脅し文句の奥は深い【プロレス語録#1】
プロレス界に限らず脅し文句の奥は深い。「耳の穴(またはケツの穴)から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたる!」と並んで有名な脅し文句には「ミンチにしてやる!(要はバラバラにしてやるという意味)」というモノがある。
だが64年4月、第6回ワールドリーグ戦に参加するため初来日した怪覆面カリプス・ハリケーン(正体はサイクロン・ネグロ)が放ったセリフは強烈だった。
「日本のことはロッキー・ハミルトンとルーター・リンドセイからよく聞いている。彼らは“リキドザン”と“トヨノボリ”にかなり痛めつけられたそうだが、その仕返しを引き受けてきた。まあ日本のレスラー全部をコロッケ(バラバラにしてまるめて油で揚げるという意味か?)にしてやる」
50年代から60年代にかけて来日した外国人レスラーは、まず羽田空港で「○月×日が馬場の命日になるだろう」とか「馬場に棺おけを用意しておくよう伝えておけ」などとコメントするのが定番だった。
「ミンチにしてやる」とすごんだ外国人レスラーは数多いが、「コロッケにしてやる」とすごんだのは、恐らくカリプス・ハリケーンだけだろう。まるで子供から晩のオカズを聞かれた主婦のようである。それとも日本のレスラーを肉ではなく「イモ扱い」した、カリプスジョークだったのか?
コロッケは完成しなかったが、ハリケーンは来日中の5月14日、神奈川・横浜文化体育館大会でジン・キニスキーとのタッグで豊登、吉村道明組のアジアタッグ王座に挑戦。見事に勝利し第10代王者に輝いている。
本紙創刊号(昭和35年4月2日付)野球面を飾ったセリフ。プロレス転向前の元巨人軍投手として語ったリアルな恨み節だ。馬場は昭和30年、新潟・三条実業高を2年で中退後に巨人軍入団。同年8月には一軍昇格を果たし、公式戦で3試合投げて、0勝1敗という成績を残す。その後は二軍生活を送っていた。
昭和33年はイースタン・リーグで快投を見せ、何と11勝2敗。一軍昇格すべき成績だが、待っていたのは最も低いEクラス評価。クサった馬場は、酒とタバコにおぼれる日々を過ごし、そのまま巨人軍を解雇された。その後、大洋ホエールズの明石キャンプにテスト生参加するも、風呂場で転倒。左腕をガラスに直撃し、35針縫う重傷で投手生命を断たれた。馬場のプロ生活は、あまりに不運続きだった…。
当時、川崎・新丸子の四畳半アパートに暮らしていた馬場はプロレスやボクシング転向説を否定しつつ冒頭のセリフを吐いた。さらに「2年ぐらい前に、日本でロケした日米合作映画『八月十五夜の茶屋』に出演の話があったんです。でも、その頃は野球というものに全心を傾けていたころですから“冗談いうな”と断ってしまったんです。今考えると惜しいことをしたと思っていますよ。それから歌も少しなら歌えるんですけど…」と芸能界転身に並々ならぬ意欲を見せている。
馬場のプロレス転向発表は、この記事から10日後だった。(敬称略、原文ママ)
※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。