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海外修行中に寝坊して第2試合をメーンにした蝶野正洋【豪傑列伝#1】

プロレス界において「遅刻王・蝶野」の存在を知らない者はいない。毎度のように約束の時間に遅れておきながら、何食わぬ顔で現場に姿を現す横顔には、なぜか風格すら感じられる。そしてまた本人もそれを自覚しているため、余計にタチが悪い…。

【蝶野の話】オレが遅刻王だって? 三銃士がいた頃にはもう一人遅刻王がいてくれたんだけどな(故橋本真也さんのこと)。それで何となく「遅刻」のイメージが二分されてきた感があったのに。だんだんオレだけが、クローズアップされるようになってきちゃったよね。ハハッ。まあプロレスって集団行動だからさ。バスの集合時間もだけど、スピード重視でメシや移動とか、40~50人でダッとやる世界だから、余計目立っちゃうんだろうな(笑い)。

闘魂三銃士として日本デビューする直前。東スポの取材を受けた蝶野(左)と橋本(右)は武藤に比べ、いかにも眠そうだ(1988年7月、プエルトリコ・サンファン)

 笑い事ではない。インタビュー、記者会見、公開練習…。ありとあらゆる行事に遅刻してくる蝶野には、多くのプロレスマスコミが恐怖を覚える。インタビューに何と6時間以上も遅刻をしたという「武勇伝」がささやかれる蝶野には、別名「蝶野時間」と呼ばれる摩訶不思議なシロモノがあり、会社側から蝶野にのみ集合時間が1~2時間早く伝えられているということがある。

【蝶野の話】過去最長遅刻時間? そういえばヨーロッパ修行時代(1987年)に取材に来てくれてたライターさんがいて、帰国後にその人の取材を受けることになったんだけどさ。オレ、取材丸々忘れちゃって。結局それっきり会えてないんだよ。だから今でも、20年以上遅刻してることになるのかな? ハハッ。まあ一番多いのは「忘れている」パターンだよな。あとはオレが思うに、遅刻する人ってのは、自分のスケジュール管理がうまくできてないんだよ。それと自分のペースが分かっていない。間に合わせているつもりでも、どこかで遅れてしまうというか…。

羽織姿で海外修行中の蝶野。当時、試合まで遅刻したというから驚きだ

 そこまで自己分析できているにもかかわらず改善が見られないのは、完全に開き直っているからなのか? 修行時代、オフにドイツに行こうとしたところ飛行機に乗り遅れるなど、蝶野の遅刻は公私にわたっている。さらに決定的なことに、海外武者修行中には試合そのものにまで遅刻、キャンセルしたことがあるという。

【蝶野の話】ドイツで橋本選手と一緒に、車で1000キロくらい移動した所に行かなきゃいけない試合があったんだ。でも途中100キロくらいの所で車が故障してさ。トーナメントだったもんだから、それで3試合キャンセル。あと米国(89年)の修行中も1回あったな。当時第2試合に出る予定だったんだけど、結局メーンイベントに繰り上がりになっちゃったんだ。その時の理由? あー…それは寝坊だね。ハハッ。

 反省の色が全然見られないまま淡々と語っていた蝶野だが「遅刻王」返上のメドは立っているらしい。かつては完全な夜型人間だった蝶野も、2006年に待望の第1子が誕生してからは、親として自然と規則正しい生活を送るようになったというのだ。「そりゃ80年代、90年代はひどかったかもしれないけど、オレの場合、10年おきに少しずつまともになってるんだ。2010年にはまっとうな人間になれてるんじゃないかな」と語る蝶野。全プロレス関係者が、そうなることを心から祈っている。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。

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