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宮本裕向「盾を持った機動隊に戦いを挑んだんだけど、全く歯が立たない」【豪傑列伝#10】

宮本裕向の過去をご存じか? 現在は妻子ある身としてリング外では穏やかな生活を営んでいるが、地元・広島での青春時代は、路上暴走を繰り返す暴走族の特攻隊長だった。当時、恐れを知らない宮本の暴走行為はエスカレートする一方。気づいた時には日本全国に知れ渡った事件の当事者になっていた…。

【宮本の話】俺の地元は広島の廿日市市って田舎なんだけど、田舎ではワルってモテるだろ!? 俺は中学時代から問題児で、友達のもらったラブレターを大声で読んでたら、ラブレターを書いた女の子にバレちゃって。その子が先生にチクるから、全校集会が開かれる大問題になっちゃってね。それからは授業が行われない緊急事態が、1週間続いた(苦笑)。

 これはまだ中学生のかわいいイタズラの範囲だ。警察ざたにはならない。しかし、高校進学と同時に知り合った友達が宮本をワルの世界にいざなった。

命知らずのファイトを展開する宮本(左)。元特攻隊長の本領発揮だ

【宮本の話】高校に入ってから同じクラスのヤツで気の合う友達ができた。それが今度の防衛戦(7・12横浜文化体育館)に高さ5メートルの足場を作ってくれる廣島大治組の若頭。そいつに唆されて16歳で暴走族「VERSUS」に入って、半年で100人いるチームの特攻隊長まで上り詰めた。信頼関係の強い、いいチームだった。

 この世の春を謳歌していた宮本だったが、高校2年の11月、日本全国を駆け巡った事件の当事者になってしまう。

【宮本の話】今でも忘れない。1999年の胡子講(胡子大祭)は、俺の人生の中で最も大きな出来事のひとつになった。毎年このお祭りには広島中の暴走族たちが集まってナンバーワンを競うんだけど、この年は機動隊が出てきて、全チームの目が機動隊に向いたんだよね。暴走族50チーム対機動隊の戦い。6車線ある道が全部俺らと機動隊で埋まったから。

 テレビ、新聞も駆けつけて、今じゃあ「胡子講暴挙事件」としてウィキペディアにも載ってる伝説の一戦。俺は特攻隊長として最前線にいて、盾を持った機動隊に戦いを挑んだんだけど、全く歯が立たない。あいつら変なテクニックがあってさ。前蹴りすると、盾を上にクイッと持ち上げてこっちのバランスを崩して、盾の下の縁でスネとかに攻撃してくるんだよ。タックルしてもアイツら側に引き込まれそうになる。

 だから打つ手もなくにらみ合いしてると、司令官が「検挙!!」って言った瞬間に一斉に突っ込んでくるんだよ。そうなると、もうお手上げ。後ろがつかえてるから逃げ場もない。そのまま引き込まれて、私服警官にボコボコにされる。でも、見てる人は見てるもんだね。無抵抗の俺に殴りかかってくる私服警官に、ヤジ馬が「無抵抗なのに何で殴ってんだ!?」って言ってくれて助けられた。本当に感謝してる。

廣島大治組の若頭が作った足場から竹田誠志(左)にエメラルドフロウジョンを決める宮本(2009年7月、横浜)

 とんだ事件の当事者になった宮本は、この事件を機に心を入れ替えることを決意する。

【宮本の話】この事件まで母ちゃんは何も言わなかったけど、この時ばかりは俺を引き取りに来た警察署で泣いていた。その姿を見て「こんなことしてちゃダメだ」って引退を決めた。もちろん高校は退学になったよ。でも、クラスメートたちが「退学させないでほしい」って署名活動をしてくれたんだ。結局ダメだったけど、今でも俺の宝物として取ってある。意外と学校では人望があったんだ(笑い)。いろいろ迷惑ばかりかけた青春時代だったけど、今はそれを教訓にまっとうに生きてます。
 

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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