワガママ色が薄まります。このまま休養に入り、翌年春はケガでお休みし、復帰したのが翌年の秋というのも、この娘のヤバさを忘れさせる〝空白〟になりました。加えて、何度も言いますが、馬は年齢を重ねれば落ち着いてくるのが普通です。
「駄々っ子もいい年だし」
「お嬢もそろそろ…」
しかし、スイープは普通じゃありませんでした。
最強馬の引退レースで…
11か月ぶりの出走になった京都大賞典(GⅡ)で、スイープは今までにないレースを見せます。いつも外から追い込んできていたのに、内からスパッと抜け出して快勝するのです。「オトナになったかな」と思わせるような走りでした。ただ、〝らしさ〟は失っていません。表彰式で暴れ、騎手を振り落とそうとしていたのです。
とはいえ、これも一部のファンが見ただけですからそれほど表には出てきていません。というわけで、小粒なメンバーとなった天皇賞・秋では、「順調にひと叩きした実力馬」「個性あふれる最強牝馬」として、1番人気に支持されます。
結果は追い込み届かず5着でしたが、昨年のような〝事件〟を起こすことはありませんでした。馬場入り後はすんなりと返し馬。出遅れることもなかったので、やはりファンにヤバさは伝わってきません。しかし、普段生活するトレーニングセンターでは徐々に手がつけられなくなってきていました。練習場で「やだやだ」する場面が増えてきたのです。
実はスイープは若いころから気分が乗らないとなかなか調教で走りだそうとしない馬でした。コーナーを回る周回コースで練習させようとしても嫌がってコースに入ろうとしなかったり、坂路だとしてもその入り口で「やだやだやだやだ!」。5分とか10分のレベルではなく、3歳のころから30分ぐらいゴネることがあったのです。
だから前述の天皇賞・秋での〝事件〟も、陣営からしたら「調教じゃなくてもやるんかい!」といったところで、〝動かない〟のはよくあることだったんですが、その度合いが年齢を重ねてひどくなってきていました。この秋で言うと、天皇賞の後、連覇を狙ってエリザベス女王杯に向かうのですが、本追い切り当日に坂路の入り口で立ち往生。結局、首を縦に振らず、仕方なく周回コースに移動せざるを得なくなります。
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レースでは2着に入って力は示したものの、続く有馬記念に向けた1週前追い切りでも、またまた坂路で立ち往生。レース当週の本追い切り前日、本紙には鶴留調教師のこんなコメントが載りました。
「(追い切りを)やりたいのはもちろんだが馬の気分次第」
白旗です(苦笑)。本当に「お疲れさまです」としか言いようがありません。私もレースのたびに気性難についても記事化されていたので知ってはいましたが、「そこまでひどくなってるのか」と驚きました。もはや、陣営の予定した調教メニューすらこなせなくなっているわけです。ただ、気まぐれなだけで、最終的には周回コースで追い切ることができ、スイープは無事に年末の大一番に出走します。
主役は何といってもディープインパクト。無敗の三冠馬、近代競馬の結晶とも言える最強馬の引退レースでした。単勝オッズ1・2倍。最後の雄姿、その花道を疑わない人々で競馬場はあふれました。一方で、ディープ以外は小粒なメンバー構成で、馬券好きは2着と3着を当てることに必死だったんですが、スイープの名前を挙げる人がそこそこいました。
「牝馬だけどこのメンバーならむしろ実力上位でしょ」
「宝塚記念ぐらい走れば勝負になるでしょ」
秋になり、ライトなファンにまで伝わるようになっていた気性のヤバさが、魅力的に映るから不思議です。
「こういう馬こそ大一番で力を発揮しそう」
「あの気性がいい方に出る可能性もある」
「穴ならスイープ」
「個性派が一発やってくれるかも」
5番人気というなかなかの支持を得たお嬢様、ご機嫌麗しいのか、心配されていた返し馬を無事にこなし、ゲートの裏へ。みんなと一緒に輪を描くように歩きながらスタートを待っていました。場内は、〝ラストディープ〟を一目見ようと集まった大観衆の熱気でむんむん。ファンファーレが鳴ると、さらにボルテージが上がります。さあ、枠入りです。
ディープインパクト最後のレース
歴史的名馬の有終の美
大団円のフィナーレへ
真っ先に誘導されたのは、ゲートに難のあるスイープでした。厩務員さんが引っ張り、ゲートに向かいますが、軽く尻っぱね。後ろ脚で後方をキックしています。
「どの馬?」
「なんだ、スイープトウショウか」
「アハハ、また嫌がってるよ」
今までも何度か見た光景で、ちょっとグズった後に入るのがいつものパターンだったのでファンも苦笑いしながら待ちますが、尻っぱねしつつ、スイープは後ずさり、どんどんゲートから離れていきます。
「なんだなんだ」
「時間かかりそうだな」
周りにいた人みんなで馬体を押してゲート付近にまで戻していきます。顔をゲートに向かせると「やだやだ」になってしまうので、後ろ向きで歩かせました。1分半後、なんとかお尻がゲートにつくぐらいの位置までやってきたスイープに〝回れ右〟。はい、目の前に扉です。
「入るか?」
「どうだ?」
池添ジョッキーが馬上から進むように促します。スイープは?
「やだ」
「やだやだやだやだ」
「やだって言ってんでしょ!」
動きません。
ビクともしませんでした。陣営は青ざめたに違いありません。
「このパターンはまずい…」
どこでスイッチが入ったのでしょう。他馬に何か言われたのか。それとも、みんながディープディープとばかり騒ぐのが気に入らなかったのか。「私にも注目してよー!」と言いたかったとしたらそれはそれでカワイイのですが、いずれにせよ、お嬢様は完全にご機嫌斜めになっていました。そして、こうなったらテコでも動かないのです。
「おいおい」
「大丈夫か?」
既に2分経過。大観衆がザワつきます。厩務員さんに引っ張られて首だけはゲートに入るのですが、前脚を踏ん張っているので体は動いていません。
「何してんだよー」
「早く入れよー」
「ディープを待たせるなー」
ザワつきからイラ立ちへ。場内に不穏な空気が漂いはじめました。彼女を追いかけてきたファンが、一緒にいる仲間に焦りながら説明しています。
「ダメなんだよ」
「こうなるとダメなんだ…」
練習場と違い、いつまでも待ってもらうわけにはいきません。
「でも…」
「よりによってどうして今日なんだ」
「どうしてこんな日に!」
そう、天皇賞のときもそうでした。
一番やっちゃいけない日
一番ダメな日にこのお嬢はやるのです。
「ヤバイって!」
「何してんだよーー!」
ワガママを許してきたファンも勘弁してくれとばかりの金切り声。競走除外さえも覚悟したそのときでした。
よいしょっ――。
面倒くさそうに、でも、あっさりと、スイープがゲートに収まったのです。
「ありゃ?」
「入ったじゃん」
これには誰もがズッコケました。
「結局、入るんかい!」
「だったら最初から入れよー」
場内、ヤンヤの大歓声。さっきまで怒っていた人も、突然すんなりと入ったので拍子抜け。不穏な空気もどこへやら、なんと拍手まで湧き起こったのですから笑うしかありません。ゲートに入るだけで、どんだけ盛り上げてんだって話ですが、緊張感に包まれていた競馬場の空気が一気に緩んだ気がしたのは私だけではなかったはずです。「万が一にも負けないよな…」というディープへのかすかな不安が消え、魔法をかけられたように誰もがワクワクを取り戻し、なんだかすごくテンションが上がったのを覚えています。そして、ゲートが開いた瞬間、一頭だけ豪快に出遅れた馬が…。
「スイ~プ~」
既にレース前に疲労困憊していた自らのファンをさらに脱力させたお嬢様は、機嫌が戻らず、走る気も起こさず、見せ場もなく10着でゴールしました。その前で、ディープインパクトはまさに飛ぶようにフィニッシュし、自らの競走生活をパーフェクトに締めくくりましたが、あの日の裏の主役は間違いなくスイープでした。歴史的瞬間を目撃し、感動したファンは、その帰り道、引っかき回すだけ引っかき回した牝馬を思い出し、もう一度、苦笑いしたのです。
「なんだったんだ…」
熟女の反乱
有馬記念で残した強烈な爪痕により、お嬢のヤバさは、すべての競馬ファンの脳裏にしっかり焼き付きました。なので、翌年4月、マイラーズカップ(GⅡ)の馬柱に、その名前を見つけると…。
「あっ!」
「あの馬じゃん!」
「スイープトウショウだ!」
まるで指名手配犯を見つけたかのよう。でも、逮捕したいわけじゃないんです。「勘弁してくれよ」「またやらないでくれよな」という負の感情も湧き上がってきません。
「大丈夫かな」
「またやるのかな」
心配しつつも…。
「次は何をしでかすんだろう」
「もっとヤバいことやっちゃったりして…」
心の中で期待している人が明らかに増えていました。楽しみで仕方ない。スイープが気になって仕方ない。スイープから目が離せなくなる魔法にかかってしまったのでした。はい、お嬢様は魔女だったのです!
「どうなるのかな」
「やらかすのかな」
単なるGⅡが、俄然、楽しみになるからそれはそれは素晴らしい魔法でした。正直、馬券的には〝買える〟馬ではありません。今までにない大敗を喫した後で精神的ダメージが懸念されますし、牝馬の6歳というのは牡馬に比べ、衰えが顕著に表れる年齢でもありますから、上記の馬柱でも印の付き方は微妙ですよね? でも、逆に精神的ダメージがあったとしたら、さらにヤバイことをしちゃう可能性だってあります。つまり、余計に目が離せなくなるのですから、なんてやっかいな魔法なのでしょう。しかも、これだけやらかしそうに見えて、スイープは普通にゲートに入り、普通にスタートを切って、普通に2着にくるのです!
「なんなんだ…」
おそるべし魔女の気まぐれっぷり。で、こうなると、再び年齢のことが思い浮かびます。何度も言う通り、既に落ち着いてきてもおかしくありません。一部では「有馬記念で凝りて改心した」説も出ました。実際、マイラーズカップの週の調教でもそれほど気難しい面を出していませんでした。
「有馬が最後だったのか」
「落ち着いちゃったのか」
なんだか残念なのが不思議でした。もちろん陣営のことを考えたら、ぜひとも〝おしとやか〟になってほしいものですが、魔法にかけられたファンはワガママを期待しちゃっていたのです。そして、そんな期待を感じ取ったのか、スイープはまたまたやらかしはじめます。続くGⅠヴィクトリアマイルの本追い切りで、調教コースに入るのを拒否。すったもんだの末に別の周回コースに入ったものの尻っぱねを連発するのです。レース前日には陣営からも久しぶりに白旗コメントが出ました。
「追い切りは何とかできたが、当日も何をしでかすか分からない。ゲートをスムーズに出るまで安心できない」
もはや、魔法をかけられているファンにとっては、〝フリ〟にしか聞こえません。
「やっぱりヤバい」
「今度こそやらかすかもしれない」
牝馬限定戦ですし、休み明けを2着で好発進したGⅠ3勝馬なのですから、当然、記者から印が集まりますし、2番人気に支持されました。でも、普通の2番人気にかける期待に加え、スイープには別のものも求めていた気がします。見たいのは、一昨年のエリザベス女王杯で見せたような伝説級の走りか、さもなければ…さもなければ…。心のどこかで期待していたファン。その目の前で、スイープはやってくれます。
「あっ!」
何と、馬場に入場し、芝コースに向かおうと横切ったダートコースで、「やだやだやだやだ」。池添騎手を振り落としたのです! あれはテレビには映ったのでしょうか。今では調べようもありませんが、競馬場に来ていないと、そしてスイープに注目していないと見られない光景でもあったので、魔法をかけられたファンはなんだか得した気分になりました。そしてスイープはしっかりとゲートでもゴネて、レースでは不発…。スイープに詳しくない人から見れば、「休み明けをひと叩きしたGⅠ馬が期待を裏切った」となるのでしょうが、ファンにとっては何となく予感できた結果でした。
「だよね」
「これだからお嬢は…」
「目が離せないんだよなあ」
もはや完全に愛すべき存在。中には母性にも似た感情を持ちはじめている人もいました。
「心配で心配で…」
「だから、これからも見守ってあげないと」
夜になると魔女になって箒にまたがり、お城を出ていってしまうお姫様。町に下りれば絶対にトラブルを起こすのですから、
「我々が付いていかないと…」
「電信柱の陰から行動をチェックしておかないと…」
そんな気にさせる馬になっていたのです。もはや、ファンではなく、気持ち的にはお姫様お付きの〝爺や〟でした。そして、愛すべきワガママお嬢は、最後にもうひとつ、伝説を残します。もちろん、走りではありません。レースに出走する前、いや、それどころか…。
そして伝説へ
上半期の総決算・宝塚記念に向かうはずだったスイープは厩舎で暴れて脚をケガしてしまい、出走を取りやめます。魔法をかけられているファンはニュースを見て「どんだけ暴れたんだよ」と苦笑い、爺やファンは心配で心配でたまらなくなったんですが、これはまだまだ序の口でした。夏の間、厩舎でゆっくり休ませてもらい、ケガも癒えて調教を再開したお嬢は、さらに言うことをきかなくなるのです。
復帰戦は10月上旬の京都大賞典(GⅡ)。前年、勝っているゲンのいいレースなのですが、レース3日前の朝、出走回避のニュースが入ってきます。さすがにこれには爺やファンはもちろん、スイープを〝ネタ馬〟だと感じていた人も心配しました。
「どうしたんだ?」
「調子が上がってこないのか?」
「まさかケガしたのか?」
急いで情報を集めたファンの目に飛び込んできたのはこんな紙面でした。
「え?」
「こんな回避ってあるの!?」
そうズッコケたのは私だけではないでしょう。何とスイープは水曜日に予定していた調教を「やだやだやだやだ」と拒否。仕方なく翌木曜日に延期したのですが、そこでも走ろうとしなかったのです。
「やだやだやだやだやだやだやだ」
記事にもありますが、最終手段として練習用のゲートにも入れて、〝いかにも〟な雰囲気をつくったそうですが、そんなのにだまされるタマじゃありません。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだーーーー」
結局、追い切りはできず、練習は中止。陣営は回避を決めたのです。
「すごい」
「すごすぎる…」
陣営には大変申し訳ありませんが、正直、面白過ぎました。スイープに魔法をかけられていたファンは、週末、競馬場で仲間に会うと、真っ先に確認し合いましたから。
「聞いた?」
「さすがだよなー」
一方、爺やファンの不安は募ります。
「一生走らないんじゃ…」
「このまま引退しちゃうんじゃ…」
確かにその危険は大いにありましたし、中には「もう引退させてあげてもいいかも」というファンもいました。でも、大多数の爺やファンも、ある種の魔法にかけられていました。「見てられない」「でも、見守りたい」のです。
「もう一度ターフへ」
「もう一度!」
「ゴネてもいいですから!」
そう思わせておいて、スイープがこの後、どうなったか。はい、皆さん、そろそろ想像つきますよね? 伝説の出走断念から3週間後、気まぐれお嬢は何事もなかったかのようにスワンステークスというGⅡに登場し、とりたてて問題も起こさず、4着に好走するのです。
「なんなんだ…」
「なんなんですか!」
もはや誰もが笑うしかなかったのですが、続くエリザベス女王杯はいろいろな意味でやってくれそうな気がしました。スイープは4年連続の出走で、2年前の女王でもあるのですが、主役は3歳年下の2頭。この年、牝馬ながら64年ぶりにダービーを勝ったウオッカと、2冠を制していたダイワスカーレットが待ち構えていたのです。
テーマは完全に「世代交代」でした。ピッチピチでめっちゃくちゃ強い女の子に、ファンもメディアも大注目。しかもライバル関係にある2頭ですから盛り上がらないわけがありません。でも、スイープに魔法をかけられてしまうような、ちょっぴり〝面白がり〟なファンは、「だからこそ」と思ったのです。
「ここでやるかもしれない」
「スイープならやりかねない」
今まで一番やっちゃいけない時にやってきた馬です。過去のそれは、自分以外に目が向いている時でした。ある意味、世代交代濃厚で、若い2頭に注目が集まっている今回は状況が似ているのです。
「やるぞ」
「やるぞ…」
立ち止まって動かなくなるのか…。
ゲートに入らなくなるのか…。
固唾をのんで見守っていたファンが心の中で「やらないんかーい!」と突っ込んだ直後、スイープはいつもよりいいスタートを切りました。秋の穏やかな日差しが降り注ぐ京都競馬場に、すべての世代から選ばれし、美しき牝馬が集うレース。その中団のインコースでスイープはらしくないほど〝いい子〟にしていました。直前でウオッカが回避し、断然の1番人気になったダイワスカーレットが悠々と逃げていく後ろで、気分良さそうに、じっと力をためています。4コーナー、ポッカリ開いた内にお嬢が勢いよく突っ込んでいった瞬間、ファンの背筋がゾクリ。
「え?」
「まさか」
「そっち!?」
ネタを期待しつつも、心のどこかに抱いていた淡い願望がむくむくと湧き上がってきました。
気まぐれの逆振り――
年齢的に引退が近いこと、最後のエリザベス女王杯になりそうなことを悟っていた人たちが夢見たお嬢の反撃でした。
「いけっ!」
「スイープ!」
「気まぐれお嬢!」
「ワガママお嬢!」
「俺たちのお嬢様!」
最後の最後まで楽しい魔法をありがとう。ファンはあの直線の興奮を今でも忘れません。そして、あの日、必死にゴールを目指し、年下の女の子に食い下がりながら3番目でゴールしたあなたを見て、こうも思いました。
「走るの、好きなんじゃん」
イベントやります…
こんな私の文章を皆さんが面白がってくれたおかげで、noteさんとイベントをやることになりました。私が書いてきた馬の中から「一番強いと思う馬」「一番好きな馬」を選んでいただき、その結果を発表しつつ、名馬の足跡を振り返ります。ぜひぜひ投票&参加を。
トーセンジョーダン
「東スポ競馬」で当noteの短いバージョン的なコラムを始めているんですが、ここでは書いていないネタや写真もちょくちょくアップしております。先週末、「ウマ娘」のトーセンジョーダンがネイルが好きな理由について史実を掘り起こしたところ…何と今週、そのトーセンジョーダンが実装されました! 馬券は当たらないのに、こういう部分で当たってしまう私っていったい…。