これぞ藤田流!ボクたちは負け試合なのに褒められた揚げ句感謝されてしまった【駒田徳広 連載#9】
ボクたちの〝オヤジ〟だった藤田さん
「ちょっとオレの部屋まで来い。話がある」
1989年のグアムキャンプ初日、ボクはこの年から監督に復帰した藤田(元司)さんに呼ばれ、練習終了後に選手宿舎の監督室に向かうことになった。
部屋に入ると、藤田さんはまず「この何年かでずいぶんと成長したな。今年もレギュラーとして働いてもらうつもりだから頼むぞ」と目尻を下げて背中を叩いてくれた。前回、監督をやっていた時の藤田さんはボクが一軍デビューした83年を最後にユニホームを脱いでいるから、これが6年ぶりの再会となる。前年に初めて規定打席に到達し、レギュラーを獲得。3割(7厘)も打てた。あの日、一軍デビューをさせてもらった藤田さんに今、こうして認めてもらえたことがうれしかった。
だが次の瞬間、藤田さんは真剣な表情になり、ボクの目をじっと見詰めると「何か心配事があるんじゃないか? 困ったことがあったらオレに言えよ。何かあったらオレが球団に掛け合ってやるから、オマエは何も心配することはないんだぞ」。それからずっと、ボクにとっての藤田さんはオヤジのような存在であり続けた。
ボクだけではない。あのころの選手は皆、藤田さんを父親のように慕っていたと思う。プロ野球の選手、それこそ巨人の選手なら皆、鼻っ柱の強いところがどこかにあるし、それ以前にオトナの集まりだ。しかし、藤田さんはそんな「大のオトナ」たちをオトナとして扱わなかった。
普通なら「いつまでも子供扱いするなよ!」と反発するところだろう。だが、これは新たな発見だった。ボクたちを徹底的に「子供扱い」した藤田さんは、例えて言うなら「オマエ、もう漢字が読めるようになったのか! すごいぞ!」という感じだった。できなくて当たり前。できればホメてもらえる…。子供扱いされるのがこんなに心地いいものだとは正直、思ってもみなかった。
藤田さんの話では記憶に残っているものがたくさんある。その中でも強烈な印象として残っているのが、その年の開幕戦前のミーティングだった。野手と投手に分かれ、対戦相手のヤクルト対策をみっちりやった後で、東京ドームの選手サロンに全選手が集まった。
「よーし、みんなで輪を作ろう! 輪になって全員で手をつなぐんだ!」
藤田さんの掛け声に、ボクたち選手はあっけにとられてキョトンとしてしまった。大のオトナにお遊戯でもやらせようというのだろうか…。「いいから輪を作れ!」。戸惑いながらも輪を作ると、そこから藤田さんの大演説が始まったのだ。
藤田さんと同じく原さんならチームをまとめられるはず
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